After the Second Tragedy ③

《第二の悲劇の後で③》



◇◆◇【色川 香狐】◇◆◇


 ああ――また、悲しい事件が起こってしまった。

 痛ましい。今回の事件なんて、まさしく悲劇だ。

 魔王を殺そうとした少年は、誤って善良なる魔法少女を殺し。少年を救おうと奇跡の力に頼った少女は、自らの無力を徹底的に突きつけられた。


 けれど――神子田さん。彼は、完全なる被害者ではなかったのでしょう。

 だって、彼方さんの魔法が無事に行使されたということは、そういうことだ。

 100%の善意や正義感で魔王を殺そうとしたなら、彼方さんの[外傷治癒]は発動しなかった。なぜならそこに悪意は存在しないから。

 彼方さんの[外傷治癒]が発動したということは、すなわち――神子田さんには、不純な意思があったということになる。

 彼方さんの魔法が汲み取った悪意は、棺無月さんに向けられた悪意だったのかもしれない。

 あるいは今回の殺人方法を、もとは魔王殺しでなく、殺人のために計画していたのかもしれない。もしかしたら、期待していたのかも。魔王ではない誰かを害することで、脱出の機会を得るチャンスを。それが悪意として、[外傷治癒]の魔法に検知された。


 ああ――痛ましい。誰かが殺人鬼に変じるというのは、こういうことだ。誰かが殺されるというのは、こういうことだ。

 胸が張り裂けそうな悲しみ。

 これを埋めるには、やっぱり……可愛いものを抱くのが一番だ。愛しいものを抱くのが一番だ。


「彼方さん、大丈夫かしら?」

「えっ? ああ、はい……」


 ワンダーに喧嘩を売った彼方さんは、私の声に普通に返した。

 その態度は、最初の事件の後のような弱さを垣間見せない。

 凛として、桃井さんに目を向ける彼方さん。


「……?」


 少し、違和感のある態度だった。

 最初の事件ではあれだけ泣きじゃくっていた彼方さんが、次の事件ではこうも変わるものだろうか。


「彼方さん、無理してないかしら?」

「いえ、大丈夫です。……もう、覚悟は決めましたから」


 その眼光は、歴戦の魔法少女のようだった。

 剣を握り、強大な魔に相対する。信念を持って魔を討ち滅ぼす。

 そんな、魔法少女のように映った。

 幼子のように泣きじゃくった彼女とは、似ても似つかない。


「ごめんなさい。私、ちょっと……夢来ちゃんと話がしたいので」

「あっ……」


 戸惑っているうちに、彼方さんが行ってしまう。

 私より、桃井さんを優先するらしい。それに思わず、嫉妬のような感情を抱く。

 また、彼方さんを慰めてあげたかったのに。

 胸の内に抱いて、よしよしと、可愛がってあげたかったのに。

 ――何かが、彼方さんを変えてしまったらしい。


 でも……凛々しい彼方さんもまた、素敵だった。

 恋は盲目というけれど、全くその通りらしい。変化したその姿も、私にとってはとても愛おしいものに思える。


 邪魔なのはやっぱり、桃井さんだ。

 あの子、どうしてくれようかしら……。

 まあでも、この愛情で桃井さんを殺すようなことはしない。そんなことをしたらきっと、彼方さんは私を受け入れてくれなくなるだろうから。


「ふふっ……」


 私は、唇を舐める。

 この館にいる期間は、まだ幾許かあるでしょう。事件はまだまだ起きる。

 その間に、彼方さんの心を射止めればいいだけだ。

 私の愛は、他人より少しアブノーマルな形かもしれないけれど……。受け入れさせてみせる。

 だって、受け入れられない愛なんて寂しいもの。






◇◆◇【桃井 夢来】◇◆◇


「夢来ちゃん……ちょっと、いいかな?」

「……え?」


 顔を上げる。いつの間にか、彼方ちゃんがすぐそばまでやって来ていた。

 ハッとする。彼方ちゃんにまた責任を押し付けてしまった後悔から、いつの間にかわたしの体から力が抜けていた。

 手には、僅かな血が付着したタオル。……そこに包んでいた包丁がない。

 足元を探す。見れば、床に頽れた神園さんのすぐ傍に、それは落ちていた。

 何かが起こる前に、急いでそれを回収する。


