第250話 お正月と変わらない人たち

 冬の初めに大雪に見舞われて以降は天候も回復。お正月が近づく頃には滅多になく雪の数も少なく、帰省する高木家の長女を出迎えることができた。


「ただいま、なっちー!」


「だから帰ってくるなり、人に抱き着くのはやめてってば!」


 家の中で待っていた菜月を玄関で見つけるなり、うりうりと頬を寄せてくる葉月に鬱陶しさを覚えるも、意外と満更でもなかったりする。

 今回は車で迎えに行った春道が、続いて玄関に顔を出す。


「姉妹の旧交を温めるのは結構だが、まずは荷物を置いてきたらどうだ」


 元気よく返事をした葉月に何故か背中を押され、お盆の時と同様に菜月まで二階に付き合わされる。


「やっぱり、たった数ヶ月いないだけなのに懐かしさを覚えるよね」


「部屋の方はそうでもなかったりしてね」


「久しぶりに聞くと、なっちーの毒舌ぶりも感慨深いよ」


「……それはいいけど、チョコレートパフェ食べ放題の約束はきちんと果たしてもらうわよ」


 ジト目で睨む菜月に対し、逃げるようにそそくさと姉は部屋の隅に荷物を置く。着替え一式程度なのでリュック一つだけだ。


「あれはテレビ局の人に唆されたっていうか……」


「言い訳は見苦しいわよ、はづ姉。人の本名を地元とはいえテレビで大々的に発表した罪は消えないわ」


「でも、ほら。実希子ちゃんだって紹介されたわけだし」


「本人の同意の上でね。はづ姉は私に許可を貰っていたのかしら」


 弱々しく左右に首を振り、葉月の敗北が確定。帰省しているうちにチョコレートパフェを食べに行くのを改めて誓わせ、満足げに菜月は顔をほころばせる。


「こーんにちはー!」


 話がまとまるのを待つように聞こえてきたのは、来客者の大きな声だった。誰なのかはいちいち顔を見なくともすぐにわかる。


「良いタイミングだわ。実希子ちゃんとも約束していたものね」


「うわー。なっちーってば悪い顔してるよ」


「はづ姉と実希子ちゃんの自業自得でしょ」


 階段を下りて実希子と対面するなり、菜月は満面の笑みで告げる。


「私にチョコレートパフェを奢りに来てくれたのよね」


   *


 短期の住人が一人増えただけなのに、真冬の家の中がとても暖かく感じられる。時間の流れも早く、気がつけば大掃除で終わった大晦日を越えてお正月になっていた。この日ばかりは菜月も遅くまで起き、家族と揃って新年を迎えた。


「あけましておめでとうございます」


 丁寧に挨拶をする菜月の隣で、長女がどこか意地悪そうにからかう。


「なっちーも遅くまで起きていられる年齢になったんだね。

 お姉ちゃんは嬉しいよ」


「私も九歳になったもの。とはいえ、さすがに眠いけれど」


 年越しそばも食べ、まったりとした時間を過ごせるのは幸せでもある。途中で何度か寝落ちそうになってしまったが、そこは気力で乗り越えた。


 葉月も彼氏や友人らと初詣に行っても良かっただろうが、家族での時間を優先してくれた。初詣にはお昼になってから菜月らも含めて皆で行く予定になっている。


「小さい頃はとても起きていられなかった葉月が、妹に偉そうにできる日が来るなんてママは嬉しいわ」


「あ、あはは……それを言われると弱いかも……」


 照れ臭そうに笑う葉月は、昔よりもずっと綺麗になっている。菜月にとっては自慢のお姉さんなのだが、面と向かって本人に言うつもりはなかった。意外と長女は勘の鋭いところがあるので気づかれているかもしれないが。


