The demon does not tolerate peace.

《魔王は平穏を許容しない。》




 ……空澄ちゃんは本当に、何を考えているのだろう。

 今日の出来事を振り返ると、そんな思いしか湧いてこない。


 彼女は確かに言っていた。

『あーしは魔法少女。由緒正しい、正義の味方だよ。――もしかしたら、ダークヒロインの方かもしれないけどね』


 正義の味方。ダークヒロイン。今回の行いもまた、それの一環なのだろうか。

 摩由美ちゃんをスタンドライトで殴ろうとしたなんて、どう考えても、正義の味方の行いとは思えない。

 それとも私は、空澄ちゃんの言葉を馬鹿正直に捉えすぎているのだろうか。

 本当に空澄ちゃんは何かを企んでいて、それは正義とは到底程遠いもので、ただ私を翻弄するために嘘をついているとか。

 空澄ちゃんだったら、それくらいやりかねない。今までの行動がそう思わせる。


「……彼方、大丈夫か?」

「えっ?」


 声を掛けられる。狼花さんだった。


「さっきから何も食ってねぇみたいだけど」

「あ、いや……」


 そういえば、夕食の最中だった。

 自分で用意しておきながら、それら全てがすっぽり頭から抜けていた。

 ……その姿は、どれだけ思い悩んでいるように見えたのだろうか。


「――彼方。後で、ちょっと話そうぜ。風呂でも入りながらさ」

「えっ? いや、でも……狼花さん、この後監視があるんじゃ……」

「あー、そうだな……。香狐、悪いんだけど、ちょっとだけ任せといてもいいか?」

「……まあ、いいわよ。なるべく急いでほしいけれど」

「ああ。まあ、努力する」


 狼花さんは、私の返事を聞くよりも先に、香狐さんへの根回しを終えた。

 これじゃあ、断れそうにない。




     ◇◆◇◆◇




 そういう流れで、私は狼花さんと一緒にお風呂に入ることになった。

 どうせ話すならそこで、というのが狼花さんの主張だった。

 断れる気はしなかったので、私も結局はついていくことになった。

 少し緊張もあったけれど、お湯に浸かればそれもだいぶ薄まった。なるほど。狼花さんがわざわざお風呂を指定したのは、そういう思惑もあったのかもしれない。


「はぁ……他の奴らとも、こうして風呂で話せたらいいんだけどな」


 狼花さんと二人、浴場で隣り合う。

 その状態でしばらく無言が続いた後、狼花さんの方から切り出した。

 狼花さんの呟きは、おそらく本心からのものだったと思う。

 この生活が始まって最初の日にも、狼花さんはこうして全員で風呂に入らないかと誘っていたからだ。

 もちろん、それは実行されなかったのだけれど……。


 そういえば、今思うと、あの時は少し意外な出来事があった。

 そういう全員でのイベントを真っ先に否定するとしたら、佳奈ちゃんと凛奈ちゃんだろうと今なら考える。

 けれどその時、全員でのお風呂を真っ先に断っていたのは、忍ちゃんだった。

 赤くなって、首をブンブン振って……。ボクは無理です、なんて言っていたっけ。


「それで……どうしたんだ?」


 取り留めのない思考へと嵌まりかけた頃に、狼花さんが私を現実に引き戻した。


「いえ。あの、どうってほどのことでもないんですけど……」

「ん? いいから、何でも言えって。オレはお前に、世話になりっぱなしなんだ。愚痴でも相談でも、何でもオレにぶつけてくれていいんだよ」

