Bad Connect

《悪性接続》




 ルナティックランド。その名前に聞き覚えはない。

 そもそもそれは、名前なのかもわからない。ランドなんて付いていると、遊園地とか、何かの施設の名前のようだ。あるいはどこかの地名か。

 ルナティック――詳しい意味は知らない単語だ。でも、あんまりいいイメージの単語じゃなかったと思う。何かの作品で、狂暴化するような技の名前に『ルナティック』という言葉が使われていた気がする。

 魔物、ではあると思う。私も魔法少女として活動している以上、有名な都市伝説なんかは調べたりしているけれど、ルナティックランドなんて名前は聞いたこともない。一般に存在が知られていない魔物だろうか。


 いや、この魔物の正体について考えても仕方ない。

 今考えるべきなのは、この魔物の立場だ。ルナティックランドは自らを傍観者、観客と表現した。

 ――直接、尋ねてもいいのだろうか。少なくとも私がここにいることは、相手にとってイレギュラーな事態のはずだ。にもかかわらず、相手は深く椅子に座り込んで、私と対話する姿勢を見せている。

 私の存在が不都合だから何らかの対処をする――なんて素振りは見せない。ただ愉快そうにモノクルを光らせて、私のことを観察している。

 ……黙りこくっていても、埒が明かない。私たちに与えられたタイムリミットは、刻一刻と迫っている。そもそもこの相手が、事件に関する情報を持っているかどうかもわからない。

 私はこの部屋に、ワンダーか、あるいはワンダーに従う魔物が隠れていると思っていた。ワンダーを見つけ出せれば、処刑に関する不正を暴ける。それで……事件のことも有耶無耶にできるかもしれないと思っていた。ワンダーに従う魔物が隠れているなら、もしかしたら、この宝石で……魔王が命令を下すのに使っていた宝石で、話を聞き出せるんじゃないかと期待していた。だけどそのどちらも、ここにはいなかった。さっきの台詞からして、この相手はこちらの事情を把握していない。であるなら、こんな場所で話し込んでいるよりも、もう一度館の探索をした方が――。


『……ふむ。ワタシの仮説ですがねぇ。確か、【蒼穹の水鏡】が殺されたと、ワンダーは憤っていましたがぁ。それは罠で、ワンダーは【蒼穹の水鏡】にハメられ、処刑された。そして今は、第五の事件の捜査中――違いますかぁ?』

「……っ!?」


【蒼穹の水鏡】というのが何のことかわからないけれど、文脈からして空澄ちゃんのことだろう。殺されたことにワンダーが憤っていた存在なんて、彼女以外にいなかった。だとしたら完全に、提示された予想は正解だ。

 言葉からして少なくとも、ルナティックランドは第四の事件が発生したことまでは知っている。その先を知らないならば――ワンダーが処刑された後から、この場所の事情を仕入れていないことになる。

 そういえばさっき、定時連絡を放り出したと言っていた。ならワンダーは、第四の事件の処刑後、この相手との連絡すら絶っていたことになる。自分の死を私たちに偽装したとして、この相手との連絡を絶つ理由は? あの処刑から二日。この館に隠れていたのだとしたら、連絡を取る機会はいくらでもあったはずだ。この館から逃げ出したのだとしても、この端末を持ち出せば連絡を取れたはず。私たちに死を偽装したいからといって、この――どういう立場かはわからないけれど、明らかにワンダーに肩入れしている存在にまで死を偽装する意味はない。

 だとしたら、まさか――。


 ワンダーはもう、死んでいる?

 あの処刑で、本当に、ワンダーは討伐された?


『混乱している様子ですねぇ。そちらで何があったか、教えていただけませんかぁ? 少なくともワタシが、アナタたちにとって、とても有益な情報を持っていることだけは保証いたしますよぉ。まあ、それが事件に関係のある事かは――定かではありませんがねぇ。くははっ』


 ルナティックランドは、私に情報を要求してくる。

 話すべき? それによって、何か不都合が起こる可能性は?

