第74話 お正月のプレゼント

 「ぐふぉ!?」


 ドスンとした衝撃が腹部に発生し、たまらず春道は両目を開いた。

 何事かと飛び起きようとしたが、お腹が重くて上半身を動かすのは難儀だった。

 とりあえず状況確認をするべきだと、春道は自分の腹部へ視線を向ける。


「パパ、おはよー」


 発見したのは、春道の上半身で馬乗りになっている愛娘の姿だった。

 ふと隣を見ると、すでに和葉と葉月の布団は上げられていた。

 和葉はともかく、娘がどこにいるのかなんて悩む必要はない。何せ未だ春道のお腹の上で、にこにこ笑っている。


「葉月ね、パパを起こしに来たんだよー。偉い?」


 褒めてとばかりに尋ねてきた愛娘を、若干恨みがましく見つめる。


「ママがねー、朝ご飯の時間だから、パパを起こしてきてあげなさいってー」


 寝起きの頭でも、そのぐらいは理解できる。けれど春道には、どうしても解消しなければならない疑問があった。


「ところで、葉月……どうやって、パパを起こしたんだ?」


 意識を覚醒させる要因となった腹部への衝撃の正体が、未だ不明なのである。

 本当に聞くべきなのかという恐怖も抱いたが、謎を謎のまま残しておくのもなんだか気持ち悪かった。


 しかし、この決断は大きな間違いだった。春道はすぐにそれを痛感するはめになる。


「うーんとね……こうやるのー」


 ようやくお腹の上から退けた葉月が、客間の出入口までとことこ歩いていく。ピタッと止まって振り返ると、猛然とダッシュでこちらへ向かってくる。

 春道が愛娘の手法を悟った瞬間には、もはやすべてが遅すぎた。

 制止も回避も間に合わず、葉月の身体がふわりとスローモーションみたいに宙を舞った。


「パパ、おっはよー」


「ぐふぉ!!」


 再びやってきた懐かしい衝撃とダメージで、反射的に上半身が起き上がる。

 優しく肩を手で揺するなどの方法も考えられそうなものだが、愛娘が選択したのはヒップアタックも同然の目覚ましというより攻撃だった。


「……ママにも、こうして……起こして、あげてるのか……?」


「ううんー。だって、ママはすぐ起きるもんー」


 どうやら春道がなかなか起きなかったために、強硬手段に出たみたいだった。

 なら文句を言えない部分もあるが、決して春道だけが悪いわけではない。何せ日付が変わってから初詣へ出かけ、戻ってきたのは当然深夜。眠ったのも、それからなのである。


 現在時刻を確認すると、いつもと同じ元気な声で葉月が「朝の七時半だよ」と教えてくれた。

 いつもは勝手に目が覚めるまで眠ってるだけに、こうして起こされるのは苦手だった。

 けれどここは高木家ではなく、戸高家――つまりは奥さんの実家だ。郷に入れば郷に従えという言葉とおり、春道ひとりだけ特別扱いとはならないのである。


「わかった。起きたから、もういいぞ」


 お礼を言いつつ頭を撫でてやると、くすぐったそうにしながらも葉月は笑顔で頷いた。

 そのあとで「大喜びするはずだから、あとでママにもしてあげるといい」と、悪しき企みの仕掛けをする。

 純粋で素直な愛娘は、春道の期待どおりに「うんっ」と元気よく返事をしてくれる。


「着替えたらすぐ行くから、ママに任務完了の報告をしてくるといい」


 そう言って葉月を客間から出したあと、春道は洗面所で顔を洗って歯を磨いてから、着替えをして和葉たちがいるであろう部屋へ向かった。


