第392話 穂月の手作りチョコレート大作戦

 むふんと鼻から息を吐き、とことこと台所へ歩いてきた小さな存在に、葉月は母親の和葉ともども目を丸くする。


「もしかして、お腹空いたのかな?」


 可愛らしい顔がブンブンと左右に振られる。


 もう一度、和葉と顔を見合わせる葉月。


 天真爛漫な愛娘だがわりと素直な一面もあり、食事の際はおかずが食卓に並ぶまで絵本を読むなり、テレビを見るなりして、おりこうさんに待っているケースがほとんどだった。


 ムーンリーフが定休日の今日は、久しぶりに葉月も一緒になって夕食を作ろうと、腕まくりをしてキッチンに入っていたのだが。


「ちょこをつくるの」


「ちょこ?」


 葉月が首を傾げると、すかさず穂月も真似をする。

 あまりに可愛すぎて抱きしめたくなるが、その前に発言の真意を確かめなければならない。


「ちょこって、チョコレートのこと?」


「あいっ!」


 元気に手を突き上げる穂月。

 大きな瞳がやる気と情熱でキラキラ輝いている。


「あっ、もしかしてバレンタインデー?」


 またもや、穂月の元気な返事がキッチンに響く。


「女の子はマセてるって言うけど、四歳で手作りチョコを作ろうとするんだね」


 はー、と息を吐きながら、何故か葉月は感心してしまう。


「葉月も小さい頃、お手伝いして貰ったお小遣いを貯めて、私に買ってくれたわね」


 当時を思い出しているのか、細められた和葉の目の奥に懐かしさが宿る。


「あったねえ。じゃあ、穂月はママにチョコをくれるの?」


「ううんー」


 即座に否定され、葉月は自分の笑顔が引き攣るのがわかった。


「そ、そっか……ママにはくれないんだ……そっか……」


「何をいじけてるのよ。バレンタインデーなんだから、和也君にあげるんでしょ」


「そっか!」


 理由が分かってスッキリ……まではいかなくとも、なんとか自分を慰める材料にはなったと、葉月は沈んでいた心を復活させた。


 直後に、またしても繰り返される「ううんー」という返事。


 これにはさすがの和葉も呆気にとられる。


「園内で好きな子ができたってこと?」


「ううんー」


 では何故チョコレートを?

 そんな葉月の疑問に、当の愛娘が答える。


「あーちゃんがね、みんなにちょこあげるんだってー。だからほづきもあげるのー」


 要するに朱華が主体になって企画した、壮大な義理チョコお渡し会みたいなものなのだろう。


 なんとか納得のいった葉月は、ようやく次の話題に移る。


「それでチョコを作りたいって言いだしたの?」


「あーちゃんがてづくりでめろめろだってー」


「……やっぱり女の子はマセてるね」


 ただ騒ぎたがる男の子が多い中、女の子はよく誰々と将来結婚するだの、やたらと色恋も含めた話題を多くする傾向にある。


 基本は保育園で過ごし、小学校低学年では虐められていた葉月はそうした経験がなかったので、この歳になって初めて実感する。


「でも四歳で手作りって危険だよね?」


「そんなことはないわよ。菜月はすでに子供用だけど包丁を扱ってたし、不必要に免許皆伝を与える人がいなければ問題ないわ」


 ダイニングの方でガタンと椅子の鳴る音がした。


 キッチンとさほど離れていないだけに、会話が聞こえていたのだろう。

 椅子に座っている春道が、明らかに動揺した様子で新聞を読み始める。


「ママ、パパをあんまり虐めたら駄目だよ」


「フフ、仲の良い証拠と思ってほしいわね」


 楽しそうに笑う和葉は、

 とても五十を過ぎているとは思えないほど若々しく見えた。


   *


「ではこれより第一回、穂月ちゃんの手作りチョコレート大作戦を始めます!」


「あいだほーっ」


 全員で夕食をとったあと、広いキッチンに葉月と和葉、そして今回の主役となる穂月が集まった。


 リビングでは夫の和也が愛息をあやしながら、心配そうに遠目で見守っている。

 春道もそわそわしている感じだが、免許皆伝云々で機先を制されているため、余計な手出しも口出しもできない状態だ。


「始めますはいいけど、材料はどうするの? まさか冷蔵庫にあるチョコレートを直火で溶かしたりしないわよね?」


「……あのね、ママ。葉月はケーキも扱ってるパン屋さんで、自分で言うのも何だけど、立派に店長をしてるんだよ。さすがにそんな暴挙に出たりはしないよ」


 いまいち信頼が得られていなかった事実に多少のショックを受けつつも、葉月は方針を説明する。


「まずは皆で手作りチョコセットを買いに行きます。明日がバレンタインデーなので、ごっそり売っているだろうしね」


   *


 女性三人だと万が一の事態が起こる可能性もあるので、ボディガード代わりに和葉が春道を連行した。


 春也も一緒に連れて行こうか悩んだが、眠そうにしていたので、世話と留守を和也に任せてきた。


「そう言えば、ムーンリーフではバレンタインデーのセールみたいなのはしなかったのか?」


 夜になっても明かりや音楽で賑やかな店内を歩きながら、

 何気なく春道が聞いた。


「チョコレートパイやチョコレートケーキは並ぶけど、チョコレートそのものを作ったり、仕入れて販売はしないね」


「葉月や茉優ちゃんが手作りしたって書いて売り出せば、バレンタインにチョコを貰いたくて飢えてる男子生徒が買い漁ると思うけどな」


「それはそれですぐバレちゃうよ。皆が皆、同じ包み紙を持ってるんだから」


 とはいえ顔と名前を憶えている常連さんには、用意した義理チョコを渡すつもりだった。最初はそれこそ手作りにしようと思っていたのだが、好美に可能性は低くとも勘違いする男性が現れたら困るからという理由で反対された。


