After the Second Tragedy ②

《第二の悲劇の後で②》




◇◆◇【神園 接理】◇◆◇


 ――忍が、死んだ。

 殺された。魔王に。ゲームマスターに。ワンダーに。


 憤怒が通り過ぎた後に待っていたのは、虚無だった。

 圧倒的な虚無。手足の動かし方すら忘却する、広大な欠落。


 ――運命なんて。忍を救うのに、何も役立たなかった。

 僕に与えられた神の力は、忍一人を満足に救うことすらできなかった。

 不完全に、彼をこの世に一分間留めておくのがやっとだった。


 忍の幽霊は、最後に僕に、こう囁いた。

『――――』


 あれ、なんだっけ。なにを言われたんだっけ。

 わからない。彼の最期の言葉すら、虚無に吸い込まれてしまった。

 もしかしたら、彼の言葉は異次元の言葉だったのかもしれない。だって、幽霊だ。普通に聞こえなくて当たり前だ。

 gomennne ikite なんて――知らない言葉で語りかけられても、困る。


 魔王が持つ力は、神を超えていた。

 運命を綴る筆は、魔王によってへし折られた。

 僕が綴った運命は、魔王にとってはただの落書きと同義だった。


 僕が信奉してきた運命論。それが崩れていく。

 この世には、運命を超越する化け物がいた。そいつにとって、神が記した運命の一ページなんて、ただの紙切れだ。

 笑いながら、ヤギのようにページを食んで、人間のように傲慢に意思を振るう。


「僕は……」


 へたり込んだ床には、包丁が落ちていた。

 ……ああ。僕が、偽装のために猪鹿倉 狼花の死体を刺したものか。

 忍が【犯人】であることをあの[確率操作]で知って、庇おうと決心した末に用いた偽の凶器。

 桃井 夢来が持っていたはずだから、きっと、落としたのだろう。

 僕は、その包丁を握る。


 ――僕の[確率操作]で、幽霊が現れた。魂の実在が証明された。

 だったら――僕が今、ここで命を絶てば、彼の元に行けるだろうか。

 狂った運命に乗せられた彼を、慰めに行くことができるだろうか。


 魂の存在確率は、一体いくつなのだろう。

 その究極の確率論を、僕は突破することができるのだろうか。

 僕の[確率操作]を僕自身に行使したとして、僕の死後もその効力を発揮する保証はない。

 那由多の更に向こうにある可能性を掴むには、分の悪い賭けだった。


 もし、僕の魂が死後も保存される確率に、乗り損ねたとしたら。

 僕の魂は、未来永劫失われるのだろうか。

 それ以前に、忍の魂は果たして、現存しているのだろうか。


 魂の存在確率がゼロではないと証明できたところで、存続確率が100%と保証する根拠はどこにもない。

 魂が、時間経過で摩耗していくものだったら?

 魂が、時間経過で消滅していくものだったら?

 あの奇跡は死亡直後のみに起こり得るもので、既に再会のチャンスは永久に失われているとしたら――。


 研究者としての性が、可能性のある現象を羅列していく。

 その羅列はどれも、あまりに悲観的観測に満ちていて――。

 僕の心を折るのに、十分な可能性を持っていた。


 そうして、折れた部分から順に、虚無に吸い込まれていく。

 端から端まで、満遍なく虚無に心を乗っ取られて――。


 僕は、確率論に挑むのをやめた。

 包丁を取り落とし、カランと音を立てる。


「……っ」


 完全に心が虚無に乗っ取られているはずなのに、目からは涙が伝う。

 身に覚えのない悲嘆が、僕の目から溢れていく。


 世界は、残酷だった。どうして、忍だったんだ。

 どうして、僕の人生に寄り添ってくれたのは忍だったんだ。どうして、殺人の意思もなく【犯人】に仕立て上げられたのは忍だったんだ。


 ――[確率操作]で忍が【犯人】であると看破した時、そう叫びたくなった。

 そう――僕にだけは、最初から全ての推理材料が与えられていた。

 殺害の方法が忍の固有魔法とまるで同じ。罠を設置できる場所は一見どこにもない。けれど忍は男だから、女子トイレに入ることができた。

 それらの【真相】を、意思に因らず魔法の力で導き出した僕は、大きな衝撃を受けた。二人で生きて、共にここから出ると誓った相手が――いつの間にか、殺人の罪を負っていて、僕は躊躇した。

 本当に、彼を助けるべきなのか。

 それでも彼は、幼馴染みとして人生を共にしてきた、僕の恋人だったから――。

 絶望を受け入れてでも、彼をここから無事に脱出させようと決心したのに。


 その決意もまた、二人の探偵役に奪われて。

 僕は、僕は――。


「あは、は、あは――」


 虚無を抱えた心は、もう、渇いた笑いを吐き出すことしか許さなかった。

 そんな僕を、唯宵 藍と萌 摩由美が、じっと見ていた。






◇◆◇【萌 摩由美】◇◆◇


「にゃ、にゃあ……」


 接理がなんか、ヤバい笑い声を上げてるにゃ。

 あれはもう、ダメかもしれないにゃー。


 それにしても……また、酷い死に様だったにゃー。

 触手に取りつかれて、魔王に蹴り飛ばされて、最後は毒で一撃死。

 あの毒もどうせ、ロクでもないものに決まってるにゃー。普通の毒なんて、ワンダーがわざわざ処刑に使うとは思えないにゃー。


 忍の遺体はまだ、スクリーンに磔にされてるままにゃ。

 3Dで登場人物や怪物が飛び出してきたように、触手がスクリーンを全て埋め尽くして、その真ん中に忍が捕らえられてるにゃ。

 でも、忍はまだ救いのある方だったかもしれないにゃー。

 死ねば誰もが幽霊に変じるけれど、生者と自力で交信できるような幽霊は稀にゃ。橋渡したる霊媒師を抜きにして生者と話すことは、霊にとって大きな喜び。

 だから――死してなお、恋人に自力で語りかけられた忍は、幸せだったはずにゃ。

 幸福で、そのまま昇天できるほどに。


 翻って――それじゃあ、みゃーの死に様はどうなるにゃ?

