When was she sacrificed?

《彼女はいつ生贄に捧げられた?》




「……それより、僕はずっと気になっていたのだけれど」


 場が膠着状態に陥ってから、接理ちゃんが呟く。

 ……そういえば、接理ちゃんも随分と精神状態が安定している。一昨日までは、すごく不安定になっていたのに。

 そう考えると、接理ちゃんも怪しく思えてしまう。

 殺人の罪を隠そうと、必死に動揺を押し殺しているんじゃないかって。

 事実、第二の事件では……接理ちゃんは嘘をつくとき、妙に堂々とした態度を取っていた。今の態度と共通しているように思えるそれは、ひょっとすると――。

 そんな疑念は、次の接理ちゃんの言葉で吹き飛んだ。


「この殺人には、魔法が使われていないようだけれど。……ははっ。これで僕らは、どうやって【犯人】を特定すればいいんだろうね?」

「えっ?」


 接理ちゃんが引き攣った笑いと共に放った言葉は、私の頭を大きく揺さぶった。

 ……そうだ。今までの事件は全て、【犯人】が持つ魔法から【犯人】を特定していた。固有魔法だけは、どうやっても誤魔化せない要素だから。

 だけど……。

【犯人】が魔法を用いずに犯行を遂げたのだとしたら。果たして、その特定は可能なのだろうか。

【犯人】の行いと目されるのは今のところ、ガソリンを撒くことと、包丁を厨房から盗み出すこと、それから空澄ちゃんを刺殺すること。どれも、魔法の介在する余地はない。


「この館に科学捜査なんて概念はないだろう? 指紋があったとしても、僕らはそれを調べることができない。専門の道具も要るし、なにより、指紋の鑑定は素人ができるものじゃないからね。DNA鑑定なんて、もちろんできるはずもない。……もっと言えば、この館のルールでは【犯人】だけでなく【真相】を暴かなければならない。そんな証拠に、大した意味はないよ」


 滔々と、接理ちゃんが厳しい現実を語る。


「あのクソ忌々しい魔王がどこまで要求するかは知らないけれど、犯行時間まで割り出さないとならないのだとしたら……。果たしてそれは、僕らに与えられた三時間で特定可能なものかな?」

「…………」


 私はそれに答えられない。

 だけど……声を上げた子がいた。驚いたことに、それは……夢来ちゃんだった。


「あの……死後硬直とかは? それか、死斑とか……」

「――ああ、その手があったか」


 接理ちゃんが、感心したように言う。

 一方で私は、その言葉の意味がよくわかっていなかった。

 接理ちゃんは私の表情からそれを読み取ったようで、


「死後硬直は、死亡後時間が経過するにつれ死体が硬化していく現象。死斑は、心臓の働きがなくなったことによって動きを止めた血液が、重力に従って体の下側に移動する現象のことだ。ただし――死斑の方は、素人が判断するべきじゃないだろうね。死斑の濃さや流動性なんて、素人には判断できないだろう。その点、死後硬直はある程度わかりやすい。言ってしまえば、死体が硬くなっていくだけの現象だからね。専門家よりも特定の幅は広くなってしまうけれど――ないよりマシ、くらいの特定要素にはなるかもしれない。そうしたら案外、アリバイで【犯人】を割り出せる可能性もある」


 接理ちゃんが長々と説明をくれる。


「あっ……わたし、その、死後硬直の話が書いてある本、さっき読んだので……。ちょっと、持ってきますっ」


 夢来ちゃんがそう言って、儀式の間を出て行く。一分ほどして、夢来ちゃんは一冊の本を手に戻ってきた。……大きさとタイトルからして、推理小説だろうか。

 夢来ちゃんがとあるページを開いて、みんなに見せる。そこには確かに、どのくらいの時間経過でどういう風に死後硬直が現れるかが記されていた。

 気温や、死人の体格などといった条件にも左右されるけれど――全身の硬直には、おおよそ六時間以上かかるらしい。半日もあれば確実に全身が硬直している。最も硬い状態は死後十八時間から二十時間ほどまで続き、三十時間ほどしてようやく死後硬直が解け始める。完全に死後硬直が解けるには、三日ほどかかるらしい。

 その情報をもとに、藍ちゃんが死体を確かめる。私たちに背を向けて死体を確かめ始めると、死体との間を遮られて、状況はこちらからは見づらくなる。

 藍ちゃんが全身をマッサージするかのように、死体に触れる。絨毯を捲ってその下を触ったりもしていたようだ。

 やがて、結論が出る。


「どうやら、全身の硬直とやらが始まっている。死後六時間以上は経過しているだろうということか」

「素人判断なら、そうだね……あと数時間削って、死後三時間以上としておいた方がいいかもしれない。――チッ。範囲が広すぎる」


 接理ちゃんが吐き捨てる。上限も決められていないなら、悪態をつきたくもなる。


「えっと……誰か、空澄ちゃんを見た人とかいないの? その、もちろん、生きてる間にだけど……」

「いいや、僕は見ていないな」

「わ、わたしも……」

「我も、見た覚えはない」

「……?」


 佳凛ちゃんだけ明確な否定はなかったけれど、きょとんとした表情を見るに、たぶん目撃はしていない。


「――雪村佳凛。君は見ていないのかい?」

「そこの死んじゃった怖い人? んーっと……朝見たよ? ご飯食べるとき」

「……それじゃあ意味がない。僕ら全員、それは目撃している。それ以外に、今日見なかったのかい?」

「知らなーい。たぶん、見てないよー」


 あやふやな言い方だけど、やっぱり、見てはいないらしい。


「香狐さんと私はずっと一緒にいましたけど……空澄ちゃんは、朝食の時に見たのが最後です」


 つまるところ――誰も、空澄ちゃんが食堂を退去した午前七時半以降、その姿を目撃していない。

 死後硬直の件と合わせても、死亡推定時刻は午前七時半から午後五時の間。広すぎる。これでどうやって【犯人】を特定すればいいというのか。みんな、自由に館の中を動き回っているというのに。


「……地道に、アリバイを調べるしかないかな」


 接理ちゃんが深い息を吐く。

 それはおそらく、一縷の望みに賭けた提案だったのだろう。接理ちゃん自身、諦めたような表情をしている。

 当たり前だ。みんなが好き勝手行動している館で、どうやってアリバイを確保するというのか。団体行動を強制されていた当初ならともかく、今はみんな、一人で行動することも増えた。

 だから、意味がない。けれど、これ以外に道はないから――。


 そうして、時間をかけて全員から話を聞く。今日一日、何をしていたのか。

 その結果、わかったのは――。






「……どういうことだ?」


 目つきを鋭くした接理ちゃんが、全員を見回す。

 未だ、いくつかの行動の裏付けは取れていない。しかし――。


「ほとんど誰にもアリバイがないという状況なら、理解できる。だけど……なんて、いくらなんでもおかしいだろう」


 全員の今日の行動の中で、犯行が可能と思える時間の穴は――存在しなかった。

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