第431話 親らしく苦悩したら娘の学校に乗り込もう、どんな気持ちも言葉にしないとわからないんです

 家族が寝静まったリビングで、テーブルに肘をついた葉月はパジャマ姿のままじっと座っていた。


 真っ暗な室内で考えるのは大切な大切な娘のこと。


 今日の午前中、泣きながら帰ってきた娘は理由も言わずに部屋に閉じこもった。


 春道から連絡を貰った葉月は慌てて一時帰宅したが、娘が籠城した部屋の前で幾ら呼びかけても反応はなかった。


 午後になって娘の友人たちが、教室に置きっぱなしになっていたランドセルを届けてくれた。


 そこでようやく事情を知った葉月は憤慨した。人の子は不要扱いするとは何事だと、その足で学校に乗り込もうと考えた。


 それを止めたのが春道だ。娘を信じるのも大切だが、感情に任せると判断を誤らせると言われ、唇を尖らせながらも従った。


 まずは情報収集と改めて娘の友人たちから詳しく話を聞いた。


 一日置いてから感情的にならないよう気を付けて学校にも電話をした。学年主任や校長先生は何も知らず、息子の担任をしている友人の柚も初耳だったみたいで驚いていた。


「去年まではこんなことなかったのに……」


 気が付けばテーブルの上で拳を強く握り、歯軋りまでしていた。


 ポンと肩に手が置かれ、ふわりと仄かに甘い香りが鼻腔を擽る。


「和也君?」


「菜月ちゃんの真似じゃないけどな。ホットミルクだ。飲めば少しは落ち着くかもしれないぞ」


「……ありがとう」


 マグカップから両手に伝わる熱に、怒りで凝り固まった心が溶けていくみたいだった。


 一口飲んでほうっと息を吐いた葉月は改めて和也を見る。するとダイニングの方に春道と和葉が座っているのがわかった。


「パパ、ママ? 寝てたんじゃなかったの?」


「ようやく気付いたか」


「深刻そうに俯いてる娘を放って眠れるわけがないでしょ」


 両親に苦笑され、葉月は「アハハ」と後頭部を掻きながら、やはり苦味たっぷりの笑みを返した。


「……私、穂月にどうしてあげればいいのかな」


「俺もよく悩んだよ。それが親の仕事でもあるしな。もちろん失敗だってあった。でも間違えたならしっかり反省して、そのたびに子供と一緒に成長すればいいと考えて最後には開き直ったもんだ」


「アハハ、パパらしいね」


「穂月がどんな選択をしても、葉月がどんな選択をしても、家族は決して見捨てないし、最後まで寄り添う。だから好きにやってみろ」


「……うん。迷惑かけちゃったら、よろしくね」


「任せとけ。俺は葉月の父親であり、穂月の祖父なんだからな」


   *


 和也や両親を交えての夜の話し合いを終えて葉月が選択したのは様子見。


 引き籠る娘の好きなようにさせておき、まずはしっかり考える時間を与えたいと思った。


 下手に励まし続けて、愛娘のプレッシャーになってもいけない。


 学校では藍子に聞き取りを行ったが、不適切な言動はなかったとの返答があった。もしかしたら穂月が勝手に不登校になったことにして幕引きしたいのかもしれない。


 親として思うところは多分にあるが、それでもまずは穂月の心情を最優先したかった。愛娘が戦う気になっているのならともかく、そうではない状態で戦場となる学校に引っ張りだしたら、心の傷がより深くなるような気がした。


 娘のためには何をどうすればいいのか。悩みに悩み、ある意味手をこまねいて見ている日々の中で、その事件は突然起こった。


 朝に登校したはずの希がいきなり行方不明になったのである。


 実希子の携帯電話に学校からの一報が入った際、葉月は慌てに慌てた。


 しかしその実希子は「ははん」と意味ありげに笑うと、


「希なら多分大丈夫だ。好きにさせとけ」


「もし、事件に巻き込まれたりしたら……!」


「気にすんなって。それに希の性格上、巻き込まれるよりも起こす側だ」


 実希子の言葉が予言だったかのように、子供たちからの情報で希が女担任と穂月の件で正面衝突したことがすぐにわかった。


 それが昨日の話で、今日は朝から高木家で穂月と一緒にいたことも。


 友人全員が勢揃いし、僅かながら明るさを取り戻した愛娘は、その夜久しぶりにリビングで夕食を一緒にとってくれて、一言だけ「ごめんなさい」と謝った。


   *


「穂月のせいで希ちゃんにまで迷惑をかけてごめんね」


 ストライキだと希まで昨日から学校を休んでいる。仕事中にそのことを謝罪したのだが、昔から豪快な友人は一笑しただけだった。


「それよりどうすんだ? ガッツリ炎上してんだろ」


「そうなんだよね……まさか悠里ちゃんたちまでストライキしちゃうなんて」


 希のみならず、悠里と沙耶、さらには凛や陽向、児童会長の朱華まで役員ともども藍子が横暴だとストライキによる欠席を宣言。


 事情を聞いたそれぞれの親が学校に問い合わせ、さらには柚たち一部の教師も説明責任があると穂月の擁護に回った。これは希が女担任と正面衝突するまでに水面下で工作していた成果でもあった。


