第347話 ママ友同盟結成

 ぐったりとテーブルに突っ伏す葉月を、だらしないと咎める者はいなかった。


 赤ちゃんを春道に預け、営業が順調か確かめに立ち寄ったムーンリーフの奥には、葉月の他に仕事中の好美、時間を合わせて話をしに集まった実希子と尚の姿もある。


 実希子は孫を猫かわいがりする母に子供を預けてきたみたいだが、尚の両手には今年二歳になったという可愛い女の子がしっかり抱かれていた。


「ずいぶんお疲れだな。お産の時とは正反対だ」


 つわりだ何だと苦労した実希子とは対照的に、葉月の出産は順調そのものだった。だからといって楽というわけでもなかったが、予期せぬアクシデントに見舞われてしまう妊婦さんに比べれば文句など言えるはずもない。


「覚悟はしてたつもりだったけど、まさかあんなに凄いなんて……」


 顔だけ上げた葉月の目の下にある濃い隈に、改めて友人たちが同情する。


「泣き止ませようとして、泣き止むものでもないというのは辛いわね」


 子供はいないが、何かあった時のためにと、菜月同様に知識を蓄積してくれている好美がPCを打つ指を止めた。


「ウチのは夜、ぐっすりだけどな」


「実希子ちゃんの娘さんは比較対象にならないわよ」


 尚に半眼で睨まれ、実希子が「何だとう」と気色ばむ。


「だって、泣き方で母親に正確な要求をする乳児なんて聞いたことないわ」


 実際に実希子がお世話になった医師も話を聞くたび、信じられないと目を丸くしているので、改めて尚に指摘されて実希子は何も言えなくなる。


「しかも夜泣きをしないどころか、不必要に泣くこともしない。

 ……改めてもう一度聞くけど、本当に赤ん坊なの?」


「好美まで何言ってやがる。この前も可愛い寝顔を見せてやったじゃないか」


 ほとんど実希子は泣きそうだった。

 それを皆で宥めると、切り替えの早い実希子はすぐ元に戻る。


「アタシだって戸惑ってんだ。葉月のとこみたいにギャン泣きして、慌てさせられるとばかり思ってたからな」


 その言葉に、葉月は深く自省する。

 母親にとって赤ん坊の一挙手一投足が気になるのはわかっていたのに、ついつい軽はずみに尚と同様の感想を抱いてしまっていた。


 尚や好美も同じように思ったのか、葉月と一緒に口々に実希子へ謝罪する。


「あっ、いや、そんなつもりじゃなかったんだ。葉月に比べると、アタシはずいぶん恵まれてるしな」


「恵まれてるなら、私も一緒だよ。今日だってパパが面倒見てくれてるし、夜泣きだって和也君やママが仕事だってあるのに代わってくれることもあるし」


 少し前までは家族でも他の人の手を煩わせるのが申し訳なくて、半ば意地になって一人で頑張った。


 けれど夜泣きに関しては一人では限界がある。素直に認め、助けてほしいとお願いしたら、頭を下げる必要なんてないと諭された。


 産んだのは葉月であっても、穂月は高木家の家族なのだから、皆で世話をするのは当たり前なのだと。


「おかげで夜も少しは眠れるようになったし、日中も穂月がおねむになったら、私も一緒に横になってるよ」


「それしかないわよね」


 娘をあやしながら、尚も深く同意する。

 彼女もまた子育てを機に柳井家のお世話になっているらしく、夜泣きの際はかなり助けられたらしい。


「実希子ちゃんの家も含めて、全員が協力的な家族でよかったわね」


 しみじみと好美が零した感想がすべてだった。


「うん。明日も仕事だから、早く泣き止ませろなんて言われたら、頭で理解してたとしても、すっごく悲しくなっちゃうよね」


「その点、和也は立派だな」


「自分に仕事があるんなら、赤ちゃんにもある。泣くことがそうなんだから、しっかり仕事をさせてやろうって」


「おお、葉月が珍しく惚気モードに入った」


「比較的いつもだと思うけど」


 わざとらしく驚く実希子の斜め前で、尚がクスリとする。

 正面に座る実希子に続いて、隣の尚にも尖らせた唇を見せる。


「そんなことないもん。ねー、朱華(あやか)ちゃん」


 前髪を優しく撫でると、尚の娘は擽ったそうにしながらもキャッキャッとはしゃぐ。


「にしても名前の由来を聞いた時はビビったぞ」


「何でよ」


 からかいモードに入った実希子に、尚がジト目を向けた。


「お世話になった人たちの名前を入れた最高の名前じゃない」


「葉月の『は』に尚の『な』で『はな』を漢字にして華。晋ちゃんの『し』に柚の『ゆ』、柚のを小さくして『しゅ』で漢字に直してくっつけて朱華。強引にも程があるだろ」


「アハハ、私は素敵な名前だと思うけどな」


「だよね! さすが葉月ちゃん! 朱華も自分の名前、気に入ってるよねー」


 尚が顔を見て尋ねると、意味を理解しているのかいないのか、楽しそうに笑った。


