Deadly Vow

《致命の誓い》




「……彼方ちゃん」


 香狐さんに慰められながら、その声ははっきり届いた。

 私は、顔を上げなかった。ただ香狐さんに慰められるまま、俯くだけ。


「あの、色川さん……。彼方ちゃんは……。……彼方ちゃんに、何かあったんですか?」


 私に返事を期待できないと悟ったのか、夢来ちゃんは香狐さんの方に尋ねた。

 ……香狐さんには、私の想いの根源を話している。だから、香狐さんに聞けば、私の想いは通じる。

 だけど――。


「……さぁ。昨日から、こんな様子なのよ。暗い話題を出すとこうなってしまうみたいだから……あまり嫌な話はしないよう、気を付けてもらえるかしら?」

「……ぇ」


 夢来ちゃんの声が、か細く震えた。

 それは、秘密にされたことを察したが故だろうか。それとも、夢来ちゃんは今から、まさにその『嫌な話』をしようとしていたのだろうか。

 たぶん、後者だと思う。でも、私を傷つけようとしたわけではないというのも、わかる。

 夢来ちゃんの顔を見なくたって、十分に伝わっている。夢来ちゃんがずっと、私のことを想ってくれていることくらい。

 だけど、気づいてしまった私は――もう夢来ちゃんを、純粋な目では見られない。

 私も、夢来ちゃんも、言葉で人を破滅に追いやった狂人だ。自ら手を下すことなく、【犯人】を死に突き落とした卑怯な殺人鬼だ。

 それを理解してしまった後で、どんな言葉を交わせばいいのだろうか。

 同類同士、仲良くする? ――無理だ。こんなものを、私は背負いきれない。

 私は、自分が綺麗なままだと信じていたい。……卑怯な私は、そんなことを考えている。だから、同類同士なんて仲間意識を持つことはできない。


 涙が、いっそう溢れてきた。

 恐怖と、悲愴と、諦念と、絶望。全てが、涙に変わる。

 涙は、際限なく溢れてくる。私はそれに抗うことなく、声を出さずにただ泣き続けた。




   ◇◆◇◆◇




 気が付くと、食堂には香狐さん以外誰もいなくなっていた。


「……もう、大丈夫かしら?」

「……はい。その、ごめんなさい……」

「いいのよ。言ったでしょう、あなたを守るって。あなたにはもう、ワンダーに立ち向かう気はなくなってしまったかもしれないけれど……。その約束は、嘘にはしないつもりだから」

「……ありがとうございます」


 熱い。香狐さんと触れ合う部分が、あまりにも熱い。

 砕けて乾いて凍った心に、それだけが浸透していく。


「彼方さん。彼方さんは、どうしたいかしら?」

「えっ?」


 不意に、香狐さんに訊かれた。

 それが何の話かわからず、私は香狐さんの顔を見た。

 香狐さんはやっぱり、柔らかい微笑を私に向けてくれている。


「……ごめんなさい。今のあなたはしたくない話だと、わかっているけれど。それでもこれだけは決めておかないと、この先やっていけそうにないから。ワンダーは、この館での生活は無期限と言っていたわ。彼方さんは……ずっとここで過ごすことを、受け入れられるかしら?」

「ぇ……。む、無理です、そんなの……っ」

「ええ、そうよね。あなたはそう答えると思っていたわ。でも、だからといって――あなたは、事件が起こることを望んでいるわけじゃないでしょう?」

「…………」


 それは、当たり前だ。

 これ以上誰かが、――死ぬ、なんて。そんなの。


「事件が起きて人数が減らなければ、この館での生活は終わらない。けれど、その人数減少は望んでいない。だったら……ここでずっと過ごす以外、道はないわ」

「…………」


 この館での生活が――殺し合いが終わる条件。

 残り人数が二人になること。人死にを望まない人間が日の光の下へ戻る、唯一の道筋。

 それは、人数が減らない限りはどうあっても条件が満たされることがない。


「……あなたは、ここの何が嫌い?」

「――っ。ぜ、全部ですっ! ルールも、ワンダーも、館も、全部――」

「あら。私のことも嫌いかしら?」

「ぁ……。ち、違うんです……。香狐さんは、違って、あの――」


 暗い不安が脳裏をよぎる。

 軽率に、黒い感情に香狐さんを巻き込んで。それで、愛想をつかされてしまうんじゃないか、って。

 今の不用意な発言で、香狐さんがどこかへ行ってしまうんじゃないか、って。

 膨大な不安に、視界が揺れる。

 恐怖を抱きながら、香狐さんの顔を見た。

 香狐さんは――怒ってはいないようだった。むしろ、微笑んで――。


「ふふっ、ごめんなさい、意地悪だったわね」


 香狐さんは、不安がる私を抱きしめてくれる。

 優しく、香狐さんの胸の中に引き寄せてくれる。

 思い切り子ども扱いされて、それで――安心する。


「あなたは、ここにいる人が嫌いなわけじゃないでしょう? 嫌いなのは、ここのルールと、ワンダーと……ここが事故物件、ってことかしら?」

「…………」

「事故物件ということに関しては、もう覆しようがないけれど。でも、他の二つは別でしょう?」

「えっ……?」

「私たちが殺し合いをしなければ、ここでのルールは全て無意味になるわ。そうして何も起き無くなれば、そのうちワンダーも飽きて、干渉してくるのをやめるでしょうね。――ね? そうすれば、あなたが嫌いなものはここにはほとんどなくなるわ」