「えっと……ど、どうしたの?」


 わたしは努めて平静を装う。

 彼方ちゃんの前で弱いところを見せたら、ダメだから。


「うん。あの……話がしたくて。今から、少し話せない?」

「……あ、うん。わ、わかった」


 彼方ちゃんの誘いに頷く。

 そうしなきゃ……ダメだと思ったから。


 わたしたちは二人でシアタールームを出て、洗濯室に向かった。

 彼方ちゃんが色々残してきてしまったらしいし……それに、そこなら、誰にも邪魔されずに話すことができるだろうから。

 みんなで決めた就寝時間、午後十時はもう過ぎてしまっているけれど。

 その決まりを破る人に文句を言う人は、もうどこにもいない。

 誰よりも率先して共同生活の決まりを整備した人も、ルールを守らせようと努力していた人も、どちらも死んでしまった。

 一人は、狂ったゲームの始まりを飾った【犯人】として。一人は、徹底的に運のない被害者として。


 二人で会話のないまま、洗濯室まで行く。

 辿り着いた洗濯室ではまず、必要な言葉だけ交わしながら放置されていた洗濯物を処理する。三時間も放置されていたので、念のために洗い直しだ。

 ――どうせ、今夜はすぐには寝られそうにない。今から回してしまっても、問題ないだろう。

 そうして、洗濯機が回る音をバックミュージックに、わたしたちはようやく語り合いを始めた。

 口火を切ったのは、わたしのほうだった。


「彼方ちゃんは……無理してないの?」


 その言葉に、彼方ちゃんが驚いたような顔をする。けれどそれは、図星を突かれたというよりも、もっと軽い衝撃に見えた。

 何か、偶然の一致を目にしたような、そんな驚き。


「うん、大丈夫。私は、なんともないから」


 そう答える彼方ちゃんの表情に、本当に恐怖や絶望の色はなかった。むしろ、微笑すら浮かべている。

 狼花さんの死を知ったとき、あれだけショックを受けていたのに。

 急に、ここまで精神を安定させた原因はなんだろう。

 考えても、わからなかった。彼方ちゃんと付き合いの深い人なんて、ここにはわたししかいない。わたしじゃ力不足だったのは、今回の事件ではっきりと突きつけられたけれど――。でも、あれだけ深い悲嘆を解消できる人が、この館の中にいるとも思えなかった。

 だって、ほとんどが他人同士だ。どこに住んでいるのかも、今までどういう人生を送ってきたのかも知らない。そんな関係性の人が、どうやって彼方ちゃんの悩みを解きほぐしてくれるというのだろう。

 だから、わたしがやるしかないと思っていたのに。

 ――わたしは、置いて行かれたような気分だった。


「ごめんね、夢来ちゃん。夢来ちゃんがあそこまで必死になってたのって……たぶん、私のため、なんだよね?」

「…………」


 わたしは、それに答えられなかった。

 認めてしまえば、自分の無力を突きつけられるようで。否定してしまえば、自分の目的を見失ってしまいそうで。

 どう答えても、わたしは大切な何かを失ってしまう気がしたから。


「でも私、決めたの。引き継ぐって。……いや、決めたというより、決めざるを得なかったんだけど」

「……?」


 自嘲するような彼方ちゃんの微笑みが引っ掛かる。

 けれど彼方ちゃんは、その理由を教えてくれずに、


「私は、命を落とした人たちのために戦う。もう、止まれなくなっちゃったから」


 彼方ちゃんは、自分が出した結論だけを語った。

 それはもはや、変えられない信念として定まっているようだった。


「だから、もし夢来ちゃんがよかったら、協力してほしいの。一緒に、魔王と戦ってほしいの」

「……わたしが?」

「うん。夢来ちゃんは、大事な友達だから。傍にいてくれれば、心強いな、って」

「…………」


 そうなのかな。むしろ――。


「今回は、変な形でぶつかっちゃったけど。でも私たちは、争い合う理由なんてないでしょ? ……というより、夢来ちゃんとあんな風になるの、やだよ。もう二度と、あんな風に感情的に否定し合うなんてことしたくない。だから、一緒に戦ってほしいの。今度こそ、対立し合うなんてことがないように」


