Everything about You

《あなたに関する全て》




 覚悟を決めれば、簡単に時は過ぎていく。

 今までは、いつ訪れるかもわからない希望を待つためだけに耐え忍ぶ時間だった。だけど、今は違う。

 ここでの時間は、永遠の中の一部でしかなくなった。

 だから――辛くても。勝手に、時間は過ぎていく。

 いつの間にか昼が過ぎ、夜を迎え、日付の境界を跨ぎ、そして次の日へ。


 日付が変わる前の九日目において、異常事態はあまりなかった。

 強いていうなら、昼食と夕食の両方で藍さんが食堂に来なかったのと、空澄ちゃんが二人分の食事を持ってどこかへ行ってしまったことだ。

 それと――接理ちゃんと佳凛ちゃんが、少し仲良くなったように見える。魔法を使うのは拒まれ続けているらしいけれど、なんだか、距離感が近くなっている。現に、佳凛ちゃんはわざわざ接理ちゃんの隣に席を移して食事を取っていた。

 ――そんな中で、変わらず一人な女の子がいた。誰かは……言うまでもない。そして、それについて語るべきこともない。……私はもう、取捨選択を済ませてしまったのだから。


 そして、十日目。――まだ十日しか経っていないと、日数を数えるたびに思う。

 もしかしたらここでは、一日が五十時間くらいあるのかもしれない。そう、真剣に考えたくなるほどだった。

 朝食の席には、全員が揃った。――生存している全員、だけれど。

 その中でも、様子が普段と違う人がいた。


「……藍さん、何かあったんですか?」


 藍さんは、どことなく不機嫌そうだった。それに、目つきも悪くなっている。

 だから、尋ねてみた。すると、不思議な反応をされる。


「……貴様、桃の乙女か? 昨日までの様子はどうした」

「えっ? それは、あの……香狐さんのおかげで」


 詳しいことは、教えない。……それはちょっと、恥ずかしい。

 だけど、表面的な事実は正直に伝える。


「そーいえば、ご飯の時もちょっと持ち直した感じだったね。あーしは早々に出てっちゃったから、あんまし詳しくは知らないけど(・ 。・)」


 空澄ちゃんが、軽い調子で言った。……私は、本気で悩んでいたんだけど。

 今も、完全に棘が抜けたとは言い難い。でも……。


「……少しは、回復したようだ。今ならば、我が問いに答えることもできるか?」

「問い? ああ――三日前の、ですか?」

「いや。あれはもう、貴様の中で答えを出しただろう。故に、新たなる問いを貴様に与えよう」


 三日前に訊かれたのは、確か――。

 そうだ。どうして、死に傷つかないようになったか、だ。

 ――私は、傷つく心を取り戻した。だからもう、藍さんとしてはそれでよかったのだろう。

 しかし今、私が再び立ち上がったから――。その理由を気にし始めた。

 もしかしたらまた、死を死と思わない狂った思考回路が復活しているんじゃないか、って。たぶん、そういうことだ。

 だから、藍さんの問いは、こうなる。


「今の貴様は――我が粛清に値する者か?」


 粛清。【無限回帰の黒き盾】としての、粛清。

 罪を罪とも思わず、己の罪を隠し立てする。罪人が抱く醜い心を矯正するための、粛清。

 であるならば――。


「……いいえ」


 首を振る。――嘘をつく。

 自分のために誰かを死へと追いやる覚悟を決めた私は、【無限回帰の黒き盾】の粛清対象としては十分すぎる。

 でも……。邪魔されたくないから。だから私は、嘘をつく。


「――そうか。ならば、いい」


 藍さんは、私の言葉を信じた。

 全てを見通しているように思えたオッドアイが、その実、何も見通してはいないと知る。

 ……罪悪感は、ある。それはどうしたって拭えない。

 でも。『正義』に反してでも――私は彼女を選んでしまったから。

 そうしないと……もう、生きてはいられないと思って。


「……粛清?」


 傍らで、夢来ちゃんが呟いた。

 藍さんの正体を知らなければ、そのような反応にもなるだろう。

 だけど藍さんは、積極的に自分の正体を喧伝する気がないらしく。

 夢来ちゃんは疑問符を浮かべたまま、また一人放置された。




   ◇◆◇◆◇




『えー、えー、喉の調子良好。いけそうです。すぅぅ――グゥゥウウウッド、イィィイブニィィ――』


 午後五時少し過ぎ。

 厨房で料理の盛り付けをしていると、不愉快な声が聞こえてきた。

 反射的にベルトコンベアの操作パネルに手を伸ばす。


『ィィィ、んぐぅ!? これまた突然の排出ぅぅぅ!?』


 ワンダーの声が遠くへ押し戻されていく。

 だけど、ワンダーが来たということは……また嫌なことが起こるということだ。


