In Twins' Room

《双子の部屋》




 食事の席は、どんどん人が減ってきていた。

 この館にやって来た初日に定めた朝食の時間は、午前七時。

 しかし、その時刻通りにやって来たメンバーは、もう五人だけだった。

 私と香狐さんは料理係だから当然として、あとは空澄ちゃんと藍さん、摩由美ちゃんだけ。佳奈ちゃんと凛奈ちゃんはもともとだけど、接理ちゃんも本当に来なくなっちゃったし……それに何より、夢来ちゃんの姿もなかった。

 やっぱり、昨日の私との会話が尾を引いているんだと思う。


 ――考え直して。


 そんな言葉を最後に、私の前を去った夢来ちゃん。

 まだ、魔王に立ち向かう覚悟が決められていないらしい。

 そのせいで私にも顔を合わせづらいみたいだ。だからって、朝食に来ないなんて。

 まさか、これから私がここにいる限り、ご飯を食べに来ないなんてことはないと思うけど。でも、なんだか朝食くらいは抜いてしまうんじゃないかと思えてしまう。

 それは体調にも悪いし……それに、寂しい。

 夢来ちゃんは、私の大事な友達だ。いないというのは、やっぱり寂しい。


 そんなことを考えながら、朝食を取った。

 最初の事件の後は酷い沈黙の中での食事を強いられたけれど、今回は違った。空澄ちゃんが、藍さんにペラペラと話しかけてくる。

 それに、香狐さんもなんだか少しずつ話しかけててくれるようになった。おかげで、最低限の賑やかさは保たれている。

 唯一誰とも話していないのが摩由美ちゃんで、俯き加減に食事を取るその姿は、昨日の事件の傷が癒えていないように見える。結局、摩由美ちゃんが一番早く食べ終わって、そそくさと食堂を出て行ってしまった。