「…………」


 そう。あの事件の前に、狼花さんは言っていた。

 何かあったら言え、と。けれど私は結局、狼花さんを頼ることはしなかった。

 ……できなかった。


 私は未だに、【真相】を解き明かしたことを悔やむような気持ちを引き摺っている。そんな私が、どうして図々しく狼花さんを頼るなんてことができるだろうか。

 だって、【真相】を解き明かしたことを悔やむということは――狼花さんを窮状から救ったことをすら悔やむということなのだから。

 だから私は、あの事件の後から少しずつ、狼花さんを避けるようになっていた。

 どう接すればいいのか、わからなくなってしまったから。


 そんな私が、今、狼花さんに何を言えるだろうか。

 きっと狼花さんが言う『世話になった』というのは、空澄ちゃんが起こした暴発騒ぎに加え、事件解決での私の行動も数えられているのだろう。

 狼花さんを必死になって弁護した、あの時の私――。

 あのときの熱を思い出す。

 すると自然と、何を口にすべきかは見えた気がした。


「……ごめんなさい。やっぱり先に、こっちを話しておきます」

「ん?」

「私、その……。あの事件の後、ちょっと、狼花さんのこと避けちゃってて……。本当に、ごめんなさいっ」


 私はバチャッと水音を立てて頭を下げた。

 私のその告白に、狼花さんは少しバツが悪い顔をした。


「いや、それは――お互い様だよ」

「えっ?」

「オレの方も、似たような感じだったってことだよ。借りがどうのって言っておきながら、オレだって自分のことで手いっぱいだったんだ。だから、謝る必要はねぇよ。むしろ謝るのは、恩知らずな真似したオレの方だからな」

「い、いえ……仕方ないと思います」


 狼花さんのここでの立場は、本当に酷いものだった。

 空澄ちゃんによって、そして【犯人】によって、徹底的なまでに残酷な立場に追いやられた。


「狼花さんの方こそ、大丈夫ですか?」

「いや……情けねぇ話だけどよ、流石に無傷ってわけにはいかないなぁ。オレだって、多少は傷つく」

「そうですよね……」


 なら……ここにいるのは、あの事件で一番深く傷を負った二人だ。

 そう思うと、なんだか、なんでも話せるような気分になってくる。


「あの……狼花さん」

「ん? どうした?」

「その、相談……というより、話しておきたいことがあるんですけど」

「ん、何でも言え」


 まだ何も言葉にしていないというのに、狼花さんは本当になんでも受け止めてくれそうな態度で構えている。

 それが、すごく心強かった。


「あの、空澄ちゃんが――」


 私は昨日、空澄ちゃんを問い詰めた際に聞いたことを、狼花さんに伝えた。


「あいつ、そんなこと言ってたのか……」

「はい。それで……空澄ちゃんが何を考えてるのか、わからなくなっちゃって」

「…………」


 狼花さんは腕を組んで黙り込む。


「なあ……今日は、摩由美の魔法のおかげでギリギリ止められたけどさ。あいつ――またやると思うか?」


 狼花さんが、目を細めて尋ねてくる。

 あいつ、というのはもちろん空澄ちゃんのことだろう。

 今回、摩由美ちゃんを害するのに失敗したことで、空澄ちゃんは大きく信用を落とした。……というより、もとから信用なんてないようなものだったけれど。その立場をいっそう落としたことは事実だ。

