第260話 小学校の統廃合と真の成長

 卒業式が終われば始業式があり、そして新一年生を迎える入学式が本来はあるのだが、今回は行われなかった。理由はただ一つ、新一年生が揃って他の学校へ入学したからである。


 児童会長となって本格的に始動する一年。気合も新たに頑張ろうと思っていた菜月だが、いきなり躓いた格好になった。


「話自体は前々からあったみたいだが、急な決定だったな」


 夕食後にリビングのソファで家族団欒中だった春道が、愛妻の淹れてくれたコーヒーをカップから啜りながら言った。


「耐震基準を満たせなくなっているらしいわ。各家庭から大切な子供を預かっているもの、万が一を市も学校も恐れたのね」


 葉月が所属していた時代でも児童数の減少に伴って、クラスが減った。菜月の過ごした五年間も含めて状況はさらに悪化。いよいよ各学年に一クラスという状況が見えてきた中、市は他の小学校との統合を決定したのである。


 学校と新一年生の保護者が話し合った結果、新入生に限っては今年度から他の学校へ入学するのが決まった。特例らしいのだが、詳しいことは菜月にもわからない。教師からはそうなったとの説明とプリントを渡されただけだった。


「菜月たちが最後の卒業生か。俺も経験があるけど、母校がなくなるってのは寂しいもんだよな。葉月も悲しがってたろ」


「ええ。でも校舎自体は残るらしいわ。市で活用するみたいだけど、選挙の投票場や万が一の避難場所になったりするのかもしれないわね」


「なんにせよ、菜月も寂しくなるな」


 話を振られた菜月は、読んでいた本を開いたまま膝上に置き、ホットミルクで唇を潤す。強がってみようかとも思ったが、すでに寂寥感を覚え始めているのは事実なの心情を素直に吐露する。


「茉優や真と出会えた場所だもの、当然だわ。それにはづ姉が過ごした母校でもあるしね」


 菜月と同じように過ごし、中学校へ羽ばたいていった先輩たちの想い出も、校舎のあちこちに染みついている。それがなくなるかと思えばどうしても切なくなる。


「変わらないものなんてない。だから今を精一杯生きるしかない。誰から聞いたのか、そんな言葉が頭をよぎるな」


 マグカップを口元へ運ぶ春道の隣で、本当にそうだと菜月は頷く。


「後輩にはかわいそうだけど、私はあの学校で卒業式ができる。とても嬉しいし、感謝しないとね」


「そうだな。俺がなんとかできればするんだが、市の決定じゃどうにもならないか。存続させたい人たちは、言われるまでもなく抗議していたろうしな」


 統廃合する決定的な要因が児童減少よりも、耐震構造に難ありとされたことも大きい。学ぶ児童にもしものことがあれば、誰も責任が取れないのだ。


 建て直そうにも、そこで児童数の問題が立ちはだかる。予算をかけて新しくしても、数年も経たないうちに統合となれば無駄遣いとはいわないが、効率的なお金の使い方にはならない。


 他の小学校は菜月の学校よりも比較的後に建てられており、耐震の基準値を満たしているらしい。それならば他の二校の丁度中間にある菜月が通う小学校を廃校にし、両校へ生徒を振り分けようとするのも当然といえば当然だった。


「仕方ないと理解はしているわ。なかなか納得はできないけれど」


「……相変わらず六年生になったとはいえ、小学生とは思えない思考と返しだな。和葉の教育、恐るべしといったところか」


 春道が奇妙な感心を示すと、その妻は呆れたように肩を竦めた。


「何度も言っているけど、私は別にそこまで徹底して躾けていないわ。菜月が読んだ本から知識を吸収して、作り上げてきたのよ。もっとも、それはそれでやはり小学生らしからぬ凄さだけど」