「それじゃ、私はそろそろ眠るわ」


 菜月に合わせて、葉月も一緒に席を立つ。


「ねえ、なっちー。たまには一緒に寝ようか」


「ど、どうしてよ」


「いいじゃない。姉妹の親睦を深めようよ」


「却下します」


「照れちゃって、可愛いんだから」


 頬をぷにぷにとつつきながら、まとわりついてくる姉を振り払おうとするも、睡魔に責められてる影響で菜月の動きに切れはない。

 気がつけばパジャマに着替えたあと、無理矢理に目的を達成されてしまう。


「ほらほら、もっとそっちに詰めて」


「狭いなら一人で眠ればいいでしょう」


「つれないこと言わないでよ。寮生活は楽しいけど、やっぱり家族の温もりがないと寂しいのよ」


「はづ姉の気持ちはよくわかったわ。でもね、私を抱き枕みたいに扱うのはやめてもらっていいかしら」


「無理ー。なっちーってば柔らくてすべすべなんだもの」


 二人でじゃれ合っているうちに、徐々に瞼が重くなる。視界が完全に闇に閉ざされる直前、耳元を優しい声が撫でた。


「おやすみ、なっちー」


   *


 和葉お手製のお節料理に舌鼓を打ち、正月恒例のテレビ番組を見ていると、勢いよくインターホンが鳴らされた。


「きっと実希子ちゃんだから、私が出るよ」


 葉月が玄関へ向かい、和葉は大勢が来る場合に備えて小皿を用意する。すでに食事を終えた春道と菜月はソファの方へ向かう。


「あけましておめでとうございますっ!」


 右手を上げて元気にリビングへやってきたのは、予想通りに実希子だった。後ろには申し訳なさそうな顔の好美と柚もいる。


「いやあ、着物にしようか迷ったんだけどな」


 聞いてもいないのに話し始め、食卓についてまずは厚焼き玉子を一つ口の中へ入れる。


「葉月ママの料理はいつ食べても絶品ですね」


「……来るなりお世辞全開だけれど、まさか大学生にもなってお年玉を狙っているのではないでしょうね」


 的確な指摘だったらしく、実希子の額に玉のような汗が浮かびだす。


「まさか……図星だったの? 実希子ちゃん、それは幾らなんでも……」


 さすがの柚も呆れかえり、好美に至っては頭を抱えている。唯一楽しそうなのが葉月である。


「実希子ちゃんらしいけどね」


「そうだな。けど、他の保護者との申し合わせもあって、大学生になって以降のお年玉はなしになったんだよ。仕送りもそれなりにしているからとね」


 春道が説明すると、わかりやすすぎるほどに実希子が肩を落とした。


「年代別とはいえ日本代表にもなって少しは成長しているかと思えば、まったく進歩が見えないわね。嘆かわしいわ」


「がーんっ。小学三年生にまで説教された。そんな可愛げのないなっちーはこうだ」


 ソファから引きずり降ろされ、床の上で四の字固めをかけられる。


「出たっ。あまりに起きない実希子ちゃんのために開発された先輩直伝の技だ」


「毎朝やられてるうちに、とうとう自分でマスターしちまったぜ。自分で自分の才能が怖くなるな。はっはっは」


「……覚える前に、自発的に早く起きるという選択肢はなかったのね。さすがゴリラだわ。

 ……いいえ、実希子ちゃんと比較したらゴリラがかわいそうね」


 ひっくり返されて床についた両手で前へ逃れようとしつつ、菜月は振り返って不敵な笑みを口元に宿す。


「今度からは空っぽ巨人にしてあげるわ」


「そんなのにお礼が言えるか。まだゴリラの方がマシじゃねえか」


「ちょっと! 小学生相手に本気で固めるのは反則でしょ!」


 喚く菜月の声を遮断するように、新たにチャイムが何者かの来訪を告げる。


「本当に実希子ちゃんは変わらないわね。フフ。少しばかり安心するわ。でも、そろそろ離してあげて。茉優ちゃんたちが菜月を迎えに来たみたいだから」


「ういーっす」


 和葉に対しては素直な実希子から解放されると、素早く立ち上がった菜月は膝丈のスカートをひらひらさせながら玄関へ急いだ。


「なっちー、あけましておめでとうっ」


「茉優ちゃんも、あけましておめでとう。

 あら、真君も一緒だったのね。おめでとう」


「おめでとうございます。すぐそこで偶然会ったんだよ」


 ぞろぞろとリビングへ入り、人口密度がさらに上昇する。


「茉優ちゃんも真君もおめでとう。これはお年玉だよ」


「ふわあ。ありがとうございますっ」


 礼儀正しく新年の挨拶をした児童二人に、春道の手からお年玉袋が渡される。


「そしてこれは菜月にだ。真君のお母さんと茉優ちゃんのお父さんから事前に預かっていたんだよ」


 茉優の父親は相変わらずの仕事で休みが取れず、新年の集まりに参加できないのを泣きそうなほど残念がったらしい。そこで後日に落ち着いたところで、保護者だけの新年会を行うことにしたみたいだった。