「…………」


 その通りにいけば、そうだ。

 ここでのルールはあくまで、事件が起こる前提のもの。それが起こらなくなれば、根底から無意味なものとなる。

 ワンダーは……どう出るかわからないけれど。でも、ここでのルールが発動しなくなるなら、徹底的に無視しても何も問題はなくなる。

 どんなに焦れても、ワンダーは私たちを殺すことはできない。それをすれば、ワンダーを【犯人】として指名して、全て終わりにできる。

 もしかしたら、ワンダーが私たちを痛めつけたりするかもしれないけれど――でも、香狐さんが一緒にいてくれるなら。それも耐えられる気がする。


「ここで、一生を過ごさない? 私と、一緒に」


 その言葉はまるで、プロポーズのように響いた。

 一生を、ここで過ごす。真剣みを帯びたその言葉が、私の脳内で反響する。

 外に残してきた、家族や友達。今更、その人たちに顔向けできるだろうか。罪を罪とも思わず、二人も人を死に追いやった私が、どんな顔でみんなに接すればいいんだろう。無理だ。わからない。――私は今、その人たちに会いたくないとすら思っている。その人たちに縋れたらどんなに嬉しいかと思うけれど、でも、会いたくない。汚れてしまった自分への忌避感の方が、喜びよりもずっと強く出る。


 外にある、広い世界。

 色んな娯楽と、色んな景色と、色んな人々に溢れた世界。その世界を捨てて、ここで過ごす。

 なんて嫌な結末だろう。広い世界で、香狐さんと一緒に歩けたら。そんな想いを実現する手立ては、ここにはない。

 ――でも。この館でも、香狐さんがいる。香狐さんがいてくれることは、どこに至って変わらない。だったら……いいのかもしれない。


「……香狐さんは、ずっと一緒にいてくれますか?」

「ええ、もちろん。私の方からあなたを手放すことは、絶対にないわ」

「私は、香狐さんの傍にいて……いいんですか?」

「ええ。彼方さんに、傍にいてほしいと思っているわ」

「……。私は、二人を――」

「言わなくていいわ。もう全部、昨日聞いたもの」

「…………」


 香狐さんは、こんな私を受け入れてくれる。

 優しく、包み込んでくれる。だったら――。


「……香狐さんが、一緒にいてくれるなら。私は、ここでずっと過ごしても……いいかもしれません」


 私は、プロポーズに応えることにした。

 それは……私の望みを、完璧に満たしてくれるものだったから。


「ふふっ。嬉しいわ、すごく」

「……私も、です」


 思えば、私の気持ちを直接言葉にしたのは初めてかもしれない。

 婉曲な言葉でなく、単純に想いを告げる。

 幸せな気分だ。暗い心に、ほんの少しの幸福感が沁みていく。

 だから……おかしいと思った。私がこんなに幸せだと思うなら、何か反動があるに違いないって。案の定――それは、あった。


「だけど――後出しになってしまって申し訳ないけれど、彼方さんは、絶対に一つだけ、守らなければならないことがあるわ」

「ぇ……? な、なんですか……?」

「仮に、ここで事件が起こってしまったら。それは、彼方さんが解かなければならないわ」

「ど、どうして……」

「だって。彼方さん、今の桃井さんの事、どう思うかしら?」

「……っ」


 私のためだと言って、殺人の咎を負った夢来ちゃん。

 近づきがたい。私の、触れられたくない傷を抉られる。

 ――あんな同類、欲しくはなかった。


「ここでずっと過ごすなら、当然、彼女とも生活を共にすることになる。今の彼女でさえ、彼方さんは辛そうなのに――本当に、彼方さんと同じ数の人を死に追いやったとしたら。彼方さんは……その桃井さんと、一緒にいられるかしら?」

「…………」


 無理だと、直感で悟ってしまった。

 そんな人が隣にいて、そのままでいることは――できない。

 ここでの生活をずっと続けるなんて、できない。どこかで、破綻してしまう。


「あなたが、たとえあと何人の【犯人】を追い詰めたとしても。私だけは、あなたの傍から離れないことを誓うわ。だから……。事件の解決は、あなたがやるの」


 香狐さんの言葉が、心臓に刺さる。

 また一人、【犯人】を追い詰めたら。それだけで、私の自己嫌悪は膨れ上がるだろう。簡単に自分を潰してしまえるほどに。

 だけど――香狐さんがいてくれる。香狐さんなら、私のことを受け入れてくれる。自己嫌悪を忘れるほどに、理性を溶かしてくれる。

 だから、私は――。


 後ろめたさ故に目を逸らしながら、頷いた。

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