第466話 もやもやはパン作りで解決!? 先走る感情はトラブルの種です
ぐぬぬと春也は噛み締めた歯の奥で唸った。スランプと呼んでいいかどうかは不明だが、試合にあまり勝てなくなってしまったのである。
春也自体の調子は悪くなく、新チームでもエースを任された。何故か主将は監督の「お前しかいない」という一言で晋悟に決まったが。
投げるボールの速度も上がり、唯一の変化球であるカーブも落差が大きくなった。おかげで痛打されるケースも大分減った。
しかし春也が好投すれば打線が点を取れず、打線が点を取れば打ち込まれるという悪循環に陥っていた。
4年生の頃に全国大会へ出場できたのが嘘みたいな有様で、学校側の期待も年々少しずつ減っているのを肌で感じる。
それゆえにこの秋の新人戦こそはと意気込んでいたのだが、前のめり状態なのがよくなかったのか、これまでの悪い流れを断ち切れずにいた。
相手のボテボテのゴロはヒットコースに飛ぶのに、こちらの良い当たりは野手の正面ばかり。
そのせいで腕に力が入り、コントロールが定まらずに四球を連発。先制点を献上後に味方が反撃するも、逆転するには至らない。
「完全に弱いチームの戦い方じゃねえか」
春也がやや乱暴にベンチへ腰を落とすと、慰めるように晋悟が肩に手を置いた。
「まだ試合は終わってないんだから、集中力を切らしたら駄目だよ」
「わかってるよ! けど、ストレスが溜まるんだよな」
「ならば観客席にいる姉さんの顔を見ればいい。それだけでドーピングも真っ青な効果が出るぞ」
「それはそれで問題……というわけでもないのかな? でも希お姉さんたちなら今日は応援に来てないよね?」
「フン、甘いな。俺はいつでも目を閉じれば姉さんに会えるのだ」
腕組みをして胸を反らせる智希に、晋悟が苦笑する。いつもと変わらないやりとりだが、春也はホッとするどころか怒りを覚える。
「そんなこと言ってる場合じゃねえだろ! このままだと負けちまうんだぞ!」
「だからどうした」
一言で友人に切って捨てられ、春也は激昂した。
「ふざけんな! 勝ちたいと思わねえのかよ!」
胸倉を掴んだ春也にチームメートが慌てる。主将で友人の晋悟が引き剥がそうとするも、逆に力を入れて振り払う。
「姉さん姉さん言ってないで、もっと真剣にやれよ!」
「変なことを言う奴だな。俺はいつでも真剣だ」
「てめえ……!」
「春也君、駄目だよ! 試合中に暴力行為でもするつもりなの!?」
握り締めた拳が、晋悟の両手に包まれる。そこでようやく我に返り、ベンチの注目が集まっているのにも気付く。
「……悪い、言いすぎた」
「何がだ? いきなり怒ったり謝ったり変な奴だな」
「変なのは智希だろ……はあ」
「良かった。少しは冷静になったみたいだね」
よほど安堵したのか、晋悟は息をとても長く吐いた。
「ああ、友達に当たり散らすなんてダサいよな……けど、やっぱり負けたくはねえな」
「僕もだよ、だから全力で頑張ろう」
気を取り直して再度試合へ挑むも、流れを好転させられないまま、秋の新人戦は地区予選敗退という結果で幕を閉じた。
*
東北大会を制覇した姉たちと違い、あっさり負けた春也はやる気が落ちたまま日々を過ごしていた。それでも試合中にらしくない態度をとったことを反省し、イライラを友人へぶつけないように気を付ける。
晋悟曰く次第にピリピリした雰囲気も薄まってきたとかで、クラスの女子からもあれこれと話しかけられるようになった。
そんなある日、春也たちのクラスは調理実習をすることになった。
「今日はパンを作ります。器具の扱いには十分に注意してください」
臨時の女担任が1人1人を見渡して優しく告げる。
「まあ、包丁はないし、免許皆伝を与える人もいないから大きな問題は起こらないでしょうけど」
「免許皆伝? なんか恰好いいな」
「お願いだから春也君は興味を持たないで」
私が和葉さんに怒られるからと小声で付け加えた祐子の頬は、初めて見るくらいの勢いで引き攣っていた。
「以前にも作ったことがあるとの話でしたが、忘れている人も多いでしょうから、作り方は手元にあるプリントを参考にしてください。失敗は成功のもとという言葉もある通り、最初から完璧に作れなくても構いませんので、他の班の仕上がりを見て、笑ったりも決してしないでください」
何より虐めを嫌う女担任に全員で元気に返事してから、調理実習が本格的にスタートする。
男女3名ずつで班を組み、男子側は春也と智希と晋悟だ。好きな人同士で班を組めるのだが、女子側はかなり揉めていたみたいだった。
「待っててね、春也君。すぐに美味しいパンを作ってあげるからね」
「おお……って、一緒に作らなきゃ怒られるって」
女性陣がやたらと張り切っているが、任せっぱなしでは女教師に何を言われるかわからない。調理実習もあくまで授業のうちなのだ。
「晋悟君、なんだか慣れてない?」
「お母さんがパン屋さんで働いてるから、たまに家でも作ってくれるんだけど、手伝ってるうちに勝手に覚えてたんだ」
「パン屋さんってどこの?」
「ムーンリーフだよ」
「それって春也君のお家だよね」
