第198話 高校一年目の春の大会

 徐々に季節は夏に移行し、春も残り少なくなったとある日、葉月たちは市内の球場に立っていた。


 今日は市内にある高校のソフトボール部が集まり、地区で春の大会を行う日だった。夏の県大会を見据えた最終調整の場ともなる。

 ここで大体のレギュラーが決まる。


 高校に入ってからソフトボール部に所属した柚と尚は背番号を得られなかったが、葉月たちはしっかりと貰えていた。

 といっても葉月は控え投手で、好美は控え捕手。レギュラーとして試合に出場するのは三塁手の実希子一人であった。


 まだベンチに入る前なので、グラウンドで会話もしていられる。

 試合前練習が始まれば、応援の柚と尚は球場のスタンドへと移動する。


「一年でレギュラー自体が凄いのに、岩さんから四番を任せてもらえるなんてね。さすが体力ゴリラの実希子ちゃんだわ」


 尚の言葉には、賞賛と呆れが半分ずつ含まれていた。


「なんかさらっと文句が入ってなかったか?」


「文句じゃなくて事実でしょ。この間の体育祭でだって、好美ちゃんとの二人三脚で怪力ぶりを発揮してたじゃない。ほとんど引きずるようにしていたから、ゴール後に好美ちゃんの顔が青くなってたでしょ。大体、あれって二人三脚っていうの?」


「過ぎたことを言うなよ。しつこい奴はいじめっ子になっちまうぞ」


「ううっ……!

 い、いいけどね。私が最低だったのは事実だし。でも生まれ変わったのよ。葉月ちゃんたちと晋ちゃんのおかげでね」


「お前ら、まだ続いてたのかよ。あれだけ周りからバカップル呼ばわりされてるのに、よく平気だな」


 実希子の前で、尚はフフンと髪を掻き上げる。


「皆、私と晋ちゃんの愛を羨んでいるだけよ。周囲のやっかみなんて気にしないわ。実希子ちゃんも、好きな人ができたらわかるわよ」


「そんなもんかね。お、試合前練習が始まりそうだ。行こうぜ。キャッチボールとかもしとかないとな」


「うんっ。柚ちゃん、尚ちゃん、またね」


 柚と尚から頑張ってと声援を受けて、葉月たちはグラウンド内でキャッチボールをする。葉月の相手は好美で、実希子の相手は美由紀だった。


 同じ市内にある学校だけに、一年生とはこれから三年間顔を合わせていく。お前らは相手の一年生選手をより注目して見ていろ。そう言ったのは岩さんこと岩田真奈美である。


   *


 練習が終われば両校の整列を経て、試合が開始される。葉月と好美は控えなのでベンチに戻るが、レギュラーの実希子はそのまま三塁の守備につく。南高校が後攻だった。


「勝てるかな?」


 葉月の問いかけに、好美は「大丈夫よ」と頷く。

 高校生になって体もより成長しているからか、中学時代の葉月たちよりも先輩方はよほど上手くて強かった。その中でもあっさりレギュラーになれる実希子だけは別格だが、普通に考えれば負けるとは思えない。


 先発として真っ新なマウンドに上がったのは、真奈美と仲の良い三年生の先輩である。エースで直球とカーブのコンビネーションが持ち味で、特に緩急のついたカーブは厄介だと実希子が言っていたほどだ。


