第444話 春道と和葉も気がづけば還暦です、皆にお祝いしてもらえて幸せです
「とうとう祝われてしまったか」
喜びはもちろんあるが、春道は同じくらい寂しさも感じていた。
つい先日、小学校を卒業したばかりの愛娘と変わらないなと苦笑する。
「本当はとっくに還暦になってるのに、祝うなら春がいいってパパが引き延ばしてたんじゃない」
早く盛大に祝いたかったらしい愛娘が、河豚を連想させるように頬をぷくっと膨らませた。
「私は春道さんの気持ちがわかるわね。祝われると認めざるをえないもの」
「ママまでそんなこと言ってるし。まあ、年齢に関する祝い事が楽しいのは若いうちだけなのは私も十分理解できてるけどね」
遠い目をしてリビングから窓を見る葉月の隣で、その妹も同じように達観したような表情になっている。
「でもせっかくの還暦なんだから、お祝いはきちんとしないと!」
「そうっスよ、好意は素直に受け取るべきっスよ」
力を入れて拳をぶんぶん振る葉月に、実希子が同意する。
「それに歳を取るのは普通なんスから、気にしても仕方ないっスよ」
からからと笑う実希子に、周囲の視線が一斉に突き刺さる。
何だと一歩下がった実希子に詰め寄るのは、わざわざ招待に応じてくれた柚だ。
「気にしないでいられるのは実希子ちゃんくらいよ! 四十過ぎて外見がほとんど変わらないなんて考えられないんだけど!」
「もはやゴリラというより妖怪だわ……」
「なっちーまで酷すぎだろ!」
悲鳴じみた声で非難する実希子に、尚までもが参戦して畳みかける。
「スタイルも一切崩れてないし、どうしたらこんなになるのよ!」
「知らねえよ! 何もしてないんだから!」
「どうしてよ!」
「むしろアタシが怒られてる理由を知りてえよ!」
「何かしてたら教えてもらえるでしょ!
言いなさい、隠すとためにならないわよ!」
尚の目は本気だった。あまりに必死過ぎて春道がドン引きしていると、隣の愛妻も真剣な顔つきになっていた。
「実希子ちゃんは普段、どんな生活をしているのかしら」
「起きて、食って、働いて、食って、酒呑んで寝てるっス」
「……それが若さを維持する秘訣?」
「落ち着いて、ママ。普通の人間が実希子ちゃんと同じ生活なんてしたら、破滅一直線よ」
「おいこら、なっちー。どういう意味だ!」
「ちょっと皆、今日はパパとママのお祝いなんだから!」
手を叩いた葉月の仲裁で、なんとか場が静けさを取り戻す。
春道は安堵すると同時に、改めて女性に年齢の話は禁句だと胸に刻んだ。
*
「しかしいざ還暦のお祝いだと言われても、赤い頭巾もちゃんちゃんこも欲しいと思わないぞ」
隣で妻も春道に同意する。どうにも老人臭くなりすぎるような気がしてしまうのだ。老人には変わりないのだが。
「最近ではそうした風習も失われつつあるみたいだよ。パパとママが嫌がったように年齢を重ね過ぎたイメージが強くなりすぎるからかもしれないね」
そこでと愛娘が用意してくれたのは、誰かの誕生日会と同じように料理とケーキでお祝いすることだった。
「オーソドックスだが、これが一番だな」
「ええ、皆で食べてはしゃいで……実に私たちらしいわ」
春道と和葉を中心のテーブルに数多くの料理が並べられる。すでに夜というのもあり、春休み中の孫たちもお腹を空かせているみたいだった。
「これは穂月とのぞちゃんで作ったんだよ」
「希ちゃんも料理できたのか?」
「……味見係」
オムレツを指差す孫娘の言葉に春道が驚いていると、話題の当人から納得のネタ晴らしがされた。
「そうは言っても穂月が手順を間違えそうになると、すぐに指摘してくれてたから見てて頼もしかったよ」
成長してすっかり和葉並みに料理できるようになった娘が、微笑みながら孫とその友人の頭を撫でる。最初は危なっかしい面もあったが、今や葉月も立派な母親だ。
「幾つになっても子供の成長というのは嬉しいものだな」
独り言のつもりだったが、隣の愛妻にはしっかり聞こえていたらしく、小さく笑われてしまう。
「それが親というものよ。きっと葉月も、穂月の成長のたびに私たちと同じ感想を抱いていくわ」
家族の形が積み重ねてきた日々の結晶に思えて、頷きながらついつい目を細めてしまう。
「ほら、ジージ。食べて食べて」
「ありがとう。
うん、美味い」
春道に続いて和葉もあーんと食べさせてもらい、いつになくご満悦だった。
*
ひとしきり食べて、孫たち主催のクイズ大会が終わると、少しリビングを離れていた娘がリボンのついた箱を持って戻ってきた。
「パパとママに私たちからのプレゼントです」
「穂月も一緒に選んだんだよ」
孫娘が母親の隣に並び、その後ろから菜月が小さな肩に両手を置く。
「喜んでもらえると嬉しいのだけれど」
「……その気持ちだけでも嬉しいさ。
見ろ、和葉なんて号泣5秒前だ」
「春道さんっ!」
場に笑顔が戻ったところでプレゼントを手渡され、参加者全員の早く開けてという視線に晒される。
春道は嬉しさと苦味を混ぜ合わせた笑みを浮かべ、箱の中身を確認する。
「腕時計か」
「ペアウォッチみたいね」
男性用と女性用の差こそあれど、春道と和葉に贈られたのは同じデザインのものだった。よく見ると箱には有名ブランド名が書かれている。
「高かったんじゃないのか?」
「大好きなパパとママのお祝いだもん、当然だよ!