「これも私の個性よ。しっかりしている方が周囲の受けはいいし、それに適度に愛嬌も振り撒いているもの。抜かりはないわ」


 得意げに鼻を鳴らす菜月に、何故か父親がからかい半分の笑みを浮かべる。その反応がどうにも気に入らず、反射的に春道を睨んでしまう。


「何か言いたいことでもあるのかしら」


「いいや。そうやって中二病みたいなのを全開にしていても、いざという時には誰かのために頑張る優しい子だと理解しているからな」


「中二病ってそういう使い方で合っているのかしら」


「さあ? 俺もよく知らない」


 肝心な時以外は適当感満載な父親の朗らかな返しに、菜月は深い息を吐くと同時に肩を落としたのだった。


   *


 教室は変われども、クラスメートは昨年と同じ。幸運に恵まれて親友となった真と茉優も一緒だ。話し相手はそれなりにいても、休憩時間になれば三人で話す機会が多い。それは部活でも同じだ。


 いまだに葉月や実希子みたいな活躍はできていないが、菜月もレギュラーとして大会に参加する予定になっていた。好美を見習って頭脳を活かしたプレー、主にデータを駆使しての守備位置取りなどで足を引っ張る機会はほぼ消失した。


 代わりに顧問にまで何かと頼られ、児童会長に留まらず昨年後半からキャプテンを押しつけられているのは想定外だったが。


「学校がなくなっちゃうなら、ソフトボール部のユニフォームを着て夏の大会に出るのは茉優たちが最後になるんだねぇ」


 朝の教室。担任が来るまでの話題といえば、急に決定した学校の統廃合についてが多かった。とはいえ菜月たちは卒業するので、新しい小学校に行って上手くやれるか心配する必要がないので、ある意味では気楽な面もあった。


「私たちが最後の六年生になるものね。ついでにいえば最後の児童会長。大人になっても色々と忘れられない小学校時代になったのは間違いないわ」


「茉優が大きくなって子供をたくさん産んだら、また復活するのかなぁ」


「他の二校で対処しきれないとなればその可能性もあるでしょうけど、限りなく低いと思わよ。それこそ茉優ちゃんだけで千人くらい産まないと」


「うん、わかった!」


「……え?」


 何がわかったのか唖然とする菜月の前で、やる気たっぷりに腕まくりをする茉優。その直後、何かを思い出したかのように小首を傾げた。


「ところで……子供ってどうやって産むの?」


「……詳しくは知らないわね」


「なっちーでも知らないことがあるんだねぇ」


 やや驚いた表情で口元に手を当ててから、少女はからからと笑った。すぐ近くでは会話を聞いていた真が、誰よりも顔を赤くしていた。


   *


 放課後になり、ソフトボール部の練習を終えた菜月は着替えて校庭付近をうろつく。練習後に職員室へ向かった茉優を待っている最中だ。


「春休みの宿題をまだ提出していなかったとはね……」


 呟いた通りに、菜月たちと一緒に宿題を終えていたはずなのに、茉優は提出をすっかり忘れていたらしかった。当人は出したと思っていただけに、教師に言われた時は驚いていたが。


 探したらランドセルの中にあったということで、部活終わりに提出するとグラウンドから真っ先に走り去った。着替えもあったので校門で待とうと決め、つい先ほど到着したばかりだった。


 校門によりかかって本でも読もうとランドセルを地面に下ろした時、菜月は校庭の隅で木の枝を折ろうとしている児童を見つける。門から校舎へ続く中庭には数多くの木があり、春になれば桜が咲き誇る。遠出しなくても花見ができるほどで、近隣の住民はよく見に来ていた。彼らが手をかけようとしているのは、そんな桜の木の枝だ。


