第435話 既読無視って無視されるほど重罪なの!? 中学生活で朱華が失ったもの、得たもの、知ったもの

「はあ……」


 倒れ込むように部屋のベッドに身を沈めた朱華は、立ち昇らせたばかりの溜息を追うように天井を見上げた。


 中学生になっても小学生時代と大して変わらないだろうと思っていたが、まず最初に授業の内容が難しくなった。


 それでも周囲から優秀と評されている朱華がついていけないほどではなく、増えた科目にも問題なく対処できている。


 では何が朱華を憂鬱な気分にさせているかといえば、忙しくなった中学生活のせいで仲の良かった穂月たちとほとんど遊べていないことだった。


「部活の練習量も小学校とは違うし……」


 朱華と一緒に入部した生徒には、厳しい練習に耐えきれずに辞めてしまった者もいる。ただでさえ新人が少ない部員なので上級生はかなり気を遣ってくれているのだが、それでも1年生は片手で足りるほどの数しか残らなかった。


 その中でも小学生時代に主力で全国大会に出場している朱華はかなり期待されている。1年生にして春の大会にも2番手投手として出場した。


「ソフトボールは好きだからいいんだけど……」


 はあ、とまた溜息が漏れる。顔のすぐ横にはピカピカと光る真新しいスマホ。買って貰った時はあれほど嬉しかったのに、今では若干の煩わしさを感じる。


「友達との距離が近くなったのはいいけど、簡単に連絡を取れ過ぎるのも困りものよね。またLINEがきてるし」


 片手に持ったスマホを眺め、どことなく口調もうんざりする。小学生時代と大きく変わったものの一つに、生徒の人数もあった。


 その数は倍以上で、クラスの数もそれくらいの差だ。小学生の頃は他クラスも含めて知っている人間ばかりだったが、中学生になると知らない人間の方が多い。


 人間関係を一から構築しなければならないのに加え、成長に伴って個々の性格も確立されているので、どうしてもグループを作りがちになる。


 とりわけ女子の間でその傾向が強く、不必要に男子と仲良くしていると、媚びていると後ろ指を指す者まで現れる。


 大人に近づくたび、勉強よりも人間関係が大変だと理解し、ますます朱華は溜息を止められなくなる。


   *


 教室に入るなり、この日の雰囲気がいつもと違うことに気付く。


 何かあったのかと首を傾げながらも、朱華は日頃からよく行動を共にする友人に事情を聞こうとする。


「おはよう、あのさ」


「……」


 ガタリと。まるで練習でもしていたかのように、その場にいた3人の女子生徒が席を立った。


 朱華の姿など見えていないと言いたげで、笑顔で雑談しながら教室を出て行く。


 追いかけようとしたところで、これもわざとらしくスライドドアが閉められた。


 明らかな拒絶。それはわかっても、理由がわからない。


 すると遠目でこちらを見ながら、クスクス笑う女子生徒が目についた。いわゆるギャル系に雰囲気が近いような女子で、朱華とはまた違ったタイプのリーダー的少女だった。


 あまり好きなタイプではないが、無意味に敵を作っても仕方ないので、当たり障りのない付き合いをしてきた。


(まさか、虐め? でも何のために?)


 気に入らないから。そんな理由が虐めに発展する。年齢も性別も関係ない。


 直接問いかける方が早いと一歩を踏み出した直後、笑い声は全方向から起こった。男子も女子も、クラス全員が戸惑う朱華を見てニヤニヤしている。


「何よ、文句があるならはっきり言ったらどうなの?」


 全員まとめて順番に睨みつけてやるも、誰も何も言わない。


 そのうちに授業が始まる。朱華も席に着いたが、苛々は晴れない。


 休み時間になっても状況は変わらず、こうなれば仕方がないと朱華は他クラスの友人を訪ねた。


 いつもは気さくに雑談にも応じてくれる子が、迷惑そうな目をする。


 幼稚園から積み重ねてきた友情がこんなに簡単に揺らぐのかと、少なくないショックを受ける。


「朱華、こっち」


 人気のない階段の踊り場まで連れていかれ、小声で責められる。


「どうして既読無視なんかしたの?」


「え? 何それ」


「うちらのクラスにまで無視しろって来てたよ。朱華と同じクラスの相沢さんから。あの子、彼氏が高校生だか大学生だかで怖い人と付き合いもあるらしくて、誰も逆らえないって同じ小学校だった子が言ってたの」