興味ありげに3人の女子がずいっと顔を近づけてくる。あまりの食いつきに、春也は反射的に身を引いた。
「家と店は別だけどな。あ、でも俺はパンなんて作れないぞ」
そもそも売れ残った商品をお土産で持ってくることはあっても、仕事でずっと作っているので家でまで作業したりはしない。
春也や姉が作りたいとお願いすれば、喜んで協力はしてくれるだろうが。
「ついでに智希のママも一緒に働いてるぞ」
「そうなんだ……って、智希君は何を作ってるの?」
3人のうちの1人が俊敏な反応を示したかと思いきや、視線の先にいる智希を見るなりきょとんとする。
「姉さんを象ったパンだ。これぞまさに至高の1品と言えるだろう」
「それ、のぞねーちゃんだったのか? 俺はてっきり崩れたパンダだとばっかり」
「フフン、貴様の目は相変わらず節穴だな。だが俺以上に上手く作れるというならば、助力を仰がないでやらぬこともない」
「ややこしい言い方をしてるが、要は自分でも下手なのがわかるから手伝えってことだろ」
「春也君、あまりはっきり言うのもどうかと思うよ」
晋悟が慌ててフォローを入れてくるが、実際に智希がコネて整えたのはおよそ人の顔には見えなかった。
「悪いが俺も野球以外は不器用だからな。真おじさんでもいてくれれば手伝ってもらえらろうけどさ」
「ふむ。ならば拉致ってくるか」
「本気じゃないよね!? すぐに力任せな解決をしようとするのは智希君の悪い癖だからね!?」
*
春也たちとは別の班でもすったもんだありつつ、次第にパンが焼き上がる良い匂いが家庭科室に漂い始める。
3、4時間目を使っての実習だったので、春也の燃費の悪い胃袋がぐーっとおもいきり催促してきた。
「腹減ったけど、給食と一緒にこのパンも食えるし、いつもよりは満足できそうだな」
「春也君は大抵誰かの余りを貰ってるけどね」
誰かが欠席したり、苦手なもので食べられないとかがあったりすると、基本的には男子で奪い合いが始まる。
だが残すのが女子だったりすると、結構な比率で春也が指名してもらえる。きっといつも空腹気味なのを知っていて気遣ってくれてるのだろうが、そのたびに野球部以外の男子から羨ましそうにされるのが少しだけ苦手だったりする。
「育ち盛りなんだから仕方ないだろ。来年こそは試合で勝ちたいしな」
パンの出来栄えをにんまり鑑賞したあとで、春也と違って晋悟の助力を拒否したもう1人の友人を探す。
助力を頼みたいようなことを言っていたが、途中で誰かの手を借りては姉さんへの愛が偽物になってしまうと意味不明に苦悶しだして、最終的には自分の力だけで完成させると鼻息を荒くしていたのだ。
「お、いたいた。で、のぞねーちゃんパンは完成したのか?」
「当たり前だ。見るがいい、この完璧さを」
大げさに手を広げて紹介してくれたまではいいが、春也が上げたのは感嘆ではなく疑問の声だった。
「ただの丸いパンじゃねえか」
「貴様は阿呆か。これは下地に過ぎん。ここからチョコレートや生クリームを駆使して、完成させるに決まっているだろう」
「いや、阿呆はお前だろ。どこにチョコやら生クリームやらがあるんだよ」
「愚問だな。ないなら用意してもらえばいい。そうですよね、先生!」
「……期待に満ちた目で見てくれてるとこ悪いけど、その予定はないわよ」
「そんなバカな! くっ……愛に試練はつきものだが、なんたる仕打ち……!」
額を手で押さえながら、智希が仰々しく床に膝をついた。
「私が悪いみたいな感じになってるけど、特別扱いはできないのよ。それに顔ならバターナイフでも使って描いたらどうかしら?」
「姉さんの顔をそんなもので完成させろと!? 先生は悪魔だ!」
文句を言いながらも智希が完成させるのを見計らい、若干疲れた様子の女担任がパンと手を叩いた。
「それじゃ、少しだけ試食してみましょうか」
「何だって!? 俺に姉さんを食べろというのか! 先生は鬼だ!」
「最初から食べる予定で作ってたはずよね!?」
春也からすればいつもの友人でしかないのだが、今年になって触れ合う機会を増やしたばかりの女担任は、終わりの見えない智希ワールドに涙目になっていた。
*
「柚が産休になったと思ったら、今度は祐子先生から家庭訪問したいというLINEが来た件について」
滅多に子供たちが早く帰ってくることのなくなった放課後のムーンリーフ。休憩中だった葉月は、同じく好美の部屋で休んでいた実希子にスマホを見せられた。
「ええと……この前は芽衣先生だったっけ? 確か林間学校で下山する時に、歩くのが面倒だからと寝袋に入ったまま転がって降りようとしたんだよね」
「思い出させないでくれ……」
「そうは言ってもね、その時は穂月も面白がって希ちゃんを押そうとしたり、一緒に転がったりしようとしてたらしいから……」
「……お互い、大変だな」
「うん……一緒に頑張ろうね……」
などと母親同士が奇妙な友情を深めてるとも知らず、春也はこの瞬間も智希らと一緒に白球を追い続けていたのだった。
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