第353話 葉月たちの三十路会

 寒さの峠は越えたが、やはりまだまだ夜は寒い。


 肌に刺さりこそしないものの、吸いすぎると肺が少し痛くなる。

 それでも穏やかな日差しの名残がある空気は一年で一番澄んでいて、自然と葉月の頬も緩んでしまう。


 楽しい気分を隠さずに市内で唯一のファミレスに入ると、すぐに奥から名前を呼ばれた。


「きちんと出てこれたみたいだな」


 真っ先に手を挙げて居場所を示したのは友人の実希子だった。

 奥の席には彼女の他に好美、柚、尚といったお馴染みの面々が揃っていた。


「私が一番最後? 待たせてごめんね」


 席に着いて、脱いだコートを膝にかける。


「皆、勝手に待ち合わせ時間より早く着いただけさ」


 時刻は午後八時過ぎ。

 柚は勤務先の学校帰りらしく、穏やかなロングのワンピースを着ている。


 好美は楽だという理由で好むストレッチジーンズに黒のジャケットを羽織って、テーブルに肘をついている。

 半眼で実希子を見ているあたり、彼女の発言に呆れながらも、いつもみたいに相手をしてあげていたのだろう。


 実希子と尚はデザインこそ違うが、ジーンズにニットという服装だ。

 葉月も似たようなもので、友人たちとファミレスでお喋りするだけなのだから、必要以上のお洒落はしていなかった。


「それにしても、今日はどうしたの?」


 全員で軽食や飲み物の注文をしてから、葉月は主催者の実希子に尋ねる。

 ママ友同盟のLINEに、今夜ファミレスで集まろうと昨夜に連絡してきたのは実希子だった。


「私の引っ越し祝いならもうしてもらったわよ?」


 同じ疑問を抱いていたらしい尚が首を傾げた。

 実希子はニットのセーター越しでも豊かな膨らみがわかる胸を張り、全員の顔を見てニヤリとする。


「お祝いすべきことなら、もう一つあるだろ」


 実希子以外の皆で顔を見合わせてしばらく悩むが、誰も答えを見出せない。

 すると実希子はさらに得意げになって、


「仕方ないから教えてやる。三十路の祝いだ!」


 とファミレスで声を張り上げた。

 田舎のファミレスは夜になるとあまり利用客がいない。

 だから店も静かなのだが、よりシンとしたのがわかった。


「……私、帰ってもいいかしら」


 低めの声で言った柚の頬は、今にも痙攣を始めそうだ。

 一同の中で、もっとも年齢に敏感になっているのは彼女で間違いない。


「待て待て。この前、なっちーが成人式を迎えただろ。もちろんアタシたちもやった。だったら三十も祝おうじゃないか。

 そう思って開催したのが、この三十路会だ!」


 拳を握る実希子はやたらと熱いが、この場に集まっていた誰もが本当の魂胆をわかっていた。


「単に皆で集まって騒ぎたかっただけでしょ」


「そうとも言う」


 呆れた口調の好美に指摘され、あっさりと実希子は認めた。


「あと、なっちーたちだけ祝ってもらえて、なんか寂しかったから」


「あのね、子供じゃないんだから」


 尚が額を指で押さえるも、彼女をはじめとして今回の集まりを迷惑に思っている友人は一人もいない。

 全員が揃うには基本的に夜で、子供も家に預けてこなければならないが、こうした機会は楽しいし、日々に潤いも与えてくれる。


「でもさ、不公平だろ、二十歳だけ。十歳も三十歳も祝えってんだ」


 とんでもないことを言い出したかのように思えたが、意外にも柚が「あるわよ」と当たり前の顔で言った。


「十歳をととせと呼んで、十歳の祝いと言うの。近年で流行しかけているらしくて、二分の一成人式なんて言い方もするみたいね」


「ほー、さすが小学校の教師だな。生徒たちの間でも話題になってんのか?」


「基本的には親がしてあげたいと写真スタジオなんかに依頼するらしいわ」


 子供の話となれば興味を惹かれるのは当然で、柚に質問をした実希子のみならず、葉月も少しだけ前のめりになる。


「じゃあ、写真を撮ってお祝いするだけ? 成人式みたいなのはないんだ」


「だと思うわ。そもそも十歳の祝い自体、2000年代になってから始まったようなものらしいし」


 柚の話を聞いているうちに調べたのだろう。

 好美がスマホの画面を見ながら補足する。


「始まりは重い病気を患って、成人まで生きられないと感じた子供のために、その親が十歳になった時点で成人式をやった、というものらしいわ。都内から全国に広まったとも書いてあるわね」


「じゃあ、学校行事になりつつあるってこと?」


 尚の疑問に、現役の小学校教師である柚が首を振って否定する。


「少なくとも、市内の小学校では開催してないわ。あくまでもネットか何かで知って、興味を持ったご家庭が個人でお祝いしているみたいね」


「じゃあ、誕生日と一緒にやるのか?」


「日本記念日協会では三月七日を十歳の祝いの日と定めてるみたいよ」


 興味津々な実希子に答えたのは好美だった。


「もっとも実希子ちゃんの言った通り、十歳を迎えた日にやることもあるみたい」


「成人式と比べると、やっぱりこじんまりとしてるな」


「当たり前じゃない。でも、普及委員会とかもあるわよ。二分の一成人の証明書とか授与したり、ご両親への感謝を手紙にして読んだりとか、小学校でのイベント大々的になってきてるっぽいわね」


