第128話 和葉の誕生日と特製ゼリー

 その日、春道は朝から機嫌がよかった。

 朝食後、愛娘を学校へ送り出した和葉が「ずいぶんとご機嫌ですね」と言ってくるくらいだった。


「まあな。なんといっても、今日は和葉の誕生日だ。俺と違って覚えてるだろうからサプライズにはならないだろうが……もちろんパーティーをするぞ」


 春道と和葉の誕生日はおよそ2ヶ月違い。今度は彼女の番だ。さぞかし喜んでくれると思いきや、何故かギクリとした様子を見せる。


「もうこの年齢になると、誕生日をわざわざ祝っていただかなくても結構です。おばさんになるのを自覚させられるみたいで、辛くて……」


 今にも涙を流しそうに、切なげな表情を浮かべる。かなり絶妙に演技をしているが、春道には通じない。


「気にするな。年齢を重ねた和葉も綺麗だ。俺はそのお祝いをしたいんだ」


「春道さん……」


 見つめあったあとで、和葉が微笑む。


「どうしても、遠慮するわけにはいきませんか?」


「うん、無理」


 春道も笑顔で言葉を返す。


「葉月もきっと張り切るだろうな。和葉の好物で、どんなデザートを作ってくれるのか楽しみだ」


 春道がそう言うのには、もちろん理由がある。先日の自分の誕生日で、愛娘に鮮やかな黄緑色のプリンを作られた。それを葉月の友人たちへご馳走してあげたところ、とんでもない勢いで妻に怒られた。その際に彼女はこう言ったのだ。


 ――せっかくの愛娘のプレゼントを他人にあげるとは何事ですか。私なら、ひとりで綺麗にいただきます。


 記憶に残っている言葉を一字一句正確に吐き出し、春道はニヤリとする。


「俺とは違って、誠実で優しい和葉のことだ。きっと愛娘が見てる前で、残さず平らげるんだろうな」


「もちろんですが、私は誠実で優しいので、春道さんにもお裾分けをしてあげますね」


「いやいや、せっかくの和葉さんへのご馳走を、俺なんかが貰えないよ」


「まあ、そんなに遠慮なさらずとも結構ですよ」


 再び2人で笑い合う。声だけ聴けば和やかだが、リビングには通常とは違う独特の緊張感があった。すでに葉月が特殊な料理を作ること前提なのが、少しだけ物悲しい。

 とはいえ、ここでまともな料理を出されては、誕生日のサプライズプレゼントにはならない。愛娘には思う存分、自由に腕を振るってもらう必要がある。


「ずいぶんとあくどい顔をしていらっしゃいますよ。何を企んでいるのですか?」


「和葉を喜ばせるためのサプライズさ。葉月が帰ってきたら、一緒に買い物へ行かないとな」


「あら、それには及びません。私が一緒に行きますから」


「主役は家でおとなしく――じゃない、優雅に過ごしてればいいのさ。決して、葉月の料理の手伝いはしないようにな。代わりに俺がやるから」


「……ああ、そういえば今日――」


「和葉に予定がないのは、事前に調べてある。俺に抜かりはない」


「……相当に性格が歪んでますね。夫として、相応しい態度を望みます」


「だから、妻の誕生日を祝おうとしてるんじゃないか。心からね」


 決着のつかない会話をしてるうちに、昼食時になり、やがて葉月が小学校から帰宅する。彼女も当然、母親である和葉の誕生日を覚えていた。


「今日は腕によりをかけて、ママのためにご飯を作ったりするからね」


 普通なら親として、これ以上嬉しくなる娘の言葉はない。しかし、高木家の場合は他と少し事情が違う。

 なにせ少し前まで、食材を切る時には「どーんっ」という盛大な掛け声を発して、まな板へ包丁を叩きつけていたレベルなのだ。

 和葉の懸命な指導によって、最近は人並み以上の腕を誇るようになったが安心は禁物。先日の春道の誕生日みたいに、従来の独特すぎる料理センスが突然にして顔を出すパターンがあるからだ。


   *


 春道も買い物へついていこうとしたが、葉月本人に断られた。料理が母親の和葉へのプレゼントになるため、自分で選んだ食材を自分のお小遣いで購入したいというのが理由だった。再びリビングには、春道と和葉の2人だけになった。


