第233話 不思議な女の子

 菜月がその女子が気になり出したのは、教室でも真と過ごすのが半ば当たり前になりつつある日のことだった。


 相変わらずおどおどしながらではあっても、クラスメートとも一言、二言なら言葉を交わせるようになってきた少年から保護者同然の視線を外し、教室内をなんとはなしに眺めていたら視界に飛び込んできたのだ。


 数人の女子の輪から少し離れた位置に立ち、時折会話に加わるべく前に出る。虐められているという感じはなく、その女子たちも話しかけられればきちんと応対する。だが長続きせず、結局は元の立ち位置に戻っている。


 肩甲骨のあたりまで伸びた髪はナチュラルにウェーブがかかっており、毛先もくるんと丸まっている。天然か人工かは判断が難しいが、教師に注意されている場面を見たことがないので恐らくは前者だろう。


 常にニコニコと笑顔を浮かべるその少女は背が比較的高く、同年代の男児の平均以上はありそうだ。ボタンを開けたピンクのカーディガンの下には英字が書かれたデザインTシャツ。下は白のミニのフレアスカートで生足にソックス。

 小学生用のファッション誌にでも載ってそうなコーディネートで、そこそこ高そうなブランド品なのがわかる。


 小学低学年といえどお洒落に敏感な女子は多い。姉のおさがりで十分どころか、むしろ着慣らされているので着やすいと考える菜月には到底理解できないが、こっそりとファッション雑誌を学校に持ってきて、キャーキャーとはしゃぐ光景を目にする機会も少なくはなかった。


 そういうのが好きな一派に属しているように見えるが、どことなく違和感を覚える。そのうちに休み時間は終了し、次の授業が始まる。そしてまた休み時間になれば、ニコニコしながら先ほどのグループに混ざろうとする。


 ふむ、と首を傾げる菜月に、いつの間にかそばに来ていたらしい真が声をかけてくる。


「どうかしたの? その……さっきから元気がないみたいだけど……」


 宏和と一緒に比較的大きな声を出して遊んで何かが吹っ切れたのか、菜月に対しては出会った当初みたいなまごまごとした言葉遣いは見られなくなっていた。他のクラスメートにはまだ緊張を覚えるらしく、その限りではないのだが、


「元気がないわけじゃなくて、少し気になってるだけよ」


「……佐奈原さん?」


 菜月の視線を辿った真が、ふわふわとした感じの少女の苗字を口にした。今回のクラス替えで初めてクラスメートになった生徒もいて、なおかつ不登校児の世話に追われていたため、全員の顔と名前を一致させる作業が遅れていた。

 それでも記憶の隅にはあったらしく、真の呟きをきっかけに佐奈原茉優(さなはらまゆ)という名前を思い出す。


「真君、彼女のことを知っているの?」


「一年生の時に同じクラスだったから。

 二年生になってからは、その、あれだけど……」


 どんどん語尾が小さくなっていく。不登校になったのを気にしているのだろう。その真は久しぶりの学校復帰となっても、きちんと授業にはついてこられていた。

 不思議に思って聞いてみると、家で絵を描く合間に学校の教科書を使って自習していたのだという。それだけで平然と他の児童より優秀さを発揮できるのだから、頭は良いのだろう。


「その時はどんな感じだったのかしら」


「今とたいして変わらなかったと思うけど……あ、でも、よく一緒に遊ぶ子が変わっていたような気がする」


「へえ。何気によく観察していたのね」


 この時だけ宏和が乗り移りでもしたのか、真から見れば間違いなく意地の悪さ全開の笑みを浮かべてしまう。


「ち、違うよ。そんなんじゃないよ。ただ……」


「ただ?」


「佐奈原さんは僕にも普通に話しかけてくれたんだ。

 頻度はそう多くなかったけど、絵のことを知っても笑ったりしなかったし、その……いい子だと思うんだけど……」


 過去のトラウマか比較的クラスメートと距離を置きたそうにする真にしては、そういう雰囲気が一切なかった。もっとも宏和という劇薬をぶち込まれて以降は、同級生への僅かな拒絶反応もだいぶ和らいでいるのだが。