 その上でまた繰り返すとなれば、疑われるのは必至。

 それでもなお――。


「私は、たぶん……。空澄ちゃんはまだ、何かすると思ってます」


 あれだけ滅茶苦茶な行動を繰り返す空澄ちゃんが、この程度のことで止まるなんて到底考えられないことだった。

 曖昧な言い方をしたけれど、これはもう確信に近かった。

 空澄ちゃんはまだ何かを企んでいる。私たちを再び混乱に陥れるような、何かを。


 私のその考えを、狼花さんもまた重く受け止めている。

 きっと、私と狼花さんの印象は一致していた、ということだ。

 しばらく無言の時を経て、狼花さんが言う。


「その時は……オレがなんとかしてやる」


 その瞳は、瞋恚の炎に燃えている。


「あいつが何を企んでようが、オレが叩きのめしてやる。――お前だけに任せはしないからな、彼方」

「……はいっ」


 嬉しかった。そう言ってもらえて。

 不思議な話だけれど――今、この館にいるメンバーで、一番対等だと思える相手が狼花さんだった。

 その宣言は上から慰められるようではなく、隣立って戦ってくれるという意思表示のように思えた。


 魔法少女の仲間というのは、本来そういうものだ。

 どちらが助ける、助けられるという関係ではなく――隣立って戦う。

 だから――今、狼花さんと結んだ関係は、ここに来て初めて結ぶことができた魔法少女として正しい関係だ。

 そう思うと、更に嬉しくなってくる。


 でも……心の中で、一つの影が蠢いている。

 もし空澄ちゃんが、ここで何かを起こしたとして。

 私はそれに対抗する力を振るうことができるだろうか。

 空澄ちゃんを――追い詰めることができるだろうか。


 ……そうやって悩むのは悪循環だ。

 私は思考を切り替えて、嬉しいことだけを考えるように努めた。

 その最中――ふと、声が聞こえた。


「……ねぇ、ゆーれい、みにいきたいっ。ゆーれい」

「えっと、だから、凛奈。佳奈、お化けとか苦手なんだけど……」

「でも、ゆーれい……」


 佳奈ちゃんと……凛奈ちゃん?


「あん?」


 狼花さんもその声に気が付いた。その声は、脱衣所の方から聞こえてくる。

 私と狼花さんは顔を見合わせる。

 そして、同時にお風呂から上がった。

 脱衣所に行くと、まだ服を脱いでいない状態で話し合う佳奈ちゃんと凛奈ちゃんがいた。

 私たちの姿を認めると、凛奈ちゃんは佳奈ちゃんの陰に隠れ、佳奈ちゃんは凛奈ちゃんを庇うように一歩前に進み出る。


「お前ら、どうした?」


 その様子を気にせずに、狼花さんが声を掛ける。

 佳奈ちゃんは警戒した様子を見せ、何かを逡巡していたけれど……。

 珍しく、その口を開いて私たちの会話に応じた。


「凛奈が、幽霊の部屋に行きたいって言って聞かないの」

「幽霊の部屋? ……ああ、旧個室のことか」


 旧個室。不気味な部屋だ。わざわざ行きたがる場所とも思えない。

 ……ああ、いや。そういえば凛奈ちゃんは、ワンダーが作った悪趣味な映画に、楽しそうな反応をしていた一人だっけ。

 どういう理由かと思っていたけれど、単に幽霊が好きなだけだったらしい。

 それはそれで、かなり変わった趣味だけれど。


「普通に行きゃいいんじゃないのか?」

「……佳奈、幽霊とか無理なの」

「ああ、そういうことか」


 狼花さんが納得したように呟く。


「なら、オレが付き添ってやろうか?」

「えっ?」


 狼花さんの申し出に、佳奈ちゃんは露骨に顔を顰めた。

 そして、凛奈ちゃんの方を見る。

 何かを期待する様子の凛奈ちゃんは、止めても無駄、という雰囲気を感じさせた。


「……凛奈、それでもいい?」

「うん。ゆーれい、みれるなら」

「はぁ……」


 凛奈ちゃんの返事を受けて、佳奈ちゃんはため息を吐いた。

 けれど、最終的に、


「なら、ちょっと来て」

「おう、わかった」


 佳奈ちゃんは狼花さんの同行を了承し、狼花さんもそれを受け入れた。


「あー、彼方」

「あ、はい、なんですか?」

「洗濯物、放り込んどいてもらえるか?」

「あ、はい、わかりました」

「おう、悪いな」


 衣類を手早く身に着けながら、狼花さんはそう言う。

 着替え終わると、洗濯に出す衣類を渡される。

 ――魔法少女のコスチュームは洗濯が不要らしいけれど、下着類はそうも言っていられない。それに、お風呂で使ったタオルも。だから、それらは洗濯室で洗うことになっている。