 心底くだらないと思ったが、既読無視の件は記憶にない。


 しかしよくよく思い返してみれば、昨日の夜に溜息をつきまくったあとLINEがきていた。直後に宿題をしたため、返信したかどうかは覚えてない。


「なるほどね……でもそんなことくらいで無視? 頭悪いにもほどがあるわ」


「朱華はわかってない」


「……何が?」


「中学生になったら周りに合わせないといけないんだよ。じゃないと朱華みたいに虐められちゃう。悪いんだけど、巻き込まれたくないからもう話しかけないで」


 息継ぎなしで言うと、友人の少女は話は終わったとばかりに立ち去った。


 後に残された朱華は、校内なのに風にでも吹かれた気がして体を震わせる。


 幼稚園の頃から付き合いがある少女。きっかけは他のグループから虐めに近い遊びに参加させられていたのを助けたこと。その友情もたった今、終わりを告げたらしい。


「……くだらない。本当にくだらない」


 教室に戻っても、朱華に話しかけるクラスメートは誰もいなかった。


   *


「ほらほら、ノッカー。もっとしっかりやりなさいよ!」


「……つーか、何であーちゃんが部活にいるんだよ」


 すでにもう懐かしい小学校のグラウンドで、ソフトボール部の練習に飛び入り参加して数分。最初は目をパチクリさせながらノックをしてくれていた陽向が、とうとう朱華にツッコみを入れてきた。


「卒業生がわざわざ後輩へ指導しに来てあげたんじゃない」


「それはありがたいけどよ、そっちの練習はどうしたんだよ」


「休みよ、休み」


 どういう休みかは言わない。余計な心配をかけてしまうから。


 朱華は単に気晴らしに気心の知れた仲間の顔を見たかった。


「新4年の練習にならねえから、ほっちゃんたちのとこ行ってろ」


「ぶー」


「ブーイングすんな! 俺もすぐ遊びに行ってやるよ!」


 邪魔したくないので仕方なくグラウンドから出ると、ベンチ前にいた穂月が笑顔で近づいてくる。


「あーちゃん、久しぶり」


「本当に久しぶりね。

 あーあ、私もほっちゃんたちと同じ年だったらよかったのに」


「何かあったの?」


 変なところで鋭い年下の友人に苦笑し、口を閉じる。


 沈み込んだ姿を見せたくはなかったが、記憶の中の楽しげな風景そのままなのに、この場に自分がいない寂しさが朱華をお喋りにさせる。


 気が付けばポツリポツリと事情を話していた。


「大丈夫だよ」


 難しそうな顔で考え込むでもなく、穂月の第一声は満面の笑顔で放たれた。


「あーちゃんと穂月はずっとお友達だもん。もちろんのぞちゃんたちも」


 あまりにも当たり前に言われ、朱華は反射的に目を見開いていた。


(そっか……だから私はほっちゃんの顔が見たかったんだ……)


 信じていた友人ですら離れていく寂しさ。けれど穂月たちが同じ学年にいたら、きっと朱華を一人にはしないだろうという信頼。壊れそうな心を立て直すために、確かな絆を求めていたのだ。


「うん、そうだね、もう大丈夫」


「おー?」


 朱華にギュッと抱き着かれ、戸惑っていた穂月だが、何か思うところでもあったのか、いい子いい子と頭を撫でてくれた。


   *


「くだらない」


 周囲の無視を一言で切って捨てる。自分を壊してまで友人を求める必要はない。


 何かを仕掛けてくるようなら、周りを巻き込んで対処する。幸いにしてこの前の中間テストでも、学年でトップクラスだと担任に褒められるほど優秀。


 部活でもたった1日練習を無断で休んだだけで、顧問が家にまで電話をかけ、さらには休んだ翌日――つまりは今朝に呼び出して親身に事情を聞いてくれるほど期待もされている。


