第463話 号泣で見送る友人最後の夏、穂月に刻まれた忘れられない悔しさの記憶
普段あまり使用しないグラウンドに試合用の綺麗なユニフォームで整列すれば、弥が上にも高揚する。夏の大会自体は何度も経験していても、この1年には1度しかない。春や秋の大会も同じではあるが、夏は最上級生の引退がかかるため、どうしても他とは緊張感が違う。
「はわわ、ゆーちゃんの指が震えてきたの」
穂月の隣に立つ悠里が、可愛らしくプルプルしている指を見せてきた。
「おー」
「ほっちゃんはいつもと変わらないの。やっぱり凄いの」
「のぞちゃんさんとセットで緊張とは無縁ですものね」
顔見知りが周りにたくさんいると緊張するという難解な特性を持つ凛が、観客席を見渡しては小さなため息をつく。
「りんりんはまだ慣れないんですか?」
先ほどから何度も掌に書いた人を呑み込んでいたはずなのに、根が真面目で優しい沙耶はすぐに他人の心配をする。
「普通は逆にやる気がでるもんだけどな」
主将として最後の夏に挑む陽向が、沙耶と凛の頭を同時に撫でた。
「特に凛は貴族なんだろ? 知り合いが多い場面で目立ってなんぼだろうが」
「そ、そうでしたわね」
「緊張して設定を度忘れしてたの。日頃から時々ボロが出てるし、完全崩壊する前に観念するべきなの」
「ひいっ!? 背後で言わないでくださいませ!」
涙目で隣が前方へ軽く飛んで逃げる。普段あまりそうした様子は見せないが、もしかしたら幽霊などが苦手なのかもしれない。
「あはは、皆、相変わらずだね。なんだか心強いかも」
昨年に続いて監督としてベンチに入る女教師が、ぎこちないながらもどこか安堵するような笑みを浮かべた。
「大勢の人と遊ぶって考えればいいんだよ。そうすれば楽しいだけだから」
「うん、穂月ちゃんの前向きさを見習わないとね。
じゃあ、そろそろ希ちゃんを起こしてくれる?」
元気に頷くと、穂月は両手両足を揃えてベンチで眠る親友を揺すった。
*
小学生時代に全国制覇したメンバーの半数以上が揃い、昨年も県注目選手の朱華に率いられて全国大会で1勝した。もちろん今大会も優勝候補であり、周囲の警戒度も高い。
対戦する学校は諦めるのではなく、胸を借りるつもりで全力で挑んでくる。この試合で燃え尽きるのだという覚悟と気迫は、対峙する側にとっても脅威となる。
だがそんな状況でもっとも力を発揮できる部員がチームにいた。
「はわわ、指がプルプルしてる分、なんだかいつもより余計にボールが動いてるの」
相手打者の打ち気を焦らす遅球が、全力のスイングを嘲笑うかのようにするりと逃げていく。
べこっとボールが潰れたような鈍い音がして、ボテボテという音が聞こえてきそうな見事なゴロがサードに転がった。
「オーライ! ゆーちゃん、ナイスピッチング!」
軽やかに捌き、沙耶のミットに素早くボールを放った陽向がグラブを叩く。
速球を軸に切れのある変化球で打者をねじ伏せる穂月とはまったくタイプが違うだけに、悠里の投球は相手校にとって厄介極まりないのだった。
*
たいして苦戦もせずに地区大会を突破すると、穂月たちは前評判通りに県予選でも勝利を重ねる。
穂月と悠里が交互に投げるため、疲労もさほど溜まっておらず、決勝の前には昂った陽向が東北大会への意気込みを語ったくらいである。
それが災いしたのか、準決勝は予想に反して穂月たちのチームが劣勢になってしまった。
「チッ!」
陽向が大きく舌打ちをした。ツーアウト満塁のチャンスに、彼女のバットはボールを芯で捉えたが、痛烈なライナーが飛んだのはライトの正面だった。
「はわわ、またなの」
「今日は良い打球がことごとく野手の正面をついてしまうようです」
浮かない表情の悠里の隣で、沙耶が唇を噛む。
試合はすでに6回の表が終わった。スコアは0-0。だが安打数は相手が1本だけなのに対し、穂月たちは10本を放っている。
毎回のように得点圏へランナーを送り込めるのに、ホームベースを踏ませることができないでいた。
「クソッ! 俺が打てればもっと楽な展開になってるのに!」
苛立ちからバットを叩きつけようとして、陽向は怒りを紛らわせるようにため息をついた。
実力が有名になるほど他校からも研究される。リスクを承知で3番の希と4番の凛には勝負を避けるようにキワドイところばかりへ放り、5番の陽向に全力を尽くす。
穂月が投手を務める試合は守備こそ安定するが、有力な打者を1人欠くため打線が迫力不足に陥る。それでも本来なら5番の陽向が役割をきっちり果たしてくれるのだが、どういうわけか今日に限ってヒットコースへ打球が飛ばせなかった。
「しっかりなさってくださいませ。まだ負けたわけではありませんし、バッティングの内容も決して悪くありませんわ。こういう試合を経験してないわけではないでしょう」
「りんりんの言う通りだな。焦ればどつぼにハマるだけか、よしっ、6回裏も頼むぜ、ほっちゃん」
「うんっ、全力で頑張るよ!」
激励を受けて穂月は全力で腕を振る。まだ疲れはあまりなく、ボールの勢いも衰えてはいない。
打者がなんとかバットに当てられても、およそ安打となるような打球ではなかった。
それなのに。