 こんな場所で時間を使っていいの? 私がなんとかしないと、何もかも――。


 ……十分だけ、この相手との対話に時間を使う。それを過ぎても収穫がないようだったら、事件の捜査に戻る。

 情報が入手できるかどうかの期待度も考慮すれば、この時間設定が妥当だと思う。

 そうと決めたなら、一秒でも時間を無駄にしてはいられない。


「今は――」


 第四の事件――その議論の推移、結末。

 希望から、絶望への反転。

 その後の諍いと、第五の事件の発生、そして苦境。

 それらを私は、求められるままに話した。

 ただし唯一、香狐さんに関することだけは話さなかった。ワンダーと通じる魔物である以上、事情を知っている可能性は高いけれど――知らない可能性だってある。あの話は万が一にも、魔物側に漏らしてはいけないことだ。香狐さんを支配すれば、そのまま人類を支配下に置けるだなんて。だからそれだけは秘匿して、このルナティックランドという相手に語った。

 早口で、なるべく要約して話をしたけれど、それでも四分ほどかかってしまった。


『……ふむ、ふむ、ふむ。なるほど、なるほどぉ。彼女も随分と思い切った真似をするものですねぇ』


 話し終えて返ってきた、ルナティックランドの第一声がこれだった。

 ――彼女?

 私が話をしている間ルナティックランドは終始無言だったせいで、この言葉が何に対するものなのか理解できない。第四の事件における、空澄ちゃんの行動に対して? それとも、他の――まさか、【犯人】に対して?


『ふむぅ。……確かに、フェアではありますねぇ。【犯人】に至る手がかりは、と言っていいでしょうねぇ』

「……ぇ?」


 手がかりはもう、提示された?


『ただし、あまりにも細い糸ですねぇ。手繰れば、切れてしまうほどの。難度調整は適切に、と事前に念押ししたはずですがぁ。妙な暗喩で、調整したつもりなのでしょうかねぇ?』


 難度調整? 暗喩?

 意味がわからない。けれどもしかしたら、ルナティックランドは――この殺し合いの根幹設計に関わっている? まるでゲームのように、プレイヤーに対する難易度を調整する役――とか?


『――仕方ない。アナタ、その「管理室」は既に調べたのですよねぇ?』

「……管理室?」

『その部屋に、ワタシの手紙と仕様書があったはずだぁ。それはきっと、この事件のヒントになるでしょうねぇ』

「手紙と、仕様書……」


 言われて咄嗟に、先ほど拾った二枚の紙を再び手に取る。

 端末の光にそれを翳して、軽く目を通す。


 手紙の末尾。

『それでは。アナタの狂気がいっそう輝くことを祈って。

狂気の国の主 ルナティックランドより』


 レポート用紙の先頭。

『MCJ - 魔物操作の宝石Monster Control Jewel 「キュリオシティ」 仕様書』


『ああ、既に見つけていたようですねぇ。ならば話が早いぃ。……ああ、読むだけなら後でもできますからねぇ。今はワタシの話を聞くことをお勧めしますよぉ』

「…………」


 私は二枚の紙を再び机に置いて、視線を画面に戻した。


『それと、これも後ですべきことですがねぇ。キュリオシティを使って、【蒼穹の水鏡】を連れてくることをぉ、クリアに命令することを勧めますよぉ』

「その、【蒼穹の水鏡】っていうのは……空澄ちゃんのことでいいんですか? それと、クリアって……」

『ん? ああ、知らないのですかぁ。最前線で鬼神の如く活躍していたのですが――いやぁ、初めは誰しも無知なものです。ええ、ええ。棺無月 空澄はぁ、くくっ、【蒼穹の水鏡】という名で我々を脅かした、ワタシの作品の一つですよぉ。くはっ、くはははは!』

「作、品……?」

『くははっ、彼女は輝かしき狂気の星として輝き、そして散った! なんたる美しさ、なんたる喜ばしさ! まさに、彼女こそっ――。ああ、失礼ぃ、取り乱しましたぁ。作品というのは比喩表現ですともぉ。彼女は歴とした人間です。ただ、狂っただけのねぇ。彼女は大っ変に魅力的でしたよぉ、くははっ』


 ……自らに包丁を刺したまま二時間半もの間耐え忍び、魔王を処刑に追い込んだ。それは間違いなく、狂気的な手段だ。輝かしき狂気の星。その表現は確かにしっくりくる。彼女の命は燦然と輝き、悪を焼き滅ぼし、そして自らもまた散っていった。

 だけど、作品という言葉の違和感はやはり拭えない。その言葉は明らかに、人間に対して使う単語ではない。

 ――それより、これで一つ確定したことがある。ルナティックランドは、空澄ちゃんが『我々を脅かした』と言った。二つ名持ちの魔法少女が追い詰める相手なんてそんなの、魔物以外にあり得ない。

