Secret Meeting in the Garden
《庭園での密会》
私が来ると、夢来ちゃんは私から遠のくように、噴水を挟んだ逆側にあるベンチへと移動した。
そして、二つあるベンチのうち、自分が座っているものとは違う方を指す。
「彼方ちゃん、そっち座って。……あんまりわたしに近づかない方がいいと思うから」
微笑を一転。思い詰めたような表情で、夢来ちゃんは私に座るように勧める。
……私はとりあえず、言われた通りに座った。
そして落ち着いて夢来ちゃんを見て、ようやく異常に気付く。
「……ぁ。夢来ちゃん、その羽……」
「え? あ、うん……。気にしないで。自分でやったやつだから」
夢来ちゃんが、羽を引っ張る。その皮膜は、酷い状態だった。
乱暴に引き裂いて握り潰したように、その膜は切れ、あるいはボロボロに縒れている。悪魔としてのアイデンティティを保証するその羽は、もはや機能を発揮しないだろう有り様だった。
「自分で、って……」
その申告に私は、まさか藍ちゃんに襲われたんじゃ――と思う。
でもすぐに、それは否定された。
「……本当に、自分でやったの。考えるのに、邪魔だったから」
「考えるって、何を……」
「……ごめん」
尋ねると、夢来ちゃんは顔を背けた。
「言えないの。……今すぐにでも、教えてあげたいけど」
夢来ちゃんのもどかしさを示すように、羽がバサリと動く。夢来ちゃんは鬱陶しげに、その羽を乱雑に振り払った。
その乱暴な扱いがあまりに自然すぎて、本当に自傷によってできた傷なんだと理解する。平然と自傷をするなんて、明らかに普通の精神状態じゃないとは思うけれど。
……一方で、その羽を乱暴に扱うのを見て、私は少しだけ安心感を覚えてしまう。悪魔としての特徴を雑に扱うのは、まるで……。夢来ちゃん自身、その悪魔としての自分を嫌っているんじゃないかって……そんな風に期待してしまうから。
「……彼方ちゃん、とりあえずこれ、持ってて」
二メートルほど離れたところから、噴水越しに夢来ちゃんがそれを放る。
それは私のすぐ横に飛んできて、ベンチに着地して一度跳ね、そして背もたれの部分に当たってから再びベンチに帰ってきて止まった。
「……ぇ。これ……」
それは、見覚えのある、なんてレベルのものじゃなかった。
忌々しさしか覚えない、呪わしい物体。
――ワンダーが持っていた、あの紫の宝石。魔物に命令を通すとき、頻りに掲げていたもの。それが、私のすぐそこにあった。
そういえば、あのとき――ワンダーが処刑された後で、夢来ちゃんがこれを拾って去っていったんだった。
でも、どうしてそれを、私に?
「……もしこれから何かあって、わたしが彼方ちゃんを襲っちゃったら、それを持ちながら言って。止まってとか、やめてとか、近づかないでとか……」
「な、なんで……? これ、なんなの……?」
意味がわからない。これはワンダーが持っていたもののはずだ。
謂わば、魔王専用アイテム。それがどうして、私に渡されるの?
「えっと、それは――」
夢来ちゃんが何かを言おうとする。そこで、不自然に口が閉じられる。
まるで、何かに遮られたかのような――。
「それは――」
開いて、また閉じられる。
……夢来ちゃんの表情が、少し冷めたものになる。
「……ごめん、これも言えないみたい」
「言えないって――。……魔王の?」
「うん。命令みたい。……自覚はないんだけど」
夢来ちゃんが目を伏せる。
自分の身が自分の思うように動かないことに対して、苦い表情を浮かべているのが見える。
……でも、これで一つ、確定してしまった。
現状はまだ、夢来ちゃんは魔王の支配下にある。
まさか、魔王の命令を受けている演技、なんてことはないと思う。いくらなんでも、それは恣意的な見方すぎる。そんなことをしても、夢来ちゃんに得はない。魔王に操られた演技なんかせず、最初から知らないと言えばそれで済む話だ。
……私は、夢来ちゃんのことを信じて、その宝石を拾った。
「それで、えっと……。どう、したの?」
躊躇いがちに問う。どう接していいのか、わからない。
「手紙にも書いたけど、ちゃんと全部話そうと思って。話せることは、全部。……わたしが魔物なのは、もう、わかってるよね」
「…………」
私は頷かない。けれど、その沈黙は肯定の動作でしかなかった。
そもそも私はさっき、魔王に夢来ちゃんが操られている前提で語っていた。魔王に操られるのは魔物だけ。……さっきの問答が既に、私の考えの表明でもあった。
夢来ちゃんの羽が、バサリと動く。
「……ごめんね。騙したみたいになって。でも、わたしは本当に……。ここに来てからは、自分が魔法少女だと思ってたの」
