プロローグ:平穏に差す月明かり
ようこそ
気が付けば、私は大きなゲート前広場に立っていた。
前後の記憶はハッキリしている。ルナティックランドが主催するデスゲームを阻止するために、渡されたチケットの力を使ってここに転移した。
スイートランド。甘美の国の主が治める魔法の遊園地。
お菓子をモチーフとしたこの遊園地は、その世界観を守るために一切の妥協を許容していない。建物も、アトラクションも、それどころか地面すら、全てがお菓子に関係のあるもので作り上げられている。
すぅと空気を吸い込めば、甘い匂いが空気を満たしているのが一瞬で理解できる。
スティック系のお菓子やプレート系のお菓子で構成された入園ゲート。
その中央には『SWEET LAND』と刻まれた看板がある。あそこが入り口で間違いないだろう。
このメルヘンな世界をもっと探索していたい、と興味が湧く。
この童話チックな世界で、どんなストーリーを繰り広げることができるだろうか。
そう考えてしまうのは、物語の魔王としての抗えない性だ。
それをねじ伏せて、私は周囲の観察もそこそこにゲートへと急ぐ。
遊園地のゲートだというのに、並んでいる人間は一人もいなかった。
代わりに、ソフトクリームか何かの妖精がゲートで待機していた。
『ようこそいらっしゃいました! ここはスイ――』
「悪いけれど、急いでいるの。チケットはここにあるわ。通してもらえるかしら?」
『え? あ、えっと……』
私は狼狽えている相手に構わず、チケットを押し付けた。
『あ、はい。確かにチケットですね。でも――』
「もう通っていいわよね?」
『えっと、規則上は問題ないのですが、ここで一通りの説明をするのが仕事で――あ、ちょっと!』
私は相手に構わず、開いたゲートを潜り抜けて園内に踏み込む。
ゲートを抜けたすぐ先は、アーケードの商店街のようになっていた。無数の店が立ち並んでいるが、生憎とショッピングを楽しむような状況でもない。
それよりも――その奥に目を向ける。
園内のどこからでも見えるような、大きな城。
ケーキを模しているようで、生クリームがかけられていたり、イチゴが載せられていたり、ロウソクが立っていたりと極めて特徴的な形をしている。
それでも、全体の造形から辛うじて城であろうと推測できる。
――きっと、あそこにいるだろう。この世界の主、スイートランドが。
私は身体能力が十全に使えるか、体中に魔力を巡らせて確認する。
……大丈夫。人を圧倒的に超越する力は、依然として健在。なら――。
地面を傷つけないようにしながら強く地を蹴る。その瞬間、私の体は風を切り、遥か前方へと移動する。
城の形がハッキリと見えた。しかしクッキーの門は固く閉ざされている。外には誰もいない。どうしたものか。
まあ、魔王の能力の前には些細な問題だ。私はもう一度地面を蹴り、城の目の前まで辿り着くと、もう一度地を蹴って高く跳び上がる。
そのまま、城のバルコニーのようなところに飛び乗る。
よし。後は、スイートランドを見つけて――
「誰ですか?」
ふと、幼い声が耳に届く。この声は……聞き覚えがある。
魔王同士の集まりで、何度も聞いた声だ。
「ごめんなさい。お城の解放は午後――」
城の隅、塔になっている部分から顔が覗く。
生クリームのように真っ白なツインテール。おやつの時間を楽しみに待っているようなあどけない少女の顔。
忘れるはずもない。魔王同士でありながら、ほとんどの魔王と明確に敵対関係にある魔王。
甘美の国の主、スイートランド。
私の姿を見たスイートランドの目が、驚愕に彩られる。
次の瞬間、彼女は塔から躊躇いなく飛び降りた。何の問題もなく着地し、そのまま地を蹴って跳躍。迷うことなく私の元へやって来る。
「あなたは――どうして、あなたがここにいるんですか! 魔王ワンダーランド!」
イチゴのチョコのようなピンクの右目。
ソーダ味のグミのようなブルーの左目。
その双眸は、隠すことのない嫌悪を宿している。
その嫌悪に対して罪悪感を抱きつつも、私は単刀直入に必要なことを告げる。
「時間がないわ。スイートランド、今この場所に魔法少女はいる?」
「なんですか、それ。そんなこと、あなたに教える筋合いは――」
「いるなら、すぐにこの世界から魔法少女を逃がしなさい。もうすぐ、この場所で殺し合いが始まるわ。死なせたくないなら、早く――」
「信用できると思ってるんですか? 私の……私の大事な魔法少女たちを、七人も死なせておいて!」
「…………」
私の大事な、魔法少女たち。
そう言うのは当然だろう。なにせスイートランドは――