「名前はさておき、尚の娘はいつも笑ってるな」


「実希子ちゃんの娘さんがいつも寝てるから、丁度いいバランスね」


「うぐっ、そうくるか」


 頬を引き攣らせた実希子が、ダメージを受けたようなポーズをする。

 冬も近くなっているのでVネックのニットのセーターを着ているが、相変わらず大きすぎる膨らみが彼女の動きに合わせてたゆんと揺れた。


「もしかして……まだ成長してる?」


 何故か、尚が生唾を呑み込んで目を見開く。


「あん? ああ、おっぱいか。計ってないから知らん」


「知らんって、ブラを着けた感じでわかるでしょ」


「おっぱいを呑ませる時、面倒だからつけてない」


「授乳用のがあるでしょ! 最近では安いのもあるし」


 親しき仲にも礼儀ありだと憤る尚に、外聞を大して気にしない実希子はタハハと笑うばかり。


「窮屈なんだよ、ブラジャーって。だから常に外してたいんだけどな」


「……今は着けてるのよね?」


「ああ。智之が外出するなら着けてくれって泣いて頼みやがるんだ」


「実希子ちゃんの旦那さんが常識人で良かったわ」


 葉月も同意見だった。

 智之の家族は引っ張るタイプの実希子を頼もしいと思ったそうだが、直情的な面の強い実希子の家族からすれば、慎重派の智之はブレーキになってくれそうなので安心しているはずだ。


「アタシが非常識みたいに聞こえるんだが」


「ソフトボールの選手としては規格外だったけどね」


 好美が言うと、全員が揃って遠い目をした。


「大学まで皆と一緒にソフトボールをしてたんだよね。なんだかずいぶん昔のことみたいだよ」


「今もだが、学生時代も濃かったからな」


 虐め騒動から仲良くなった実希子と好美と一緒にソフトボール部で頑張り、高校では尚や柚も加わった。


 実希子もまたしみじみと語っているが、彼女だけは大学卒業後も数年だけ実業団でプレイした。一時は日本代表候補にまでなっており、将来を期待されるほどの選手だったのだが、重い怪我を膝に負うと、さっさと辞めてしまった。


 期待をされたから続けてみたが、やはり葉月たちと一緒じゃないと面白くないというのが、怪我が完治するまで待つと言ってくれた周囲を振り切って地元に帰ってきた理由だった。


 短い付き合いであっても、そんな実希子を深く理解したからこそ、智之は自身の内定を蹴ってまで、妻となる女性の愛する地元に身を置く決心をしたのだろう。


「それが結婚だけじゃなくて、出産もするなんてね」


 好美が頬杖をつくも、その表情は柔らかい。男性不審気味な彼女に結婚願望がないのは、葉月以外も本人から聞いて知っていた。


 同じく独身の柚は相手がいればと思っているみたいだが、恩師の高山美由紀と一緒に合コンに参加した日から、あそこまで目を血走らせるのもと極端な積極性を失わせつつある。


 もっとも当人は一番の理由を、教師生活がより楽しくなってきたからと笑顔で説明してくれた。


「特に実希子ちゃん」


 尚に話を振られ、実希子が寄りかかった椅子をギイと鳴らす。


「アタシも意外だったな。

 生涯独身で、葉月かなっちーに養ってもらう予定だったのに」


「葉月ちゃんはともかく、菜月ちゃんを頼ったら、翌日には動物園の檻の中よ」


「違いない」


 好美の指摘にひとしきり全員で笑うと、不意にシンとする。

 けれど決して不快ではなく、沈黙に誰もが表情を緩ませる。


「こういうのも、たまにはいいもんだな」


「情報交換もできるしね」


 椅子にもたれたまま呟いた実希子に、葉月がすかさず同意した。

 すると、名案を思い付いたと尚が手を叩いた。


「それならママ友同盟を結成しない?」


 子供や赤ちゃんの情報を共有し、何かあれば助け合うというものらしい。


「別に構わないが、これまでとあんまり変わらなくないか?」


「実希子ちゃんはだめね。こういうのは名前が大事なんじゃない」


 得意げに人差し指を立てた尚に、実希子がいやいやと首を振る。


「関係ないだろ」


「アハハ、私はいいよ。なんか尚ちゃんの気持ちもちょっとわかるし」


「私はママではないから参加できないわね」


 葉月が頷く中、からかい半分に好美が尚を横目で見る。


「大丈夫よ。オブザーバーとして登録するから!」


「ますます今までと変わらないだろうが!」


 実希子が怒鳴ったが、結局この日以降、子供に関する相談を中心にしたママ友同盟という名称でLINEのグループが作られた。


 もちろん好美や柚も普通に参加可能なので、早々に子供自慢を垂れ流す場になりつつあるのだが、それでも気軽に相談できる雰囲気が葉月にはありがたかった。

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