第501話 穂月最後のインターハイ、大会後には思わぬ話を聞かされました
春の全国大会も制覇した穂月たちは、暑さが本番を迎える前のインターハイ県予選でも、当然のように優勝候補筆頭に名前を挙げられた。
「おー、なんだか凄い人がいるねー」
穂月の母親や叔母の代から全国大会には出場していたものの、インターハイ連覇など夢のまた夢みたいな出来事だった。それを娘の穂月が叶えたのだからドラマ性は抜群。大会前から地元のテレビ局が熱心な取材をしたこともあり、南高校ソフトボール部の名前は一躍有名になっていた。
「私たちが入学する前までは、知る人ぞ知る古豪みたいな扱いだったらしいです」
物知りな沙耶の説明を受けて、穂月は「おー」と感心する。一緒に辛い練習に耐えてきた彼女は、痩せ型ながらもしっかりと筋肉のついた理想的な体つきに成長していた。それに加えて出るところは出ているので、些細な仕草でゆさっとするたびに、悠里が苛立たしげに物体Xを睨んでいたりする。
「あーちゃんの世代で再び名前を知られ、まーたんの世代で知名度は全国に及び、そして3連覇がかかった今年は話題の中心です」
眼鏡に手を添えて説明をした沙耶は得意気だ。自分も一塁手兼控え捕手として、チームを支えられているのが嬉しいのかもしれない。
「特に名前を知られているのがほっちゃんです」
「え? 穂月?」
「そうです! 小学校、中学校と夏の全国大会を制したエース。高校に進学した途端にインターハイ2連覇。去年までもスカウトっぽい人がちらほらいましたけど、今年は3年生なのでもっと増えると思います」
「おー」
どこか他人事な反応を示す穂月に、沙耶ならず傍で聞き耳を立てていたチームメイトも思わずコケそうになる。
「緊張もプレッシャーもなさそうですわね」
「見知った顔をスタンドに見つけるたび、あわあわし始めるりんりんとは大違いなの」
「……結局、小学生の頃からずっとゆーちゃんさんには虐められ続けてしまいましたわね」
「人聞きの悪いことを言わないでほしいの。ゆーちゃんは単なる事実を告げただけなの。大体、奇妙なあがり症だったり、一般市民なのにいまだに貴族だとか言い張って痛い子扱いされてるりんりんに原因があるの。だから卒業式にも告白されないし、大学からのスカウトも来ないの!」
「うぐっ……ぐうの音もでませんわ……」
色々と自覚があるらしい凛はユニフォーム姿のまま、ガックリとベンチ内に膝をついた。
「はいはい、そのくらいにしておきなさい」
えっへんと腰に手を当てて勝ち誇る悠里の頭に、背後から手が乗せられた。監督の美由紀だ。
「普段通りで試合に臨むのは大事だけど、気を緩ませすぎてもだめよ。まあ、肝心な大会で狂ったように人を呑み込んでいた昔の主将よりはいいけどね」
「昔の主将ー?」
「フフ、本人の名誉のためにも秘密にしておくわ」
軽く微笑み、美由紀がパンと手を叩く。それでも希は起きないので、穂月がベンチで寝ている友人をゆさゆさして起こす。
「まずは予選を突破しないと3連覇もできないわ。地元の期待を背中に感じて、それでもきっちり勝つ姿を見せてちょうだい」
監督らしい美由紀の檄に、穂月たちソフトボール部員は「はいっ!」と返事を揃えた。
*
本格派の穂月と軟投派の悠里。タイプが正反対なので、どちらが先発するかで相手チームの対応が変わる。
それに加え正捕手の希は感覚でリードをするが、控え捕手の沙耶は相手チームのデータを頭に叩き込んでより抑える確率の高いリードをする。
時には2年生の投手も試合に出したりで、南高校はインターハイ予選のさなかでも本選に向けての戦略を着実に試していた。
それを可能とするのが、DPの凛を中心とした強力な打線である。とりわけ3番の希とのコンビは他チームの脅威となっている。
