第498話 新年から勃発した女同士の争い、勝敗の行方と少女の悲鳴

 東北の冬は早い。秋が来たかと思ったらあっという間に雪がチラつき、暖房器具なしでは生活できなくなる。


 とりわけ起床の早い春也の身には余計に寒さが染みる。布団から出るなりすぐに小型のファンヒーターをつけ、体温の残る布団に戻って部屋が温まるのを待つ。


 普段ならため息交じりの白い吐息を立ち昇らせるところだが、今日ばかりは頬が緩むのを抑えきれない。


 冬休みに入ってクリスマスが終わるなり、春也の頭の中は今日の正月――というよりも貰えるお年玉のことで一杯になっていた。


「何に使おうかな。グラブを新調しようかな」


 正月はさすがに部活も休みなので、のんびりと温度が上昇の兆しを見せる室内で体をほぐす。パジャマのままでリビングに行けば身支度くらい整えろと祖母に注意されてしまう。いまだに母親はあまり頭が上がらないみたいなので、お年玉のためにも不興を買うのだけは避けなければいけなかった。


 準備を終えてリビングに入ると、すでに姉がダイニングテーブルに座ってお節料理を摘まんでいた。両親も祖父母も、ついでに叔母夫婦も揃っている。


「あけましておめでとうございます」


 全員と新年の挨拶を交わしてから、姉の隣に腰を下ろす。ここが幼少時からの春也の定位置だった。


 テーブルの中央に積み重ねられた小皿を取り、同じくずらりと並べられているお重から目当ての料理を確保する。真っ先に狙うのは鯛入りの紅白の蒲鉾だ。さらに里芋などの煮物で栄養バランスも満たしていく。


 朝食を終えるとお待ちかねのお年玉タイムだ。当初は気を遣って祖母が祖父に手渡させていたが、別に男が渡さなければいけない理由もないだろと、もう60代後半なのにまだ年若く見える祖母からポチ袋を受け取った。中身は確認するまでもなく五千円だとわかる。ちなみに高校生の姉は一万円だ。


 母親と叔母からのお年玉も同額で、これから訪れるであろう友人たちの親ともそう決めているみたいだった。


   *


 智希の母親の襲来と同時に、高木家から新年の厳かさは消え、朝っぱらからの宴会会場に早変わりする。新年は無礼講だからと、普段は何かと厳しい祖母もこの時ばかりはあまり小言を口にしない。


 その祖母は祖父と一緒に少しだけ皆と会話を交わしたあと、2人でお参りなどに出掛けるのが日課になっている。誘われる祖父はまた荷物持ちかなんて愚痴を言ったりせず、とても楽しそうにしていた。祖父母の仲の良さに触発されて、春也の両親も仲睦まじくするので、高木家の平和は2人によって保たれているのかもしれない。


「春也は何をお参りするの?」


「もちろん野球……と言いたいところだけどそっちは実力でなんとかするから、神頼みするのは片想い中の女性とのことかな」


「おー」


 姉の問いかけに格好つけて返すと、周囲から微笑ましいものを見るような目を向けられた。唯一、陽向だけは顔を背けていたが、真っ赤になっている耳を見れば、恥ずかしがっているだけなのがわかる。


 智希や晋悟だけでなく、姉の友人たちも勢揃いしているので、それなりの大所帯になっていて周囲から目立つ。その影響か、クラスメートにも簡単に見つけられる。そしてその中に、学校生活で何かと一緒にいる女マネージャーもいた。


「春也君、こんなところで奇遇だね」


 振袖ではなくコートとロングスカート姿のマネージャーだが、制服姿しか知らないだけに、なんだか妙に新鮮だった。


「マネージャーも初詣か」


 嬉しそうに頷いた要と会話が続きそうになったところで、春也を押し退けるようにして1人の女性が前に出た。


「あなたが春也君に気があるとかいう野球部のマネージャーなの?」


 いつになく怖い顔をした悠里だった。片想い中の陽向が嫉妬心から敵意を剥き出しにするのであれば嬉しかったが、その当人は真顔で状況を見守っているだけだ。


 春也は若干のつまらなさを感じつつも、喧嘩に発展したらマズイので、いつでもマネージャーを助けられるように身構える。


 なんやかんやで何年もソフトボール部のキツい練習に耐えている悠里は他の女子に比べて力があるし、逆に押し負けるようなことがあったとしても彼女の周りには希や凛といった男子にも勝てそうな女性が控えている。いつも眠たげな希も、仲間内――特に穂月に危害が及びそうな場合は率先して前に出るのは周知の事実だった。