「それじゃ、行くか」


 狼花さんが、佳奈ちゃんと凛奈ちゃんにそう声を掛ける。


「こいつ、幽霊好きなのか?」

「なんか、昔からそうなの。凛奈、そういうのだけは好きみたいで」

「……りんな、おねぇちゃんもすきだよ?」


 そんな会話をしながら、狼花さんは二人と一緒に浴場を出て行った。


「……はぁ」


 一人残された私は、ひっそりとため息を吐いた。

 もう少し、狼花さんと話していたかったと思う。

 そうしたら、もっと幸せな気分になれたかもしれない。

 ――まあ、いい。仲直りはできたんだから、これから話す機会はいくらでもある。


 しばらく、一人になった寂しさを浴場で噛みしめる。けれど、そうして止まっていても意味はない。

 私は自分の洗濯物も持って、狼花さんに言われた通りに洗濯室を目指して歩き出した。

 と言っても、洗濯室は浴場のすぐ隣。あっさりと辿り着く。


 洗濯室は、洗濯機や乾燥機がいくつか並べられた部屋だ。本当にそれだけの、何でもない部屋。ここには何度も入っているけれど、その質素さに、毎回少し圧倒させされる。

 真っ暗の部屋を蛍光灯で照らす。今回もまたその飾り気のなさに多少圧倒されて、私は部屋を見回した。といってもやっぱり、これといった変化はないのだけれど。

 ずらりと並んだ洗濯機は相変わらずだし、二階と同じくかなり高い天井もまるっきりそのままだ。一階の天井がやけに高いのは、浴場や屋内庭園が原因だろうか。


 部屋の中央には、大きな籠が置いてある。洗濯物を入れる籠だ。

 洗濯物が発生したらみんなここに放り込んで、籠がいっぱいになったら、気づいた誰かが洗濯機に入れて洗う。そういう風なルールになっている。

 籠の中身はそろそろいっぱいになりそうだった。これなら洗っておいた方がいいかもしれない。

 私は自分と狼花さんの分の洗濯物を入れてから、その籠を洗濯機の前に移動させる。

 洗濯物を洗濯機に入れて、機械を動かす。


「ふぅ……」


 洗濯を夜にするというのは変な気分だけれど、日の光が入ってこないこの館では、いつ洗濯をしようとも一緒だった。そもそも現代なら、普通に乾燥機を使えば日差しを考慮しなくても済む。

 ……機械が洗濯を終えるには、割と時間がかかる。ここで待っていても無駄だろう。そう思って、私は洗濯室を出る。

 とりあえず食堂にでも行こうかな――なんてことを思いながら歩いていたけれど、しかし、その歩みはすぐに止められることになった。


「あっ、いたいた、カナタン(^◇^)」

「……えっ?」


 治療室の前で、空澄ちゃんに呼び止められる。

 普通に応じかけて、すぐに違和感に気づく。


「空澄ちゃん、監視されてるはずじゃ……」

「ん? 逃げてきたわけじゃないよ? 第一、こんな狭い館の中で鬼ごっこしたって、すぐに捕まるのがオチだからね((+_+))」

「……なら、どうしたの?」


 背筋を、嫌な予感が伝う。

 空澄ちゃんが逃げ出したわけではないなら、解放されたということで。

 解放されたということは、空澄ちゃんを監視下に置くよりも重要なことが発生したと、そう読むには十分な根拠になる。

 ――つまり。


「あら? カナタンにしては察しが悪いね?(〟-_・)?」


 空澄ちゃんは、ニヤリと、頬を吊り上げる。

 そして――言った。


「決まってるじゃん、事件だよ(-ω-)/」

「事件……」

「うん( ̄д ̄)」


 足元が揺らぐ。

 また、事件?

 誰かがまた引き起こした?

 私は、打ちのめされたような気分になる。


 ――空澄ちゃんはまだ、重要なことを語っていなかったというのに。

 次ぐ空澄ちゃんの言葉は、私の中の何かを砕いた。


「あのね――ロウカスが殺されたよ」

「……ぇ」


 ぴしり、心に罅が入る。

 絶望というのは不思議な音がするものだと、自分の冷静な部分は思った。


 ――二度目の悪夢が、幕を開ける。

 もう二度と繰り返して欲しくなかった災厄が、またしても――。

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