 だからルナティックランドの正体は、魔物側の存在で確定だ。外見でなんとなくわかっていたけれど、それでも、敵対存在であると確定したことで緊張感が増した。


『それとクリアというのはぁ、この館スライムのことですよぉ。ワンダーから聞いているのでしょう?』

「…………」


 館スライムに名前があったことに驚きだった。私たちが、特定の人間に対して固有名称――私の場合は空鞠 彼方という名前を付けられたように、魔物にも種族の中で更に名前を付ける風習があったりするのだろうか。

 少なくとも、今までに戦った相手の中で、固有の名前を持っているような相手と戦ったことはない。河童とか鎌鼬とか鬼火とか、そういうのばっかりだった。

 それとも空想級の魔物ともなると、名前くらい授けられて当たり前だったりするのだろうか。中世ヨーロッパの家名のように、位の高い魔物は名前を魔王から授けられる……とか。低級の魔物は一般的に固有の名前を持たないとか、そういう感じなのだろうか。

 実際魔物に関することは、あまり解明されていない。だからどのような仕組みになっているのかなんてわからない。

 ――いや、思考が脱線した。こんなことを考えている場合じゃない。


 ルナティックランドは、「キュリオシティ」を使って空澄ちゃんを連れてくることを、館スライムに命令しろと言っていた。

 先ほどのレポート用紙――仕様書? では、Monster Control Jewel 「キュリオシティ」と書いてあった。魔物を操る宝石。間違いなく、今私が持っているこの紫の宝石のことだ。

 でも――空澄ちゃんを連れてくることを命じる? それに、なんの意味が――いや、意味ならある。私は一度、この事件の【犯人】が空澄ちゃんなんじゃないかと疑った。空澄ちゃんの[被害模倣]なら、夢来ちゃんが魔法で自殺したかのように見せかけ、噴水で干からびた死体なんて意味不明なものを作る事ができる。そう考えれば、空澄ちゃんの生死確認は大事なことだ。

 だけど空澄ちゃんは間違いなく、もう死んでいるはずだ。でなければ、ワンダーは処刑されなかった。最後まで足掻いていたワンダーが、空澄ちゃんが生きていたことを見落とすとは思えない。[確率操作]によって確実に死に至る細工までしていたというのに、今更生き延びているなんて――。

 いや、[刹那回帰]を使ったとしたら? さっき藍ちゃんは、仮に死していようと、十秒の間であれば[刹那回帰]は蘇生すら可能にすると言っていた。それで――いや、でも、仮に空澄ちゃんの命を繋ぎ止めておいたとして、その後は? こんな館に隠れていられるはずがない。さっき、館の中は全て調べた。空澄ちゃんが隠れていられるような場所なんてなかった。なら――。


『ふむ。まだ、証拠が弱いですかねぇ』


 思考に没頭する私を、ルナティックランドが引き戻す。

 ……まだ、何か教えてもらえるのだろうか。

 正直今は、嘘の情報でないのならなんでも教えてほしいところだった。この相手が何かを知っている立場であることはもう疑いようがない。

 いやでも、そういえば――さっきから気にしていなかったけれど、この相手はどうして、この事件の【真相】を見通したようなことを言っていられるのだろうか。

 空澄ちゃんが自分で【真相】を語ろうとしなかったのは、名探偵の座に就くことで【犯人】に狙われることを防ぐため。対してこの相手は、まずこの場にいない以上、そんな防衛策は必要ない。その上で【真相】に関して秘匿しようと……いや、秘匿しようとはしていない。むしろ私に解かせようとしている風にすら見える。現に、私にヒントのようなものをこうして授けている。

 一体、この相手はどういう立場で、何を考えているのだろうか……。


『――最後に一つ、お教えしましょうかぁ。時間もないでしょうし、ワタシは本来、ゲームに関わらないはずの立場だぁ。長く干渉するのはよくない。なぁので、手短に行くとしましょうかぁ』

「…………」

『これが一番重要な情報ですよぉ。しっかり、聞いてくださいねぇ』


 ルナティックランドが咳払いをする。

 そして、告げた。


『アナタが捜し求める存在は、その方にしか偽れない、とあることを偽っています。それについて具体的に触れることは、あまりにも大きすぎるヒント――ともすればそのまま答えとなるでしょう。ですから、あくまでも、手がかりに留めて――そうですね。魔法関連の事象について、思い出すといいでしょう。何か、があったりするかもしれませんよ――と』


 今までとは違い、間延びした言葉遣いを正し滔々と語られたヒント。終わりの合図のつもりなのか、ルナティックランドは息切れしたようにぜぇぜぇと呼吸している。


 私が捜し求める存在。今の状況に照らし合わせて言うなら、【犯人】のことだろうとは思う。その人が、何かを偽っている?

