第169話 葉月の文化祭と新人戦

 夏休みが終われば、すぐに衣替えの季節がやってくる。夏好きな人は寂しいだろうが、春道にとっては過ごしやすくなるのでありがたかった。

 外に出ても肌着が汗でビショビショにはならないので、気軽に散歩もできるようになった。

 先月の誕生日に葉月からプレゼントされたスニーカーをはき、少しだけ爽やかな気分で青一色の空を見上げた。


「葉月から貰った靴をはいて歩きたい気分はわかるけど、ひとりだけで先に行かないでね」


 少しして、家から菜月を連れて出てきた和葉が苦笑する。

 確かに、必要以上にテンションが上がってるかもしれない。ごめんと謝ってから、なんとか冷静さを取り戻そうとする。


「こんな姿を葉月に見られたら、からかわれてしまうな」


「フフ。あの子なら、きっと喜びますよ」


 春道は普段のジャージではなく、スーツほどではないがきちっとした服装だった。和葉や菜月も余所行き用の服だ。


 十月の日曜日の昼下がり。

 春道は和葉や菜月と一緒に、葉月が通う中学校へ出かけようとしていた。理由は招待されたからだ。


 葉月たちの中学校は、先日の土曜日から文化祭を行っていた。

 初日は生徒だけで楽しみ、二日目からは生徒以外の人も参加できるようになる。

 色々な出し物などもあるみたいで、絶対に来てほしいと言われたのが数日前だった。愛娘らの出し物が劇でなければいいなと思いつつ、春道は承諾した。


 三歳になった菜月も連れて、葉月の所属する中学校へ向かう。

 自転車で通う愛娘とは違って徒歩なので、時間もそれなりにかかる。まだ幼い愛娘を気遣い、ゆっくりした足取りで歩く。

 半ばピクニックでもしに行くかのような感覚で、楽しくお喋りをしながら足を動かし続けた。


 目的の中学校へ到着すると、校門が文化祭用に飾り付けられていた。三年生にとっては、受験前にはしゃげる最後の機会となる。中庭あたりで出店を担当している生徒は、ほぼその三年生たちみたいだった。


「葉月はどこにいるんだろうな」


「そういえば……聞いてませんでしたね。とりあえず、教室へ行ってみましょうか」


 校舎内へ入り、葉月の所属する教室まで移動した。

 教室内では輪投げが行われていた。葉月が担当してるかと思って探してみたが、見当たらない。輪投げを菜月にさせるより先に、まずは行方不明の葉月を見つけようという話になる。

 一度教室を出ると、偶然にも仲町和也が通りかかった。


「あれ、葉月ちゃんのお父さんですよね」


 目が合ったのもあって、向こうから話しかけてきた。

 頷いた春道は「こんにちは」と挨拶をしてから、葉月の居場所を知らないか尋ねた。


「ああ、彼女なら、ソフトボール部の出し物を担当すると言ってましたよ。今頃は多分、グラウンドにいるんじゃないかな。案内しますよ」


 過去に葉月を虐めた経験のある男子生徒だが、今ではすっかり好青年という感じだ。以前に葉月から聞いた話では、クラスで虐めが発生すれば率先してやめさせようとするみたいだった。

 昔の過ちを教訓に、このまま正義感豊かな青年に成長してくれるのを心の中で願った。


 和也の案内で、ソフトボール部の出し物をしている場所まで到着する。練習用のユニフォームを着ている佐々木実希子が、すぐにこちらへ気づいた。

 駆け寄ってきた実希子とバトンタッチをして、和也が「俺はこれで」と自分のやるべき仕事へ戻っていく。

 三人でお礼を言ったあと、実希子に葉月について尋ねる。


「ああ、こっちにいますよ。今はお客さんの相手をしてます」


 実希子が教えてくれたとおり、葉月は出し物に来た人たちの相手をしていた。

 ソフトボール部では、コントロールテストなるものを開催中だった。

 ひっくり返したバケツの上に、番号を書いた画用紙を立てる。それを指定された投球数で、すべて倒すことができるかという内容だ。

 よくテレビ番組で、似たような主旨のゲームをやっていたりする。制作費を貰えない中学生の手作りだけに、テレビのものには到底及ばないが、父母や小さい子供には人気みたいだった。


