第37話 パパを迎えに行こう

 高木春道を迎えに行く――。


 和葉は愛娘である葉月と約束をした。

 そこまではよかったものの、事はそう簡単に運ばなかった。

 共同生活を始める前まで相手が住んでいたアパートを訪ねてみたが、すでに違う人物が契約を済ませていたあとだった。


 そこまでして行方をくらましたかったのか、もしくは先に契約されてしまっていただけなのか。和葉の考えでは、恐らく後者だろうと推察できた。単純に人がいなくなれば、すぐにアパートは次の入居者を募集する。


 春道がそうだったみたいに、ボロくても家賃が安ければいいという人間は少なからず存在する。ましてやこの田舎町では、アパートやマンションの類はあまり多くない。


 本来なら、ここで相手を追えなくなって終わりというパターンになる。だが和葉の場合は違う。春道の実家の住所を知っている。その気になれば、実家へ押しかけて現在の居住地を聞けばいい。さすがに両親なら、息子の住所を知っているはずだ。


 恋人とかなら聞きにくいかもしれないが、離婚届を役所に提出してない限り、和葉は春道の妻なのだ。夫の居場所を知る権利は十二分にある。問題は未だ相手の両親と面識がないという点だった。


 いっそ電話で聞けばいいのかもしれないが、最初の挨拶がそれではあまりにも失礼すぎる。和葉の対応に激怒し、春道の両親を怒らせてしまう可能性も否定できない。そうなると、やはり直接高木家で出向くのが一番いい選択に思えた。


「ママ……」


 自宅のリビングで思い悩んでる和葉を気遣い、愛娘が声をかけてきた。座っているソファの隣へ来て、ギュッと手を握り締めてくる。

 父親として慕っていた春道の所在がわからず、葉月もまた不安なのだ。手には汗をかいており、和葉を励まそうとしてくれるものの、途中で言葉が見つからなくなり俯いてしまう。


 段々と和葉は腹が立ってきていた。しつこく関わるなと言っておいたのに、あれだけ世話を焼いて葉月の信頼を得てしまった。さらにそれでもいいと思い始めた矢先、またも自分勝手に失踪したのである。

 相手にも相手の考えがあり、人生もある。他人である和葉がどこまで介入していいものか。そう悩んでいたのもくだらなく思えてきて、怒りの炎は行動力を生産するエネルギーへと変わる。


「葉月はどうしても、パパと会ってお話がしたいのよね」


「うん。このままお別れなんて嫌だよ。葉月、パパと会いたい……」


 大事な愛娘をここまで悲しませてくれたお礼は、必ずしなければならない。そう決意して、和葉はすべてのわだかまりをどこか遠くへ放り投げる。


「わかったわ。それならママと一緒に、パパの実家へ行きましょう」


「実家……?」


「パパのお父さんやお母さんがいるお家のことよ。この前まで行ってたのは、ママの実家になるの」


「パパのお父さんってことは、葉月のお祖父さんとお祖母さんになるんだよね」


 これまでの沈んでいた表情を一変させ、瞳をキラキラと輝かせる葉月に、和葉は「そうよ」と頷いてみせる。疑問が解消した娘の判断は実に迅速だった。


「葉月、パパの実家に行くー。ママと一緒に、お祖父さんやお祖母さんに会いに行くのー」


 和葉の父親と、あまり会話ができなかったせいかもしれない。祖父や祖母と聞いただけで、とても嬉しそうな顔をする。世間一般的な家族に憧れている葉月には、とても大事なことなのだろう。


 事前に電話をかけようか悩むところだが、それが原因で和葉たちが探していることを春道に知られる可能性もある。

 ないとは思うが、その情報をもとに雲隠れなんてされたら、ますますややこしい事態へ発展する。ここは万が一のケースを想定して動くべきだ。


 これから訪ねるという連絡をしないことに決め、和葉は葉月に旅行の支度をするように告げる。春道の実家は県外にあり、どうしても宿泊が必要となる。また葉月に学校を休ませてしまうが、この際それは仕方ない。