 次第に、他の面々も食事を取り終わる。いつもならこの辺りで誰かが遅めに食堂にやって来るところだけど、今日は誰の姿もない。


「あの……香狐さん。いない人たちの分、持っていったほうがいいですか?」

「そうね……もう少し様子を見て、来ないようならそうしましょうか」


 そう言って、私と香狐さん以外誰もいなくなった食堂で、しばらく待った。

 十数分経っても誰も来ない。それでようやく料理を持っていくことを決めた。

 汁物は三階まで到底持っていけそうにないので、パンやサラダを中心に持っていく。

 そうして、左手にパンを、右手にサラダを抱えて階段を上る。

 その最中に、人とすれ違った。


「あっ……夢来ちゃん、おはよう」

「……うん、おはよう」


 夢来ちゃんだった。寝不足のようで、元気がなさそうに見える。


「あの、今、朝ご飯持っていこうとしたんだけど……」

「わ、わたしは……下で食べるから、いいよ。他の人に、持って行ってあげて」


 それだけ言って、夢来ちゃんは階段を早足で下りていった。


「…………」


 私はそれを、無言で見送る他なかった。

 やっぱり……夢来ちゃんの態度は、どこか変だった。

 亀裂とか軋轢とはまた違う、のようなものが私たちの関係性に生じていた。

 互いに怒りも何もない。それどころか、友情は変わらず抱き続けている。なのに、通じ合わない。そんな気配がした。

 私はそれに、少し気分を悪くしながら、階段を上りきった。

 三階に着くと、私よりも先に向かっていた香狐さんが、佳奈ちゃんと凛奈ちゃんの部屋の前で困った顔をして立っていた。


「……? あの、香狐さん、何かありましたか?」

「ええ。雪村さんが、『食事はいい、もう食べない』って、ドアを開けてくれないのよ」

「佳奈ちゃんと、凛奈ちゃんが……?」


 まあ確かに、今までも食堂に来るのが一番遅い子たちだった。

 でも、遅くなろうと絶対に食堂には来ていた。食事を抜くようなことは決してなかった。


「態度から察するに、朝食だけじゃなくて、本当に何も食べないつもりみたいね。というより、ドアを開けたくないのかも」

「えっ?」

「昨日の事件。あの二人も死にかけた、ってことだもの。だから……外に出るのが、怖くなってしまったのかも」

「…………」


 そういえば、そうだ。実際に罠にかかってしまったのは狼花さんだったけれど、何かが違えばあの罠にかかっていたのは佳奈ちゃんか凛奈ちゃんだった。


「……とりあえず、私も呼んでみます」

「ええ。お願いするわ」


 香狐さんがドアの前を譲ってくれる。


「えっと……佳奈ちゃん、凛奈ちゃん、いる?」


 ノックしながら、呼び掛ける。

 しばらく待つと、ドアの向こうからとても嫌そうな声が聞こえてきた。


「……しつこい」

「えっと……あの、ご飯、食べないの? ちゃんと食べないと元気出ないよ?」

「……こんな場所で、元気なんて出せるわけないでしょ!?」


 金切り声がドアを貫通して耳を刺す。


「とにかく、佳奈たちは何があってもここから出ないから。もう放っておいて」

「で、でも……食べないと、死んじゃうよ?」

「…………」


 ドアの向こうの佳奈ちゃんが押し黙った。

 長い沈黙。もしかして、もう私との会話を切り上げて、部屋の奥へ戻ってしまったのか。

 そう思ったところで、再び声が聞こえてきた。


「……あんた、誰」

「えっ? あの、空鞠 彼方だけど……」

「誰。どんなやつ。何してたやつ」

「えっ?」


 ――ああ、そうか。佳奈ちゃんは、私たちのことを『あんた』としか呼ばない。見た目や立場で人物を区別しているだけで、きっと声も名前も覚えていない。

 だから、名前だけ伝えてもわからないみたいだ。

 でも――他にどう伝えればいいんだろう。


「えっと、ピンクの髪の……」

「……ああ。あのクズ探し出して殺してくれたやつ」

「えっ」


 この館に他にピンクの髪の人はいないから、私のことで間違いないだろうけど、一体どうしてそんな覚えられ方をしているのか。

