第379話 愛娘たちの夏祭り

 夜道を彩る煌びやかな光。


 一年に一度――正確には二日に渡って開催されるが――の絵本の世界を思われる、ある種幻想的な光景に、葉月の手を引く小さな腕は浮かれっぱなしだ。


「ちょっと待ってよ、穂月」


 やはり物心がつくとお祭りの感じ方も違うらしく、普段とは違う町の賑やかさに、もうすぐ三歳になる愛娘はどこまでも心を惹かれている。


 産後からさほど経過していない葉月ではあったが、お祭りに行きたがる穂月を我慢させるのもかわいそうと外出を決めた。


 本来なら両親か夫の和也に娘の同行を任せようと思ったのだが、産後の運動不足を心配した母親の和葉に、生まれたばかりの春也を預かるから穂月と一緒にお祭りを楽しんで来なさいと送り出された。


 今年も出店をしているはずのムーンリーフも気になっていたので、それならばと応じたのだが、愛娘の元気さがここまでなのは想定外だった。


「ママ、おにくー」


 ジャンボ焼き鳥を見て、穂月が瞳をキラキラさせる。

 唐揚げ好きな娘だけに、鶏肉の匂いを好物だと察知したのかもしれない。


「あとで買って帰ろうね。パパ――ジージたちにも食べさせてあげよう」


「あいっ」


 葉月と繋いでいない右手を高々と掲げ、元気一杯に返事をする。

 勢いよく持ち上げられている口角から、涎が見え隠れしているのがなんとも可愛らしい。


「まずはパパのところに行こっか」


   *


 屋台がまだ設営準備する頃から、待ちきれない客がちらほらと姿を現すだけに、住民の大半がこの夜店を楽しみにしている。


 一部の人間は本来のお祭りの趣旨である神社の山車を引き、威勢のいい声を上げていて、そちらの見物に行く人も多い。


 だがやはり人気は出店側に集中する。


 あまり遊ぶ場所もない田舎町だけに、こうした催しは特に若年層は決して見逃さない。昔からのお祭りでもあるため、老齢の住人も過去の思い出を懐かしみながら射的や輪投げなどに興じる。


 小さな子供はどの店にも興味を示し、それは穂月も例外ではなかった。

 おかげでムーンリーフが借りているスペースに到着するだけでも、結構な時間がかかってしまった。


「パパ、お疲れ様」


「おつさまー」


 葉月の真似をする可愛らしい娘の声を聞き間違えるはずもなく、顔を上げた和也はそれまでの真剣な表情が嘘のようにデレデレになる。


「自分で歩いてきたのか、偉いぞ、穂月」


「あいー」


 伸ばしている黒髪がくしゃくしゃになろうとも、大好きな父親に頭を撫でられれば、ご満悦の穂月嬢である。


「相変わらず、穂月ちゃんパパは娘に激甘だねぇ」


 いつも通りのふわふわさ加減で、出店に立つ茉優がクスリとした。

 昨年同様店には好美が残り、彼女が出店の責任者になっていた。


「茉優ちゃんだけに任せちゃってごめんね」


 昨年は帰省中だった菜月やその友人らが手伝ってくれたが、今年は社会人として巣立っているため、アルバイトとして頼れなかった。


「大丈夫だよぉ、恭ちゃんが来てくれたんだぁ」


「お世話になってます」


 屋台に隠れるように作業していた恭介が、

 その発言を合図に立ち上がって会釈した。


「沢君だって働いてるのに大変でしょ?」


「茉優ちゃんと会える少ない機会を逃すわけにはいかないので」


 誰が見てもイケメンな若者は、心までイケメンだった。


   *


「どこの家も考えることは一緒ってか」


 団扇片手にムーンリーフの屋台裏にやってきた実希子が、白地のTシャツの袖を肩まで捲り上げながらケラケラと笑った。


 すぐ近くには夫の智之がいて、すやすやと眠る希を大切に抱いている。


 隙あらば眠ろうとする娘を母親の実希子はなんとか動かしたいようだが、あまりにやり過ぎると余計に嫌われてしまうため、最近では穂月をけしかける回数も若干だが減りつつある。