 そういえば、と菜月もふと思い出す。クラス替えをした当初は、他の子とよく一緒にいたはずだ。三年生になってまだ一ヵ月しか経過していないのに、グループを変えるというのも妙な話である。


「よく喧嘩とかする子なの? あとは虐められたりとか」


 佐奈原茉優という少女から視線を外さずに、菜月は隣に立ったままの少年に尋ねた。


「僕の知ってる限りではなかったと思うよ」


 乱暴な性格ではなく、表立っての虐めもない。そうであるなら他者の交友関係にまで口を挟む必要はない。そもそもグループなどに属したがらず、その日その日の気分で会話する相手を変えたがる人間だって世の中にはいるのだ。


 思考をそこで打ち切ろうとした菜月だが、不思議そうにする真の思い出したかのような発言で修正を余儀なくされる。


「でも何故か、一度離れたグループには戻らないんだ。一年生の時も最後の方は一人でいたような気がする。そういえば僕と会話するようになったのも、それくらいからかな。二年生になっても同じクラスだったはずだけど、僕は、その……すぐに学校に行かなくなっちゃったから……」


 絵を描くのが趣味と言って、女のみたいを笑われたのが一年生の二学期。二年生になるまではと耐えてみたが、学年が上がっても環境は変わらず、学校へ行くのが辛くなって登校拒否。一緒に行動するようになってから、真本人に菜月が教えてもらった理由である。


 そのため二年生時の茉優の情報はないが、恐らく一年生の頃と同じだったのではないかと推測できる。現在も彼女が一緒にいるのは昨年まで菜月と同じクラスの女子。要するに新しく知り合った子たちなのである。


 そうか、と菜月はここでようやく違和感の正体に気づく。茉優はグループにこそ入っているみたいだが、馴染んでいないというか浮いている感じがするのだ。


「面倒事になってからでは遅いのだけれど……どうすべきかしらね」


「え? 何か言った?」


「独り言だから気にしないで」


 学級委員長を引き受けた以上は、しっかりとこなしたい。こういう面倒な性格は意外にお人よしの姉に似ているかもしれない。内心で菜月はため息をつきつつも、苦笑を浮かべるのだった。


   *


 その時は急にやってきた。


 佐奈原茉優という少女を気にかけてから数日後。

 どうすべきかいまだ悩み続けていた菜月に、本人が声をかけてきたのである。


「菜月ちゃんは、委員長さんなんだよねぇ」


 間近で見てもふわふわとしか例えようのない笑顔。なんだか巨大なマシュマロを想像するような立ち振る舞いというべきか、女の子らしいと例えるべきなのか。

 我ながら意味不明に迷う菜月の前で、少女はお尻の上で手を組んで僅かに上半身を傾けた。


「茉優はねぇ、佐奈原茉優って言うの」


「……知っているわ。クラスメートだもの」


「本当? えへっ。嬉しい」


 差し出された手を握る。氷のように冷たいなどの驚きはなく、ごくごく普通の少女だ。背も高い分、菜月よりも少し手が大きくて柔らかい。

 だからといってぽっちゃりしているわけでもなく、むしろスレンダーさと肉感が程よくマッチしているな体型だった。


 それきり何を話すでもなく、握手を終えた茉優は休み時間が終わるまで菜月のそばに立っていた。


 授業が終われば彼女はすぐに菜月の席までやってきて、にこにこする。

 トイレへ行くにも着いてきて、体育の前に更衣室で着替える際も隣にいる始末。常に一緒に行動するような親友タイプの女の子同士も学校ではよく見かけるが、これではまるで飼い主によく懐いているペットだ。


「茉優ちゃん、今度は菜月ちゃんのところに行ったんだね」


 体育館でマット運動の授業中、茉優の番となって若い女性教師にあれこれと指導を受けているタイミングで、クラスの女子数人が菜月に話しかけてきた。よくよく見れば、つい最近まで佐奈原茉優が属していたグループの少女たちだった。