「また来たのね」


 香狐さんは言いながら、私が何も要求しなくとも、自然に私の手を握ってくれた。

 それで、拒絶反応を示した体の震えが、ほんの少しだけ抑えられる。


「行きましょう、彼方さん。……何かあったら、私が守るわ」


 香狐さんはそう言って、かけっぱなしのエプロンのポケットに、包丁を忍ばせる。


「……いえ。包丁は、いいです。香狐さんも、危ないことはしないでください。香狐さんにもし、何かあったら、私……」

「そうね、ごめんなさい。でも、私も彼方さんに何かあるのは嫌なのよ。それは、わかってくれるでしょう?」

「……はい」


 どうして香狐さんが私のことをこんなに気にかけてくれるのかは、本当にわからない。こうして誓いを立てた今ですら、それは変わらない。

 でも――ここにある想いだけは、確かだから。

 私は香狐さんと手を繋いで、食堂に向かった。


 食堂には、ワンダー以外誰もいなかった。

 まだ、夕食の時間より随分早い。誰もいなくて当然の時間だ。

 それに……時間より随分前に来るような人も、もういなくなってしまった。


『あれま、おててつないで登場ですか? お熱いですなー、ひゅーひゅー!』

「……何度も言ってるでしょう? 料理中に来たら、焦げたぬいぐるみにするって」

『あ、お、おおお、おお、おちち、おちつつ、落ち着いてぇ! ボ、ボボッ、ボ、ボボボ、ボクみたいにさぁ!』


 ワンダーが、全く落ち着いていない様子で言う。


「それで、今度は何の用? あなたがいるだけで彼方さんが不安がるし、そろそろ本気で燃えカスにするわよ?」

『も、もうその手は通じないんだからなー! ど、どうせハッタリなんだろー!』

「…………」

『えっ? あ、あのー……。ハッタリ、ですよね?』

「…………」

『そうだと言って、お願い!』

「…………」

『あっ、これマジなやつですね』


 香狐さんに頭を掴まれたワンダーが、ジタバタ暴れながら悟る。

 片手――私と繋いだのとは逆の手でワンダーを潰す香狐さんは、冷めた目でワンダーを見ている。


『HA☆NA☆SE』

「用件、四十文字まで」

『遊戯室でみんなで遊ぼうって誘いに来たんです拒否したら謎触手ちゃんの刑です! 三十六文字!』

「燃えカス」

『なんでぇ!?』

「三十六文字の文章に加えて、五文字。ほら、四十一文字でしょう?」

『文字数カウントしてあげただけなのに! 後出しルール、卑怯だと思います!』

「あなたがそれを言うかしら? 【犯人】を殺しても【犯人】にはならないなんてルールを後出しで追加したって、棺無月さんから聞いたわよ?」

『だって、そうしないとゲームが成り立たないじゃないですかぁ! ボクにはこの殺し合いを成功させなきゃいけないという使命があるんだよ!』


 香狐さんとワンダーの口論が続く。

 香狐さんは、ワンダーとそんな風に接して、怖くないのだろうか。

 思えば、私は香狐さんの経歴について何も知らない。

 知っているのは、他人と一緒に寝る機会が一度もなかったという些細なことだけ。

 ――もしかしたら香狐さんも、藍さんと同じように歴戦の魔法少女だったりするのだろうか。だから、魔王相手に一歩も引かない精神を持っている、とか。

 香狐さんの年齢を、私は知らないけれど――。私よりも年上なことだけは確かだと思う。見た目的には、大学生でも不思議はない。

 その年齢まで魔法少女を続ける人は、かなり少ない。特殊な事情がない限りは、高校在学中に引退するのが一般的だとスウィーツは言っていた。

 香狐さんは、何を思って魔法少女になったんだろう。香狐さんは、何を考えて魔法少女を続けているのだろう。香狐さんは、どんな思いでここにいるんだろう。


 私は香狐さんについて、何も知らない。

 それを思うと、胸がモヤモヤする。

 知りたい。香狐さんの全てを。

 教えてほしい。香狐さんのことを。


『と、とにかくボクは一度退却するけど――ご飯食べたら、みんなで遊戯室来てね! 待ってるからね!』


 いつの間にか解放されたワンダーが、そのまま食堂の外へ飛び出していく。


「ふぅ……なんとか追い払えたわね」


 香狐さんの手を、強く握る。

 この手を放したくない。

 香狐さんの全てを知りたいなんて言って――重い女の子だって、幻滅されたくない。だから、胸の内は話せない。

 このモヤモヤは、抱えていく他ない。

 いつか――教えてもらえる日が来るのだろうか。香狐さんがまだ話してくれていない、香狐さんに関する全てのことを。

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