 もっとも実希子当人は、それすらも愛娘の思惑通りな気がして歯がゆいと嘆いていたが。


 その彼女も男児を産んだばかりなのだが、傍にはいない。

 葉月同様に実家の両親に預けてきたらしい。


「アタシらを気遣ってるようでいて、

 絶対、自分らで赤ちゃんの面倒みたいだけだよな」


 胸の内では同様の意見も芽生えていたが、賛同するかどうかの迷いが葉月に苦笑いを浮かべさせる。


「で、夜泣きする頃になれば逃げ出すんだぜ。

 まあ、希の時は悩まされなかったけどな」


 葉月の苦労を聞いて知っている実希子は、言いながらチラリと穂月を見た。

 夜泣きが激しかった愛娘も、現在ではぐっすり眠ってくれるようになった。


「可愛いところだけを独占したいって気持ちもわかるけどね」


 不意に背後から聞こえた声に振り替えると、高校時代からの友人が娘の手を引いて立っていた。


「尚も来たのか。晋悟はどうしたんだ?」


「家で晋ちゃんが面倒見てくれてるわ。朱華が行きたいって駄々こねるから、少しだけ抜け出してきたの」


「……! 朱華、わがままいってないもん!」


 さらっと実情を暴露した母親の服を掴み、真っ赤な顔で否定する朱華。

 誰がどう見ても尚の報告通りだとわかるが、あえて突っ込む野暮な人間はいない。


「じゃあ朱華だけ帰るか? お祭り楽しめなくていいのか?」


 と葉月が思った矢先に、実に下卑た笑顔で実希子がからかいだした。


「やめなさいよ。朱華ちゃんが泣きそうになってるでしょ」


「あだっ! いきなり叩くなよ、好美」


「実希子ちゃんが大人げない構い方をしてるからよ。この話が菜月ちゃんに知られたら、精神年齢が朱華ちゃん以下だって冷笑されるわよ」


「しっかり、なっちーに報告しとくよぉ」


「やめろ、茉優!」


 昨年からムーンリーフ出張屋台の名物になりつつある冷やしケーキを順調に販売しながら、とても素敵な笑顔を作った茉優に実希子が泣きを入れる。


「悪かったよ。朱華は優しいから許してくれるよな~」


 やり過ぎた自覚はあったのか、完全な悪者になる前に実希子は素直に謝罪した。

 朱華が素直に応じたことで、多少の安堵感もあったのか、相変わらず豊かな胸を実希子が叩く。


「お詫びに好きなものを奢ってやるよ。何がいい?」


「ほんとっ!?」


 目を輝かせた朱華に、すかさず母親の尚が耳打ちする。


「しんちくのにわつきいっこだて!」


「待ってろ。近くの百均で探してきてやる」


「ぶー」


「何で尚がブーイングすんだよ。中古でもお気に入りの家を買ったじゃないか。むしろ家を探すならアタシの方だ!」


 ヘッドロックをしてきそうな実希子から、慌てて尚が逃げる。


「暴力反対。

 それより、とうとう実希子ちゃんも家を買うことにしたの?」


「本決まりってわけじゃないけどな。智希っていう新しい家族も増えて、実家が手狭になってきてるんだよ。だったらいっそ……ってな感じだ」


 持ち家仲間を増やしたいのか尚は盛んに賛成するが、当の実希子はまだ迷いが深そうだ。


「基本的には家を新しくするのは賛成なんだけどさ、新しく買うのか、今のとこをリフォームするのかで悩んでるんだ」


 家を出てもどうにでもなると思っていたらしいが、子育てを経験して家族の支援が何よりもありがたいことに気付いたという。


「幸いにして同居してる葉月と同居してない尚とで、利点や欠点を比較できるからな。もう少し考えておくさ」


 智希が小さいうちはまだあまり場所を取らず、希も所狭しと走り回る子供ではない。そうした面も実希子に猶予をもたらしているのだろう。


「それより立ち話ばっかしてると夜店が終わっちまうぞ」


 実希子の警告に、数日前から出店を楽しみにしていた穂月と朱華が揃って「いやー」と半泣きになった。


   *


「あうー」


 奇妙な気合の声を発しながら、穂月が小さな手に持った輪を放る。


 小さなキーホルダーを見事捉え、屋台の中年男性から商品として手渡されるといつもよりも明るく瞳を煌めかせた。


 どうやら輪投げがお気に入りのようで、結果に関係なく続けて三度も挑戦した結果、店主の男性が取りやすそうなキーホルダーをわざわざ前面に並べ直してくれたのである。


 小さな熊のキーホルダーにすっかりご満悦な愛娘に、葉月も嬉しさを隠せない。


 店主の男性にしっかりとお礼を言ってから、待たせていたであろう実希子や尚を探す。


 朱華は尚の忠告も聞かずにくじ引きをしていて、出て来た番号が狙ったぬいぐるみではないと知り、かわいそうなくらい肩を落とす。


 懸命に慰める尚と唇を尖らせる朱華に、不謹慎ながらもほっこりしてしまった葉月だが、ここでようやく実希子が見当たらないことに気付く。


「穂月ちゃん、希ちゃん見なかった?」


「あっちー」


 小さな指が差す方にあるのは、ムーンリーフの屋台。


 まさかと思って様子を見に行くと、茉優の足元に敷いたダンボールにふてぶてしく転がる女児がいた。


「……もしかして……寝てるの?」


 葉月の呟きを拾ったのは、傍で力尽きたように座り込んでいる実希子だった。


「信じられないだろ……出店なのに寝てるんだぜ、こいつ……」


 虚ろな瞳を見れば、色々と動かすために努力したのがわかる。

 結果はすべて惨敗だったみたいだが。


「あ、あはは……これも個性っていうのかな……」


「悲しくなること言わないでくれ……」


 あまりに気落ちしている実希子を励ましていると、葉月の背中から小さな影がとことこと歩き出した。


「のぞー? おみせー?」


 しゃがみ込んだ穂月にほっぺをツンツンされると、実希子の呼びかけにまったく反応しなかった希がゆっくりと目を開けた。


 伸ばされた手をパチクリと見つめたあと、目は半開きながらも、ゆっくりとその手を取った。


「うおお、やっぱり穂月はアタシの救世主だ!」


 大人なのに号泣し始めた実希子が、強い力で葉月の手を握った。


「一生のお願いだ! 穂月を売ってくれ!」


「まさかの人身売買!?」


 当然無理だと首を左右に振るも、恥も外聞も放り投げた実希子が葉月の足元に縋り付いてくる。


 その間にも穂月と手を繋いだ希は、合流した朱華や尚と一緒に、近くの屋台でジャンボではない焼き鳥を食べていた。

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