おかげで僅差の試合こそあれど、そこまで苦戦したという感覚もなく、南高校は県予選を制した。
そして今日のインターハイ当日。初戦の先発を任された穂月は、快調に腕を回していた。
「今日はいつにも増して調子が良さそうですわね」
5回表も3人で抑えてベンチに戻ると、凛がタオルとスポーツ飲料の入った紙コップを手渡してくれた。
「うんー、体が軽くていい感じー」
県外で行われるインターハイの最中は皆でお泊りできて、昨夜も寝るまでワイワイ騒いでいたので、その時の楽しい気分がまだ残っているのかもしれない。
同時にインターハイ2連覇でソフトボール部の部費はかなり増額されており、寄付金も過去にない額が集まったらしく、宿泊施設も過去2年よりも贅沢になっていた。
「……油断は禁物」
後輩から受け取ったスポーツ飲料を飲み干しながら、希が忠告する。
「わかってる。前みたいに負けたりするのはいやだもん」
それは中学時代のトラウマでもある。仲間の励ましもあって引き摺ったりはしていないが、戒めとしていまだ心に留めていた。
「ありがとね、のぞちゃん」
「……女房役なんだから、世話を焼くのは当然」
頭をなでなでされ、穂月はえへへと笑う。何故か悠里が「ゆーちゃんもキャッチャーを目指してればよかったの」と悔しげにしていたのが印象的だった。
*
南高校は順調に勝利を重ね、決勝戦まで駒を進めた。弥が上にも周囲の期待は高まり、普段は閑散としがちだという球場も満員になるほどだった。
「決勝戦の先発はやっぱり高木投手か」「そのために準決勝は野々原投手に任せたんだから当然だよ」「初戦で完全試合を達成したエースがどういうピッチングをするか今から楽しみだ」「あの逸材は是非ともウチの大学に欲しいな」
ザワつくスタンドから、色々な会話がグラウンドに降り注ぐ。いつにない光景に心が乱れかけるも、応援席で見慣れた顔を見つければ途端に落ち着きを取り戻す。
「……ほっちゃんのご両親とお祖父ちゃんお祖母ちゃんが応援に来てるね」
「菜月ちゃんもいるよ。茉優ちゃんもいるから、きっと本店も支店も休みにしちゃったんだねー」
「……仲が良くて羨ましい」
「のぞちゃんママも一緒だよー。あ、なんか菜月ちゃんに怒られてる」
「……見ないようにしてるんだから教えないで」
1番の親友との会話で緊張はすっかりなくなり、穂月は試合が始まると同時に満面の笑みを浮かべ、誰にともなく告げる。
「今日も全力で遊んじゃうよ!」
*
夜の宿舎にグラスを打ち鳴らす音が響く。南高校のために用意された宴会場で、たくさんの笑顔が咲き乱れていた。
「まさか本当に3連覇しちまうとはな!」
赤ら顔で絡んでくる希の母親の息はとても酒臭い。娘のチームの偉業を自分のことのように喜び、さっきからずっとニヤケっぱなしだ。
「……ほっちゃんに迷惑かけないで」
「今日くらい固いこと言うなっての。希も呑むか? ん? ん?」
「……未成年は飲酒禁止。母親が法を犯させようとしてどうする」
「ハッハッハ、気にすんなって。ほら、どーんと母ちゃんの胸に飛び込んで来い!」
希はため息をつき、もはや支離滅裂になりつつある母親の襟首を掴んでズルズルとどこかへ引き摺っていく。娘に構ってもらえているからか、それでも希の母親は嬉しそうだった。
「おめでとう、穂月。ママも鼻が高いよ」
「ありがとう。でも、まだ春也の本番が残ってるから」
「確かに……家族の試合って自分のことより気になるよね」
「だからって毎回店を閉めてまで駆け付けるのはどうかと思うわ」
「またまたあ、なっちーってば心にもないこと言っちゃうんだからあ」
