I like you.

《あなたが好き。》




 それは、翌朝のことだった。


「彼方さん、そっちの盛り付けお願いできるかしら?」

「あ、はい、わかりました」


 香狐さんと二人で、朝食の準備を進める。

 その最中、ふと食堂の方が騒がしくなったのを、ベルトコンベアの穴越しに感じる。

 事件後の重苦しい空気はだいぶ消えてきたけれど、ここまで騒げるような元気は回復していないはずだった。

 いったい、何があったんだろう。

 そんなことを思っていると、これ以上なく明確にその理由が察せられる声が聞こえてきた。


『ねぇ、ご飯まだですかー? ねぇ、ねぇってばー?』

「…………」


 ワンダーの声が聞こえる。しかも、すぐ近くだ。たぶん、ベルトコンベアの穴に顔を突っ込んでいる。

 そう察した私は、無言でベルトコンベアを食堂側に動かした。


『んぎゃ! 突然の排出!?』


 予想は見事に当たっていたらしく、ワンダーは食堂側に送還された。


「あの、香狐さん、すいません。向こうに、ワンダーが来てるみたいなんですけど……」

「ええ、そうね。一度見に行くかしら?」

「……はい、そうしましょう」


 私たちは火にかけていた料理に処置を施してから、厨房を出て食堂へ向かった。

 食堂に踏み込むと、魔王の姿を真っ先に認識する。

 ワンダーはテーブルの上に勝手に腰かけていた。食事前だというのに、衛生面が心配な座り方をしてくれる。傍迷惑な魔王だった。


 そのワンダーに対し、各々が違う感情を向けている。

 狼花さんは嫌悪を。空澄ちゃんは歓迎の意を。藍さんは静かな敵意を。夢来ちゃんは怯えを。他のメンバーはここにはいない。

 それらの視線を一身に浴びるワンダーが、ドアの音に気付いてこちらを振り返った。


『あれ? 料理人さんが厨房抜けてきちゃっていいの?』

「よくはないけれど。それより、何をしに来たの?」

『何ってそれはもちろん、みなみなさまにお伝えする情報を持ってきたに決まってるじゃないか! ボクも無駄にみなみなさまの顔を見に来るほど暇じゃないんだよ!』


 ワンダーは、昨日シアタールームに意味もなく現れたことを棚に上げて、抜け抜けと言ってのける。


『でも、みなみなさまが揃うまで時間がかかるみたいだからね。どうせなら待たせてもらおうと思っただけだよ?』

「待つなら、せめて部屋の隅っこで丸くなっていてくれるかしら? みんなの邪魔になるわ」

『えっ!? ボクには何も食べさせてくれないの!?』

「……ワンダーの炙り焼きぬいぐるみの燃えカスなら出せるわよ」

『ひぇっ。退却!』


 言うが早いか、ワンダーは食堂の隅で丸くなった。


「これで解決ね。さ、彼方さん、戻りましょうか」

「あ、はい……」


 私は悠然と歩み去る香狐さんの背を追った。

 厨房に戻って、二人きりになってから、ふと気になったことを訊いてみる。


「あの、香狐さん」

「ん? 何かしら?」

「いえ、あの。香狐さん……なんだか、最初の頃と雰囲気が変わったように思えるんですけど……」

「あら、心外ね。私は私よ。何も変わってないわ」


 香狐さんは、その肩でだらけているクリームちゃんを撫でながら言う。

 でも……何も変わっていないようには、思えなかった。


「いえ、あの、ごめんなさい。ただ……。香狐さんって、何日か前だと、あんまり喋らなかった印象があるんですけど……」


 なんというか、ここに閉じ込められた初期の香狐さんは、冷然としたイメージがあった。みんなの話し合いにも参加せず、必要な時にだけ口を開く。食事の時だって、香狐さんと他愛もない雑談をしたような覚えはない。

 それくらい、人と距離を取っているように感じられる人だった。

 私をただの暇潰しでシアタールームに誘ったり、ワンダーを一対一で追い返す姿というのは、どうしてもあの頃のイメージと乖離しているように思える。


「んー、そう見えるかしら?」

「は、はい……。あ、あのっ、ごめんなさい。急にこんな失礼なこと言って……」

「いえ。まあ、言われてみると、少し態度を変えた自覚はあるわ」

「そ、そうなんですか……?」

「ええ」


 香狐さんが頷く。


「えっと、何かあったんですか?」


 ここで態度が変わる転機になるような出来事があったとしたら、それはやっぱり、あれしか――。

 そういう意味の問いに、香狐さんは微妙な顔をした。


「いえ。明確な転機とか、そういうのはなかったわね」

「それじゃあ、どうして……」


 ここまで来ると、もはや単なる興味本位だった。

 香狐さんのことが知りたくて、ふと投げかけた質問。

 それに、香狐さんは当たり前のように答えた。


「だって、好きな子の前で饒舌になるのは自然なことでしょう?」

「えっ――」


 数秒、固まった。

 好きな子? それって……誰?

 そもそも、ここには魔法少女――要するに、女の子しかいないんじゃ……。

 こういうときの『好きな子』というのは、異性の話のはずだし……。


「あら、気づいてないの?」

「えっ?」


 驚くと同時に、香狐さんに身を寄せられる。


「私、彼方さんのこと結構好きよ? 可愛いものは大好きだもの」

「あ、え……」


 香狐さんの顔が近い。目が合わせづらい。


「それは、あの、どういう……」

「さあ、どういう意味かしらね?」


 香狐さんは、挑発するように微笑んだ。


「彼方さん、可愛らしいもの。もし私が饒舌になったように思えるなら、それが理由じゃないかしら?」


 香狐さんに頭を撫でられる。

 確かこれは、香狐さんの癖だったはずだ。クリームちゃんを――四六時中連れ回すくらい気に入っている子を相手するときの癖。


「あぅ……」


 途端に、なんだか気恥ずかしくなる。

 その仕草が何かのツボを刺激したのか、今度は香狐さんに抱きすくめられる。


 急にもっと接近されて、心臓が跳ねる。

 でも、不思議と嫌な気はしなかった。

 なんというか――香狐さんは姉のように包み込んでくれるような感じで、安心する。

 たぶん、これは香狐さんが抱いている好意とはまた違うものだろうけど……。

 少なくとも、私が香狐さんに好意的だというのは事実のようだった。


「どう? 少しは、私の気持ちがわかってもらえたかしら?」

「は、はい……」


 そう答える以外、私に道はなかった。

 頷くと、香狐さんの体が離れる。

 優しく微笑むその顔は、なんだか――先ほどとは違って見えた。

 ……どうしてだろう。自分でも理由がよくわからない。

 でも、とりあえず、一つ。


「あの、でも、その……。抱き着かれるのはちょっと、恥ずかしい、です……」


 一昨日泣いたことを思い出すし、それに、そこまで密着するというのは普通に恥ずかしい。


「あら。そう」


 香狐さんは少し残念そうな顔をする。


「そ、それより、あの、早く朝ご飯作らないと……」

「ま、それもそうね。それじゃあ、少し早回しでいきましょうか」


 香狐さんは私の露骨な話題逸らしに付き合ってくれて、それで、この話は一旦おしまいになった。

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