「葉月たちが引率するから大丈夫だとは思うが、初詣に行く際は車に気をつけるんだぞ」


 元気のよい返事が室内に木霊する中、実希子だけは指を咥えそうなほど羨ましそうに児童たちが持つお年玉袋を見つめていた。

 ……直後に、好美に「物欲しそうにしない」と後頭部を叩かれたのはご愛敬だろう。


   *


 近所にある神社は新年になりたてこそ多少の混み合いを見せるものの、昼近くともなれば参拝客も一段落する。

 尚や晋太さらには葉月の彼氏でもある和也も合流し、結構な人数で参拝をする。


「まさか大学生になるとお年玉が貰えなくなるとはな。とんだ誤算だったぜ」


 菜月を抱えて遊びつつ、心底残念そうに実希子がため息をついた。


「貰えると思ってる方がどうかしてるのよ。お小遣いなら仕送りをやりくりすれば、どうにでもなるでしょう。ただでさえ私たちは寮生活で、学生食堂だって利用できる立場なんだから」


 好美の言葉にもっともだと頷くのが大半で、積極的に実希子の味方になろうとする者はいなかった。


「仕送りなんてすぐなくなっちまうって。アタシらは育ち盛りなんだからさ」


 そう言って実希子はさりげなくどころか、かなりわざとらしく大型スーパーへ目指し始める。


「働いてる人は大変だけど、新年から営業してるってのは客からすればありがたいよな」笑おうとしたところで、実希子はすっと真顔に戻る。「おっと、悪い。それこそ茉優の父ちゃんは仕事してるんだもんな」


「そうなんだ。でもねぇ、なっちーと遊べてるから寂しくはないんだ。実希子ちゃんもいるし。あとでまたソフトボールで遊ぼうね」


「おう、任せとけ! いやー。茉優は本当にいい子だな」


「……何か言いたいわけ?」


 ジロリと目を細めた菜月を、物申すとばかりに胸を反らした実希子が指差す。


「いくらチョコパフェ奢るって言ったからって、一人で三人前も食うか普通? あれでアタシの財布の中身が寂しくなったんだぞ!」


「美味しかったねぇ。また食べたいねぇ」


 菜月が何かを返す前に、茉優が瞳に期待という名の輝きを宿らせる。


「あ、あはは……ごめんなさい。僕もご馳走になっちゃったから」


 菜月と真と茉優。三者にチョコレートパフェを奢るはめになったのは確かだが、それだけで責任を押しつけられてはたまったものではない。


「よく言うわ。誰よりも食べてたのは実希子ちゃんでしょ。私たちで合計五人前なのに、そっちは一人で五人前平らげたじゃない」


「そんなことは忘れたな!」


「なら解決ね。チョコレートパフェを奢られた事実はなかったのよ。ゆえに約束の履行を本日求めることにするわ」


 背後にががーんと文字が見えそうなくらいにショックを受ける実希子。一方で葉月たちは友人が小学生に言いくるめられるのを楽しげに見守っていた。


「お、おい、葉月。なんとか言ってくれよ」


「そう言われても、最初にその話題を持ち出したのは実希子ちゃんだしね。それに私はまだなっちーにご馳走してなかったから、今日するつもりだったし。真君や茉優ちゃんも一緒にね。あ、実希子ちゃんは自腹だよ」


 さらりと釘を刺され、実希子は目を白黒させる。直後に好美らへ視線を飛ばすも、抜群のチームワークというべきか難なく回避される。


「誰かアタシにご飯を奢ってくれるって優しい奴がいないのかよ!」


「仕方ないわね。私が紹介してあげるわ」


「本当か!?」


 大喜びする実希子に、菜月は覚えていた住所を告げる。


「なるほど、そこがアタシの約束の地なんだな!

 ちょっと遠いけど、この際我慢するか」


 張り切る実希子だったが、彼女以外は菜月の言葉の意味をきちんと理解していた。


「そうね。

 でも子供たちに人気が出そうだから、檻から出してもらえなくなりそうね」


「檻? 好美は一体何を言ってるんだ」


 顔にハテナマークを浮かべる実希子に、葉月が笑いながら答えを教える。


「なっちーが教えたの、動物園の住所だよ」


「アタシがゴリラだから餌を貰えるってことか。さすがに頭がいいな――なんて言うと思ったか、こら。なっちー、待て!」


 新年の厳かな雰囲気が漂う町中での追いかけっこ。

 半笑いで追いかけてくる年上の友人は、姉や父親が言っていたとおり、テレビに出て有名になろうとも何一つ変わっていなかった。

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