運命の女神から見放されたように、転がった先でボールがイレギュラーする。不意を突かれた2塁手が後ろに逸らす間に2塁へ進まれ、この試合初めてのピンチを背負う。
次打者に送りバントを決められ、ワンナウト3塁となる。その次の打者は決死のスクイズを仕掛けてきたが、マウンドからダッシュして素早く本塁でアウトにした。
ツーアウト1塁。窮地が去ったと安堵したわけではない。手を抜いたわけでもない。
なのに穂月は呆然と空を見上げる。これまでになく痛烈に打ち返されたボールが外野の間を転がり、遠くて遠くて仕方なかったホームベースに相手チームのランナーがあっさり到達した。
*
6番から始まる打線に重苦しい雰囲気を振り払うだけの力はなく、試合は0-1で決した。球審のゲームセットのコールに相手チームは沸き上がり、陽向はベンチで崩れ落ちた。
「うあ、ぐっ、うぐううう」
声を押し殺しながら泣く主将の姿に、他の3年生たちも俯きながら涙を流す。その様子に穂月の胸が苦しくなる。
自分のせいだ。そう思ってしまうと黒い感情が止まらず、涙となって迸る。
「ごめっ……ごめんね、まーたん……! 穂月が打たれちゃったから……うう、うわあああん」
あまりの号泣だったせいか、一瞬だけベンチがシンとした。
「何、言ってんだ。イレギュラーも絡んでるのに、ほっちゃんのせいであるもんか。俺が……朱華みたいにチームをきちんと鼓舞できてれば……! ちくしょおおお!」
審判の人たちに促されるまで整列もできないほど大泣きし、穂月には2年目の、そして陽向にとっては最後の夏の大会が終わった。
*
「ひゃっほおおお! 遊びまくってやるぜえええ」
飛び跳ねるような勢いで、縁日の屋台をかたっぱしから覗き込んでいく陽向。タンクトップ姿の少女は、とっくに敗戦を引き摺ってはいないみたいだった。
「ほっちゃんもほら」
軽く背中を押したのは、南高校で夏の県予選に挑むもやはり敗退したという朱華だ。それでも久しぶりにベスト4まで勝ち進んだということで、女監督はもの凄いはしゃぎっぷりだったらしい。
「うん……」
「ほっちゃん、ずっと元気がないから心配なの」
悠里がずっと手を握ってくれているが、強く握り返す力すらない。目を閉じれば打たれた瞬間が蘇り、息苦しくなるほどだった。
「ほっちゃんがソフトボールをやるようになって、夏に全国大会へ進めなかったのは初めてじゃないかしら?」
「多分そうです」
沙耶が頷いたのを見て、朱華は穂月の肩に手を回しつつ言葉を続ける。
「これまではある程度満足できるまで勝ててからの敗戦だったから、悔しいと思えることがなかったのね」
「そう……なのかな」
弱々しく顔を上げた穂月の背中が重くなる。いつもと同じように希が圧し掛かってきていた。
「……確かにほっちゃんはエースだけど、負けた責任はチーム全体で受け止めるもの。アタシだってリードが悪かったって後悔するし、ゆーちゃんもさっちゃんもりんりんも援護できなかったのを悔いてる。もちろんまーたんも」
「そうですわ! それにしても忌々しいことこの上ありませんでしたわ! あのような面前逃亡にも似た配球、貴族として失格ですわ!」
「相手だけでなく、りんりんも含めて貴族ではないです」
「やめるの、さっちゃん。似非お嬢様に正論は通じないの」
いつもと変わらない友人たちのやりとりに、穂月はたまらず吹き出した。
「そうそう、ほっちゃんには笑顔が似合ってるぜ」
気がつけば近くにいた陽向にも肩を叩かれていた。
「誰のせいでもないんだ、良い経験をしたって割り切ろうぜ。それに俺にだってまだ高校って舞台が残ってるんだぜ」
「でも対戦相手にあーちゃん率いる南高校がいると、勝ち進むのは一苦労なの」
「ちょっと待て。何で俺とあーちゃんが別チーム前提なんだよ」
真顔になる陽向に、指摘した悠里は少し怯えつつも、
「だってまーたんが南高校に受かるとは思えないの」
「う……言われてみれば……」
「大丈夫でしょ」
一気に不安そうになった陽向の肩に、笑顔の朱華が顎を乗せた。
「私がしっかり面倒見てあげるわよ。部活も終わったことだし、毎日夜遅くまできっちりとね」
「え……いや、それは……」
「必要最低限の点数さえ取れれば、美由紀先生が引っ張り上げてくれるわ。私たちが小学生の頃から柚先生に話を聞いて、高校生になるのを今か今かと待ってるもの」
「……美由紀先生って朱華の監督か? なんだかあまり仲良くなりたくない雰囲気が、さっきの話だけで伝わってくるんだが」
「いい先生よ? やたらと男女交友に厳しいけど」
「なんだそりゃ」
「ママに聞いたら元からみたい」
朱華が肩を竦めて会話が一段落すると、陽向は改めて穂月を見た。
「そんなわけで俺なら全然大丈夫だから、ほっちゃんもそんな気にすんな。それよか中学最後の夏休みを一緒に遊んでくれた方が楽しいぜ」
「……うん」
「あと……できれば来年は仇を取ってくれよ」
「任せて! 穂月、頑張るよ!」
陽向の手を強く握る。この日、人生で初めて穂月は早く次の試合をして勝ちたいと願った。
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