 翌日の朝早くに出発すると娘に告げ、和葉もまた自分の準備を始めるのだった。


   *


 春道の実家の住所を記入したメモ帳だけを頼りに、和葉は愛娘とともにひたすら目的地を目指した。電車を何本も乗り継ぎ、やっとの思いで該当の県へ到着する。


「ふわー。人が多いねー」


 都会というほどではないが、普段住んでる土地よりもずっと賑やか。遠出した経験のない葉月は、行き交う人の波に先ほどからキョロキョロしっぱなしである。

 この間まで滞在していた戸髙家も田舎町にあるので、こうした光景が珍しくて仕方ないのだ。とはいえ、和葉も都会に出た経験はあまり多くない。


 若干の気後れを覚えつつも、そんな様子を娘の前で見せるわけにはいかないと平静を保つのを心がける。迷子にならないように、葉月の小さな手をしっかりと握っておく。


「ママから離れたら駄目よ」


「うんっ」


 返事だけは素直だが、相変わらず視線はあっちこっちへ常に移動している。好奇心旺盛な年頃の少女に、落ち着いて行動しなさいと注意するだけ無駄なのかもしれない。


 繋いでる手だけは離さないようにしながら、和葉はバッグの中から一枚の紙を取り出す。それは、事前に本屋で購入した地図の一ページをコピーしたものだった。もちろん春道の実家がある住所付近の地図である。


 駅舎前から近くにあるバス停へと移動し、市名と停車地をしっかりと確認していく。和葉も初めて訪れた土地なので、うっかり乗り間違えでもしたら大変な事態になってしまう。


「このバスに乗るのー?」


「そうよ」


 和葉が頷くと、それだけで葉月は大喜びする。電車もそうだったが、バスにも乗った経験がほとんどないのだ。地元では歩いて移動できる距離程度しか行かないし、和葉の実家へ行った時は二回とも春道の車に乗せていってもらっていた。


 朝早くから結構な距離を移動してるだけに、多少疲れてはいるものの、そうした愛娘の笑顔を見れば吹き飛んでしまう。それに和葉自身も未だに緊張しており、疲労でグッタリしてる場合ではなかった。


 春道の実家へ到着するのが最終目的ではない。むしろそこからが本番なのだ。どうやって挨拶をしようかなどと、電車内でも考えていた。色々な案を出してみたが、どれもすんなりと納得できてなかった。


「ママー。乗らなくていいのー」


 葉月に尋ねられて、ようやく和葉は我に返る。やっとの思いで探し当てた目的のバスに、もう少しで乗り遅れてしまうところだった。心の中で自分自身を叱責したあと、娘の手を引いてバスに乗車する。


 幸いにしてバスはそれほど混んでなく、親子ともども二人がけの椅子に座ることができた。窓際の席に葉月を座らせると、興味津々に即外の風景を眺め始める。はしゃいではいるものの、変に動き回らないので余計な手はかからない。


 とてもありがたいことだったが、もしかしたら本人もある程度、迷惑のかからない行動を意識してるのかもしれない。意外と洞察力に鋭い子なので、充分にあり得る話だった。


 だがそれはすべて、環境によって身についたのかもしれないと思えば申し訳なくなってくる。和葉も知らない間に自分の生い立ちを知ったことで、他人の行動や気持ちに敏感にならざるをえなかった可能性も否定できないのだ。

 それが原因で、年齢に見合わない大人っぽい一面を持ったのだとしたら複雑である。知らず知らず苦労させてきた分、これからはもっと子供らしく過ごさせてあげたい。心の底から和葉はそう考えるようになっていた。


 そうこうしているうちに、目的のバス停へ到着する。だいぶ前から停車ボタンに興味を持っていた葉月に押させ、運賃を支払ってからバスを降りる。いくらになってもいいよう小銭をたくさん用意していたので、手間取ったりはしなかった。