スイートランドは、スウィーツの生みの親なのだから。
私があの殺し合いの中で騙った、スウィーツの創造主の立場。嘘であったことは確かでも、ゼロから作り出した空想というわけではない。実在する目の前の魔王、スイートランドこそあの作り話の原典だった。
スウィーツを作り出し、魔法少女という概念を生み出し、人間を蹂躙されるだけの存在から昇華させた魔王。
――そう。魔王というのは、単に力を持った魔物に与えられる称号だ。人を想う魔王がいたとしても、不思議なことは何もない。
私は……いや、私たち魔王はその気持ちを知っていながら、それを踏み躙り、穢す道を選んだ。
あの殺し合いこそ、その象徴的な出来事だろう。
私の罪は消えない。殺し合いを主催し、多くの魔法少女の命を奪ったことは紛れもない事実だ。
それでも――彼方さんに言われたのだから。償えと。
なら、ここで私が引き下がるわけにはいかない。殺し合いだけはなんとしてでも阻止しなければならない。
「聞きなさい、スイートランド。私のことが信用できないならそれでもいいわ。それならそれで、私がいるこの場に魔法少女を残すよりも、元の世界に帰した方が安全だというくらいはわかるでしょう?」
「それは……」
「だから、急いで――」
魔法少女を元の世界に帰せ、という言葉は最後まで紡ぐことができなかった。
突如、世界が揺れた気がした。物理的な揺れではない。しかし、何かがブレたような。世界の法則が丸ごと書き換えられてしまったかのような。そんな違和感が全身を、そして魂を駆け巡った。
「な、何をしたんですか――。これもあなたの仕業ですか!?」
「ち、違うわ。私じゃ……」
「……そんな。魔法少女を、帰せなくなってる?」
スイートランドの顔が青ざめる。
――魔法少女を帰せない。それはおかしい。魔王が所有する世界において、その主は異物を好きに排出できる。魔王はその世界の主なのだから。全てを支配下に置けなければ、主とは呼べない。しかし今、その権利が剥奪された。
これもルナティックランドの妨害? けれど、魔王の権能すら押さえつけるなんていくらなんでもおかしい。ひとまず、周囲の確認を――
同じことを考えたのか、私とスイートランドは同時に床を蹴って飛び出そうとする。しかしその動きは、どちらも不発に終わった。
この感覚、間違いない。――身体能力向上の魔法が、使用できなくなっている。
「魔王の力を、縛った?」
前回の殺し合いにおいて力を縛られていたのは、魔法少女とあのサキュバスだけだ。私は力を縛られてはいなかった。自己保身の観点もあったけれど、魔王の力を縛るのはそれだけ困難でもあったからだ。
しかし、これは――。魔法の発動は魂に依存している。ならばこの不調の原因として考えられるのは、それしか――。
『えー、ご来園のみんなー!』
ふと、スピーカー特有の響き方を伴って、声が響いた。
『ただ今より、開園の挨拶をさせていただきます! 十秒後、ケーキキャッスル前のお庭まで転移させていただきますので、びっくりして間抜け面を晒さないようご注意ください! あははっ!』
無邪気な子供のような声。
遊園地のスタッフによるアナウンスにしては不自然に、後半の言葉は礼節をかなぐり捨てている。
間違いない。このアナウンスは――
殺し合いの開幕を告げる、召集のアナウンスだ。
パッ、と景色が切り替わる。
高所から周囲を見下ろしていたはずの景色は、いつの間にか、地に縛り付けられたものへと変わっていた。
強制的な転移。抵抗すら許さず? 魔王ともなれば、魔法に対する防御力は桁外れだというのに。
こんな感覚は初めてだ。私は初めて、いつ死んでもおかしくないと実感している。
あの殺し合いの最後、自身が死ぬ直前であると偽装した時ですら、私は死からは遠かった。傷を負ったのだって、意図的に抵抗力を発揮しなかったからだ。傷を治す力だって持っていた。仮に彼方さんが駆け付けずとも、私は絶対に死ななかった。
しかし今は違う。私は、抵抗すら許されない存在に成り下がっている。
今、この胸にナイフを受けたら、私は死ぬ。そんな確信があった。
「あっ、ここ!」
「うぅ……ジェットコースター乗ってたから、酔いが……」
「転移、か。妙だな」
そんな予感を他所に、様々な感情を宿した声が耳朶を打つ。
先ほどのアナウンスによれば、この遊園地にいる者を全員転移で連れてきたのだろう。私とスイートランド以外にも、魔法少女と思われる少女たちが集まっていた。
遊園地のパフォーマンスの一環だと思い込み、黄色い声を上げる者。
状況を理解する頭も働いていないのか、フラフラしている者。
