Irregular Encounter

《不正遭遇》




 薄暗い部屋だった。明かりは天井の切れかかった蛍光灯一本しかなく、その蛍光灯にしても光量がまるで足りてなく、廃病院のような不気味な暗さを演出している。

 部屋の中には、何も置かれていないスチールラックがズラリと並んでいる。物品が全て持ち出された倉庫のようだった。スチールラックの一段の高さから考えると、もしかしたら、ワンダーの体の保管場所だったのかもしれない。処刑されるときに出てきたワンダーの数は、常軌を逸していた。この棚を埋め尽くすくらいにワンダーが大量に収められていたなら、あの数も納得がいく。

 空っぽのスチールラックの中に一つだけ、物が置いてあった。何かが入っていたと思わしきガラス瓶。最初の処刑の時に、マシュマロと呼ばれていたスウィーツを閉じ込めていた瓶に似ている。だけど今、瓶には何も入っていない。……仮にこの中にスウィーツが閉じ込められていたのだとしたら、今はどこへ行ってしまったのだろうか。

 部屋の一角には、机と椅子が置いてあった。その上には、タブレット型の電子機器が一つ。形状にこれといって特異な要素はなく、もちろん画面は点灯していないため、何のための端末か判然としない。


 その机に近づく過程で、を踏みそうになった。紙は二枚あって、どちらも雑に踏まれたかのように折れたり曲がったりしている。一枚は手紙程度のサイズ、もう一枚はレポート用紙のサイズ。手に取ってみると、手紙サイズの紙は手書きの文字のみが書かれ、レポート用紙サイズの紙は大きな絵と文字が印刷されているようだった。

 だけど暗すぎて、何が書いてあるのか全然読み取れない。……一応、後で明るい場所に行ったときに読んでみよう。


 そう思いながら、私は机の前に辿り着いた。

 これ以上なくシンプルなスチール製のデスクと、キャスター付きの椅子。デスクの引き出しには、何も入っていない。椅子にも特別な細工は見られない。

 ……本当に、何なのだろう、この部屋は。

 重要な役割を持った部屋かと思いきや、特別なものは何も見受けられない。魔王の秘密基地というより、心霊スポットの廃倉庫と言われた方がまだ信じられそうな場所だった。


 あと調べていないのは、机の上にある端末だけ。恐る恐るその画面に触ってみるけれど、特に反応はない。手に持ってみてわかったのは、普通は音量ボタンと電源ボタン、ホームボタンがあるはずのタブレットなのに、この端末は角の小さいボタン一つしかないということ。インカメラも付いているようだけれど、もちろんそれに直接干渉はできない。何か起こるとしたら、このボタンを押したときだけだろう。

 魔王が所持していた物品なだけあって、そのボタンを押すことを躊躇する。だけど……もう、時間がない。藍ちゃんたちが【真相】に到達していることを期待する? 無理だ。あの三人の視点では、【真相】に辿り着きなんて絶対にしない。私が手がかりを見つけ、推理を組み立てないと、私たちは……。


「……っ」


 意を決して、その小さなボタンを押下する。

 ボタン一つを機能させるには明らかに過剰な力を込め、反応を期待する。

 機械は忠実に、与えられた役割を全うするためだけにその画面を点灯させた。暗い部屋に突如新たな光源が生まれて、私は目を細める。

 やがて光に順応して画面を見ると、その画面にはどこかの研究所――それも、漫画でしか見ないような培養液の入ったケースがある――を移しているようだった。


『……ん?』


 不意に、声がした。低い男の声。


『おやぁ、やぁっと連絡を寄越しましたかぁ。定時連絡も突然放り出すものですからぁ、ワタシはてっきり、アナタに何かあったかと思いましたよぉ。くはっ』


 間延びしたというより、言葉の最後で息切れしているかのような、聞いているだけで多少の不愉快を感じる声。おまけに不気味な笑いも添えられているとなれば、この薄暗い部屋の雰囲気と相まって、ホラー的な展開を予測せずにはいられなかった。

 いや――そんなことを言っている場合じゃない。冷静に、考えないと。

 連絡を寄越す。定時連絡。それから察するに、ワンダーはここでこの相手と連絡を取り合っていた? とすれば、その正体はワンダーの仲間であると予測できる。配下の魔物? あるいは――ワンダーと関りがある別の魔王? だとしたら最悪だ。いやでも、あくまでもモニター越し。こちらに何かできるはずがない。大丈夫。落ち着いて、対処しないと。


『少しお待ちをぉ。今、実験の片づけを行っていますのでねぇ』


 少なくとも相手があからさまに男である時点で、魔法少女の関係者でないことだけは確かだ。……いや、香狐さんに近い、スウィーツの創造主関係の立場という可能性ならある? それなら男性体が存在するのかもしれない。香狐さんは、創造主は代替わりしていて、なおかつ現存しているのは香狐さんのみと言っていた。だったら、他の役職の……スウィーツの創造主が神のような存在だとしたら、それに仕える天使的な何かがいたとか? いや、そんな存在が魔王と連絡を取り合っている……しかもこれだけ落ち着いた様子で話しかけているとなれば、その事情はロクなものじゃないだろう。天使になぞらえて言うなら、さしずめ堕天使だろうか。

 魔王の関係者にせよ、創造主の関係者にせよ――私たちの敵、と判断して間違いない。


 思考を進めるうちに、画面の奥からのガチャガチャという音が止み、足音が近づいてきた。

 画面に、声の主と思しき姿が映る。

 人型で、白衣を着ているようだった。研究者然とした出で立ち。だけど胴体から上はまだ見切れている。


『さて。この数日間――』


 相手が着席して、画面に顔が映る。

 そして私たちは互いに、その相手の姿に目を見張った。


 目の前の男は、研究者然とした出で立ちをしている。長身。白衣。左目にはモノクル。そして、二つのねじれた角。奇抜な髪型。オールバックの鼠色の髪に加えて、緑髪の房が顔を挟むようにして左右に一本ずつ垂れている。

 人型だけれど、同時に異形の者でもある。――魔王側の存在であると、瞬時に判断がついた。


『ほう、ほう、ほう……。なるほどぉ。くはっ、くははははぁ!』


 男の方が先に衝撃から立ち直り、実に愉快とばかりに高笑いした。


『さしずめぇ、ワンダーを倒しぃ、脱出のために「キュリオシティ」を奪いぃ? 「管理室」に侵入――いやぁ? それにしては、一人だけというのは腑に落ちませんねぇ。――何があったのかぁ、教えていただけると、嬉しいのですがねぇ』

「あ、あなたは……」


 事前に覚悟していたおかげで、私の混乱も短い間で済んだ。

 硬直から立ち直り、問う。

 画面越しの相手は口角を上げ、名乗った。


『ワタシですかぁ。ワタシは、ルナティックランドと申しますぅ。くはっ。覚えていただく必要はありませんともぉ。今のワタシは、ただの傍観者――観客ですからねぇ』


 悪魔のような男は、そう言ってまた『くはっ』と笑った。

 なんだかとても、わざとらしい笑い方だと思った。

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