 魔法関連の事象。この館において魔法なんて、数えきれないほど使われてきた。自己紹介の後に、脱出のために使った。空澄ちゃんが魔法を掠め取った際にも使われた。それから、事件にも幾度となく使われた。私の知らないところでも、もっと使われていることだろう。そのすべての事例を知ろうだなんて、あまりにも無謀だ。

 でもその中にがあると、ルナティックランドは言っている。仮にそのおかしな点が見つかったとして、それが【犯人】と何の関係がある? まさか偽っている内容こそ、今回の【犯行】の条件を満たすのに必要なこと……とか?

 これは、信用してもいい情報だろうか。

 この情報を推理に組み込むとしたら、間違いなく大きな指針の一つになる。逆に言うなら、この情報に誤りが含まれていた場合、私は果てしなく続く茫漠たる砂漠で針探しに勤しむことになる。

 残り少ない時間で、推理を組み立てる。そのためには、推理方針を間違えるなんてことは絶対にやっちゃいけない。この事件は今までのどの事件よりも、難解に過ぎる。にもかかわらず、残された時間はもう、第二の事件のときと同程度しかない。


 何か、保証が欲しい。なんでもいい。

 この情報が真実だと信頼するに足る理由。そうすれば私は、推理を始めることができる。推理を始める前段階でうずくまる必要はなくなる。

 相手の目的が知りたい。相手の目的が私たちを陥れるためでなければ、何か――私たちに協力的な理由か、あるいは逆に信用が置けるような個人的な欲があるとか。そうであるならば、私は動き出すことができる。


「……それが、本当である保証がないです」


 相手の機嫌を損ねないように慎重に言葉を選びつつも、伝えたい言葉を選別して、端的に尋ねる。


「もし嘘だったなら、もう推理のしようもないです。……あなたは、誰ですか?」

『――くはっ』


 私の問いかけに、ルナティックランドは口の端を歪めた。


『くはっ、くはははは、くははははははははは! てっきりぃ藁にも縋る思いで飛びつくかと思いましたがぁ、ワンダーから聞いた通り、随分と冷静な方のようだぁ。くはっ。なるほどぉ。アナタが探偵役を務めたというのも納得しますよ』

「…………」


 ルナティックランドの笑い方は、何かを思い出す。高らかに、周りを気にせずにまき散らす哄笑。

 それはまるで、本来はここにいたのであろう存在の――。


『ワタシはあくまでも裏方――正体を明かす気はなかったのですが。いいでしょう』


 画面の奥で、ルナティックランドが手を叩く。パン、パンと。顔の横に手を持ち上げて、執事でも呼ぶかのように。

 瞬間、ルナティックランドの背景が研究室から変更される。場所を移動したわけじゃない。次々集まってきたおぞましい何か――生理的に受け入れられないようなグロテスクな化け物が、画面の余白を塗り潰してしまったからだ。

 それが一匹、十匹、百匹――。

 外見的にも常軌を逸したの大集合を見て、ルナティックランドは満足げに頷いた。

 そして今度こそ、自らの称号も添えて名乗った。


『狂気の国の魔王、ルナティックランド。いつの日か、新たな殺し合いを、至上なる狂気の坩堝をと望む者。――ゲームマスター志望のワタシが、殺し合い参加者に嘘を吹き込むようでは、資格が疑われてしまいますからねぇ。ワタシの言葉は真実であるという前提で考えていただきたいところです。あなたが生き残った暁には、是非とも、ワタシのゲームにもご参加いただけると嬉しいですよ。くはっ、くはははは、くはははははははっ!

 ――それでは、健闘を祈っていますよ。魔法少女、空鞠 彼方』


 ルナティックランドのモノクルが一瞬、怪しく光る。

 その狂気に満ちた瞳、堂々たる態度は間違いなく、魔王が持つそれだった。


 ルナティックランド――狂気の魔王はその言葉だけを押し付けて、通信を切った。

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