 プレイボールの声が今にもかかりそうな時の独特の緊迫感。選手でなくとも、緊張を覚える。葉月は少しだけベンチの前に出て、上を見る。

 青空の下、南高校の応援スタンドにはベンチに入れなかった選手の他に、数多くの保護者の姿があった。葉月が一目見たいと願った家族も、試合を見に来てくれていた。


 嬉しさが緊張を和らげてくれる。頬が緩むのを堪えつつ、ベンチに下がる。葉月の行動の意図を察していた好美が、家族が来てたのか聞いてくる。


「来てたよ。好美ちゃんのママもいた」


「私の? レギュラーじゃないと伝えてあるのに、また臨時休業したのね。こうなるともう私の応援というより、葉月ちゃんのママやパパと遊びたがってるとしか思えないわ」


「アハハ。仲が良くていいじゃない」


「まあね」


 好美が微笑み返してくれた直後に、球審が試合の開始を宣言する。

 拍手と歓声が球場に降り注ぎ、投手が初球を放る。

 ホームベースを白球が通過する前に、甲高い音が鳴り響く。金属バットがソフトボールを捉えた音だ。

 まるで白昼に現れた流星のように、青空を舞台にバットと正面衝突したボールが流れていく。着地点は仮柵の向こう側だった。


「嘘……」


 呻きにも近い声が、好美の唇の隙間から漏れた。よもやの先頭打者、初球本塁打である。

 瞬きしてるような間に、敵チームのスコアボードに一点が刻まれた。気落ちする三年生投手に、三塁ベース上から実希子が声をかける。

 相手が上級生でも遠慮せずに接することができる。時には短所にもなるが、他の者にはあまり真似できない実希子の長所でもあった。


「まだ勝負はこれからだよ」


 ベンチの中から、控え選手が揃って声を出す。こういう時の声援が力になるのは、中学時代に投手を経験している葉月だからよくわかる。普段と同じような音量では、耳に届かないことも。


「先輩、頑張ってー!」


 声の限りに叫ぶ。そのかいあって以降の打者は抑えるも、良い当たりをされていたのが気になった。

 ベンチに戻ってきた投手の先輩にタオルと紙コップに入った飲料を手渡す。葉月から受け取った先輩は「ありがとう」と一気にスポーツドリンクを飲み干した。


「らしくないね。緊張してんのかい? いつも通り放りな。お前の力なら大丈夫だからさ」


 捕手をしている真奈美が、ベンチの中で同級生となる投手に声をかける。頷いて、微かに笑った投手の顔に血の気が戻ったような気がした。


「さあさあ、こっから逆転するよー!」


 対峙する敵投手の直球がミットに吸い込まれる。打席には南高校の一番打者が立っていたが、かすりもせずに三振となった。


「さすが地区の強豪校だな」


 呟いたのはベンチに座って、自分の打席を待っている実希子だった。

 試合前のミーティングはソフトボール部全員で行われる。初戦の相手の情報はもとより、南高校が最近では一回戦も突破できていない事実も教えられた。


 大会前は練習試合もなかったので、実質的に他校の選手を葉月が見るのは今日が初めてだった。そのために楽観視していた部分もあったのかもしれない。

 十分に速いと思っていた自チームのエースよりも、相手投手の球速は上。三振した打者の話では、スライダーもあるとのことだった。


 暗い表情になる選手が多い中、ベンチでは真奈美と監督の田沢良太が明るい声で励まし続ける。


「相手だって人間だ。投げミスは必ずある。それを叩け。あとは全員でしっかり守っていくぞ!」


 監督である良太の指示に、葉月も含めたベンチ内の部員が「はい」と元気よく返事をする。まだ誰も試合を諦めていない証拠だ。


 二番打者も三振で終わったが、さすがというべきか三番で遊撃手の高山美由紀は立った左打席から痛烈な打球で敵の三遊間を破った。これでツーアウトながらも、ランナー一塁である。

 ネクストバッターズサークルで屈伸していた実希子が、飢えた獣のごとく両目をギラつかせて打席に向かう。


「ゴリラーっ! 打ったらバナナあげるー!」


 聞き慣れた少女の独特極まりない応援の声のあと、観客席がどっと笑いに包まれる。葉月たちの関係者にとっては、恒例になりつつあった。

 苦笑いを浮かべつつも応援席に向かってウインクをひとつして、打席内に立った実希子は集中力を高める。


 投じられた初球はスライダー。一番と二番打者がかすりもしなかったボールだ。そのため美由紀は直球を狙い打ってヒットにした。

 さすがの実希子でもどうかと思ったが、役者が違うということなのか、一閃したバットは事もなげに相手投手の変化球を捉えた。


 痛烈としか表現しようのない打球が飛び、弾丸ライナーで仮柵どころかフェンスを越える。突き刺さるようにバックスクリーン横へ着弾したのを見届けてから、悠然と実希子が走り出す。

