Wander in the dark.

《闇を彷徨え》




 残り二十数分。私は考えなくてはならない。

 一人、館一階の廊下を歩きながら、思考を全力で推理に傾ける。まっすぐ進むことすら覚束ない中で、何度も壁に当たりながらも推理を続け、屋内庭園に入る。

 ……屋内庭園は、静かだった。誰一人の声もしない。


 中央の広場へ進む。

 やはり噴水は絶えず水を放出し続け、その上には悪魔の死体を戴いている。

 祈る悪魔の死体。……夢来ちゃん。私のために、孤独な戦いに身を投じた子。


 私も今、孤独な戦いを強いられている。一人で戦うというのは……辛い。

 自分自身すら信じられなくなって、それでも何かをしなくてはならない恐怖。自分に能力が足りていないんじゃないか。自分ではこの事件を解決できないのではないか。【真相】に至るまで、そんな恐怖を延々と繰り返す。

 その恐怖を振り払って、何もかもを終わらせるために、私は思考を回す。


 夢来ちゃんのために、極限まで深い思考に潜っていく。

 思考の深みに到達すると、暗い深海の世界に紛れ込んでしまったかのように、自分自身すら何を考えているのか認識できなくなる。圧倒的な速度で加速する思考は、私自身の認識すらも置き去りに、ただ理解だけを残して推理を進める。

 糸口を考えて、考えては失敗し、ルートを放棄して別の道を探り、再度挫折し、それでも別の視点から考察する。

 加速した思考の中で、漠然としたイメージだけが私に刻まれていく。


 この××の××、いや、そもそも××は?


 言語化すらされていない、剥き出しのイメージが浮かんでは消える。


 ××? それよりもっと、×××べき××がある気がする。

 それは×? 私は×に×××××ている?

 何か、××自体が気にかかる××があったような。××にあること、いやそもそも、××自体が××されて然るべきもの――。


 勝手に思考が進むような超スピードに、認識が追い付かない。

 だけど……。


 ××××はなぜ、×××××××を××ていた?

 本当に××なら、×××××なんて、××××のに――。


「……っ!?」


 逆に言うなら、×××××××を××とする存在は××ではない?

 そうだ。そのはずだ。それがどれだけ××で××な答えでも、いつだって××が××だった。

 ――間違いない。××××は、××××××。


「だと、したら……」


 今、やっとわかった。

 私たちは、根本から、大きく間違えていた。

 ×××××の××××××は――全くの無駄だった。


 思考が制御不能なほどに奔る。前提が覆ったことで、思考は遥か前の段階へ――見つけ出した可能性から、あり得る可能性とあり得ざる可能性を検討するため、今まで観測したから違和感を抽出する。

 記憶を遡り、過去に置き去りにしてしまった情報を、かつて見逃してしまった違和感を、今度こそ正しく拾いなおして――。

 そして、私は――。




     ◇◆◇◆◇




 香狐さんの部屋のドアを、ノックする。

 中から盛大に話し声が漏れていたのは、聞こえていた。


「……空鞠 彼方か」


 藍ちゃんの声がして、ドアが開かれる。

 室内は、奇妙な状況だった。ドアの傍に立った藍ちゃん、接理ちゃん、佳凛ちゃん。私がここを出たときと同じく、包丁を持ってベッドに座る香狐さん。

 ――そして。三人と香狐さんを隔てる、半透明なスライムの壁。


「これは……」

「壁のことか? 我らがここに入り、色川 香狐を問い詰めようとしたところ、突如として出現したのだ」

「私を殺し損ねて戻ってきた誰かから、私を守るためじゃないかしら? 【真相】を探る最中の人殺しは禁止。ワンダーが定めたルールでしょう。……少なくとも、あなたたち三人の中に、私を襲った【犯人】がいるのは確実なのだから」


 苛立った様子の藍ちゃんに、香狐さんが冷ややかに告げる。

 私はふと、壁のタイムリミットを確認した。『0:06:13』。どうしようもないほどに、タイムリミットはすぐそこに迫っていた。


「貴様は、何か見つけたのか? それとも、白状する気になったか」

「…………」


 私は、血の付いた包丁とルナティックランドの手紙、キュリオシティの仕様書を接理ちゃんに差し出した。


「これだけ。……多分、[確率操作]で推理するつもりなんだよね? それに使って」

「随分――落ち着いた様子だね? あれほどまでに狂乱していたというのに」

「……それより、香狐さんから話は聞いた?」

「まあ、一応ね。今更どうなろうと、本当に、僕にはどうでもいいのだけれど」

「…………」


 これで接理ちゃんは、この事件において得られた証拠の全てを手に入れたことになる。[確率操作]で一声、『僕はこの事件の【真相】を一瞬で見抜く』とでも言えば、私や香狐さんの話、ルナティックランドの手紙の信憑性なんて飛び越えて、接理ちゃんは【真相】に辿り着くだろう。

 ――それで、本当に辿りつける【真相】ならば。


「なっ、この名は……っ!?」


 藍ちゃんが、私が渡した二枚の紙を見て驚愕の声を上げる。

 やっぱり最前線級、それも二つ名持ちの魔法少女となれば、魔王の名前を知っているのだろうか。


 ふと、黙りこくっている佳凛ちゃんの様子を見る。

 何か不満げに、目を半眼にして成り行きを見守っている佳凛ちゃん。

 ……何を考えているのか、わからない。それが少し、やっぱり気味が悪い。どのような精神状態であれば、いくら双子の姉とはいえ、他人同士と自我を混合するなんてことができるのか。