「ちょっと。貴方たち、ここの生徒よね。何をしているのかしら」


 ランドセルを地面に置いたまま無法者へ歩み寄った菜月は、腰に手を当てて威嚇するように大きめの声を出した。

 当初は無視しようとしていた二人組だったが、睨まれると強く舌打ちをした。


「何だよ。六年だからって偉そうにするなよ」


 坊主とスポーツ刈りの少年二人はほどほどに体格が良く、胸につけている名札の色から菜月が六年生だと知っても怯んだりしなかった。


「その言い方だと年下よね。五年生かしら」


「だったら何だよ」


「五年生を担当している先生に報告するのよ。桜の木の枝を折ろうとしていた愚か者がいますとね」


「まだ折ってないだろ!」


 男たちの声が荒ぶる。目に宿る怒りの色が強くなるも、菜月は引かない。自分は悪いことなどしていないし、何より児童会長としての責務もある。


「遊び半分で折ろうとしたのが問題なのよ。児童会長として見過ごせないわ」


「そんなの知らねえよ! 女の癖に偉そうにしやがって!」


「言葉で負けそうになって性別の差に文句? ほとほと救えないわね。将来が心配だわ」


 肩を竦め、心からバカにするようにため息をついてみせる。それが余計に連中の怒りを煽ったみたいだった。


「うるせえ! 女だからって手加減しないからな!」


 男の一人が強引に菜月の腕を掴んだ。低学年ならまだしも高学年となれば、男女の体格差が徐々に大きくなってくる。ソフトボール部で鍛えていても、簡単には振りほどけない。


「正論を言われて暴力を振るおうとするなんて、ますます最低ね」


 続く睨み合い。あくまでも引こうとしない菜月を前に、激昂する少年たちも引っ込みがつかなくなっているみたいだった。感情に任せて右手を振り上げ――


「やめろっ!」


 ――直後に甲高い声が校庭に響いた。菜月の腕を掴んでいた坊主頭が、横から不意打ちのタックルを食らって派手に転ぶ。


 巻き込まれて転びそうになった菜月を慌てて助けたのは、普段は気弱な面しか見せない真だった。


「だ、大丈夫? お前ら、何をやってるんだよ!」


 菜月を背中に隠し、真が右足で地面を鳴らす。あまりの迫力に臆したのか、起き上がったのも含めて五年生は揃って後退りする。


「彼女に危害を加えようとするなら、僕が相手だ。殴るでも蹴るでもすればいいよ。でも、菜月ちゃんにはもう指一本触れさせないよ!」


「な、何だよ、こいつ」


「目がヤバいって。もう行こうぜ」


 そそくさと二人が校門から出て行き、周囲には普段の静けさが戻る。いつになく怒っていた真の姿に呆気に取られていた菜月は、ここでようやく自身の落ち度に気づく。


「あっ。連中に桜の枝を折ろうとしたのを、謝らせるのを忘れていたわ」


「桜? そっか。それで菜月ちゃんは彼らを怒ったんだね」


 安堵した笑顔を浮かべる真。ジーンズに包まれた彼の膝は、傍目からでもわかるほどに震えていた。


「怖いのに無理をするからよ。でも、成長したわね」


 菜月が微笑むと、顔を赤くした真は人差し指で鼻先を掻いた。


「う、嬉しいよ。これで少しは菜月ちゃんに相応しい男の子になれたかな」


 さらりと、とんでもない発言をぶち込んでくる親友。こちらが油断した瞬間を無意識に狙い定める辺り、真には父親の春道に似通った部分があるのかもしれない。


 一転して自分が恥ずかしくなってしまった菜月は、半ば告白じみていた真の言葉に対し、照れ隠し気味に口早に答える。


「十年……早いわよ」


「じゃあ十年頑張るよ」


「え? え、ええ……頑張りなさい」


 躊躇なく言い切った真はもう、菜月がいなければ登校もできない頃とは別人の――それこそ本物の男の子になっていた。それがなんだか嬉しくて、菜月はもう一度だけ小さな声で頑張りなさいとエールを送った。


「ごめん。ちょっと聞こえなかったけど、何か言った?」


「いいえ。真の気のせいよ。それより茉優が来たみたいよ」


 手を振って親友の少女に合図を送る。そんな菜月のすぐ後ろで、おかしいなとでも言いたげに真が首を捻っていた。

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