Seventh Night

《第七の夜》




 ――夜が来る。ここに来て七度目の夜。

 三度目の夜までは、夢来ちゃんと過ごした。不安の夜を寄り添って過ごし、そして、彼女の決意と共にその触れ合いは終わってしまった。

 四度目から六度目の夜は、孤独に過ごした。実際に殺人が起こってしまって、恐怖と絶望に震えて、なかなか眠れない日もあった。

 それでは――今日の、七度目の夜はどうか。


「殺風景な部屋でごめんなさい、って言うべきかしら?」

「いえ。私の部屋もこんなですし、そもそもワンダーが用意した部屋ですし……」


 七度目の夜を、私は香狐さんの部屋で過ごすことになった。

 理由は単純で、香狐さんに守ってもらうため。

 香狐さん曰く、『個室のドアは確かに頑丈そうだし、普通に壊すのは難しいだろうけれど、できないわけじゃないわ。だから、夜中もできれば――そうね。一緒にいたいと思うのだけれど』ということらしい。

 私は、それを了承した。


 ――もしかしたら、危険かも。そう思わなかったわけじゃない。

 香狐さんは守ってくれると言ったけれど、香狐さんが何かを企んでいる可能性は排除できない。

 疑いたくはないけれど、私の頭は自然にそう考えてしまう。


 だから――もう、諦めることにした。

 どう過ごしていても、ここに安全はない。代わりに、信頼できる誰かを作る。それが、安全を得られずとも安心を得るための最善策だ。

 私が信頼できる相手といったら、昔も今も変わらずに夢来ちゃんだけれど……。香狐さんのことも、信じてみることにした。

 疑い抜くことを諦めて、信じる。

 もちろん、最低限の警戒心は残して、だけれど。

 私に好意を示してくれた、香狐さんを信じてみる。


 この部屋に来て、しばらく香狐さんと話し込んで。


「――それじゃあ、そろそろ寝ましょうか」

「あ、はい。そうですね」


 また少しお互いのことを知れたところで、ちょうど眠くなってきた。


「彼方さんは普段、電気は消して寝るタイプかしら? それとも、常夜灯くらいはつける?」

「常夜灯? ……ああ、オレンジのやつですか? つけて寝てます」

「そう。私は普段、真っ暗で寝るのだけれど。今日は彼方さんに合わせましょうか」


 そう言って、香狐さんが部屋の照明を切り替える。

 室内はオレンジの明かりに照らされ、微妙に変色した視界の中でお互いの姿を視認する。


「そういえば彼方さん、他人と一緒のベッドに入ることに抵抗とかないのかしら?」

「え? あー、そういうのはないですね、言われてみれば……」


 もともと、パーソナルスペースが存在しないような性格だ。

 男子に近づかれるのはもちろん抵抗があるけれど、同性相手には特に何も思わない。この状況にも、私に抵抗感はほとんどなかった。


「そう。それならいいのだけれど」


 言いながら、香狐さんがベッドに入る。掛け布団を捲って、私を招く。

 それに従って、私も香狐さんの隣に入れてもらった。

 枕だけは自分の部屋から持ってきたので、共有ではない。


「それにしても……誰かとこうして寝るのって、もしかしたら初めてかもしれないわ」

「そうなんですか? まあ確かに、一緒のベッドで寝るとかはないかもしれませんけど、修学旅行とか……」

「ああ。私、そういうの行ったことないのよ。色々あって」

「色々?」


 少し気になったけれど、もしかしたら深掘りされたくない話題かもしれないと思って、尋ね返すようなことはしなかった。


「それなら、香狐さんの方こそ、抵抗とかないんですか? その、私のために無理してるなら……」

「ああ、いえ、全然そんなことはないわ。むしろ、嬉しいくらいよ。彼方さんと、こうして一緒にいられるんですもの」

「そう、ですか……」


 香狐さんの想いを未だに測りかねて、一歩引いた返事しかできない。


「彼方さんは、私の事、変に思わないのかしら? 何か企んでいるかも、とか」

