第189話 高校初登校とクラス分け

 宿題のない素敵な春休みはあっという間に通り過ぎ、葉月はいよいよ高校生となる。何度も試着した新しい制服に身を包み、朝から自室でダンサーのごとく回転する。鏡に映る自分が妙に大人びて見え、勝手に頬が緩む。

 加えて中学校は別々だった室戸柚と、同じ高校に通えるのも気分を良くしている理由の一つだった。彼女は昔に葉月を虐めていたが、当時のわだかまりはもうない。心の底から親友と呼べる。


 今日は入学式だけなので、両手に持ったスクールバッグは軽い。授業が始まれば教科書などで重くなる。友人の実希子であれば、大半の教科書を教室に置いて帰るだろうから、その心配はなさそうだが。


 早めに朝食をとるべく、葉月はリビングに移動する。ダイニングと一緒になっているので、食卓もある。すでに座っている春道の正面が葉月の指定席だ。テーブルの上には、和葉が用意してくれたと思われる朝食が幾つも並んでいた。


 トマトとレタス、それにハムとチーズのサンドイッチに、コンソメスープ。和葉お手製のヨーグルトに野菜ジュースだ。朝はやや軽めで、昼は少しこってり。そして夜は比較的さっぱりと。そんな感じのメニューが高木家では中心になっている。

 もちろん夕食にトンカツが出たりする場合もあるし、誰かの誕生日であればそれなりのご馳走が並ぶ。あくまでも基本であり、十分な臨機応変さもある。


「今日は手伝いはいいから、早く食べてしまいなさい」


 キッチンから顔を見せた母親の和葉に言われ、葉月は遠慮なくとテーブルの置かれているフォークを手に取った。


 これから高校へ入学する立場なだけに、まだ自転車通学の許可は下りていない。そのため今日は好美たちと一緒にバスで向かうことになっていた。

 受験に赴いた際にわかったが、徒歩だと三十分以上はかかる。のんびり歩く分にはいいのだが、間違っても今日は遅刻できない。だからこそ朝早くから登校準備をしていたのである。


 幼稚園に通う菜月は葉月よりも出発時間が遅いので、比較的のんびりとしている。春休み中よりもずっと早く起きていた葉月に、リビングへ来るなり驚いたくらいである。


「お姉ちゃんは今日から女子高生なんだから。羨ましいでしょ」


「特には。あと十年もすれば私もそうなるわけだし。むしろ年を取るのが嘆かわしいわ」


「おいおい。和葉の前で年齢の話はするんじゃないぞ」


 例のごとく新聞を読んでいた春道が、葉月たちをからかうように言った。

 ……背後に和葉が立っているとも知らずに。


「いだだだだ」


 キッチンから春道用のヨーグルトを持ってきた和葉が、こめかみをヒクつかせた笑顔でおもいきり頬をつねり上げる。

 見るからに痛そうな攻撃に、葉月と菜月は声を揃えて「うわあ」とドン引きした。


「春道さん。どうして私の前で年齢の話は禁句なの?」


「お、俺はふぁにもふぃって……」


 和葉の親指と人差し指で頬肉を摘まれたまま、春道はそこで一度咳払いをする。


「和葉、ひょうもひれいだよ」


「変な誤魔化し方をしない!」


 余計に怒られた春道が泣いて助けを求めてくるが、気付かないふりをして菜月は食卓につく。洗ったばかりの両手を合わせ、いただきますと軽く頭を下げてから小さな右手でフォークを掴む。