 ……やっぱり、事件を解いて、【犯人】を処刑に追い込んだことを言っているのだろうか。


「さっき、他にもそこに誰かいた?」

「えっ? ああ、うん。香狐さんが……」

「……そいつは入れない。あんただけなら、入れてもいい。だから、ここまでご飯持ってきて」

「私だけ? パンでいいなら、ここに持ってきてるけど……」

「なら、それでいい。――絶対に、あんただけ入ってきて」


 その言葉と共に、鍵が開く音がした。

 私は、香狐さんと顔を見合わせる。


「……なんだか知らないけれど、彼方さんだけをご所望のようね」

「そう、ですね」

「それじゃあ、雪村さんたちのことはお願いして、私は神園さんのところに行ってくるわ」

「あ、はい。わかりました」


 香狐さんが、接理ちゃんの部屋に向かう。

 それを見届けてから、私は佳奈ちゃんたちの部屋の扉を開いた。


「鍵、閉めて」

「ああ、うん」


 部屋に入ってすぐに、佳奈ちゃんに言われる。

 従わない理由もなかったので、普通に鍵を閉めた。

 そうして、部屋の入り口から数歩進んで、部屋の内部がよく見える部分まで歩き、私は驚いた。

 初めて他の人の部屋に入ったけれど、佳奈ちゃんたちの部屋は私の部屋と左右反対の構造をしていた。部屋の形状や内装、何もかもが左右逆だ。

 でも、私が驚いたのはそこじゃなかった。

 私を出迎えた佳奈ちゃんは、服を着ている最中だった。凛奈ちゃんの方は、裸のままベッドの上で寝ている。ベッドのシーツはシワだらけ。これは、えっと……。

 ちょっと呆然として、立ち尽くす。


「何? 何か文句ある?」

「う、ううん……」


 もちろん何か言えるわけもなく、私はそれらから顔を背けた。

 やがて、服を着終えた佳奈ちゃんに肩を叩かれる。


「で、あんたはいつまでそこに立ってるつもり? それ、食べていいの?」

「ああ、うん……」


 私は振り向いて、抱えていたパンを佳奈ちゃんに渡した。

 サラダも渡そうとしたけれど、「いい」の一言で押し返されてしまった。


「えっと……パンだけでいいの?」

「野菜も食べろって? うちの親みたいなこと言わないでくれる?」


 佳奈ちゃんは苛立ちを滲ませて、私を睨んだ。


「ご、ごめん……」

「ま、いいけど」


 佳奈ちゃんがそう言って手を振ると、僅かな沈黙が生まれる。

 凛奈ちゃんの小さな寝息だけが、響いていた。


「……そういえば」


 佳奈ちゃんが言う。


「あんた、名前なんだっけ?」

「えっ? さっき言ったけど……」

「いいから」


 佳奈ちゃんに凄まれる。

 有無を言わさない迫力を持つ睨みが、私を貫いた。


「空鞠 彼方、だけど」

「そう。……あの不良っぽいやつは?」

「……狼花さん?」

「フルネーム」

「猪鹿倉、狼花さん」

「……そ」


 佳奈ちゃんは、素っ気なく呟く。

 その態度が、ちょっとおかしなものに思えた。


「えっと……急に、どうしたの?」

「別に。ただ、佳奈は礼儀を守るタイプってだけ」

「…………」


 今まで誰のことも『あんた』呼びだったのに、そんなことを言っても説得力がなかった。年上も構わず『あんた』呼びするというのは、礼儀を守っているとはとても言い難い。

 ただ、佳奈ちゃん言いたいのはそういうことじゃないようで。


「あんたは――彼方は、あのクズを殺してくれた。それに猪鹿倉 狼花は、凛奈の身代わりになってくれたおかげで、凛奈が死なずに済んだ。だから、名前くらい覚えとくってだけ」


 佳奈ちゃんの言うそれは、礼儀というよりは義理というものだ。


 ……しかし、あのクズというのはやっぱり、忍くんのことを言っているのだろうか。あと一歩で佳奈ちゃんや凛奈ちゃんを死なせるところだった、昨日の第二の事件の【犯人】。

 ……私は彼を追い詰めたけれど、でも、それは私の意思じゃない。狼花さんが言っていたことを思い出して、代役を果たしただけだ。死者の剣として、その想いを握っていただけだ。