「どうした、和葉。せっかくの誕生日なのに、浮かない顔をしてるぞ」


「……気のせいです。葉月は私の娘。やる時にはやる子です。私はあの子を信じますっ」


 何かを決意したかのように、和葉が座っていた椅子からいきなり立ち上がった。


「確かに、俺の誕生日にもやってくれたからな」


「……それを言わないでください」


 先ほどまでの勢いはどこへやら。表情を曇らせた和葉が、腰を抜かしたように椅子へお尻を下ろす。もしかしたら、春道が食べるはめになった黄緑色のプリンを思い出してるのかもしれない。


「野菜プリンというアイディア自体は、決して悪いものではないのですけどね」


 俯き気味だった顔を、和葉が上げる。


「まあな。問題はどうして、調味料まで俺の好物を選んだのかということだ。柚風味のぽん酢が好きだからといって、それをメインの味つけにするのは、どう考えても間違ってる」


「……春道さんの誕生日のあとで注意はしました。なので、素晴らしい誕生日プレゼントになるのを期待します」


「……可能性は低いけどな」


「どうして春道さんは、そうなのですかっ。私を絶望させて、何が楽しいというのですっ」


「あっ、静かにしろ。葉月が買い物から帰ってきたぞ」


 勢いよく開閉される玄関のドアの音で、口論が停止する。喧嘩というほどではないが、こんな場面を葉月に目撃されたら大変だ。和葉もすぐに笑顔を作り、愛娘が来るのを待つ。


「ただいまー」


 買ってきたスーパーの袋を持ったまま、葉月がキッチンへ行く。

 春道と和葉は即座に様子を見ようとするが、今回は母親にさえも手伝わせる気はないみたいだった。


「葉月がひとりで料理するのー。パパとママはあっちー」


 唇を尖らせた葉月によって、気が散るからという理由で春道と和葉はリビングから追い出されてしまった。

 せっかくだから2人で散歩をとも考えたが、葉月をひとりにしておいて、料理中に何かあればマズい。仕方なしに、春道の私室で過ごすことになった。


「春道さんは掃除も自分でなさってますからね。この部屋へ入るのも、久しぶりな気がします」


「葉月はよく、どーんとか言いながら入ってくるけどな」


「あの子は、どこでその、どーんという掛け声を覚えたのでしょうね」


 さあ、と言って春道は首を傾げる。確かに謎だが、真相を究明しても何の解決にもならない。あくまで問題は掛け声ではなく、愛娘独特の料理の感性だ。


「何を作ってくれるつもりかは知らないが、俺たちを喜ばせようとしてるのに変わりはないしな」


「そうですね。それに、誕生日プレゼント以外はまともな料理がでてくるでしょう」


 春道の誕生日にも葉月がメインで料理を作ってくれた。グラタンなどが並び、どれも舌鼓を打つほどに美味しかった。その点だけは春道も心配していない。


「そういえば、俺も和葉にプレゼントがあるんだ。せっかく2人でいるし、今、渡してしまおうかな」


 自分の誕生日には懐中時計を貰ったので、そのお礼も含めて事前に用意していた。妻が喜んでくれるかはわからないが、一生懸命に悩んで購入した品だった。


「これだ」


 誕生日前にバレないように隠していた私室の奥から、綺麗にラッピングされた大きな箱を取り出す。

 持ったまま妻の正面へ座る。間近で顔を見ると、なんだか照れ臭くなった。


「誕生日おめでとう」


 春道がそう言ってプレゼントを手渡すと、妻は「ありがとうございます」と受け取った。


「開けてもいいですか?」


「もちろん」


 感動した様子で箱を開けた和葉は「まあ……」と言ったきり、絶句する。

 春道が用意したプレゼントは、ワンピースタイプのロングドレスだった。生地の薄い青色が、パーティーなどにも着ていけそうな優雅なデザインを引き立てる。

 価格もそこそこしたが、和葉に似合いそうだと思ったので奮発した。


「こ、こんな高そうなドレス……貰えません」


 喜ぶよりも、妻は申し訳なさそうだった。


「たまにはいいじゃないか。それなら友人の結婚式にも着ていけるから、服を新調しなくていいだろ」


 春道の言葉に、和葉が驚いた様子を見せる。


「どうして知っているのですか?」


「たまたまリビングへ行った時に、テーブルに案内が上がってたからな。詳しくは見てないが、結婚式のだというのはわかった」


 和葉の性格上、葉月や春道の世話があるからなどの理由で断りかねない。

 大丈夫だからと言えば、今度は服を新調するお金が勿体ないと返すだろう。

