第352話 引っ越してきた友人
出会いと別れの季節。
まだ寒さは厳しくとも、すでに暦の上では立派な春を、昔からそう表現してきた。それは大人になってからもそう変わらない。
転勤や転職のある社会人なら特にだ。
そして葉月もそのうちの一人なのを実感している最中だった。
「本当に引っ越して来たんだね」
お呼ばれしたのは、高校時代からの友人の新居だった。
鉄筋コンクリートの4LDKで、葉月の家から徒歩五分程度の場所だ。
「これで尚も一国一城の主か」
葉月と一緒に招待された実希子が、居間からあちこちを見渡す。
「私のというより、私たちのね」
照れ臭そうに尚が笑う。
まだ片付けられていないダンボールが少し残っているが、引っ越し自体は数日前に終わっている。
葉月の夫も手伝いたがっていたが店が忙しく、また尚たち夫妻も迷惑をかけるわけにはいかないと業者に頼んだと後から教えてもらった。
「中古だけど、念願のマイホームよ。今日まで長かったわ……」
夫である晋太の実家は金持ちだが、自分たちの家だからと頼らずに全額負担したらしい。
元から決めていたことで、そのための費用を貯めていたのは葉月も知っていた。
「好美も家があるし、ないのはアタシだけか」
「何を言ってるのよ、私は実家住まいなんだから実希子ちゃんと立場は一緒よ」
「ウチは兄貴が相続するからなあ」
わざわざ午後四時を過ぎてからの来訪になったのは、実希子と会話中の好美の他に柚も一緒にお邪魔することにしていたからである。
その柚も、見学させてもらった家の印象について好意的な感想を述べる。
「まだ新しいし、外観もお洒落だから中古には見えないわね」
「ありがとう。全部、柚ちゃんのお父さんのおかげよ」
晋太の転職に伴い、家を借りるのではなく中古物件を購入。
正月に下見をしていたのとは別の家に決めたようだが、どれも紹介してくれたのは不動産業を営む柚の父親だった。
「新居では私もお世話になったな」
「じゃあ次はアタシの番だな。そこそこ金も貯まりだしてるし」
得意げに大きな胸を張る実希子に、呆れ果てたように好美が額を押さえる。
「実家住まいなのに、家にお金を入れてなければ当たり前でしょう」
たまに皆でお酒を呑んだりしても、さほど物欲を示さないのが実希子という女性だった。さらにこの一年は妊娠・出産・子育てと続いているので、ますます浪費している暇も時間もない。
必要に迫られて家こそ建てたものの、葉月も似たような環境だけによく理解できていた。
「仕方ないだろ。両親が揃って貯めとけって言うんだから」
「きっと実希子ちゃんはずっと一人だと思ってたから、老後を心配してたのね」
頬を膨らませた実希子を、ほろりと泣く真似をして尚がからかう。
居間のソファでは、今年の誕生日で三歳になる尚の娘が笑っていた。
*
一階にはおよそ十畳の居間があり、六畳程度の食堂と部屋が分かれているのが特徴的だ。将来は娘と一緒に料理したいという尚の要望で広めなキッチンを求めたのもあり、食堂とドアで隔たれている台所はまるで厨房みたいだった。
廊下と面したドアもあり、食堂を経ずに厨房へ入るのも可能だ。
玄関はホールになっていて真っ直ぐ進むと八畳近い和室があり、その奥が居間になっている。
和室の正面に見て左に曲がるとトイレや洗面所、お風呂がある。
さほど重要視していなかったのか、高木家に比べると狭く感じられた。
洗面所に入らずに背を向けると、廊下が続き、すぐ左に二階へ続く階段を見つけられる。
素通りすれば食堂やキッチンに続くドアが見えてくる。
二階には三部屋あり、すべて洋室だった。
高木家の真似をしたわけではないだろうが、廊下と部屋を除けば、あとあるのはバルコニーくらいだ。
完全な住居スペースで、柚も言っていたが、比較的新しいのでフローリングの床もキラキラと輝いて見える。
壁は白く、各部屋には大きな窓もある。
間取りはそれぞれ違うが、どれも八畳以上はありそうでゆっくり使えそうだ。
「子供はもう一人欲しいし、葉月ちゃんのとこと同じで二階は子供部屋になると思う」
朱華がまだ幼いので、一階で両親と一緒に寝ているが、もう少し大きくなれば二階で生活させると尚は付け加えた。
「まだ早くないか? 葉月の家みたいに二階にトイレがあるわけじゃないし、夜に一人で行けなくて漏らしたらどうすんだ」
一通り案内してもらって、お茶を振舞われたリビングで、実希子がそんな疑問を呈した。
「もちろん、きちんと訓練してからよ」
膝の上に乗せた娘の小さな手を掴み、交互に挙手させるような感じで尚が遊んであげる。
キャッキャッと喜ぶ朱華を子供好きな柚が特に気に入り、ふっくらと柔らかいほっぺをつんつんする。