「その辺にしときなよ。怒りっぽいママに、パパが愛想を尽かしたらどうするの?」


 瞬間的に和葉が硬直する。おかげで春道の頬は解放されたが、代わりにもの凄いプレッシャーに襲われているみたいだった。


「春道さんは、私に愛想を尽かすの?」


 傍目で見ている葉月にも、怖いくらいの和葉の笑顔だった。


「そ、そんなはずないだろ。俺はいつでも、いつまでも和葉一筋だ。他の女には目もくれないぞ」


「そ、そうよね。私としたことが、つい真面目に葉月の言葉を受け取ってしまったわ。ウフフ」


 平和な空気が戻ってきたところで、葉月は唐突に思い出す。


「そういえば今度の高校の先生って、若くて綺麗な女性が多いんだって」


「ほう? それはまた楽しみな情報だな」


「へえ……どうして楽しみなのかしらね。そこらへんをゆっくりじっくり聞きたいわ」


「いや、ち、違……落ち着け、和葉。

 葉月! お前は俺を助けたいのか、より窮地に追い込みたいのか。どっちだ!」


 言葉に詰まる葉月に代わって、トーストを一口かじった菜月が代わりに答える。


「はづ姉がそこまで考えてるわけないじゃない。たまに変に鋭いけど、基本は空気の読めない天然娘なんだから」


「ツンデレなっちーには言われたくないよーだ。夜にこちょこちょの刑だからね」


「ひっ!?」


 菜月がかわいそうなくらい顔を青ざめさせる。こちょこちょの刑は名前からも推測できるとおり、相手をくすぐり続ける刑である。葉月はあまりくすぐたがらないので、菜月とこちょがしあいになると間違いなく勝利する。

 いつしか遊びから絶対的な説得手段へと変わり、今では菜月が言うことを聞かなかった場合の最終手段として発動する機会が多かった。実際に行うつもりがなくとも、先ほどみたいに告げるだけで十分すぎるほどの脅しになる。


「はづ姉、ずるい。ろくな大人にならないよ。それに、そういう女の子はきっとパパも嫌いだと思うよ!」


「うぐっ!」


 今度は葉月が、心臓に槍を突き立てられたような気分になる番だった。葉月が春道に懐いているのを常日頃から見ている菜月だけに、何が効果的なのかをよく知っていた。


「はづ姉の悪逆狼藉を全部密告しちゃおうかな。パパ、すっごく怒るだろうなぁ」


 ちらりと春道を見る。幸いにして今も和葉に説教をされている最中だった。

 正直なところ、普段は尻に敷かれてるように見えて、高木家で一番強いのは父親の春道だった。彼が本気を出して怒るなり、発言をしたりすれば、自分の気持ちを多少押し殺してでも和葉は従う。


 いざという時には普段と真逆な立ち位置に変われるのも、愛の形の一つかもしれない。より大人な思考ができるようになってきた葉月は最近、そんなふうに思い始めていた。

 しかし理想とする夫婦の形をあれこれ考えるよりも、先にやるべきことがある。

 妹との和解である。


「なっちぃ?」


「な、何よ。急に変な声出して」


「あとでなっちーの好きなチョコバーを買ってあげるから、仲直りしない?」


「チョコ……! ん、んんっ。し、仕方ないわね。今回ばかりは許してあげるわ」


 澄ました顔をしているが、緩んだ菜月の口元は今にも涎を垂らしそうだった。彼女は駄菓子屋などで売っている一本五十円のチョコバーが大好きで、お小遣いを貰えば確実に購入する。