 彼方ちゃんは、確固たる意志を持って、私に言った。

 ――胸が、チクリと痛んだ。

 対立し合ったことは、わたしもすごく嫌だったけど。でもそれ以上に、わたしは、今この状況が嫌だった。


 原因不明ながら立ち上がった彼方ちゃん。

 ――神子田さんの死に、何も感じていない様子の彼方ちゃん。

 それが――はっきり言って、気持ち悪かった。

 わたしは、こんなに不安なのに。今だって、思い出すと足が震えてしまうくらいなのに。

 死ぬのは怖い。死んでしまえば、そこで何もかも終わってしまうから。

 誰かが死ぬところを見るのも怖い。次は自分の番ではないかと思ってしまうから。


 その死への忌避感が、今の彼方ちゃんは働いていないようだった。

 それが、気持ち悪かった。


「……うん。わたしも、嫌だよ。やっぱり、彼方ちゃんと争い合うなんて嫌」

「それなら――」

「でもっ!」


 わたしは叫んだ。

 これ以上、彼方ちゃんが喋らないように。

 これ以上、気持ちの悪い――化け物のような彼方ちゃんを見たくなくて。


「彼方ちゃんは、考え直した方がいいと思う」

「……え?」


 彼方ちゃんが、きょとんと首を傾げる。

 そして、数瞬の後に得心が行ったように言った。


「ああ、うん……。私だって、わかってるよ。魔王に罪を償わせるなんて言っても、その方法もわからないし、危険も多いって。でも――」

「……違うの。そうじゃないの」


 わたしは頭を振る。

 困難だとか、危険がどうとか、そんな話じゃない。

 彼方ちゃんは、何もわかってくれていない。全く自覚がないようだった。


「彼方ちゃん、やっぱり何か変だよ」

「え? 変って……えっ?」


 わたしの言葉にショックを受けた様子の彼方ちゃん。

 胸が痛んだけれど……わたしは最後まで言った。


「なんで彼方ちゃんは、神子田さんが……それに、猪鹿倉さんも……し、死んじゃったのに。そんなに、平気みたいにしてられるの? どうしちゃったの?」

「それは……」


 彼方ちゃんが口ごもる。――答えたく、ないようだった。


「それがわからないうちは、わたしは……彼方ちゃんには手を貸せない、と思う。今の彼方ちゃんは……普通の状態には、思えないから。だから――一度、考え直してみて?」


 わたしの想いを正直に伝えて、洗濯室を出ようとする。

 こんなことを言った以上、気まずくなってしまうだろうから。


「えっ……。あ、ま、待って……っ」


 彼方ちゃんが引き留めようとしてくれるも、わたしはそれを振り切って洗濯室の扉を閉めた。

 ――ごめんね。そんな言葉を、胸の中だけで転がしながら。






◇◆◇【空鞠 彼方】◇◆◇


 私なりに決意を固めた。

 死者の剣を握って、魔王に立ち向かう覚悟を決めた。

 それは、魔法少女としてあるべき姿のはずだ。

 だって、魔を滅するのが魔法少女だ。


 それなのに、夢来ちゃんは言った。

『彼方ちゃんは、考え直した方がいいと思う』


 私は――何か、間違えている?

 そう自問するも、私の答えはこうだった。


 ――何も間違えていない。これでいい。

 夢来ちゃんはきっと、戸惑っているだけだ。

 覚悟を決めきれていないだけだ。

 時間が経てば、夢来ちゃんだってわかってくれる。


 どんな危険を冒してでも、魔王に立ち向かって、死者の無念を晴らすべきだって。

 だって、死者の魂は確かに、存在しているのだから。死者はきっと、慰めを欲している。

 だったら、やらないと。命を懸けてでも。

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