「実希子ちゃんって、意外と過保護なタイプ?」
半笑いの尚に問われた実希子は、腕を組んで考えるように天井を見上げる。
「どうだろ? 智之の奴があれこれ口煩いから移っちまったのかもな」
「ああ……旦那さん、神経質そうな感じするもんね」
「見た目通りの奴だよ。けど、真面目だし、性根も腐ってない」
本人は無自覚かもしれないが、尚の印象に答えながら夫をフォローする実希子はどこか自慢げだ。
「面倒を見て、見られて。実希子ちゃんにはピッタリなタイプだと思う。ようやく私も肩の荷が下りたわ」
「へいへい、今までご面倒をおかけしました」
大げさに肩を揉んでみせる好美に、実希子が盛大に唇を尖らせた。
「けど、そういう好美にピッタリなタイプってどんな奴だろうな。恋愛とかそういうのは抜きにしてさ」
「単純に相性を考えるのね」
にこやかに朱華と遊んでいた柚が、食い気味に身を乗り出した。
同時に朱華が少し不機嫌になったので、常に注目を集めていたいタイプなのかもしれない。
「好美ちゃんは計画を立てるのも実行するのも上手いけど、その分だけ現実がずれて窮地に陥ると普通の人以上に余裕をなくしちゃうのよね」
「さすが教師だな、よく見てやがる」
勝手に分析を始めた柚に、実希子が拍手を送る。
一方で話題にされている好美は微妙そうだ。
「だから好美ちゃんに合うのは普段好きにやらせてくれるけど、いざとなった時にフォローをしてくれる懐の大きい人」
「なんか父親みたいだな」
「……っていうか……うちのパパみたい……」
人差し指を立てた柚の説明に実希子が感心する中、ぼそりと葉月の零した言葉に一瞬で全員が固まった。
「気を遣わなくていいわよ。きっとそんな感じで春道パパに憧れたんだろうし。本物の父親があれだから、より父親らしい男性に惹かれたんでしょうね。ひねくれたファザコンってところかしら」
当人が沈黙を破ったので、ホッとしたような感じでまた会話が弾みだす。
葉月だけは軽率だったと顔をしかめたが、気にするなと好美はこっそりウインクしてくれた。
*
「いらっしゃいませー」
元気な声がムーンリーフに響く。
受付に制服姿で立っているのは、葉月がお呼ばれした翌日から、パート社員としてムーンリーフで働き始めた尚だ。
正社員でもと葉月は言ったのだが、本人が短い時間の方がいいと断られた。
勤務時間は平日の午前十時から午後四時まで。土日祝日は休みだ。
基本業務は販売と接客だが、それだけでも和葉は厨房に入り切りになれるし、大助かりだとスタッフ全員に歓迎された。
子供を一人にしておけないので、尚が仕事の間は事務所で遊ばせておくことが多い。たまに店の飲食スペースに座らせたりもしているが、クレームが入るどころかお客さんも可愛がってくれるらしい。
さすがに男子高校生はどう接したらいいかわからないので、あまり近寄らないらしいが。
とにもかくにも戦力が増え、人手不足は変わらずでも、深刻なという言葉が抜けた分だけ葉月も安堵できた。
*
尚の仕事が終わるのを見計らい、近くのスーパーなどを案内する。穂月は仕事終わりの和葉と春道に預けているため、今は尚たち母娘と三人だけだ。
とはいえ尚は高校時代はこちらで過ごしているので、正確には案内というより昔と変わったところがないかの確認をしているというべきか。
ムーンリーフで遊び疲れて眠る愛娘を抱っこして歩く尚は、学生時代とは違う母親の顔をしていた。
「懐かしいな。よく皆で買い食いしたよね」
「これからだってできるよ」
「楽しみだわ」
なんて言いながら夕食の材料を買っていると、とても見慣れた夫婦が買物中だった。
「実希子ちゃん?」
「おお、葉月に尚か」
乳児用の抱っこ紐で娘を正面で抱く実希子が、元気に片手を上げた。
「もう子供と一緒に買物してるの?」
「とっくに三ヵ月も過ぎてるし、もう大丈夫だろ。
あんま過保護なのもよくないしな」
確かに一ヵ月検診が終われば本格的な外出でなければ大丈夫と言われていたが、両親にも心配性と言われている葉月はまだ一緒に買物をしたことがなかった。
「そうだよね……それじゃ、うちもそろそろデビューさせようかな」
「いいわね。なら今度、ママ友同盟と子供たちで買物でもしましょう」
葉月の呟きに、すかさず同意する尚。
実希子も混ざってワイワイ話し出すが、こういう時に男性は居場所がない。
申し訳なく思って実希子の夫を見るも、妻が楽しそうなのが嬉しいのか誰よりもニコニコしていた。
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