「そうみたいね。喧嘩でもしたの?」


 何気なく問いかけると、リーダー格と思われる三つ編みの少女がまさかと首を左右に振った。


「喧嘩になんてならないわよ。悪い子ではないもの」


「ならどうしてグループから外れたの?」


「うーん……外れたというより、出て行ったのかな? 入ってきた時もなんか唐突だったし、よくわからないんだよね、あの子」


 三つ編みの子に、他の少女も同調する。


「そうそう。好きな服の話してると、翌日には買ってきてたりとか。そのわりにファッションにはあまり興味なさそうだし。

 何したいか聞いても、にこにこしてて意味不明だし。最初はいいんだけど、そのうちなんだか気味悪いっていうか……あまり話さなくなっちゃうんだよね」


 虐めというほどではないが、そうしてあまり相手にしてもらえなくなって他のグループへ移る。それが今日までの茉優の行動パターンになっているのだろう。


「ほとんどの女子のグループには顔を出したみたいだし、次はどこに行くんだろうって皆で話してたのよね。一人にするのはかわいそうだけど、私たちとはあまり話が噛み合わないし……」


「男子にもたまに声かけてたみたいだけど、ちょっと危険よね。基本的に男子ってスケベだし」


 そこで話題が茉優のことから、どこそこの男子に誰それがスカートめくりをされたなどという世俗的なものへと変わる。


「うちのクラスは委員長の菜月ちゃんのおかげで、あまり被害はないけどね」


「よかったよねー。前に菜月ちゃんが、からかった男子を言葉だけで半泣きさせたのが効いたみたいだよ」


 女の子たちから言われて、ああ、と思い出す。確か夫婦だどうのと菜月と真を揶揄した男子である。完膚なきまでに言い負かして以降、下世話な発言は減っているので喜ばしいとは思っていた。


 やがて茉優の番が終わると、その子らはそそくさと菜月のそばから離れた。

 スキップでもするような軽やかさで戻ってきた茉優は、菜月の隣に腰を下ろして例のごとく「えへへ」と顔に笑みを作った。


   *


 夕食後のリビング。ソファの上で足を投げ出した菜月は、茉優の話を隣で珈琲を飲む春道に聞かせた。


「パパはその子のこと、どう思う?」


「難しいな。ただ……根本は真君と似ているような印象も受けるな」


「真君と? 茉優ちゃんは積極的に他の子に話しかけていたわよ」


「だから根本部分と言ったろ。真君は孤独に怯えた結果、一人でも構わない安息の地へ逃げた。茉優ちゃんだっけ? その子の場合はそれと逆になった」


「一人が嫌だから、誰かと一緒にいたくてどこかのグループに入りたがるってことね。なるほど、一理あるわ。

 真君みたいに変に気遣いするのであれば、微妙に遠ざけられ始めてるのも悟れるでしょうし、決定的な亀裂が走る前に自ら身を引いているのね。

 なおかつ遠ざけられそうな恐怖を一度でも覚えたからこそ、離れたグループには戻れずにいるってところかしら」


 長々と考察を垂れ流した菜月を、目をパチクリさせて春道が見る。


「どうかしたの?」


「だいぶ慣れたつもりではいたが、思考能力がやはりそこらの小学生を超えているなと思ってさ。まさしくミニ和葉だな。そこが菜月の長所でもあるんだが」


「パパの血も入っているから、小憎らしい子供に成長したのよ」


「子供に成長したってのも何か変な表現だが……まあ、いいさ。菜月が孤立しそうなクラスメートを放っておけない優しい子だとわかっただけでも嬉しいしな」


 菜月が顔を真っ赤にして照れる前に、反対側に座った和葉が「あら」と、どこか挑戦的な微笑を春道に投げかけた。


「私は前から知っていたけど、春道さんは違ったのね。それでは父親失格だわ」


「菜月、大変だ。高木家で深刻な虐めが発生しているぞ。なんとかしてくれ」


 真顔の春道を尻目に、ホットミルクを堪能する菜月は小さな肩を竦める。


「無理ね。私、高木家の委員長ではないもの」


 あっさりと父親を見捨てつつ、菜月は考える。

 佐奈原茉優が真と似たようなタイプだというのであれば、行動も彼女の個性として丸ごと受け入れてしまえばいいと。

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