違和感を嗅ぎ取ったのか、警戒するように周囲を探っている者。
私とスイートランドを入れて、全部で九人。……これで全員? それとも、まだ別の場所にいるのだろうか。
そんな私の疑問に答えるように、朗らかな声が頭上から響いてきた。
『魔法少女のみんな、元気かなー!』
声につられて頭上を見ると、そこにはふよふよと浮遊しながら移動する、サッカーボール程度の大きさの何かがいた。
半身――こちらから見て右半分が焦げ茶、左半分がクリーム色。綺麗に二色に分かれている。しかしクリーム色の部分の方は、どういうわけか少しずつ融け、ぽつぽつと雫を垂らしている。その融解の影響か、体は完全な球形ではなく斜め後ろに垂れ下がるようになっている。
焦げ茶部分の目は星型、クリーム色部分の目は丸――その下には涙の痕のような細長い三角形がある。
口には、三日月型の不気味な笑みが張り付いていた。
https://kakuyomu.jp/users/aisu1415/news/16817139554780216693
『僕はビタースイート! この遊園地の案内人みたいなものだと思ってくれていいよ! 今日はみんなに、紹介したい人がいるんだ!』
「紹介したい人?」
「誰なのです?」
未だ観光気分の能天気な子たちが、ビタースイート……スウィーツらしき、しかしどこかスウィーツらしくない不気味さを持つソレに問いかける。
その質問にビタースイートは気をよくした様子を見せた。
『うんうん、それじゃあ早速紹介しましょう! おいでくださいませ!』
ビタースイートが、先ほどまで私たちがいた城の門――クッキーで作られた門に向かって飛んで行く。それにつられて皆視線を移すと、ゆっくりと城の門が開いてゆくのを目にする。
本来、この世界の主であるスイートランドが住んでいるはずの城。そこから出てきたのは――。
「……マネキン?」
キコキコと、壊れかけのような音を漏らす、ボロボロのメリーゴーランドの馬。それに跨っていたのはマネキンだ。服も何も着せられておらず、飾り気はないけれど、顔や体がサイケデリックな色合いに塗装されており不気味さを醸し出している。
予想だにしなかった光景にほとんどの者が呆然とし、その間にもマネキンを乗せた馬はキコキコとこちらへ向かってくる。
そして――
「きゃっ!?」
「下がれ!」
「わぁぁぁああ!?」
ボン、と冗談のようにはじけ飛んだ。
四肢が千切れ、首が飛び、偽物の血がまき散らされる。その腕の一本は何の偶然か私の方に飛んできた。
咄嗟に身体能力を上げて弾き飛ばそうとする。しかし実行に移す直前に、今は力を縛られていたことを思い出す。
しまった、と思う暇もなく私は腕の直撃を――
「てやぁぁぁ!」
受ける寸前に、私の目の前に誰かが割り込んだ。姿勢から察するに、掌底でも叩き込んだのだろうか。
特徴的な犬耳と犬尻尾が、まず目についた。
小柄な女の子だった。実際の年齢はわからないが、外見は明らかに小学生だ。……いや、明らかに、ではないか。身長の割に胸の発育は妙にいいようで、どことなくアンバランスな印象を受ける。
オレンジ色の髪は、暖かな陽光のように煌めいて見える。
お腹が露出するような短さのシャツを着ているが、サロペットを着ているため前面は隠れていた。
「――っと。大丈夫?」
「え、ええ……」
振り返ったその顔は、スイートランドのような幼いものでありながらも、極めて鋭い警戒を窺わせる。最前線で幾度となく戦ってきた――あるいは二つ名持ちだとしてもおかしくない雰囲気を覚えた。
見つめすぎたのか、彼女は私の視線に不思議そうな顔をする。
……そうだ。予想外の助けに思わず困惑してしまったけれど、この子に気を取られている場合ではない。
これが見せしめ代わりのパフォーマンスなのだとしたら――
「くははははははははっ! サプライズは、楽しんでいただけましたかねぇ」
今度こそ、開かれた門から魔王が姿を現す。
研究者然とした白衣。左目のモノクル。
二本のねじれた角を持ち、鼠色の髪をオールバックにした男の魔王。
「お集りの皆さまぁ、ごきげんよう! ワタシは狂気の国の主、ルナティックランドと申しますよぉ。本日は皆さまに――殺し合いをしていただくためぇ、お集りいただきましたぁ! くはっ、くははっ、くははははははははは!」
――狂気の国の主、ルナティックランド。
彼は狂気の宴の参加者を前にして、至福の絶頂とばかりに高笑いを響かせた。
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