 だから先手を打って、誕生日プレゼントという形で結婚式にも着られるようなドレスを贈ろうと考えた。


「家計を支えようと、色々節約してくれてるのには感謝してる。だからこそ、俺のへそくりでドレスをプレゼントしたいんだ。

 毎日のありがとうと……愛してるを込めてね」


「春道さん……やることも台詞も格好つけすぎです」


 妻が瞳に薄らと涙を滲ませる。

「だろ? だから2人きりの今、プレゼントを渡したんだよ。葉月に見られたら、からかわれそうだしな」


 照れ臭さを誤魔化そうと笑ってみた。顔は熱いままなので、恐らくは赤面してるはずだ。こういうやり方は慣れてないが、たまにはいいだろう。


「春道さんが、私のために選んでくださったんですか?」


「ああ。女性用のお店にひとりで入ったから、恥ずかしかったけどな」


 それとなく聞いた和葉の身長や体重をもとに、合いそうなサイズのドレスを選んでもらった。妻へのプレゼントなんだと呪文のように繰り返していたのが記憶に残ってるので、話してる以上に緊張してたのは間違いない。


「ウフフ。ありがとうございます。でも、本当に貰っていいのでしょうか……?」


「え? 俺の愛を貰ってくれないのか?」


「……もう。そう言い方はずるいですよ。

 でも……ありがとうございます」


 ここでようやく和葉が、満面の笑みを見せてくれた。

 幸せな雰囲気が漂い始めたところで、急に私室のドアが開いた。


「あ、パパもママもここにいたー。お料理できたよ……って、あーっ」


 最初に部屋へ突入してきた時よりも大きな声を上げて、葉月が和葉を指差した。

 正確には、和葉が両手で大事そうに抱えているドレスを。


「何それーっ」


 駆け寄る葉月に、和葉がドレスを見せてあげる。


「いいでしょう?

 春道さんが……パパがママにプレゼントしてくれたのよ」


「そうなんだー。わあ……綺麗だねー」


「ウフフ。ええ、とても綺麗だわ」


 愛しそうにドレスを眺める妻の横顔に、春道はドキリとする。あともう少しで、娘が側にいるのも構わず「和葉の方が綺麗さ」などと言いそうになってしまった。

 雰囲気に呑まれてしまってるのかなと、内心で苦笑する。


「それより、葉月はどうしてここに? 料理を作ってたんじゃないのか?」


「そうだった。できたから、パパとママを呼びに来たのー」


 いつの間にか部屋へ来てから2時間以上が経過していた。

 外も夕暮れ時を過ぎ、夕食をとっても問題のない時刻だった。


「それじゃ、皆で食べに行きましょう」


 上機嫌の和葉が、持っていたドレスを丁寧に箱へしまってから言った。とりあえずはこの部屋へ置いておき、あとで取りに来るみたいだった。


 家族揃って階段を下りてリビングとダイニングが繋がってる部屋へ入る。テーブルの上には、葉月が作ったと思われる美味しそうな料理が並んでいた。


「まあ、美味しそうね」


 感想を言った和葉の隣で、葉月がにぱっとする。


「それでね、これは葉月からママへの誕生日プレゼントーっ」


 テーブルのど真ん中にあった四角い箱を、葉月が自ら開けて披露する。中から出てきたのは、実に巨大なゼリーだった。薄い桃色で、見栄えはとてもいい。


「ママはゼリーが好きだから、ケーキの代わりにゼリーにしてみたのー。凄いでしょー」


「ええ、とても驚いたわ」


「ちゃんとパパの時と同じように、ママの好きな味つけにしたからね」


 にこにこ笑顔の葉月の発言に、和葉が硬直する。


「私の……好きな味……ですか?」


「うんっ。前にママ、一緒にラーメンを食べてたら、胡椒がよく合うねって言ってたよね」


「こ、胡椒っ!?

 た、確かに言いましたけど、それはラーメンの話であって、ゼリーとは相性が……」


「大丈夫だよ。ちゃんと唐辛子とかも使ってるからー」


「な、何が大丈夫なのですかっ」


 泣きそうになってる和葉の隣で、春道は呟く。


「このピンクは、唐辛子が薄まった色だったのか……」


「何をしみじみ言ってるのですかっ。春道さんにも食べてもらいますからねっ」


「お、俺は関係ないだろ。だって、今日は和葉の誕生日じゃないかっ」


 誰かの誕生日であろうとなかろうと、いつもと同じように高木家の食卓は賑やかだ。ほんの少しどころか、だいぶピリ辛かったが、それでも幸せだと実感できた1日だった。

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