第129話 友人の披露宴にて~和葉の素敵な旦那様~

 夫から誕生日にプレゼントされた薄いブルーのロングドレスを身に纏って、鏡の中で笑顔を浮かべている女の姿を凝視する。

 誤字脱字を見逃すまいとする雑誌編集者のごとく、気合の入った視線で本当に似合ってるのかを確認する。


 和葉は今、実家の自分の部屋にいた。地元で開かれる友人女性の結婚式へ出席するためだ。

 新郎新婦はお互いに地元出身者だった。離れた場所で働いていたのだが、偶然に再開して意気投合したらしかった。

 あれよあれよという間に交際が始まり、気がつけばプロポーズされたのだと、これから結婚式を挙げる友人女性が教えてくれた。


 その友人女性は和代という名前で、小中高と和葉は一緒だった。昔から仲良くしていて、今も連絡を取り合うほどだ。

 和葉が今現在、住んでいる地方からさほど離れてない場所に彼女の家もあった。

 葉月が小さい頃には、何かと手助けもしてくれた。実は夫の高木春道も、彼女とは面識がある。以前に彼が戸高祐子と利用したファミレスで、ウエイトレスとして働いていたからだ。


 そんな和代もいよいよ結婚する。電話では「焦っちゃって」と笑っていたが、そんな理由で求婚を受けるような女性ではない。

 夫となる男性も地元出身者で、同じ高校の卒業生だ。クラスが一緒ではなかったのでどんな性格かはよく知らないが、顔と名前だけはなんとなく憶えている。


「おい、和葉。いい加減にしないと、結婚式に遅れるんじゃないのか」


 部屋の外から、兄の泰宏が声をかけてくる。今日は日曜日なので、会社が休みなのだ。

 どうせなら休日出勤でもすればよかったのにと思うが、彼には彼で心配な点がある。妻の祐子が予定日を過ぎても、出産できていないのだ。


 自分が不在の間に何かあったら大変と、だいぶ前から親交のあった病院の個室へ入院させていた。安全面では恵まれてるのかもしれないが、以前に和葉が春道たちと一緒にお見舞いをした時には、ひとりでずいぶんと暇そうだった。


 それが原因なのかはわからないが、すでに1週間は遅れているらしかった。

 もっとも予定日から2週間程度は正期産に入るので、あまり問題はない。

 担当医から受けた説明を、泰宏はそのまま和葉に教えてくれた。ただ、待っても陣痛の気配がなかったりすれば、促進剤を使う可能性もあるみたいだった。


 話を聞いた直後の和葉はよほど心配そうな顔をしていたようで、兄は何度も笑いながら「大丈夫だ」と言ってくれた。本来ならこちらが励ましてあげる立場なのにと、申し訳ない気持ちになった。


 和葉が実家で沈み込んでても仕方ないので、当初の予定どおりに、実家で着替えてから結婚式の会場へ行こうと決めた。

 大半の出席者は午後の披露宴からの参加となるが、特に仲の良かった和葉は、和代の家族と一緒に式にも出てほしいと頼まれた。そうした理由もあり、実兄の許可を取って、朝早くから実家にお邪魔した。