 下級生と仲の良い上級生もおり、その中には朱華の味方になってくれる部活の先輩もいる。


 当初こそ相沢らが優勢だったものの、時間の経過とともに取り巻く状況は着実に変わっていく。それも朱華にとって良い方向へと。


「無視したければそれでいい。たかだかメールやLINEに返事をしなかったくらいで、ごちゃごちゃ言われる生活なんて息苦しくてしてられないわ」


 小ばかにしたようにハンと鼻から息を吐く。


 頭にきたのか、掴みかかろうとした問題の女生徒に朱華は冷たく言い放つ。


「自分で言うのも何だけど、学業も部活も優秀な私とそうじゃない貴女。問題が起きたとして、先生や学校が味方するのはどちらかしらね」


「あんた……!」


「宿題していたせいで返信を忘れた。そう言って謝っても無視して戦いを続けたのはそっち。あとは勝手に無視してくれてればいいわ。私は私でやるから」


 暴力事件には発展せず、この場はこれで終わる。


 相手は苦し紛れに台詞を捨てていったが、いちいち気にしてやる義理はない。


   *

 先日の一件以降。堂々と胸を張る朱華に、様子見をしていた同学年の部活の仲間や、朱華同様にスマホを持ったはいいものの、SNSなどに気疲れをしていた面々が徐々に集まり始めた。


 立派な抵抗勢力になりうると知ると、相沢のグループからのちょっかいもなくなった。付き合う面々は大幅に変わったが、メールもLINEも気が向いた時の返信で十分という朱華の方針に賛同する人間ばかりなので気楽なのがありがたい。


 幼稚園時代からの友人は戻ってこなかったが、彼女は彼女で自分の生き方を見出したのだろうと寂しい気持ちも薄れていた。


 それもこれも確固たる友情を示してくれた穂月たちのおかげだ。


 何があっても彼女たちの元に帰れば受け入れてもらえる。その安心感が朱華を無敵のヒロインみたいにさせてくれた。


 そうして気が付けばいつの間にか、これまでと同じように中学校でも朱華は周囲の中心になっていた。


   *


「……で、どうしてまーたんがいるの?」


 部活を終えてすっかり暗くなった中学校の前、悠里や沙耶を引き摺るようにしてゼーハー息をしている陽向がいた。


「い、いいところに来てくれました。あーちゃんが中学校で虐められてると聞いて、まーたんが殴り込みだって言いだしたんです」


「うおお、離せ! 朱華の敵は俺がぶちのめしてやるっ!」


「はわわ、ヤバいのっ。まーたん、本気で殺っちゃうつもりなの!」


 牙が幻視できそうな陽向の剣幕に、沙耶と悠里は困り果てて泣きそうだ。


 友人たちのやり取りにしばらくポカンとしたあと、朱華は盛大に噴き出した。


「何で笑うんだよっ」


「ごめんごめん。でも、その問題はもう解決したわよ。この私がいつまでもやられっぱなしでいると思う?」


「思わねえな」


 陽向がニヤリと口端を吊り上げ、朱華も「そういうこと」と目尻に浮かんでいた涙を指で拭き取る。


「ほっちゃんとのぞちゃん、それにりんりんまで来てくれたの?」


「柚先生もすぐに来ると思いますわ。それだけまーたん先輩の切れ方が凄かったですから。わたくしたちが少し遅れたのは、怯える下級生を宥めていたせいですわ」


「……いや、だってさ、朱華がピンチだって言うしさ」


 ブツブツと唇を尖らせる陽向の髪を、朱華はありがとうの感情を込めてくしゃくしゃにする。


「何しやがるんだよ!」


「お礼だけど?」


「これが!? 冗談だろ!」


「なら、せっかく来たんだし学校を見学してく? ここにいる全員が通うんだし」


「おー! 見たい見たい」


「……特に保健室」


「のぞちゃん眠いの?」


 コクンと頷いた希が穂月の背中にもたれかかる。どうやらこの2人は相変わらずのようである。


 変わらないものなどない。


 けれど変わりゆく中で、芯に残るものだってある。


 一連の事件で実感した朱華は、今も変わらない友情を育む年下の少女たちの肩を抱いて、こみ上げてくる嬉しさのままに微笑んだ。

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