 教師を守り、穂月に責任を押し付けようとした校長の対応も子供を通して親が知ることになり、かねてから燻っていた藍子への不満がついに爆発。親が子供のストライキを応援するという前代未聞の事態に発展した。


 柚から電話で報告を受けたのはつい先ほどで、一緒に作業をしていた実希子も話を聞いていた。


「でも、どうするかは決めたよ」


「そいつは興味あるな」


 ニヤリとした実希子に、葉月も満面の笑みで応じる。


「周りに合わせるのも時には必要かもしれないけど、親の私がそれを押し付けたら穂月が穂月でなくなっちゃうもん。谷口先生があくまでも穂月を否定するというなら、親として全力で戦うよ」


「よっしゃ、それでこそ葉月だ。援護射撃は任せとけ!」


「実希子ちゃんが援護したら悪化するだけだから、やめときなさいよ」


 話が聞こえていたらしく、客足が一段落した売場から尚もやってきた。


「柚ちゃんが後ろ盾になって、児童会長の朱華が色々動いてるみたいだし、今に抑えが効かなくなって、学校側から話し合いの場を設けたいって葉月ちゃんに連絡が来るわよ」


 尚が言い終わるかどうかのタイミングで葉月のスマホが鳴った。表示された番号は娘の通う小学校のものだった。


   *


 2人掛けのソファがテーブルを挟んで2つ校長室に用意されていた。正面には担任の谷口藍子と、その隣に校長が座っている。


 葉月の隣にはストライキを加速させたこともあり、穂月と同様に問題の中心人物とされた希の母親である実希子がいた。


「このたびは谷口先生にも言葉足らずなところがあり、お互いに誤解が生じた結果でして……」


 広い額に滲む汗をハンカチで拭き取りながら、痩せっぽちの校長がしどろもどろな説明をする。


 定年も間近なだけに問題なく校長として教師生活を終えたいのだろう。誰かをというより、いかに自分を守るかだけに注力しているようにも見える。


 恐らくは娘の女担任に詰め腹を切らせるつもりなのだろうと不快になるも、その前に葉月には彼女に聞かなければならないこともあった。


「穂月は授業の邪魔をしたわけではなく、放課後に皆で遊んでいただけです。強要もしてないのは、クラスメートの証言からも明らかです。谷口先生の方針は理解しましたが、どうしてうちの子をそこまで目の敵にするんですか?」


「目の敵にしたつもりはありません」


「はあ? だったら不要だの敗北者だの、子供相手に遣うべきじゃない言葉で罵ったのはどういうワケだよ」


 穂月も自分の娘みたいに可愛がってくれている実希子が、葉月でさえ慄きそうな迫力でずいと身を乗り出した。


 けれど藍子は凛とした佇まいを崩さず、


「これまでも幾度か注意してきましたが、一切聞いてもらえませんでした。だからこそ心に響かせるために厳しい言葉をあえて使いました」


「響いたどころか傷ついて一時的に引き籠りましたけど?」


 今度は葉月が目を細める番だ。相手にいかような事情があろうとも、大切な娘が不必要に泣かされた事実は変わらない。腹の奥底ではマグマのように今も怒りが煮え滾っている。


「その可能性も考慮した上でです。彼女は役者になりたいと思っているのかもしれませんが、人生はそんなに上手くいきません。駄目だった時に新たな道を模索するためにも学力は必要です。日本は良くも悪くも学歴社会なのですから」


 感情的にならず、しっかりと言い返す女担任に葉月と実希子は顔を見合わせる。勝手に理不尽な小姑みたいなイメージを抱いていたのだが、どうにも受ける印象が異なる。


「私もそれなりに教師生活が長くなってきて、色々な生徒のその後を目にする機会がありました」


 眼鏡を外し、ハンカチで拭きながら藍子は視線を落とす。


「昔は生徒の自主性こそ大切だと信じていました。勉学以外に励むのもその子の個性だと容認し、最低限の学力だけ身につけていればいいだろうとも。ですがそうした子は中学早々に脱落してしまうんです」


 勉強についていけず諦めから自棄になり、口煩く注意する大人よりも軽口を叩き合える同年代の友人とばかり接するようになる。


 当然まともな高校に合格できるはずもなく、中卒で社会に出る子もいる。そうした子の中には下請けなどで使われ、毎日のキツい仕事で体を壊した挙句、職を失った者もいた。


 眼鏡をかけ直した藍子の目の奥が悲しみに濡れていた。葉月だけでなく、普段は騒がしい実希子も黙って女担任の話を聞く。


「そんな元教え子たちは言うんです。もっと真面目に勉強しておけば良かったと。中学や高校の途中でそのことに気付いて道を正そうとしても、勉強についていけずに結局は悪い仲間と過ごすようになったとも。当然です。小学校と違って中学校や高校は基礎から続く応用を学ぶ場なのですから」


