Chapter3:たった一人の姉妹 【問題編】

I will protect you.

《あなたを守ってあげる。》




「んぅ……」


 心地よい眠りから、目覚ましのアラーム音によって意識が覚醒へと向かう。

 身を起こすと、上半身にかかっていた布団がずり落ちる。


「…………」


 既に慣れてしまったベッド。

 既に慣れてしまった部屋。

 ここに連れてこられて、今日で七日目。今日が終われば、もう一週間もここにいることになる。

 一週間を待たずして、悲劇は二度も起こった。

 私が魔王に打ち勝つのが遅くなれば、三度目が起きるかもしれない。

 ――急がないと。


 とはいえ、魔王に罪を償わせることに、かまけすぎるわけにはいかない。

 いくら魔王に対抗する決心をしても、食事係を休むわけにはいかない。腹が減っては戦はできぬというし、それに、魔王を倒す前にみんなが餓死してしまっては意味がない。

 というわけで、いつも通り早起きして厨房へ。


「おはようござ……って、あれ」


 香狐さんに挨拶をしようと思ったら、厨房は無人だった。香狐さんはまだ来ていないらしい。いつもは絶対に香狐さんが先にいるのに、珍しい。

 そのイレギュラーに、もしかしたら何かあったんじゃ、と思う。

 まさか、昨日の今日で殺人事件が――。


「――あら、ごめんなさい。今日は少し、遅れてしまったみたいね」


 暗い考えに脳が支配される寸前で、声が聞こえた。

 見れば、肩のクリームちゃんを撫でながら、香狐さんが厨房の扉を開いていた。

 それに、安堵を覚える。


「あっ、おはようございます」

「ええ、おはよう。待たせてしまったかしら?」

「いえ。あの、全然」

「そう? なら――さっさと始めましょうか」

「はい」


 香狐さんの様子に、おかしなところはない。


「香狐さん、何かあったんですか?」


 調理の準備をしながら、香狐さんに尋ねてみる。


「ん? ああ。今朝は、身支度に時間がかかってしまって。この子がちょっと、暴れたから」

『きゅー』


 クリームちゃんが、香狐さんの肩で鳴く。

 その悪びれない様子に、香狐さんは苦笑した。


「そうですか……。よかったです。何かあったわけじゃなくて」

「あら。心配させてしまったかしら?」

「それは、えっと……まあ」


 心配しなかった、というのも失礼な気がして、私は照れ隠しをせずに正直に言った。


「それは申し訳ないわね。なら、埋め合わせとして、今日はいつもより張り切って働くわ。彼方さんは隅で休んでてもいいわよ」


 香狐さんはそう冗談めかしてそう言って、微笑んだ。

 そうして、二人で料理を始めた。もちろん私は料理が全然なので、手軽なサラダ系や、盛り付けを担当する。

 その最中に、雑談のように香狐さんが呟いた。


「そういえば、彼方さん」

「なんですか?」

「いえ。魔王に、罪を償わせるとか言っていたけれど。あれはやっぱり、本気なのよね?」


 どう考えても、料理中に雑談としてする話としては不適切だったけれど、私は頷いた。


「はい。そのつもりです」

「そう。具体的には、どうするつもりなの?」

「それは……」


 昨晩、眠りに就く前に考えてみた。

 具体的にどうすれば、魔王に言うことを聞かせるなんてことができるのか。

 ――思いついた方法は、二つしかなかった。

 人を殺して、勝者の権利として償いを要求するか。

 最後の二人まで生き残って、生存者の権利として償いを要求するか。


 一つ目は論外だ。あり得ない。そんな方法じゃ意味がない。

 それにそもそも、ワンダーが最初に事件の時に言っていた。

 クライアントがいるから、殺し合いは止めることができないだの――そんなことを。

 だから仮に殺人を犯して願い事の権利を得たとしても、罪を償わせることは不可能だ。ゲームが終わらないのに、償いも何もない。


 可能性があるとしたら、生存者の権利として願い事を行使すること。

 殺し合いの終焉を以て、命令する。今までの行為を悔いて、償えと。

 それで、連鎖は断ち切られる。


「ここで生き残って、最後の二人になれば。できる……とは思ってます」

「そうね。それなら、できるかもしれない。でも――大勢死ぬことになるわよ」

「…………」


 十一人。それが、この作戦のために犠牲にならなければならない人数だ。

 そのうちの四席は、既に埋まった。残りは、七席――。


「……ん?」

「あら。どうかしたかしら?」


 ――気づいてしまった。ワンダーの意地の悪い仕掛けに。

 残り七席を埋めるには、三つの事件じゃ足りない。三つの事件と、一つの殺人。それがあってようやく、このゲームは終わりを迎える。

