【解放編】Infinite Return / Eternal Return

《無限回帰 / 永劫回帰》




◇◆◇【唯宵 藍】◇◆◇


「なるほど、これは耐えるのね。それじゃあ……これはどうかしら」


 魔王が魔法を行使するよりも前に、第二の事件を想起する。

 第二の事件。神子田 忍が棺無月 空澄を魔王と勘違いし、罠を仕掛けた。しかしてその罠は想定外の範囲にも及び、結果、猪鹿倉 狼花が命を落とした。

 それを再現するとしたら――。


「第二の殺人事件。悲しい展開だったわよね。恐怖に狂った神子田さんは、棺無月さんを殺そうとする。けれどそれは誰もが望まなかった死を引き寄せ、悲しみのうちに、想いは断たれる。あれは印象深い事件だったわ。――[忍式之罠]。さあ、これはどう切り抜けるのかしら?」


 視界を巡らす。[忍式之罠]は、発光する魔法陣が残留する。仕掛けられたのならば発見は容易のはず。にもかかわらず、魔法陣などどこにも見当たらない。そもそもあの魔法は、手元での固定が必須だったはずだ。魔王の再現能力とやらは、その制限を無視しているのか? であるならば、魔法陣の発光すら消してしまっている可能性がある。

 この玉座の間は壁や床がほぼ露出しているが、一部はカーペットや石像の陰に隠れている。そこに魔法陣が隠されているとしたら? どうやって見つける? 不可能だ。ならば、誰かが傷を負ったところを治すか? 我の魔法ならばたちどころに完治させることができる。……が、万が一我に即死の攻撃、例えば脳を破壊するような攻撃が飛んできた場合、全てが破綻する。あの魔法は、有効化に一分の時間が必要だったはず。こうしている間にも、我の足元で魔法陣は我の命を刈り取らんと息をひそめているかもしれない。それに先ほどから、スライムの触手が我らを攻撃し、移動を強いられている。罠の地帯に誘導されれば、たちまち戦線は瓦解する。

 ……時間をかける場合ではない。

 ……やるしか、ない。


 結局のところ、あの事件のトリガーは、神子田 忍の勘違いだった。

 故にこそ、あの事件を防ぐことも簡単だった。誰かが気づいてやればよかった。誰かが彼の異常な様子に気が付いて、話を聞いてやればよかった。そうすれば彼は、あのような凶行に及ぶことはなかった。

 我らの躊躇が、その機会を奪った。皆、彼の異様な様子には気づいていながらも、話を聞くことができなかった。我らは、互いを恐れていたが故に。誰とも知れぬ相手に接近することは、自らの死を早めることになると疑っていたが故に。

 ただ互いに胸襟を開いて話し合えていればよかった。絆を築くに足る時間さえあれば、あの事件は未然に防ぐことができた。

 ……故に。


[刹那回帰]で――通常の魔力量で巻き戻すことができるのはせいぜい、人体の体積に等しい範囲のみ。

 対して、この部屋の大きさはどれくらいある? ――測定するのも馬鹿馬鹿しいほどだ。しかし、やってやれないことはない。体積で、表面積はほぼ限定されない。範囲を薄く引き伸ばせば、床表面の罠は――一度では届かずとも、除去できる。

 刹那も、積み重ねれば遂には永劫に至るように。


 必要な思考を一瞬で終え、膨大な魔法の処理を開始する。猶予時間はおよそ八秒。

 幾度も暴発の危険に陥りながらも、[刹那回帰]で床の時間を巻き戻し、罠が仕掛けられる以前の状態へ。そこに罠があるかどうかなど関係ない。罠があると、そう判明した時点で、あとは総当たりで取り除いてしまえばいい。設置型の罠など、存在が割れてしまえば何の役目も果たせないガラクタだ。

 魔力が切れそうになったなら、今度は自らの魂の時を巻き戻す。そうして、我は万全の状態へと回帰する。心優しきスウィーツたちに止められた禁忌の用法を、躊躇いもなく使用する。


 ――そんな力を、無償で行使することができるか? 当然、否だ。

 我がこの力を隠匿していた理由は、スウィーツに口止めされていたことだけが理由ではない。

 永久機関、無限エネルギー。そんなものは夢想の産物だと結論が付いている。超常のエネルギー、魔力だろうと、その法則からは逃れられない。では我の魔法は、どこから回復した魔力を持ってきているか?

 答えは簡単。我自身からだ。我自身への回帰不能のダメージ――魂の摩耗を対価に、我は時を回帰させる。しかもそれは等価交換などではない。明らかな違法レートだ。我の力は、自傷によって賄われている。これが最強の能力など笑わせる。

 我が魔法を行使するたびに、我の魂には傷がつく。それは[刹那回帰]の力であれど癒すことのできない、時間的絶対固定性を備えた傷だ。癒えることなど一生涯あり得ない。


 通常の[刹那回帰]の使用でこうはならない。莫大な代償を支払わされるのは、無限ループ構造を組み上げる用法のみだ。

 どうやら神とやらは、無限という概念を嫌うらしい。制限のない力など存在しないとばかりに、我の魔法は箍を外せないようになっている。

 我自身、破滅が迫っていることを感じる。故に、巻き戻すのは最小限の範囲のみだ。我らに危険が及ぶかもしれない場所のみを重点的に、巻き戻す。


「……ぐっ」


 ――黒い魔法陣が煌めく。

 そもそも、暴発を抑えるだけでも相当の困難――不可能だと弱音を吐きたくなるほどの困難を伴う。それほどに、魂のみを狙い撃ちにした魔法の行使というものは難しい。それを連続で、かつ魂の悲鳴に耐えながら? これを繰り返して、この部屋の全てを回帰させる? ふざけていると、心からそう思う。