   *


「おはようございます。朝ご飯の用意はできていますよ」


 戸高家の食卓には、おせち料理やお雑煮など、実に正月らしいメニューが所狭しと並んでいた。

 春道も昨日から座っている自分の場所へ着く。湯気を立てているお雑煮の匂いが、食欲を誘うように鼻先まで届いてくる。

 全員が揃うのを待っていたらしく、誰も料理に箸をつけていない。道理で葉月が、春道を起こす仕事を言いつけられるわけだった。


「全員集まったし、それじゃ、朝ご飯を食べようか」


 戸高家の当主でもある戸高泰宏の号令で、朝食が開始される。

 この日のために取り寄せていたおせち料理は相当に豪華で、あまり味覚が鋭くない春道でさえも率直に美味しいと感じる。


 よほど有名な料亭にでも頼んだのだろう。葉月も美味しそうに、おせち料理を頬張っている。

 料理の感想を求められれば「美味しいです」以外に、返す言葉が見当たらなかった。


「それにしては、あまり箸が進んでないね。やっぱり、春道君には和葉の手料理が最高のご馳走なのかな」


「ですね……和葉の手料理の方が、口に合ってると思います」


「ハハハ、春道君は素直だね」


 ほんの少しだけ立場なさそうに笑う戸高泰宏を見て、あまりに率直な感想を言い過ぎたと後悔する。

 相手からすれば、喜んでもらうために用意したのだ。感想が「口に合いません」では、あまりにかいわそうすぎた。


「葉月もねー、ママのお料理、大好きだよー」


 だが訂正するよりも早く、無邪気な愛娘が春道の意見に同意を表明した。

 当の和葉はといえば、春道に手料理を絶賛された時点で、口に含んでいたものを噴出しそうになるぐらい動揺している。

 続けて葉月にも褒められて、今は若干の落ち着きを取り戻していた。


「春道さんも、葉月も……ありがとう……」


 頬を真っ赤にして、照れながらお礼を言ってくれた和葉の近くで、相変わらず泰宏が苦笑いを浮かべている。

 実の妹である和葉とは違い、春道はあくまでも義理の弟として招かれたにすぎない。ある程度の接待は必要だった。


「いや、おせち料理も充分に美味しいですよ。結構、色々な旅館なんかへ取材に行ってますけど、これほどの味とは出会ったためしがないですから」


「ありがとう。でも、気を遣ってくれなくていいよ」


「本当ですって。俺が貧乏舌なので、残念ながら上質な料理の味がわからないんですよ」


 すべては、泰宏を上機嫌にさせるためのやりとりなはずだった。しかし、不用意に発した台詞が、愛妻の眉をピクリと反応させた。


「……春道さん……ご自身の発言には、きちんと責任を持ってくださいね」


 明らかに怒りのオーラを放出している和葉を前にしても、春道はどうして妻がそんな状態になってるのか理解できていなかった。

 理由を尋ねようにも、先に愛娘から春道へ質問が飛んでくる。


「パパー、貧乏舌って何ー?」


「ん? 貧乏舌ってのはな。せっかくの美味しい料理よりも、そうでもないのに満足する味覚を表す例えみたいなものだ」


 ふ~んと一応は納得したあとで、愛娘が「じゃあ、葉月も貧乏舌だねー」と発言した。

 意味がわからず「どうして?」と質問した直後、恐るべき台詞が春道を襲ってきた。


「だって、パパと一緒で、ママのお料理が大好きだからー」


「――っ!?