 一つの事件で二人、あるいは他の偶数の犠牲者が出れば別だけれど――。

 そうでないなら、最後に残された三人は、殺し合うことになる。

 犠牲者になる確率は。だって、そこで殺人を犯す決心をした人は、犠牲者にはなり得ないから。

 二人が殺す側として結託したなら、残された一人が死ぬ確率は100%だ。

 そして私は、殺す側に回るつもりはない。50%か、100%、どちらかの可能性を負わされる。

 つまり、最終盤まで至って、最も死ぬ確率が高いのは私だった。


 仮に二人が結託する可能性が50%だとしたら、私が死ぬ確率は75%となる。

 結託すれば確実に生き残れるとなれば、その手段を取る可能性は高い。だったら、その確率は50%を上回るかもしれない。

 私の死亡率は、更に跳ね上がる。


 私の願いは――どうあっても、遂げることができない?


「……彼方さん、顔色が悪いようだけれど。まさか、大勢の犠牲が出るのに、今更気づいたわけじゃないわよね?」

「えっ?」


 ああ、確かにそうだ。十一人も死んでしまうというのは、意外と多い。

 けれど、これしか手段がない以上は――。


「…………」


 香狐さんが、怪訝そうな顔をする。

 まるで私の反応が、普通の反応と致命的にズレているかのように。

 ……私は、何か間違ったことを言っているだろうか。


「……はぁ。彼方さん」


 香狐さんが、ため息を吐く。

 料理の手を止め、手を洗い、エプロンを脱いで、私に向き直る。

 そうやって間を取ることによって、なんらかの覚悟を固めたかのように、言った。


「私が、手伝いましょうか?」

「えっ? それって……」

「ワンダーに、償いをさせる手伝いよ。一人でそれを成し遂げるには、やっぱり辛いでしょう? だから、もしよかったら、私が手伝うわ」


 ――それは、嬉しい申し出だった。

 味方が一人でもいてくれれば心強いし、できることも増えるかもしれない。


「……いいんですか? もしかしたら、危ないことだってあるかもしれないですけど……」

「そんなの、今更でしょう? 何もせずにここで呑気に暮らすのが、一番危ないことよ。自分が犠牲者の方に選ばれない保証はないんだから」


 それは、確かにそうだ。

 生存者として最後まで生き残る確率の方が、ずっと低い。


「それに、あなたは気づいていないかもしれないけれど。私より、あなたの方がずっと危ないのよ?」

「えっ?」


 私が? 確かに、ワンダーに目を付けられはしたけれど……。


「ワンダーと敵対しただけでなく、あなたは二つの事件を解決してしまったわ。完全に、先頭に立つ形でね。もし、これから殺人をする予定のある人がこの中にいるのなら……そんな人を放置しておくかしら?」

「…………」

「有能な探偵役が、自分が組んだ殺人トリックを暴いてしまうかもしれない。だったら、その探偵役を犠牲者にしてしまえばいい――って、【犯人】は考えると思うわ」


 それは……確かに、その可能性は考えていなかった。

 探偵役は、危ない。狙われる。それを、ようやく理解する。

 ……もしかしたら、空澄ちゃんが最初の事件でわざと間違った推理を披露していたのは、これが理由かもしれない。自分がすぐに事件を解決してしまったら、未来の【犯人】候補に危険視されてしまうから。


「あなたが死んでしまうのは、嫌だもの。だから、私が手伝うわ。ワンダーからも、【犯人】からも、あなたを守ってあげる」


 そう言って、香狐さんは私を抱きしめる。

 香狐さんの温もりが、私の胸の内までも温かくさせる。

 このまま甘えてしまいたいと、強烈な欲求に駆られる。

 香狐さんの持つ魅力は、もはや一種の固有魔法だ。魔性の色香だ。

 理性を溶かして、甘えたいという欲求を膨れ上がらせる。

 ただ、ごく僅かに葛藤が残っていた。香狐さんも危険に巻き込んでしまうことにはならないか。私と香狐さんを、二人同時に【犯人】の餌食にしてしまうだけではないか。

 ――そんな葛藤も、香狐さんに髪を撫でられただけで容易く決壊した。ふわりとした感触に包まれ、迷いは消えてなくなる。


「……お願いしても、いいんですか?」

「ええ。遠慮なく、私に頼ってくれればいいのよ」

「……はい」


 心臓が、温かいもので満たされる。

 香狐さんに抱きしめられて、それだけでもう全てが大丈夫なように思える。


 この人に一緒にいてほしい。

 もはや打算を抜きにして、私はそう思っていた。


 私は、香狐さんを抱き返す。

 それは、香狐さんに対する返事として十分だったらしい。

 ふふっ、と私の耳のすぐ傍で、香狐さんは微笑んだ。

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