 だから、そこに功績があるとしたら、それは狼花さんのものだ――。


 なんてことは、私には言えなかった。

 だって私は、忍くんの死者の剣もまた、この胸の内で握っているのだから。

 その私が、忍くんを貶めるようなことは言えなかった。


「それにしても、あんた――じゃない。彼方の名前、佳奈と似すぎでしょ。これなら忘れる気しないし、楽でいいけど」

「ああ、うん。確かに似てるね」


 一文字違いだ。自分の名前に『た』を足すだけとなれば、どれだけ名前を覚えるのが苦手でもそうそう忘れたりしないだろう。


「ああ、それと。次から彼方がここにご飯持ってきてくれる?」

「えっ? えっと……三食全部?」

「そう」


 佳奈ちゃんが頷く。


「佳奈たちはもう、金輪際この部屋から出るつもりないから」

「えっ、でもそれじゃ、ワンダーが鍵を壊すって……」

「どうせ嘘でしょ、そんなの。ここを出たらいつ死ぬかもわからないのに、わざわざ出る馬鹿なんていると思う?」

「…………」


 普通に外に出ている私に、その物言いはどうかと思うけど……。


「だから、彼方がご飯持ってきて」

「いいけど……。どうして私?」

「だって、あんたがあのクズ殺してくれたんでしょ。他の奴は信じられないけど、彼方なら多少はマシだから」

「…………」


 どうやら、昨日の事件を経て、人間不信になっているらしい。

 そうなると、お願いをばっさり断るわけにもいかなかった。


「……うん、わかった」


 どうせこの館にいる限りはずっと暇だ。だから、これくらい大したことはない。


「そう。じゃ、よろしくね」


 佳奈ちゃんはそう言って、ベッドの上で眠る凛奈ちゃんを起こしにかかった。

 どうやら凛奈ちゃんの眠りは深いようで、佳奈ちゃんが揺すってもなかなか起きない。それでもしばらく辛抱強く揺すっていると、凛奈ちゃんが目を覚ました。

 姉に甘えるように手を握り、そして、佳奈ちゃんの後ろにいた私と目が合った。


「ひゃっ……」


 凛奈ちゃんは眠そうな状態から跳ね起きて、佳奈ちゃんを引っ張った。

 そして、佳奈ちゃんの陰に隠れる。

 ……佳奈ちゃんからは少しだけ信用を得られたみたいだけれど、凛奈ちゃんはまだまだのようだった。

 凛奈ちゃんを怖がらせた私を睨む佳奈ちゃん。……その睨みは、以前ほど鋭いものでもなかったけれど。


「……そういえば、なんでまだいるわけ?」

「えっ? あー、えっと……ごめん。もう行くね」

「ん」


 私は急な追放に少し複雑な気分を抱きつつも、素直に身を翻す。

 部屋から出る前に、声が聞こえてきた。


「ほら、凛奈。ご飯あるから、さっさと食べよ」

「……うん、そうする」


 凛奈ちゃんは服を着ることもせず、そのままご飯を食べるようだった。

 ……まあ、何か口出ししようとすると怖がられちゃうだろうから、今は何も言わないことにする。


「……このフランスパン、硬っ」

「おねぇちゃん、だいじょうぶ?」

「ああ、うん。魔法で切れば全然いけるから」


 ……魔法?

 その発言が気になり、振り返って見てみると、佳奈ちゃんの手の中にあったフランスパンがいきなり真っ二つになった。切断面は綺麗な平面で、刃物で切ったと言われても違和感がない。

 少し驚いた目で見ていると、佳奈ちゃんに気付かれた。


「……何?」

「いや、その、そういうことも魔法でできるんだなって思って。ワンダーのメモだと、もっとこう、概念的に使うみたいな口ぶりで書いてあったし」

「……そうだっけ?」


 佳奈ちゃんは、魔法で薄く切ったフランスパンに齧りつきながら言う。


「佳奈の魔法は、分離させるだけ。分け方はこっちの自由。普通に物理的に切断することもできるし、全く別の存在に改変しちゃうこともできる。例えばスマホ分離させて、機能性最悪のゴミスマホ(上)とゴミスマホ(下)に分離させるとか」


 ……上下? 小説の上下巻構成じゃあるまいし。

 しかも口ぶりから察するに、その上下スマホ、ちゃんと二つとも動作している。機能性最悪とは言っているけれど。


「……スマホ、分離させちゃったの?」

「ま、間違えたの! それに、凛奈の魔法で元に戻したし! 凛奈の魔法も佳奈の魔法と同じで、くっ付けるだけならどんな方法でもくっ付けられるから!」


 佳奈ちゃんは、恥ずかしそうに顔を背けた。

 そういう顔もするんだ、とちょっと驚く。


「というか、いつまでいるわけ!?」

「あっ、ご、ごめん……。もう出て行くから」


 返事をしながら、ふと思う。今の佳奈ちゃんの声色に、普段の怒りは込められていなかった。何かもっと、ふわっとした感じの怒鳴りだった。

 ……なんだか、不思議だ。

 最後の、魔法に関する疑問なんて、佳奈ちゃんが答える理由は何もないのに。

 それでも答えてくれたというのは……少しは心を開いてくれたという証かもしれない。

 これからもっと仲が良くなれればいいな、と思いながら、私は部屋を後にした。


「……?」


 そして、部屋を出てから気づく。

 私が胸の内に抱えた、四振りの死者の剣。それらが何故だか、私に教えてくれている気がした。

 もうすぐ、もう一本増えることになる、って。

 あの子たち、もうすぐ死にそうだ、って。


 ……まあ、この予感が本当だったら。そのときは、快く迎え入れるだけだ。

 何も、問題はない。

 私が、死者の剣としてちゃんと拾ってあげるから、何も問題はない。

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