 想像して、吐き気がこみ上げてくる。

 どうしてか、この館でみゃーが死なないという想像だけは、浮かばなかった。

 それは――とても大きな恐怖となって、みゃーの心を侵蝕していく。


「にゃっ……」


 もう限界にゃ。いつまでここにいればいいのにゃ?

 みゃーも今日、殺されそうになって。実際に二人、それぞれ【犯人】とワンダーに殺されて。

 こんな頭の狂ったゲームを、みゃーたちはいつまで続けさせられればいいのにゃ。

 明日で一週間にゃ。……一週間を待たずに、四人も死んだにゃ。

 きっと、みゃーの家族が心配している。父と姉と弟とが、みゃーの帰りを待ちわびているにゃ。


 みゃーは、あそこに帰りたい。もう誰も信用できないにゃ。

 なんだかんだ話がわかるやつだと思っていた空澄は、みゃーを殺そうとしたにゃ。

 内気だけど優しい奴だと思っていた忍は、勘違いで空澄を殺そうとしていたにゃ。

 ここにいたら、みゃーが何もしなくたって、きっと巻き込まれるにゃ。

 米子のように、魔法を利用されて殺されるか。狼花のように、偶然の事故で死に至らしめられるか。忍のように、狂気に取り憑かれて破滅するか。

 みゃーはきっと、何もしなければそっち側に含まれるにゃ。哀れに命を奪われる、被害者の側に。


 ここを出るには――方法は一つしかないにゃ。

 誰かを、殺すこと。


 幸いにして、みゃーの固有魔法は[呪怨之縛]。吐き気を堪えて処刑を見届けたことで、失った使用回数も一だけ回復したにゃ。

 十五分好き勝手出来れば、組み立てられるトリックは無限大にゃ。

[呪怨之縛]は最強の防御魔法であるとともに、最強の攻撃魔法でもあるにゃ。

 これなら――。


「――にゃっ?」


 そのとき、首裏に視線を感じたにゃ。

 藍が、じっとみゃーのことを見ているにゃ。

 まさか――みゃーの考えていることは、見抜かれているのかにゃ?






◇◆◇【唯宵 藍】◇◆◇


「……ふぅ」


 万理の究明者は、日陰の忍の死によって心を壊した。

 怨霊の猫は、そんな万理の究明者と日陰の忍を、哀れなもののように眺めている。幸いにして、怨霊の猫自身におかしなところは見られない。彼女は、耐えられたということだろうか。


 一転して、桃の乙女もまた一見正常に見える。

 魔王を相手に啖呵を切り、勇者としての任を負った。勇者というのは、光の正道を歩む者のことだ。皆の規範となる希望の光だ。

 しかし――。

 あの状態は果たして、正常と言えるのだろうか。

 第一の惨劇の渦中に置かれ、非道な【犯人】の死にすら涙していた彼女が――正義の魔法少女の悲運の最期に全く動じず、魔王に宣戦布告をする。別人の行動としか考えられぬほどに、反応が乖離している。

 我に、彼女の内心を見通す術はない。故に、如何なる要因によってこのようなことが起きたか、確かめることはできない。


 彼女が、正義によって自らを奮い立たせ、魔王に相対したのならいい。心の内では涙を流そうと、覚悟によってそれを覆い隠し、魔王に堂々と宣言をした。それならば我は、喜んで道を同じくしてもいいとすら思える。

 だが――仮に、復讐鬼として剣を握ったのならば。死者に向けるべき悲しみを、下らぬ憤怒に変換したのなら。それは、我が与するに足る覚悟だろうか。否だ。決定的に否だ。


 我は復讐鬼には興味はない。

 只人であるならば、力を貸そう。傷を負ったのならば、時を巻き戻してもよい。

 弱き者であるならば、我は支える側となる。

 あるいは、王者であるならば、我は仕える者となろう。勇者であるならば、我は共に歩む友となろう。

 強き者には敬意を払う。


 しかし、異形の化け物であるならば別だ。

 魔は、我が滅ぼすと心に誓った。それが人の形をしていようと、容赦はしない。

 殺人鬼。復讐鬼。簒奪者。それらは全て、我の敵だ。


 確か、狂笑の道化師が何やら呟いていた。『死者の剣』なる言葉を。

 察するにそれは、死者に纏わる形而上の概念だ。実体のあるものではない。

 何らかの信仰であると考えるのが適切か。

 その剣が、死者を守るためのものであるならばいい。己が力のみで死者の名誉を守らんとするのならば、それは立派な剣だ。誇り高き守護の剣だ。

 しかしそれが、死者の想いを仇討ちに利用するためだけの道具であるのならば。

 きっとそれは、何もかもを滅ぼす魔剣となる。


 ――どうか、握る剣を間違えるなよ、桃の乙女よ。

 貴様がもし、他を犠牲にしてでも魔王を討つ修羅へと変じるのであれば。

 誤った意思は、我が叩き潰すことになる。


 数多の都市伝説を、そして僅かなりと空想の魔を屠りし、最前線級――最高峰の魔法少女。

【無限回帰の黒き盾】たる我は、道を外れた剣を叩き折る。

 我が盾は、守護と同時に、粛清の役割をも負っているが故に。

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