 だが――。


 魔王は、我が何をしているのか気づいたようだ。

 今まで、空鞠 彼方と雪村 佳凛に比重を置いて攻撃していた、壁から生えるスライム状の触手が、我と神園 接理の方に飛んでくる。

 ――あと二秒で、魔王が魔法の発動を宣言してから十秒経つ。迷っている暇はない。


 我は全力で、力を、罠の消去に注ぎ込む。


「――[確率操作]。唯宵 藍は攻撃では殺されない」


 ……ああ、ありがたいことだ。これで、我は仕事を完遂できる。

 ――ッ!? 違う。空鞠 彼方たちが、我が未だ罠の除去を完遂できていない地点に誘導されている! ――ここからでも、魔法は届くか!?

 いけるか? いや、やるしかない。

 我は自らの盾に力を込めることを放棄し、[刹那回帰]を発動する。今、魔法を乱されるわけにはいかない。あの二人が倒れるのは我々の敗北に等しいと、神園 接理は言っていた。だから、我が身の防御に専念するわけにはいかない。

 ――勝ちたいのなら。我が魔法で、この場を繋がなければならない。


「ぐぁっ――」


 触手どもが、力のこもっていない我の盾をあっさりと弾き、強かに打ち据える。衝撃に吹き飛ばされ、壁に激突し、尋常ではない痛みに襲われる。

 しかし、怯懦は見せない。もう、我は道を誤らない。今だけは臆してならないと心に決めたのだから。

 我がトラウマ――二年前の魔王戦を想起する。我は【無限回帰の黒き盾】。その使命に従い、我は怯むことなく魔物を狩り続けていた。あの地獄を経験するまでは。

 魔王の軍勢との戦いは、通常の都市伝説級や空想級の魔物との戦いとは一線を画していた。連戦に次ぐ連戦。仲間が次々と倒れ、しかし退くことも許されない地獄の防衛戦。【無限回帰の黒き盾】を名乗る我ですら、あの戦いでは幾度となく死を間近に感じた。

 我は、通常の魔物を恐れたりはしない。しかし、魔王だけは……別なのだ。あの魔王の軍勢との争いを思い出すたびに、死への恐怖が我が魂を蝕んでゆく。

 そのせいで、我は……この館において、判断を誤り続けた。

 ならばせめて――ここで空鞠 彼方に協力してやらなければ、正義など名乗ることができないだろう。

 我は、我が正義を証明するために――。


「ここで倒れるわけにはいかん!」


 ――[刹那回帰]の構築が完了。間に合った。

 空鞠 彼方たちが、我がたった今[刹那回帰]で対象にした、カーペットのエリアに踏み込む。魔王はそれに笑みを深くして……何も起こらないことに対して、呆けた顔を見せた。

 どうやら、我は仕事を遂げたらしい。


 ならば、後は……禁忌により魔力を補填し、神園 接理の魔力を回復、再度禁忌で我の魔力を戻す。その後で我自身の傷を巻き戻し、完全に回復する。

 そしてそのまま、自力で触手を回避していた神園 接理のもとへと戻り、盾を展開する。


「はぁ、はぁっ……」


 トラウマは壊せる。魂を削りながら、それを証明する。

 我らを襲った悲劇は――殺し合いは、全て未然に防ぐことができた。

 その証明を完璧なものとするために、今はこの場への対処を続けよう。


 刹那を見て、永劫を顧みない。それは愚かな在り方かもしれない。

 我は結局のところ、只人に過ぎなかった。後悔を引き摺って魔法少女となり、その結果得た魔法は、刹那に拘泥する回帰の力。後悔した分だけ時を巻き戻し、進むことを拒否する魔法。

 百何十年か前、偉大なる哲学者フリードリヒ・ニーチェは、世界のありとあらゆるものの遠大なる回帰、永劫回帰を説いた。それは、彼の説く超人にのみ受け入れられる世界観。超人は、この世の全てを肯定し、無為なる世界を受け入れる。

 超人だけが至るというその極致は、我とはまるで正反対だ。

 滑稽だ。【無限回帰の黒き盾】などともてはやされようと、我の本性はその程度だったというわけだ。

 ……しかし、それに気づいて、それを許容する我ではない。


 刹那に拘泥すれど、刹那もいずれ、積み重ねれば永劫へと変じる。

 今はまだ、滑稽な無限回帰でしかなくとも。

 この戦いが平和裏に終わればきっと、何かが変わるだろう。故にその時まで、我は刹那の守り手となろう。無限の痛みを防ぐ盾となろう。いつかそれが、永劫の平和に届くことを願って。

 棺無月 空澄が、あるいは彼女に意思を託した者が望んだ平和に――。

 もはやこれ以上、刹那に拘泥しなくともよいと思える世界に届くと。

 それを信じよう。間違い続けた我らも、正しい答えに至れると。


 ――さあ、しくじるなよ、空鞠 彼方。

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