「は、はい……」


 悠里の雰囲気に、早くもマネージャーは若干気圧されているようだ。


「話は春也君から聞いたの。あなた、ゆーちゃんをちっこいって言ったそうなの!」


「ええ!?」


 人差し指を突きつけられたマネージャーは、予測していなかったらしい文句に目を見開いて後退りした。


「落ち着いてくれ、ゆーねえちゃん」


 涙目のマネージャーをかばうように悠里の前に立つと、その要が嬉しそうに表情を輝かせてジャンパーを掴んできた。


「マネージャーはゆーねえちゃんを背が低いって言っただけで……あれ? 同じことか……」


「春也君!?」


 顎に手を当てて顔を傾ける春也。背後のマネージャーが絶叫するように名前を呼ばれ、とりあえず気を取り直す。


「まあ、あれだ。きっと可愛らしいって意味だったんだよ」


「そ、そうです、その通りですっ! 野々原先輩はとっても素敵な女性です! 私の憧れです!」


 凄まれたのがよほど怖かったのか、畳みかけるようによいしょするマネージャー。


 身長が伸びないのを気にしている悠里だけにその程度では怒りが収まらないかと思いきや、腰に手の甲を当てて満更でもなさそうに鼻息を荒くする。何故かチラチラと春也の姉を見ていたりもするが。


 とりあえず問題の人物の機嫌が直りつつあることに安堵していると、一難去ってまた一難とばかりに新たな人物が進み出た。


 だがその女性はマネージャーに絡むのではなく、酷く真面目な顔つきで春也を見てきた。


「ずいぶんとその女を肩を持つじゃねえか」


「そりゃ同級生だし、ゆーねえちゃんの方が年上だし、弱いと思う方を守るだろ」


「ふうん? 本当にそれだけか怪しいもんだな」


 意味不明に不機嫌な想い人に不思議がっていると、何かを感じ取ったのか、よせばいいのにマネージャーが陽向との距離を詰めた。


「あ、あのっ、私、御子柴要って言います! 野球部のマネージャーをしてて、その……春也君のことが大好きですっ」


 ギュッと拳を握りつつ、背伸びをして陽向と目線を合わせる要。怖いのかプルプルと脚を震わせているものの、決して相手から目を逸らそうとしない。


「そうかよ……俺には何の関係もないけどな」


「そりゃないだろ。俺が好きなのはまーねえちゃんなんだから」


「ぶっ!? お前……!」


 フンと鼻を鳴らして、回れ右をしようとした陽向が驚愕に顔を歪めた。一方でマネージャーはやっぱりと、力強い眼差しを向けたまま頷いた。


「私と勝負してください! ええと……」


「……西野陽向だ」


「ありがとうございます。では改めて西野先輩! 春也君を賭けて勝負です!」


「いや、俺、景品じゃないんだけど」


   *


 春也の抗議は聞き入れられず、すったもんだの末に新年から高木家近くの公園でソフトボール勝負をすることになった。


 希が春也の姉と一緒なので智希は当たり前として、面倒見の良い晋悟もチームメイトとマネージャーとの問題なので律儀に付き合ってくれていた。


 公園のど真ん中で対峙する陽向と要。一方で春也は審判役に任命された。


「これって、あれだよね、私のために争うのはやめてってやつだよね! いいな、春也、いいな。お姉ちゃんも言ってみたかったなー」


「俺は一度も言ってないし、それとねえちゃんは変な希望を持たないでくれ。すぐ近くに目の色を変えそうなのが、丁度2人いるんだからさ」


「おー?」


 今にも視線をぶつけ合いそうな希と悠里に、平和な姉はまったく気づいていないみたいだった。それはそれで面倒事が少なくていいのかもしれないと春也は思った。


「俺が投げるボールを、お前がヒットにできれば勝ちだ。機会は2打席。それでいいな」


 陽向に頼まれて、経験者の希がキャッチャーミットを構える。小山田家に寄っている暇はなかったので、高木家にあった叔母のを借りている。


「だが無理はするなよ。経験者でもない奴が俺のボールを打てるとは思えねえからな」


 見下すような言動の陽向。引退したとはいえ元ソフトボール部の主将まで務めた彼女だ。圧倒的に有利なのは誰の目にも明らかだ。


 非難がないのは陽向が春也の姉の友人だからではなく、この勝負内容を決めたのが他ならぬ要だったからである。


 野球部のマネージャーをしているからといって、ソフトボール部員のボールを打てるとは思わない方がいいと春也も忠告したのだが、相手の得意分野で打ち勝ってこそ価値があると要は譲らなかった。


「私は打ちます! そして春也君への想いの強さを証明してみせます!」


「いい度胸じゃねえか、気に入ったぜ」


 振りかぶる陽向。バットを握る手に力を込める要。


 そして春也の背後で素っ頓狂な声を上げる姉。


「なんだよ、どうかしたのかねえちゃん」


「まーたんって確か……」


 姉が言い終わるより早く、何かがぶつかる音と「うごっ」とおよそ女性らしからぬ悲鳴が上がった。


 春也が慌てて振り返ると、マウンド上で焦りまくる陽向と、太腿を押さえて背中を丸めるマネージャーがいた。


「とんでもないノーコンで、小学校の頃からピッチャーやっちゃ駄目って言われたんだよねー」


「そういやそうだった!」


 同じ部活に所属していたわけでないため、話には聞いていてもすっかり忘れていた春也だった。


 こうして急遽1打席のみになった勝負は引き分けに終わり、未経験者にゴムボールとはいえ死球を喰らわせた陽向は、元旦から営業中のスーパーで要に謝罪のスイーツを奢りながらぺこぺこと頭を下げるはめになった。

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