「それも……魔王の命令で?」
「たぶん。わたし、ここに来てから、自分の記憶がちょっと欠けてるような気がしてたの。でもずっと、そんなに大きな穴だとは思えなかった。……わたしの人生のほとんどを忘れてたっていうのに」
「…………」
魔王は、そこまで凄まじい認識改変すら、自在に実行することができるらしい。
それで夢来ちゃんを好き勝手操っていたと聞くと、やっぱり、嫌なものを感じる。
……散々魔物を倒してきた魔法少女である私が、今更何を、という話でもあるけれど。
「こんなこと言っても、信じてもらえないかもしれないけど……。わたしが彼方ちゃんと一緒にいたのは、彼方ちゃんを騙そうとしてたわけじゃなくて……本当に、大事だと思ってたから。それだけは、信じてほしい」
夢来ちゃんが、真摯な瞳で訴える。
……とても、嘘をついてるようには見えない。
「……この館に来たとき、私のこと、魔法少女だったって知らなかったって言ってたよね。あれは、本当?」
「うん。……本当に、知らなかったの。彼方ちゃんが魔法少女なんて。知ってたら、もっと早く打ち明けてたんだけど……。そんなこと後から言っても、遅いよね」
「…………」
実際、裏切られた気分ではあった。だから……。私は、何も言えない。
「私が魔物だってことを隠してたのは、私自身、魔物なのが嫌だったから」
「……ぇ?」
「これは本当。……わたしは、自分が嫌い。羽も尻尾も本能も、全部全部大嫌い。だから、人のフリをして生活してた。本当に……何か目的があって人に化けてたわけじゃないの」
夢来ちゃんが、自分の羽を複雑そうな表情で見つめながら言う。
ボロボロになった羽は、弱々しく動く。夢来ちゃんはそれを、容赦なく払いのけた。
「本当はこの羽と尻尾、仕舞えるんだけど。話をするならやっぱり、隠しちゃダメだと思って」
「…………」
夢来ちゃんのその覚悟に、私は応えられない。
私は未だに、夢来ちゃんにどう接していいのか戸惑っているし、迷っている。
だから代わりに、全く関係のないことを尋ねる。
「それなら、どうして……。この館に来てからずっと、隠そうとしなかったの?」
「え? ああ、うん……。ずっと、この羽と尻尾は魔法少女としてのパーツだと思ってたから。仕舞うなんて発想がそもそもなかったの。……これも多分、魔王にそう認識させられてたんだと思う」
……魔王がわざと、羽を尻尾を晒させていた?
確かに、変身時に何らかの身体的変化が起きるような魔法少女もいる。犬の耳や尻尾が生えてきたり、鋭い爪が備わったり。
だけど夢来ちゃんの場合は……色々とおかしい。明らかに悪魔のものにしか見えない羽と尻尾。魔法少女にあるまじき服装。
そういうものだと思って、あの時は納得していたけど……。事実が明かされた今となっては、迂闊としか思えない。あまりにもあからさますぎる。これじゃあ、疑ってくれと言っているようなものだ。
魔王が、そんなことをする? せっかく魔法少女の中に魔物を忍び込ませたのに、すぐにバレかねないようなことを。
「……たぶん、彼方ちゃんの思ってる通りだよ」
「え?」
不意に、夢来ちゃんの言葉が思考を遮る。
私の、思ってる通り……?
それじゃあ、まさか――。
「わたしはたぶん、捨て駒だったんだと思う。事件が起きなければ、命令で無理矢理わたしに事件を起こさせる。事件にならなくても、仮にわたしの正体が露見したなら、ここの空気は確実に悪くなる。そして裏切り者を警戒し続ければ、いつかそれは魔女狩りになる。――それを狙ってたんだと思う。わたしは本来は、この殺し合いが始まった序盤で死ぬ予定だった」
「そ、そんな……」
「あの魔王はそれくらい、平然とするよ。きっと」
夢来ちゃんの、魔物としての言葉が鋭く突き刺さる。
三つの事件で探偵役を務めた私と、私の代わりに一つの難解な事件を紐解いた夢来ちゃん。この殺し合いでずっと謎解きをしてきた二人が、揃って同じ結論を出した。
なら、それは――。限りなく真実に近い推論だと、今までの事件が裏付けていた。
捨て駒。ボードゲームなんかではありふれた手だ。
――でも、ただのゲームとはわけが違う。
大局のために犠牲にされるチェスの駒と、同一視なんてできるはずがない。
だって、夢来ちゃんは……ここで生きてるのに。
それなのに、捨て駒にされる? 魔物は、魔王の仲間のはずなのに?
おぞましい推論に、夢来ちゃんはただ影を纏って微笑んだ。
全てを諦めたような、そんな儚い笑みだった。
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