 小学生のうちに基礎を完成させておけば、あとで取り返しがきくかもしれない。そう続けてふうと息を吐く姿を見て、女担任も本気で穂月の将来を憂いてくれいたのだと葉月は親として理解できた。


「谷口先生の気持ちはわかりました。でも、それを生徒たちは知ってますか?」


「いいえ、説明する必要はありません。言っても理解できないでしょうし」


「そうかもしれませんけど、そうではないかもしれません。矛盾してますけど、子供たちは大人が思うよりもずっと子供で、そして大人が思うよりもずっと子供ではないんです」


「おっしゃりたいことはわかります。ですが言葉では本気になってくれない児童が多いのも事実です」


「それでも言葉を尽くすことを諦めては駄目だと思います。私はよく子育てに悩みますが、そのたびに父から失敗してもいいと言われます。親だって完璧じゃない、子供に育ててもらえばいいとも」


「子供に育ててもらう……?」


「子供の世話を通して自分を成長させるんです。そのためには極度に失敗を恐れてはいけない。

 かつての失敗がトラウマになってるからかもしれませんが、谷口先生は失敗を怖がって成長を止めてしまったようにも見えます」


 予期せぬ指摘だったのか、驚いた女担任が目を大きくする。


「私が、ですか?」


「失敗したら失敗した分だけ成長しましょう。過去は取り戻せませんが、せめてそれを活かしたいと思ったからこそ、谷口先生も今の方針になったんでしょう?」


「……その、通りです……」


「ならもっと成長させてもらいましょう。このままだと勉強では後悔しなくても、もっと好きなことをやってくればよかったという子が出てくるかもしれませんよ」


「……っ! それは……」


「いいじゃないっスか、子供がどんな夢を語っても。それを応援するのが大人の役目。アタシは先生の駄目だった時に困らないようにって勉強させる方針にそこまで反対じゃない。ただ将来の姿だけじゃなく、もっと今の姿にも目を向けて欲しいんスよ」


「今の姿……」


 考え込むように俯いたあと、やがて藍子は決意とともに顔を上げた。


   *


 藍子との話し合いから数日後。


 高木家での夕食の席では、すっかり不登校と引き籠りから立ち直った愛娘が、笑顔で葉月手作りのハンバーグに噛り付いていた。


 穂月の復帰とともの希たちのストライキも終了。学校に蔓延していた不穏な空気も一掃されたと柚が教えてくれた。


「ご機嫌だね、穂月」


「うんっ、だってね、今日は藍子先生が一緒に劇をしてくれたんだよっ」


 穂月の報告に、一緒に食事中の春道や和葉も驚きの声を発した。


「クラスがまとまってるのを見て、たまにはいいかなと思ったんだって。その時に前は言いすぎたって謝ってもくれたんだよ」


「良かったね。フフ、藍子先生は厳しいけど、根は悪い人じゃないもの。真面目で融通が利かないけど……ってなんだか昔のママみたいだね」


「なっ――!」


 うっかり滑らせた口を両手で塞ぐも、和葉の隣で迂闊にも大爆笑した男性のおかげで怒りの矛先が瞬間的に変わった。


 ギャイギャイと喧嘩というよりイチャつく両親から目を逸らし、葉月は愛娘に楽しかったかと尋ねる。


「うんっ。でもなんか難しいことも言ってたー」


「難しいこと?」


「恨まれてもいいんじゃなくて、劇の役みたいに観客へ届ける台詞が必要なのかもしれませんねって」


 観客が何を示しているのかを悟り、葉月は反射的に微笑んだ。


   *


 その後、藍子の授業風景はあまり変わらなかったが、説明が増えたのもあって生徒たちも女担任の気持ちを徐々に理解するようになった。


 無事に和解を果たした穂月がまた劇をやろうと誘っても調子に乗らないようにと窘めるだけだが、女担任はそこで間違いを犯す。


 テストで良い点を取ったら参加してしまうと言った結果、穂月はかつてない勢いで猛勉強。小テストで満点近い成績を叩き出しては部活のない放課後に藍子を強制招集するようになった。


 女担任は早まったかもしれないと後悔しつつも、劇のたびに悪い魔女だの王妃だのばかりをやらされるのは勘弁してほしいと葉月に泣きを入れる。


 ちなみに女担任の参加が決まるたびに悪役にさせようと画策していたのは希だったと後に判明する。その回数は穂月が学校を休んだ日数ときっちり同じだったという。

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