 最終的には市販されている大袋入りの有名なチョコレート菓子を購入し、中身を一つずつ配ることに決まった。


 実希子も配送先の男性社員とかに配るそうだ。


「春道さんは他の女性からチョコレートを欲しいと思ったりするの?」


「貰ってもお返しが大変だし、

 そもそも家仕事だから女性と知り合う機会がないしな」


 それに、と春道は言葉を続ける。


「何より一番欲しい和葉のチョコは貰えるからな。それだけで十分だ」


「フフ、今年も期待してくれていいわよ」


 あっという間にラブラブモードに突入である。

 娘として両親の仲が良いのは歓迎すべきことなのだが、どうにも居場所がないような感じがして微妙な気分になる。


「私が春道さんと仲良くしてても、葉月もあまり嫉妬しなくなったわね」


「和也君がいるしね。それにパパの一番は葉月だってわかってるし」


「ウフフ、面白い冗談だわ」


「……なんかこの流れも懐かしいな」


 そんな会話をしつつ、キョロキョロと周囲を見渡しては、興味ある売り場に走り出そうとする穂月を押さえながら、葉月たちはチョコレート売場に到着する。


   *


 一階に二つある入口のうち、食品売場に近い入口にはわりと広めのスペースがある。イベントがある際には、そこに関連した商品が山のように陳列される。


 葉月たちが入ってきたのはもう一つの入口で、何故こちら側から入らなかったのかといえば、単純に散歩がてら遠回りをしただけだった。


「あいだほーっ」


 いきなり挨拶をかました穂月に不思議がっていると、見慣れた顔が売場の隅にいるのを葉月も発見する。


「尚ちゃんもチョコの材料を買いに来たの?」


「ということは、葉月ちゃんも子供にねだられたのね」


 顔を見合わせてクスクスと笑う。

 考えてみれば、言い出しっぺの朱華が手作りチョコを園内で渡そうとするのは当たり前だ。


「私は手作りよりも市販の方がいいと言ったんだけどね」


 最近では誰かの手作りが苦手だという人も増え、毛嫌いされる場合もある。


「欲しい人だけ貰えるような形にするよう、私たちで誘導してあげればいいよ」


「いい考えね。そうすればアレルギー持ちの子とかも助かるだろうし」


 アレルギーがなくとも、親がまだ子供に甘いものを食べさせたくないと考えている場合もある。


 葉月は娘にそうした制限は一切設けていないし、実希子や尚も同様だが、だからといって他所様にまで同じ方針を強要しようとは思わない。


「ほっちゃんもてづくりするの?」


「うんっ」


 手を繋いで商品コーナーを見て回る女の子二人。

 せっかくやる気を出しているのに、大人の都合でやめろとも言いたくない。


「なんとか素敵な思い出にしてあげたいよね」


 尚も同じ気持ちだったらしく、隣で強く頷いた。


   *


「これは……」


 高木家のキッチンで和葉が絶句する。

 手作りセットを購入後、帰宅してすぐに調理に取り掛かったはいいものの、ここで衝撃の事実が発覚した。


「穂月……すごい不器用だね……」


 慣れていないのを考慮しても、明らかに手つきがおぼつかない。

 さらには細かい作業ができずに泣きそうになる。


「将来、一人暮らしをした穂月が、鍋で作ったインスタントラーメンをそのまま食べてる姿が見えるようだよ……」


「悲観するにはまだ早いわ。私がいる限り、最低限の調理技術は身につけさせてみせる。でも……」


 決意したばかりの和葉が、悲しげに目を伏せる。


「とても明日までは無理だわ……」


 レシピを覚えさせ、その通りに手伝いながら進めてみても、穂月主導では失敗する。きちんとしたチョコレートを作るには、葉月や和葉が調理の大半をこなさないといけなかった。


「よし、できたっ」


 ふーっと息を吐いて、心地よさそうに額の汗を拭う春道。

 何を思ったのか、苦労する葉月や和葉の隣で、自分で買った手作りチョコセットを完成させた。


「ほら、穂月。一日早いけど、ジージからのチョコレートだ」


「あいだほーっ、あいだほーっ」


 歓喜する穂月がいつもの雄叫びを上げて、春道と一緒に食卓へ向かう。

 この時点で手作りチョコレートのことは頭から消え去ってしまったようだ。


「他のお母さんたちにはバレるだろうけど、私たちが作ったのを穂月の手作りとして出すしかないね」


「もうお店も閉まっているし、他のチョコレートも用意できないものね」


 一緒に盛大にため息をつくも、すぐに葉月は和葉と顔を見合わせてクスクス笑う。こうした忙しさや感情も、元気な娘がいてくれればこそ。


 そしてその穂月はといえば、葉月たちの気苦労も知らずに、祖父の作ったチョコレートを美味しそうに平らげていた。

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