「……思わないことはないです」


 向こうから訊いてきたので、正直に答える。


「でも、ここで夢来ちゃん以外に信じられるとしたら……一番は、香狐さんだと思ったから。だから、私はここにいます」

「そう。それなら……彼方さんはもう少し、警戒心を持った方がいいと思うわ」

「えっ? それって、どういう……」


 言い切る前に、隣の香狐さんに抱き着かれた。

 私の腕に、香狐さんの胸の感触が押し付けられる。


「あなたを守ってあげる代わりに、何かお願いでも聞いてもらおうって――私、ちょっとだけそんなことを考えてたのよ」

「そうだったんですか?」


 少し驚く。これまで、香狐さんはそんな素振りを一度も見せなかった。


「でも、その、当然の要求のようにも思えますけど。言ってもらえたら、私だって、オッケーしたと思いますよ。……命を守ってもらうんですから」

「あら、そう? なら、今からでもお願いしてみようかしら」

「いいですよ。なんでも」

「……あら。彼方さん、本当に警戒心がないのね。一晩、あなたを自由にしたい――なんて、私が言ったらどうするつもり?」

「あぅ……。香狐さんが言ってた『好き』って、やっぱりそういう意味だったんですか……?」


 正直、返答に困る。

 私に女の子同士の趣味はない――はずだけど。

 でも、命を守ってもらう対価としては、十分に安い……かな?

 よくわからない。そんな経験はないし、想定もしてこなかった。

 男の人に迫られたなら、絶対に断っただろうけど。でも、女の人――まして、香狐さんみたいに綺麗な人に迫られると、拒みづらいように思える。


「それで、あなたはどうする? 頷いてみるか、それとも拒むか。どっちでもいいわよ。もとから、あり得なかった報酬ですもの」

「うぅ……」


 香狐さんに一方的に守ってもらうことに関して、引け目を感じていたのは事実だ。

 どうにかしてお返しできないか、その方法を考えていた。

 その方法が、こうして目の前に提示されたわけだけれど……。

 うぅ……。


「い、いいですよ……。そ、その……。あんまり変なことは、やめてほしいですけど……」

「――あら。本当に?」

「は、はい……」


 もとより、私が香狐さんに好意的なのは事実だ。

 それは香狐さんが抱くものとはまた違う、姉のような存在に対する感情だけれど。

 だから、香狐さんになら……。


「んー……でも、やっぱりやめておくわ」

「えっ――。ひ、酷いですよっ。返事させておいてから、そういうこと言うなんて……」


 私は顔を赤らめる。

 初めからそのつもりなら、私がこんな恥ずかしいことを言う必要もなかったのに……。


「ごめんなさい。彼方さんが可愛かったから、つい。けれど私も、無理矢理そういうことをする趣味はないのよ。――彼方さんが本心から、そういうことをしてほしいって私に思ってくれるなら別だけれど」


 香狐さんが蕩けるような声で言う。

 私はささやかな仕返しのつもりで、何度も首を横に振った。


「そうよね。それなら、まあ……。今はこのままでいいわ。彼方さんとこうして一緒に寝られるだけで、私にとっては十分だもの」

「…………」


 私はもう何も答えずに、狸寝入りに勤しんだ。


「あら、怒らせてしまったかしら? 本当に、悪気はないのよ。気分を損ねてしまったなら謝るわ」

「…………」

「……寝てしまった、ということにしておきましょうか」


 香狐さんが、喋るのをやめる。

 本当に静かになって、ただ、香狐さんの体温だけを間近に感じる。


 やがて、狸寝入りは本物の眠りに変わっていく。

 その境界線に差し掛かってから、ようやく私は言った。


「……おやすみなさい、香狐さん」

「……ええ。おやすみ、彼方さん」


 夜が更けていく。

 静かな夜が、更けていく。

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