うりうりと葉月に肘で小突かれた菜月は鬱陶しそうに払うと、改めて穂月にお祝いの言葉を贈った。
たくさんの人に祝福され、自然と穂月も笑みを浮かべっぱなしになる。友人たちもそれぞれの家族と楽しそうにはしゃいでいた。
*
インターハイも終わり、あとは地元に帰るだけとなった当日、穂月は宿舎を出発する前に顧問の美由紀に声をかけられた。
ちょっといいかと問われ、元気に頷いた数分後。穂月は宿舎が用意してくれた一室で、なんだか偉そうな女性2人組と対面していた。
「はじめまして、高木さん。私たちはこういう者です――」
長方形の木製テーブルを挟んで向かい合う相手が差し出してきた名刺には、誰もが名前を知っているような大学名が書かれていた。
「率直に言うと、高木さんをスカウトに来ました。細かい条件はあとで話し合うことにして、まずは入学の意思があるかどうかをお聞かせ願えませんか?」
「ふおおっ!?」
予期せぬ事態に穂月が大仰に驚くと、同席中の美由紀が苦笑した。
「実は大会前から穂月ちゃんにはかなりの数の話が来てたのよ。大会に集中してもらいたいのもあって、私のところで止めていただけでね。ちなみに葉月ちゃんは全面的に穂月ちゃんに任せるそうよ」
「おー」
名刺を両手で持ち、じっくりと観察してみる。その様子が興味ありと映ったのか、ここぞとばかりに大学のソフトボール部監督とマネージャーだという2人がチームのアピールをする。
だが穂月の答えは最初から決まっていた。
「良いお話をありがとうございます――」
*
南高校ソフトボール部で貸し切っているバスの車内は、穂月が受けたスカウトの話で盛り上がっていた。普段なら帰りの移動は眠っている部員が多いので、全員が起きているというのはある意味で異例だった。
「でもお断りしてよかったんですの?」
監督に呼ばれた事情を皆に説明すると同時に、穂月は断ったことも合わせて教えていた。
「もちろんだよ、だって穂月は皆と一緒がいいもん」
その言葉に仲間たちがほっこりした表情を浮かべる。
「そうですわよね、あーちゃん先輩やまーたん先輩もいますし、全員で県大学へ行くのも悪くありませんわ」
「……まあ、アタシはどこであろうと、ほっちゃんと同じ大学を受けるつもりだったけど。色々とスカウトの名刺も貰ってるし」
穂月が有名なら、攻守に優れた正捕手の希も名前を知られていた。おかげで穂月のあとに、同じ大学の関係者から声がかかったという。
「私もほっちゃんと同じ大学を受験するつもりでした」
学力に優れた沙耶は、穂月がどこを選ぼうとも一般受験でついていくつもりらしかった。
「実はゆーちゃんにもスカウトの話がきてたの」
穂月ほど突き抜けた実力はなくとも、悠里も2番手としてインターハイを勝ち抜いた投手である。大勢の目に止まっていて当然だった。
「……おかしいですわね。わたくしにはそういったお話は……ハッ! わかりましたわ! ほっちゃんさんと同様に、美由紀先生が精神面の負担を考慮して、あえて伝えなかったのですわね!」
瞳を輝かせる凛に対し、美由紀は酷く申し訳なさそうに、
「興味を持ったチームはあったのだけど、練習を見学に来た関係者が凛の守備を見るなり、ターゲットを他の選手にしてしまったのよ」
「そ、そんな……」
「ぶほっ! さすがりんりんなの。期待を裏切らないの。早速あーちゃんとまーたんにも教えるの!」
「お待ちください! ゆーちゃんさんはどうしてそんなに楽しそうなのですかあああ」
凛が吠えて、皆が笑う。
最初から最後までこんな感じだったなと微笑みながら、穂月は車窓から青い空を走る白い雲を目で追いかけた。
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