「和葉。聞いてるのか? せっかくの友人の結婚式なんだ。ギリギリじゃなくて、余裕を持って行動しろよ」


 再びドアの外から、泰宏が声をかけてくる。

 せっかく夫からプレゼントされたドレスを着るだけに、気合を入れて準備をしようとしたのが時間の足りなさを招いてしまった。

 考えてみれば社会人になってからは葉月を育てるのに一生懸命で、おしゃれなどをまともにした経験がなかった。


 鏡を見ながらあれこれ試行錯誤し、数少ないアクセサリーを身に着ける。

 他の参加者に見劣りしないかしらと考えてしまうあたり、やはり自分も女なのだと実感する。本当はもっと悩んでいたかったが、これ以上はさすがに限界だった。

 泰宏も三度目は注意ではなく、本気で怒るはずだ。

 不満点はまだ残っていたが、とりあえず妥協した和葉はようやく部屋から出る。


   *


 ドア向こうの廊下に立っていた泰宏が、出てきたばかりの和葉を見るなり「ほう」と声を漏らした。軽く笑みを浮かべてる顔が、なんとなく不愉快だ。


「それが春道君に貰ったドレスか。俺も祐子へ何かプレゼントする際の参考にしよう」


 からかっているわけではなく、泰宏は本気みたいだった。


「どうぞお好きになさってください。しばらくは赤ちゃんのお世話が大変で、ファッションどころではないでしょうけど」


 以前、泰宏に対しては砕けた口調になると春道から指摘された。別にそうした意識はない。今みたいに丁寧な言葉で接する機会も多い。

 余裕がなくなった場合に限って、本来の言葉遣いが表へ出てしまうのだろう。

 愛娘の葉月に変な言葉を覚えさせたくはないので、出来る限り注意しようと改めて決意した。


「そうなのか。よくママ友同士の争いがなんて話を聞くから、ファッションとかに気を遣わないと、公園すら自由に歩けないとばかり思っていたんだが」


「兄さんはテレビなどの情報に影響されすぎです」


 思わす声を荒げてしまう。現実問題としてあるかもしれないが、全部がそうじゃない。実際に和葉はそうした状況に遭遇した経験はなかった。


 だからといって、田舎が都会よりも平和とはいえない。

 田舎だからこそ、封鎖的な社会が形成されてる場合もある。並大抵の努力では、とてもその輪に加われない。

 個人的には、田舎か都会かは関係なく、住んでる人間の性格的な面が大きいのではないかと思う。


「実際に子供が産まれたあとに、改めて祐子さんと話し合えばいいでしょう。兄さんばかりが心配しても、どうにもなりませんよ」


「それもそうだな。なんか引き留めてしまった感じになって悪かった。タクシーはもう呼んであるから、急いで向かってくれ」


「ありがとうございます」


 泰宏にお礼を言ってから、和葉は急ぎ足で戸高家を出る。

 兄が話していたとおり、玄関前では1台のタクシーが待ってくれていた。コートとバッグを手に乗り込んだ和葉は、結婚式の会場となる建物名を告げる。

 運転手はすぐに理解し、車を走らせる。


   *


 目的地までの料金は、事前に泰宏が払ってくれていた。その旨を説明された和葉は、運転手にお礼だけを言ってタクシーから降りた。


 払ったなら払ったと言ってくれればいいのと思ったが、実際にそうした展開になれば、ほぼ確実に「そういうわけにはいきません」と和葉は料金を支払ったに違いない。泰宏は気を遣って、あえて教えなかったのだ。

 心の中で兄にもお礼を言ってから、花嫁が準備をしている部屋に入る。


 鏡によって入室してきたのが和葉だと気づき、長年の友人女性が顔をほこらばせる。緊迫した空気が、徐々に解消されていくのがわかる。


「会うのは久しぶりかしら」


 メイク中の花嫁に声をかける。


「そうね。来てくれて嬉しいわ」


 和代がこちらをチラリとだけ見て、ウインクをしてくれた。

 和葉も笑みを浮かべながら、友人女性に近寄る。だいぶ化粧も終わっており、ずいぶんと綺麗になっていた。

 素直な感想を口にすると、和代は少しだけ頬を膨らませた。


「どうせ普段の私は、あまり綺麗じゃないわよ」


「そんなつもりで言ったんじゃないってば」


「わかってるわよ」


 2人で笑い合う。懐かしい友人との再会が、気持ちを明るくしてくれる。


「披露宴にも参加していってくれるんでしょ?」


「ええ、そのつもり。娘は主人に預けてきたし」


「主人ねぇ……」


 ニヤリとした和代の視線に、どことなく居心地の悪さを感じる。振り払うように「何よ」と聞けば、友人女性は余計に顔を楽しそうに歪めた。


「あの和葉が、当たり前のように主人だって。すっかり普通の奥さんね」


「何を言ってるのよ。和代だって、普通の奥さんになるんでしょ?」


「当面は共働きだけどね」


「この不景気じゃ仕方ないわよ」


 和葉もとある事情で会社を辞めてなければ、継続して働いていたはずだ。今は夫の給料だけでやりくりしているが、厳しくなれば当然、妻としてパートでもなんでもして家計を支えるつもりだった。