 けれど五歳児が得られるお小遣いはごくわずかで、満足するまで食べたりはできない。ゆえに今回だけの話ではなく、同様の提案をすれば、ほぼ即決で応じてくれるのである。


 嬉しさを隠せない菜月と指切りをしていると、インターホンが鳴った。好美たちが迎えに来てくれたのだ。


「それじゃ、行ってくるね」


「気をつけてな」


 和葉に撃沈され、ぐったりと椅子にもたれかかっている春道が右手を振った。菜月はそのまま食事を続け、母親の和葉だけが玄関まで見送りに来る。


「私と春道さんも入学式に行くから、しっかりね。

 入場の時に転んだりしたら駄目よ」


「大丈夫だよ。実希子ちゃんじゃないんだから」


 意外と大きな声だったらしく、ドアの外から「アタシだってこけるか!」なんて実希子のツッコミが聞こえてきた。

 ごめんごめんと笑いながらドアを開け、外で待っててくれている同じ制服姿の三人の中に飛び込んだ。


 バス時間に遅れないようにと言おうとしたところで、葉月は異変に気付く。室戸柚の姿だ。

 小学校時代から明るい茶色に近い髪を長くしていた。入学前の春休み中に会った時もそうだった。それが今朝は黒く染めて三つ編みにしているのである。


「あれ、柚ちゃん。イメチェンしたの?」


 当然の葉月の質問に、実希子が真っ先に笑う。


「柚の奴、入学式の時から先生たちに良い印象を与えようとしてんだよ。見ろよ、伊達眼鏡までつけてさ」


「要注意人物に指定されるよりはいいじゃない。実希子ちゃんこそ、気を付けないと駄目よ」


「アタシなら大丈夫さ!」


 根拠のない自信を漲らせ、ウインクしながら親指を立てる実希子。彼女の姿に、好美が頭を抱えたそうにする。


「実希子ちゃんのせいで、入学式から胃がキリキリしないのを祈るわ」


「アハハ。きっと皆で楽しく過ごせるよ。さあ、バス停に行こう」


 葉月の言葉を合図に、全員で会話を継続しながら、近所のバスの停留所へと歩き出した。


   *


 停車と出発を繰り返すバスに揺られておよそ十分少々、これから三年間通うことになる高校の入口に到着する。

 門の前にはやや恰幅のいいジャージ姿の男性が立っている。首から紐付きの笛を下げており、一目にして体育教師だとわかる恰好だった。

 身長は高く、スポーツ刈り。イケメンとは言えないが、どこか愛嬌のある顔立ちをしている。女生徒に人気があると言われても、さほど驚かない雰囲気もあった。


「あれはきっと、バスケ部かバレー部の監督だな」


「意外と手芸部かもしれないわよ」


「だったら笑えるな」


 実希子と好美の会話を聞きながら、葉月は前方の校舎を見上げる。


 市立南高校。

 南側にあるからという理由での名称らしい。昔からの進学校で、進学と就職の割合はおよそ八対二。

 有名な進学校には及ばないものの、稀に有名な大学への現役合格者も出している。地域に住む教育熱心な親であれば、間違いなく子供を入学させようとする。


 学問だけでなく部活動も盛んではあるが、目立った成績はない。葉月たちが所属しようと考えているソフトボール部も強豪というわけではなかった。

 校舎は比較的老朽化が進んできていて、規模自体は中学校とさほど変わらない。


 ただ、高校と思うだけで妙な緊張感に包まれる。

 怖いもの知らずな実希子は何も感じてないようだが、葉月の背後にいる柚は似たような気持ちを抱いているのかもしれない。若干俯き気味で、皆との会話にもあまり参加していなかった。


「柚ちゃん、大丈夫だよ。皆、一緒なんだし。私もちょっと緊張してるけど」


「え? あ、ああ、そうね。うん」


 顔を上げた柚の笑顔は、どうにもぎこちない。友人としてもう一声かけて緊張をほぐしてあげようとしたが、その前に実希子に腕を引っ張られる。


「おい。早く行こぜ。所属する教室の壁に名前が張り出されてるってよ」


 どうやら門前にいる男性教師が登校してきた新入生全員へ、繰り返し教えているみたいだった。


「じゃあ、柚ちゃんも行こう」


 高校から同じ学校に通えるようになった友人の手を引き、四人で一年生のクラスへ向かう。

 一年生が四階、二年生が三階、三年生が二階。定番の決まりになっており、そこらへんは中学時代とあまり大差がなかった。

 各階に音楽室や美術室などの特別教室が一つか二つずつある。入学前に渡されたパンフレットでも見ていたので間違いない。


 四階まで階段を上る。各教室前は大勢の新入生でごった返していた。

 クラスはそれぞれアルファベットで割り振りされており、AからFまでの六クラスがある。一クラスにおよそ四十人が所属し、すべて普通科だ。


 Aから順に見ていくも、葉月たちの名前はない。足が止まったのはC組の前だった。壁に張り出されている四十程度の名前の中に、今井好美と佐々木実希子の名前が含まれていた。


「好美と同じクラスだな」


「悪夢だわ」


「何でだよ」


 むくれる実希子の前で、好美が首を左右に振る。


「あんまりだわ。高校でも飼育係だなんて」


「はっはっは。これも人徳ってやつだな」


「会話が噛み合ってない。頭が痛いわ。

 葉月ちゃんたちは?」


「待ってね。見てくる」


 先に歩く葉月と柚に続いて、C組に決まった好美と実希子もついてくる。全員がどのクラスに決まったのかを確認したいのだろう。

 E組にも二人の名前がなかったことで、どのクラスなのかが決定した。

 好美と実希子がC組で、葉月と柚がF組である。


「全員バラバラになるよりはよかったわね」


 好美の言葉に実希子が同意する。


「まったくだな。それじゃ帰りにでも会おうぜ」


 C組へ戻る二人に手を振ってから、高校生活が本格的にスタートする一歩目を、葉月は柚と一緒に踏み出した。

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