……と言いながら、そこまででもないんだけどね」
悪戯っぽく笑う愛娘を見れば、春道たちに気を遣わせないようにしているのがわかる。相変わらず嘘が下手だなと頬を緩めながらも、あえて指摘はしなかった。
「これからも一緒の時間を大切にしたいってはづ姉が言うから、時計にしたのよ」
「もー、なっちーってば大人になってもクールぶりたがるんだから。私がそう言ったら、それがいいって大絶賛してたくせに」
「いい、穂月、ママみたいな歪んだ大人になってはだめよ」
「うんっ!」
「えっ、そこで返事しちゃうの!?」
葉月がショックを受けてると、背後から近づいた実希子がガッチリと肩を組んだ。その様子はお互いの娘同士の日常的なやりとりにも似ていた。
「母娘ってのはやっぱり似るもんなんだな」
「父娘だって同じよ。春道さんの影響で、葉月もすっかり素敵なサプライズ好きになってしまったわ」
「それは困った」
「ええ、本当にね」
仲良く時計を装着した腕を見せ合っていると、いつの間にか娘たちが囲むように様子を見守っていた。
「2人とも、すっごく似合ってるよ」
葉月の合図で全員がそれぞれのポジションにつく。
何事かと思っているうちに、春道と和葉の正面にカメラがセットされた。
「ほら、撮るよ。パパとママも笑顔、笑顔」
春道と和葉の肩に顔を乗せた愛娘がにぱっとする。
いつか並んで撮った光景が脳裏に過る。
あの時よりもずいぶん歳を取った。
娘たちは結婚し、孫も生まれた。
春道が素直に幸せを噛み締めていると、その瞬間を永遠に残そうとするかのようにカメラのフラッシュが焚かれた。
*
深夜の自室で、春道は愛妻と寄り添いながら手紙を読んでいた。
「わざわざ和葉と俺とで別々に用意してたなんてな」
箱の中にあった腕時計の保証書の下に、葉月たちからの最後のサプライズとして隠されていたのである。
「たまにはパパにおもいきり甘えたい、か……葉月もまだまだ子供だな」
「……私には春道さんの世話をするから、たまにゆっくりしてと書かれてるわ」
「それは……」
「あの子ったら……いつまで経ってもファザコンなんだから……」
喜べばいいやら、嘆けばいいやら、対応に困る春道だった。
「でも葉月らしくはあるわね。菜月はきっと素っ気ない内容でしょうね」
「……いや、結構ストレートに感謝を書いてくれてるな」
「本当だわ。しつこいくらいに長生きしてほしいともあるわね」
「ちょうど、多感な時期に俺の親父が亡くなったからな」
「身近な誰かがいなくなることを、一番怖がっているのが菜月かもしれないわね」
孫たちの手紙は元気一杯で、見ているだけで活力が沸いてきそうだった。
「あいだほ、ばかり言ってた穂月も立派な手紙を書けるようになったんだな」
「希ちゃんも最近は所構わず寝るケースは減りつつあるみたいよ。その代わり穂月に甘えまくってるみたいだけど」
「実希子ちゃんは心配するどころか喜んでたな」
「昔から希ちゃんを動かそうと、積極的に穂月をけしかけてたからね」
話せば話すほど思い出が溢れてきて、どんどん時間が過ぎていく。
「話題が尽きないくらい、和葉と一緒に生きてきたんだよな」
「ふふっ、そうね。気がつけば春道さんが傍にいない年数よりも、傍にいる年数の方がずっと多くなっているもの」
「言われてみればそうだな……出会った頃はツンケンしてたっけ」
「春道さんもクールぶってたわよ。子供嫌いとも言ってたし」
「お互いに恥ずかしくなるけど……大切な記憶だよな」
「もちろんよ」
手を取り合えば、今も変わらない温もりがそこにある。
「最期まで……俺と一緒にいてくれるか?」
「喜んで」
微笑んだ和葉が、枕元に置いているペアウォッチを見る。
「きっと葉月たちもそう思って、あの時計を贈ってくれたんでしょうしね」
「本当にいい娘たちだよ」
寄り添う腕時計が仲良く同じ時を刻んでいく。
いつまでも。
いつまでも……。
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