「まあね。それに承知して結婚するんだから、文句もないけどね」


 そう言って和代は笑った。

 昔から豪快というか、大雑把でわかりやすい性格をしていた。葉月の友人でいえば、佐々木実希子にタイプが似てるかもしれない。


「もうすぐ式が始まるみたいだから、私は先に会場へ行ってるわ。張り切りすぎて、途中で転んだりしないようにね」


 からかい半分の忠告に、和代が笑いながらアカンベーをした。


   *


 和代の両親と会話をしてるうちに式が始まり、厳かな雰囲気の中で和代が夫となる男性と夫婦の誓いを交わす。彼女にしては珍しく、緊張しているみたいだった。

 自分の時の結婚式を思い出し、ちょっとだけ目頭が熱くなる。


 転んだりもせずに和代は無事に結婚式を終える。感動の余韻を味わったところで、今度は同じ建物内にある披露宴会場へ移動する。

 すでに受付が始まっていたらしく、新郎新婦に招待された数多くの人たちがそれぞれのテーブルについて談笑中だった。


 和葉のテーブルは和代の親族に近いところだった。それだけでも、彼女が家族のように思ってくれているのがわかる。

 学生時代の友人たちも披露宴に招待されていたので、昔話を楽しんだ。


 そのうちに新郎新婦の入場となった。祝福するように多数のフラッシュが歩く2人を照らす。ウェディングドレス姿の和代は本当に綺麗で、見てるだけで自分もまた着たくなってくる。


 おねだりをしたら夫はどう思うかしら。

 きっと戸惑いながらも、笑顔で「いいよ」と言ってくれるだろう。

 そのシーンを思い描くだけで、幸せな気分になる。


「和代、綺麗ーっ」


 女性の招待客のひとりが、和代に声をかける。

 確かあの人は、小学校時代の同級生だったはずだ。


 新郎も友人たちに冷やかされながら席につく。

 司会者が披露宴を懸命に進行するも、途中からは酔っぱらった人たちによって、たいして意味のないものにされてしまう。

 かわいそうな気もするが、えてして披露宴とはこういうものだった。


 お酒は基本的にほとんど飲まないので、食事前のシャンパンを軽く口に含んだだけで終了した。あとは出される料理を楽しみながら、招待客による催しがステージで行われた。


 誰もが笑顔で、とても楽しそうだった。自然に和葉も笑みを浮かべていると、唐突に背後から声をかけられる。


「戸高……だよな。俺のことを覚えてるか」


 学生時代の記憶を手繰り寄せる。振り向いた先に立っていた男性に、高校生当時、運動部で人気だった男子の面影が重なる。


「もしかして、同じ高校だった……」


「そうだよ。俺、ずっと戸高に会いたかったんだ」


 心臓がドキっとした。相手男性が、あまりに真剣な顔つきをしていたからだ。

 何を言うつもりなのか気にはなったが、それでどうこうという気持ちはまったくなかった。


「俺さ、昔から戸高のことが……」


 そこまで彼が言ったところで、和葉はふっと笑った。

 真剣な顔つきだった相手男性が、その様子を見て不思議そうにする。


「残念ですが、そこから先は人妻にする話ではありませんね。ごめんなさい」


 謝ってから、左手の薬指に装着されている指輪を見せる。

 夫から贈られた、和葉の宝物のひとつだった。


「……俺にはノーチャンスなのかな?」


「ええ、まったくありません。人妻でも構わないという男性に、魅力など微塵も感じませんしね」


 ストレートな言葉で一刀両断にされた男性が苦笑する。


「まいった。降参だ。戸高が選んだのは、よほどいい男なんだろうな」


「もちろんです。世界で最高の旦那様ですよ」


 微笑んで答えた和葉だったが、途中で変な気配に気づく。

 慌てて周囲を見ると、いつの間にか結構な人数が近くに集まっていた。一様にニヤついた顔で、和葉を見てくる。


「な、何ですか? 今日の主役は和代でしょう」


「いいじゃない。せっかくだから、和葉の旦那さんのことも教えてよ」


 披露宴に参加してる友人女性のひとりが、和葉の隣にしゃがみ込んで色々と質問をしてくる。


 結局この日は二次会まで参加したが、新婦以上に和葉は質問責めにあってしまったのだった。

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