 な……ちょ、ちょっと待て……いや、それは……何だ……」


 ようやく現場に漂ってる怒気の元凶に気づいたものの、時すでに遅し。今にも爆発しそうな形相が、春道へ向けられている。


「そっかー。葉月はパパと同じで、貧乏舌だったんだねー」


 まさに小悪魔のごとき微笑みで、何の躊躇いもなく愛娘が火に油を注ぐ。純真にも程があるので、何の狙いがあるかは不明でも、わざとやってるのは明らかだった。

 戸高家で大惨事が起きるのを防ぐため、春道は最後の手段の使用を決定する。


「……お年玉……いらないのか?」


「ママ、怒っちゃメっだよー。パパだって、わざと言ったんじゃないからねー」


 効果覿面とはまさにこのことで、手のひらを返したように葉月が矢面に立って春道を防御してくれる。

 もっともここまで事態を悪化させたのは、他ならぬ葉月なのだが、その点に関しては何ひとつ気にしてないみたいである。

 これにはさすがの和葉も毒気を抜かれたのか、力なく椅子に座ると、呆れたようにため息をついたのだった。


   *


「ふん♪ ふん♪ ふふーん♪」


 やたらと上機嫌に鼻歌を披露しながら、朝食後に戻ってきた客間で、葉月は出かける準備に勤しんでいる。

 どうしてこうなったのか、説明するのは容易い。朝食の席で泰宏が、初詣に行った神社の近くに元旦から営業しているスーパーがあると教えてくれた。


 食料品のみならず、衣料品や玩具まで取り扱っている。時折、大人びた態度を見せたりしても基本は子供。真っ先に、葉月が瞳を輝かせた。

 その様子を微笑ましげに眺めていると、唐突に愛娘は何かに気づいたとばかり、身体を硬直させた。

 直後に正座したまま、くるりと回転して身体を春道へ向けた。


「パパー、あけましておめでとうございますー」


「……どうした。それは初詣の時に言ってもらったぞ」


 初詣を終えて帰宅する途中、愛娘がとても嬉しそうに、正月の挨拶を繰り返していた光景を思い出した。


 たった数時間前の出来事を懐かしく感じたのも事実だが、何も本気で受け答えしたわけではない。どうして葉月が、またお正月特有の挨拶を繰り返したのか。春道はしっかり理解していた。

 その上でからかったのである。そうとは知らない葉月は、にこにこしながら「あけましておめでとうございます」と再度言ってきた。


「おめでとう。今年も良い年になるといいな」


 負けじと春道も、満面の笑みで応じる。もちろんわざとである。


「……パパー、あけまして、おめでとうございます、だよ?」


 笑顔はそのままに、若干責めるような気配が視線に加わる。

 どうやら意地でも、おねだりするのではなく、あくまでも春道へ自発的に提出させたいみたいだった。

 だが人生に苦難はつきものだと、教えてやるのも親の務めである。そ知らぬ表情でとぼけると、互いに無言でにこにこしながらも見つめ合いが開始された。


「……いつまでやってるのですか。早く準備を済ませないと、日暮れまでに戻ってこれなくなりますよ」


 言葉を挟んできたのは、和葉だった。実は、最初からずっと客間にいたのである。

 初めのうちこそ親子の戯れだと放置していたが、最終的には呆れた様子で仲裁に入った。


「だって、パパがー」


 拗ねて唇を尖らせる愛娘に、母親でもある和葉は「パパなら、気づいてるわよ」とネタばらしをする。

 まったく予想していなかったのか、まともに「えっ!?」と驚いた葉月が、猛スピードで春道の顔を見てくる。


「今度は意地悪しないであげてくださいね」


「わかってるよ。ほら、お年玉だ」


 当初は別々に渡そうかという案もあったが、両親合同にして、いつもより額を多めに入れることになった。


「わー、ありがとうー」


 嬉しそうに受け取った葉月は、瞬時に春道から顔を背けて、母親の和葉ひとりに心からの笑顔とお礼を渡していた。

 そのまま「さあ、お買物の準備をしないとー」と、春道の存在を完全無視して、持っていくバッグの中身を調整する。


 さすがに意地悪をしすぎたかと内心で反省するものの、素直に謝るのもどうかと思ったので、なんとか娘が関心ありそうな会話で興味を惹こうと考える。

 思い出されたのが、以前はたびたび口ずさんでいたあのメロディーだった。


「な、なあ、葉月、今回は歌わないのか?」


「……歌って、なあに?」


 口をきいてくれない状況だけは回避できてるのが判明して、とりあえずホッとする。だが、本題はここからだった。


「あれだよ、あれ。お買物の時とか、クリスマスの時とか、誕生日の時とか、事あるごとに歌ってただろ」


 やがて葉月が思い出したようにポンと手を叩き、おもむろに口を開いた。


「もー♪ いーくつねーるとー♪」


「クリスマスも誕生日も関係ないだろ」


 ツッコみつつも、恨まれてる現実を認識する。

 仕方ないので、素直に「パパが悪かったよ」と謝る。

 すると葉月は口角を広げて「にーっ」と大きく笑った。


「じゃあね、パパが葉月に、お正月のプレゼントをしてくれたら、許してあげるー」


「お、おいおい……正月のプレゼントって……」


 少しでも嫌そうな素振りを見せると、子供らしくつーんとそっぽをむかれる。

 苦笑いを浮かべると「春道さんの負けですね」と、和葉が言ってきた。


「そうだな、俺の負け……って、まさか……葉月?」


「えへへー♪」


 楽しそうな愛娘の満面の笑みで、春道はようやく理解する。

 葉月は本気で怒っていたわけでなく、それを利用して、上手に春道からプレゼントを買ってもらう約束を取り付けたのである。

 気づいた頃にはもう遅く、春道はひとり「やられた……」と敗者の呟きを漏らすしかなかった。

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