「……彼方さん」


 スライムに守られた状態の香狐さんに、呼び掛けられる。それで私は、彼女に向き直った。


「私、あの後考えたのだけれど……たぶん神園さんの[確率操作]では、クリームを壁抜けさせられないわ。トンネル効果はあくまでも――これは物理学とか量子力学の話になってしまうけれど、波のような不定形の性質を持つ量子の特性によって起こる現象だもの。量子によって構成されない、存在が確定している魔法生物……いえ、本来は生物でもないわね。魔法存在には、トンネル効果は起こり得ないわ」

「……そう、ですか」


 私は心の余裕がなくて、素っ気なく返した。そもそもその情報は、私にとって、もう要らないものでしかなかったから。


「それと、その……最後の切り札の件だけれど。最悪の場合……本当に最後の手段だけれど、雪村さんの[存在融合]に頼るという手もあるわ。もう、時間もないようだし、いっそ……」


 確かに、言われてみればそうだ。

 正式な融合条件を満たさずとも、ここには融合魔法を扱う魔法少女がいる。だったら、クリームちゃんと融合したいなら、大人しく佳凛ちゃんに任せればいい。

 ……本当に、どうしようもない場合は、そうしていただろうと思う。


「……香狐さん」

「何かしら?」

「香狐さんは、もう……屋内庭園には、行きましたか?」

「いいえ。まだよ」

「……なら、今から、行きましょう」


 私は、香狐さんと私たちを隔てるスライムの壁に近づく。

 ポケットの中でキュリオシティを握って、ぽつりと呟く。どいて、と。

 反応はない。声量の問題? そうじゃない。ワンダーは、無言の状態でも魔物に指示を飛ばしているような場面がいくつかあった。

 だからこの壁は、魔王の命令によって作られたものということだ。それが表すことは一つ。

 事件の後に現れたこの壁が、魔王によって作られたものであるなら――魔王はまだ生きていて、この状況を認識している。


 私は、壁に触れる。それで、スライムの壁は天井や床に引っ込んでいった。

 香狐さんと、直接見つめ合う。


 座った状態の香狐さんに、手を差し出す。

 香狐さんは少し迷う素振りを見せた後、私の手を握って立ち上がった。

 そのまま、香狐さんに手を握られる。


「……みんなも、来て」


 みんなにそれだけ言って、私は香狐さんの手を引き、部屋を出た。

 私の有無を言わさぬ調子のせいか、全員何も言わずに、ついてくる。

 道中で一通り、私が見つけたものについて説明しながら、私たちは屋内庭園を目指した。




     ◇◆◇◆◇




 再び戻ってきた、屋内庭園。

 全員で、夢来ちゃんの死体に――この事件に相対する。


「神園 接理。もう時間がないぞ」

「……わかっているよ」


 床に表示されている時間は、『0:01:42』。あの部屋から急いでここに来たけれど、やっぱり三階から一階は遠かった。

 残り時間の少なさを受けて、接理ちゃんは、いつかの再現を始める。

[確率操作]で【真相】を暴く。実際、第二の事件の時は、それで成功したはずだ。その【真相】のせいで、接理ちゃんは絶望することになったけれど。

 そのことを思い出したのか、接理ちゃんはずっと苦い顔をしている。それでも、藍ちゃんがせっついて、接理ちゃんに魔法を使わせる。


「――[確率操作]。僕は一瞬で、この事件の【真相】を閃く」

「……[刹那回帰]」


 念のためなのか、藍ちゃんは接理ちゃんに[刹那回帰]を用いる。

 強大な魔法の二連行使。それがもたらしたのは……。


「……ははっ」


 接理ちゃんの、諦念に満ちた表情。それだけだった。

 何もかもを手放したような虚無的な表情を、接理ちゃんは苦笑に無理矢理変える。


「やっぱり僕の魔法は、どこまでも不完全のようだ。何も思い浮かびやしない。つまりこの事件は……絶対に解くことができない、ということだね」

「なっ……!? そんな――もう、新たな証拠を探している余裕はない! なんとかならないのか!? 術はあるだろう! 言葉を変更すれば、何か――」

「無駄だよ。できないことはできない。それが僕の魔法だ。……忍を助けることすらできない、ゴミみたいな魔法だよ。君も知っていたはずだろう?」

「ぐっ!? だが、しかし――」


 焦った様子の藍ちゃんは、歯噛みしながら床のタイムリミットを食い入るように見ている。

 今の、無駄に終わっただけのようなやり取りを経て、私は確信した。

 ……きっと、私の推理は、間違っていない。


「ねぇ、みんな。聞いて」


 下がった位置から、一歩踏み出す。

 悪魔の死体が祈りを捧げる、その正面へと歩く。

 香狐さんの手も放して、一人きりで全員の視線を集める。


 少し視線を下に傾けて、床のカウントを見ながら、靴音でリズムを刻む。

 5秒、4秒、3秒、2秒、1秒――『0:00:00』。

 遂にタイムリミットを迎えたカウントは、しばらく五つの0を表示し続けた後に、すっと消えていった。

 ここで私が【犯人】だったなら、何と言うだろうか。逃げ切りを迎え、みんなの視線を一身に集めた【犯人】は。

 自分の勝ちだ、だろうか。……人を殺しておいてそれは、あんまりだ。

 夢来ちゃんを殺した【犯人】に、そんなこと、絶対にさせたくない。


 だから、私は――。


 唐突に、自分の格好を意識する。

 フリフリの、殺し合いなんかに全く合わない、少女趣味の魔法少女衣装。

 魔法少女らしさを追求したかのような、ふわふわの服。

 そう――私は魔法少女だ。この衣装が示す通りに。

 だから、為すべきことはもう、決まっている。


 胸元に手を当てて、みんなの顔を見回して。

 魔法少女として、絶望に抗うための、一言を放つ。


「私――わかったよ、


 闇に惑う時間はもうおしまい。

 覆い隠された【真相】の全てに、光が当てられる時だ。

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