 担当していた組が終わったところで、実希子が葉月と交代してくれた。

 春道たちが来てるのも教えたみたいで、練習用のユニフォーム姿の愛娘がダッシュで近づいてくる。


「菜月も来てくれたんだね。いらっしゃい」


「仕事中だったんじゃないのか?」


「大丈夫だよ。パパたちが来たら、休憩に入るねって言ってたから」


 そう言って葉月は、顔の横でOKサインを作った。そのあとで、せっかくだからコントロールテストに参加してみないかと提案してきた。

 遠慮した春道に代わって、やってみると発言したのは妻の和葉だった。まだ小さな菜月にソフトボールを投げるのは難しいだろうから、春道と一緒に見物側へ回る。


 春道と菜月に応援され、指定された位置から和葉が最初の一球目を投じた。狙ったところへ寸分違わずに命中し、数字の書かれた画用紙を倒す。

 次々とチャレンジを成功させ、なんと和葉はコントロールテストをあっさりクリアしてしまった。


「凄い。完全制覇したのは、ママが初めてだよ」


 現役ソフトボール部員の葉月も驚きの声を上げた。


「それは光栄ね。ウフフ。挑戦の際に、春道さんの顔を思い浮かべたのが良かったのかしら」


 衝撃的な発言の意味を詳しく聞けず、春道は笑顔の妻と目を合わせられなかった。

 散歩すると言ってコンビニで唐揚げを購入して、ひとりで食べていたのがバレていたのだろうか。

 冷や汗をかきながら、ぎこちない笑みを浮かべる。


「ハ、ハハハ……和葉からの強い愛を感じたよ……」


 それくらいしか言えなかった。周囲からはにこやかにしか見えない表情を維持しながら、春道と菜月のところまで戻ってくる。


「買い食いは、ほどほどにしてね」


 耳元で放たれたひと言により、和葉の怒りの理由を正確に知った。言葉もなく頷いた春道は、しばらくの間はおとなしく言うとおりにしておこうと決めた。


 和葉がコントロールテストを終えたあとは、家族揃って文化祭の出店を見て回る。在校生でもある葉月が、春道たちを案内する。

 途中途中で、生徒たちが作っているやきそばやたこやきを購入する。休憩コーナーで食べつつ、どのクラスがどんな出し物を行っているのかを教えてもらった。


 少しだけ休憩をしたあと、今度は葉月たちのクラスへ向かう。葉月が妹の菜月に、輪投げをさせてあげたいと言い出したからだ。

 教室へ到着し、葉月が菜月を紹介するなり、クラスメート――とりわけ女生徒が大勢集まってきた。


「はじめまして、高木菜月です」


 自己紹介をした菜月が、丁寧にお辞儀をした。


「凄いっ。三歳って、こんなに礼儀正しいの? 葉月ちゃんの妹だなんて信じられない」


 クラスメートの発言に唇を尖らせるも、妹の菜月が褒められるのは葉月も嬉しいみたいだった。

 手を繋いで教室の中へ連れて行き、輪投げを遊ばせる。春道と和葉は廊下で見守ってるだけでよかった。


「菜月が生まれた当初に赤ちゃん返りをしかけた時は、どうなるかと思ったけどな」


「フフ。確かにそうだけど、葉月の前では言わないであげてね。あの子、またむくれてしまうから」


 夫婦間でそんな会話をされてるとも知らず、すっかりお姉さんらしくなった葉月は、自身の休憩時間が終わるまで菜月と遊んでくれた。


   *


 文化祭も終わり、ようやく一段落かと思ったら、葉月には新たなイベントが待っていた。三年生が抜けた一年生と二年生のチームで挑む新人戦だ。


 葉月が慕っている高山美由紀という先輩が主将で、ピッチャーも務めるみたいだった。今回の大会では、葉月や今井好美もベンチ入りできたと嬉しそうに報告してくれた。

 試合に出場するかどうかはわからないが、地元の球場で試合をやるので、春道と和葉は観戦に訪れた。もちろん菜月も一緒だ。