 三塁ベースを回ったところで、その上にある南高校の応援席を実希子は指差す。


「ちゃんとバナナを用意しとけよ!」


 恐らくは、先ほどゴリラだのバナナだのと言っていた葉月の妹の菜月へ言ったのだろう。

 満面の笑みで、ホームベースを踏んだ実希子が戻ってくる。打席に向かう真奈美とハイタッチを交わし、ベンチで美由紀からも祝福を受ける。


「さすがゴリラね。人間とは怪力の度合いが違うわ」


「好美が毎回言うから、なっちーがあんな感じになっちまったんだぞ」


「あら、駄洒落?」


「違うっつーの!」


 軽口を叩きながらも表情は明るい。一年生にして主砲である実希子の一振りで、南高校が二対一と逆転したからである。


   *


 試合は南高校優位に進むかと思われたが、さすがは地区の強豪校。三回の二回り目から、さらに打球に力強さが増した。

 カーブを駆使してなんとか抑えようとするも、上手く対応されて塁上を賑わせられる。そのランナーが生還するたびに、敵チームに得点が刻まれる。

 南高校もクリーンナップを中心に反撃するも、六回の終了時点で八対四とされてしまった。


「高木。次の回からマウンドに上がってくれ」


 良太の指示に頷く。

 五回前から言われて、好美を相手にブルペンで肩を作っていた。


 七回の開始時点でバッテリーが変わる。葉月がマウンドに立ち、好美がキャッチャー。正捕手だった真奈美が一塁へ回った。


「葉月ちゃん、緊張せずに頑張りましょう」


 マウンドでの投球練習前に、好美が声をかけてくれた。


「そうだね。良いところを見せようとして、中学の時みたいになったら恰好悪いもんね」


 何事も経験というべきなのか。滅多打ちをされた記憶があるからこそ、自身の緊張とどう向き合えばいいのかはわかっていた。

 本当の緊張は自覚できない。それも知った。平気そうに見えても自分は緊張してるんだと言い聞かせ、それを踏まえた上での投球を行う。

 見据えるのは相棒である好美のキャッチャーミットだけ。実希子や、応援席からの柚や尚、それに家族の声援を受けて葉月は右腕を振る。


 直球と、マウンドを降りた先輩に教えてもらったカーブ。それに中学時代から投げていたチェンジアップで敵打者を攻める。

 外に変化球を投じて意識を引っ張ったあとで、内角へズバッと直球を投げ込む。好美のリード通りに放れたおかげで、七回の表を無得点で抑えられた。


「ナイスピッチング! 優秀な一年生が入部してくれて嬉しいよ。あとは上級生が意地を見せないとね!」


 気合の声を発した真奈美だったが、試合はそのまま八対四。地区の大会でも南高校ソフトボール部は一回戦敗退で終わった。ちなみに実希子の成績は三打数三安打二本塁打三打点だった。

 試合後の整列を終えたあと、ベンチを片付ける真奈美は神妙な顔をしていた。


「帰ったら、練習だな。夏まであと少しだけど、強くなって一回戦は勝ちたいよな」


 その言葉に、他の先輩たちも頷く。ミーティングでは笑って話していたが、今の三年生は入部してから一度も公式試合で勝ってないということだった。


「大丈夫っスよ。意外と何とかなるから」


 あっけらかんと言った実希子に葉月と好美だけでなく、ベンチ内の誰もが目を丸くする。


「あれ? アタシ、変なこと言ったか?」


 きょとんとする実希子を前に、真奈美が真っ先に噴き出した。


「いいや、変じゃないさ。その通りだ。

 ハハハ! お前が入部してくれてよかったよ。頼むぜ、主砲!」


 慕っている主将の真奈美に髪の毛をくしゃくしゃに撫でられ、実希子は嬉しそうに「おう!」と返事をする。


「私達も頑張りましょう」


「うんっ!」


 好美と一緒にベンチ裏の廊下を歩く。額に浮かんでいた汗が一粒、ユニフォームに落ちる。


 公式試合を経て、改めて葉月は実感した。これからまた、ソフトボールに費やす青春が始まるのだと。

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