「それじゃ、そのうち柚の学校でも行事になるかもしれないな」


「勘弁してほしいわね」


 子供好きなのに、意外にも柚は否定的な感情を顔に乗せる。


「学校でやるとうちの子の写真写りが悪いとか、どこそこの子を贔屓してるとか、とんでもなく騒ぎだすご両親が出てくるに決まってるもの。学級の集合写真だってそうなのよ……絶対にクレームが入るわ……ああ……気が滅入る……」


 まだ決まってもいないうちからブルーになるあたり、保護者からのクレームには厄介なものもあるのだろう。


「そう言えば柚ちゃんは、結構な虐め問題に悩まされていたものね。去年……いいえ、一昨年だったかしら」


 痛ましそうな好美とは対照的に、柚の顔は花が咲いたように明るくなる。


「過ぎてしまえばいい思い出だし、あれも一つの経験よ。今でも私があの子たちの担任だけど、前みたいな問題は起こさなくなってるしね」


「色恋沙汰って言ってたっけか。小学生だってのにマセてるよな」


「あら実希子ちゃん、小学生だからよ。感情に素直すぎて、上手くいかないと自制が利かなくなるんでしょうね」


 そこを助けてあげるのも教師の役目よと足した柚は、この場にいながらも一瞬だけ聖職者の顔つきに戻っていた。


   *


「で、十歳の祝いとやらから話は逸れたが、三十歳の祝いは何かないのか」


 席に体重を預けながら、実希子は隣の好美に話を振った。


「さっきついでに調べてみたけど、特になかったわね」


「この年になると、誕生日も素直に喜べなくなってくるからね」


 苦笑いの尚に実希子以外が同意すると、その実希子が目を丸くした。


「葉月もかよ。ちょっと意外だな」


「私だって気にするよ。睡眠不足が増えると、しわまで増えるような気がするし」


「葉月ちゃんはまだいいわよ。童顔の人って若い頃は年下に見られて苦労するみたいだけど、年を取ると昔とあまり変わらないって言うし」


「そうかな」


「むしろ私の方が大変よ。小じわが増えてくると生徒にも笑われかねないし……執拗に美容に気を遣っていた美由紀先輩をもう少し見習っておくべきだったわ」


「そういえばママも、このくらいの年齢から、皺とかを気にしだしたかも」


 葉月と柚は揃って黙り込む。


「わかっていても子供の世話とかあると、手をかけてられないのよね。旦那に預けようにも、晋ちゃんは職場に慣れようと残業続きだし……」


「頑張ってんな……って、じゃあ朱華はどうしたんだよ」


「今日は早く帰って来てもらったのよ。そういうところは理解あるし」


 晋太のみならず、葉月たちが集まるといえば、それぞれの家の者も快く送り出してくれる。それは何よりありがたかった。


「晋ちゃんの話で思い出したけど、実希子ちゃんのところはどうするのよ。今年、市役所の採用試験を受けるんでしょ?」


 以前から晋太に話を聞いて興味を持っていた智之が、公務員を本格的に狙いだしたというのは葉月も実希子から聞いて知っていた。


「元々、大学の成績は優秀だし、新卒枠で試験は受けれるってさ。柚の親父さんも知り合いがいるから、一応話はしてくれるって。もっとも試験も面接もきっちり結果出さないと不採用になるのは当たり前だけどな」


「智之君は真面目だし、仕事ぶりもいいってパパも評価してたから、試験が駄目でも正社員として雇ってもらえるわよ」


「そいつはありがたい」


 素直に実希子がお礼を言い、そこから尚と家庭の話に移行していく。


 なんとなしに聞いていた葉月は、無意識に口元を緩ませる。それに気づいた好美が飲んでいたコーヒーをテーブルに置き、どうしたのと聞いてきた。


「私たちも、もう三十歳なんだなあ……って。これまでと変わってないようでいて、話題はソフトボールじゃなくて家庭や子供のことになってて……なんか、こう……嫌とかじゃなくて、不思議な感じがするっていうか……」


「わかるわ……私、小学生の時の予定だと、もう素敵な旦那様と結婚して、可愛い子供に恵まれて、温かい人生を歩んでいるはずだもの」


「アハハ……でも柚ちゃんは夢を叶えて先生になったじゃない」


「ええ、満足してるけど……たまに思うのよね。尚ちゃんみたいに家庭を持って、ムーンリーフでパートしながらっての悪くないかなって」


「それはそれで大変よ。私は柚ちゃんみたいに、バリバリのキャリアウーマンとは違うけど、夢に向かって突っ走る人生に憧れるもの」


「隣の芝生は青く見えるものね……ないものねだりと言うのかもしれないけど」


 好美が締め、なんとも言えない空気が席に充満する。


「でも、皆がまだ一緒にいてくれて幸せだよ。四十歳になった時も、こうやって集まりたいな」


「……だな。柚あたりは本気で嫌がりそうだが」


「言ってなさいよ。十年後には目にもの見せてあげるわ」


「おう、楽しみにしてるぜ」


 やはり三十歳を祝うというよりは恒例のお喋り会になってしまったが、たくさん笑った葉月は何度も口にした通り、幸せだった。

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