 春道たちが球場へ到着した頃には、試合が開始されていた。

 夏の大会からベンチ入りしていた実希子は、新人戦ではセンターのレギュラーとして出場中だった。

 葉月と好美は試合用のユニフォームを着て、ベンチで必死に応援中だ。それに応えようと、グラウンドにいる選手たちが全力でプレイする。


 応援席にはベンチに入れなかった部員たちが、メガホンを持って精一杯に声を出す。

 部員数はさほど多くなくとも、全員がベンチに入れない状況で、葉月は背番号を貰った。それだけで、なんだか誇らしい気持ちになるのは、春道が親バカだからかもしれない。


 投手の美由紀が懸命に投げる。しかし六回に三点を奪われて五対一。

 これで勝敗はほぼ決した。裏の攻撃で実希子が二塁打を放つも、得点には繋がらない。

 残すは最終イニングだけとなったところで、春道の目が丸くなった。


「お、おい……マウンドにいるのって……」


「はい……葉月、ですね……」


 春道同様に、妻の和葉も驚きを隠せずにいた。なんと美由紀に代わって、この回から葉月がマウンドに登ったのだ。

 緊張した面持ちで投球練習をこなし、相手打者とこの試合初めて対峙する。


 ダイナミックなピッチングフォームに勢いをつけ、回転させた腕から速球を放つ。

 コースはストライク。無事にキャッチャーミットへ収まってくれるのを願ったが、相手の鋭いスイングの餌食になってしまう。

 甲高い金属音が響き、打球が内野の間を抜けていく。いきなりヒットを打たれてしまった。


「は、葉月、頑張って。うう……し、心臓に悪いですね……」


 愛娘の晴れ舞台に歓喜するどころか、緊張と不安で和葉の顔色が真っ白だった。かくいう春道も、知らない間にべっとりと手のひらに汗をかいていた。


 外野から実希子が、ベンチから好美が、マウンド上の葉月へ声援を送る。

 何度もふーっと大きく息を吐いた葉月が、次の打者への投球を開始する。

 中学生になって成長した肉体をフルに使って、全力でボールを投げ込む。

 バットには当てられたが、打球は二塁手の正面へ飛んでくれた。見事にダブルプレーをとり、葉月も多少は安堵したみたいだった。

 三人目の打者はセンターフライに打ち取り、笑顔でベンチに戻る。


 裏の攻撃では葉月にも打順が回った。結果は三振に終わってしまったが、全力でバットを振った。


 スコアは変わらず五対一。


 新人戦でも、葉月たちの学校は一回戦負けとなった。

 それでも試合で頑張る愛娘の姿を見られたので、春道は個人的に満足だった。


「こういう場合で、家に帰ってきた娘になんて声をかけてやればいいんだろうな」


「難しいわね。私にもわからないけど……今夜は葉月の好物を作ろうと思うの」


「ああ……それがいい」


 まだソフトボールのルールがわからず、最後の整列で肩を落とす姉の姿を、菜月が不思議そうに見つめる。その頭を軽くポンと叩いて、春道は帰るかと言った。


 家に戻った和葉は早速料理を作り始めた。葉月が帰宅する頃には、数多くのメニューが食卓に並んだ。


「何これ。凄いご馳走だよ」


「葉月が頑張ってたから、ご褒美だそうだ。ママに――和葉に感謝しておけよ」


「うんっ。ありがとう、ママ」


 もっと悔しそうにしてるかと思ったが、まだ新チームになって最初の大会ということで、それほどショックは受けてないみたいだった。夕食の席で春道たちを相手に、初登板の緊張感などを語る姿はむしろ楽しそうだ。


 賑やかで心温まる夕食が終われば、すぐに明日がやってくる。

 その日を一生懸命に生きていくうちに、季節が変わる。


 そして、今年もまた冬がやってくる。

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