「ここが、パパの生まれたところなの?」


 電車で着いた駅前よりは発達してないが、それでも田舎と形容するほどの街並みではない。こういった場所で育ったからこそ、現在住んでいる町のような人の少ない土地で暮らしてみたくなったのかもしれない。


 タクシーを使ってもよかったが、地図を見る限りそんなに遠くなさそうなので、歩いて行くことに決めた。周辺の光景に葉月も興味を持っていたので、ちょうどよかったかもしれない。それに散歩がてらに歩けば、和葉の緊張もきっと薄れるはずだ。


 考えが甘かった。


 高木家を目指しながら、和葉は己の迂闊さを呪う。別に道へ迷ったわけではない。ゆっくり歩いてるせいで、余計なことを考えてしまい、結果いらない緊張をさらに背負うはめになっているのだ。


 母親である和葉の緊張が繋いでいる手から伝わってるのか、愛娘の葉月もあまり言葉を発しなくなっていた。これではいけないと思いつつも、うまく心をコントロールできない。こうなれば一刻も早く問題を解決するしかなかった。


「……ここがパパの家?」


「……そうよ」


 目の前にあるのは普通の一戸建てだった。戸髙家ほど大きくないものの、周辺の交通状況を考えれば標準的な家ともいえる。とはいえ、どんな大きさでも持ち家を持っているだけで立派だった。


 家族のために家を建てられるぐらいなのだから、春道の父親は厳格で立派な人かもしれない。そう思うだけで、さらに心臓がドキドキする。

 落ち着かなければと思って、簡単に実行できるのなら、プレッシャーに負ける人間などこの世からいなくなる。


 大きく深呼吸をしてから、和葉はインターホンを押した。いよいよ対面の瞬間だった。


 どんな挨拶をしよう。

 いや、挨拶よりお土産を渡すのが先だろうか。

 違う、初対面なのだから当然挨拶が――。


 グルグルと同じ言葉が頭の中を回り続け、次第に何がなんだかわからなくなってくる。半ばパニックになりながら、目の前にある玄関を見つめながら黙って待ち続ける。もしかして、玄関でどんな人間か値踏みされてるのかもしれない。


 だとしたら決して変な態度はとれない。そう気合を入れる和葉だったが、不意に袖口がクイクイと引っ張られた。愛娘の葉月だ。もしかしたら退屈したのかもしれないが、これもまた大事な前準備みたいなものなのだ。油断するわけにはいかない。


 それでも葉月は、何度も上衣の袖を引っ張る。和葉が反応するまでしつこく続けられ、仕方がなく「どうしたの?」と尋ねる。はたしてこれがプラスになるのか、それともマイナスになるのか。それは春道の家族にしかわからない。


「……もしかして、パパってばどこかへ出かけてるんじゃないの」


「――出かけ……!」


 愛娘の台詞に衝撃を受けつつ、和葉は再度インターホンを押す。ピンポーンと呼び出し音が響くも、家の中からは一切物音が聞こえてこない。これはもしかしなくても、留守で間違いなかった。


「ママ……お顔が赤いよー」


「……そうね。とっても恥ずかしいわ」


 泣くほど春道と会いたがっていた娘よりも、母親である和葉の方が冷静さを欠いていたのだ。今、赤面しなかったらもうする時なんてないだろう。


「これからどうするのー?」


 高木家の誰かが帰宅するまで、ここで待っているという選択肢もあるが、ここは和葉が人生の大半を過ごしてきたような平和な田舎町ではない。そんな真似をしていたら、ストーカーか何かと勘違いされて通報されかねない。出直すしかなかった。


 決断した和葉がその旨を葉月に告げようとした時だった。不意に隣の家のドアが開き、人のよさそうな中年のおばさんが「高木さんのところに何かご用なの?」と聞いてきた。見るからに話好きそうな人だった。


 もしかしたら何かしらの情報を得れるかもしれない。

 とりあえず、怪しまれないように何気ない日常会話でもしてみようか。

 そんなふうに考えていた和葉へ、おばさんから思いもよらない言葉がかけられた。


「もしかして、春道君のお嫁さん?」

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