Calling from the devil
《悪魔からの呼び出し》
夜。午後九時。目を閉じて、夢来ちゃんのことを考える。
今までの夢来ちゃんとの日々は何だったのか。この館での夢来ちゃんの振る舞いは何だったのか。今の夢来ちゃんは何なのか。
夢来ちゃんは、大事な友達だ。……大事な友達だと、思っていた。
でも、彼女が隠し持っていた秘密が、何もかもを打ち壊した。
過去も現在も未来も、彼女が魔物だというただ一点で、全て揺らいでしまう。
彼女にまつわる真実について、私は何もわからない。知ることはできない。
彼女の方から、アプローチでもない限りは。
「すぅ……」
隣で、香狐さんの寝息が聞こえる。いつも寝る時間にはまだなっていないけれど、既に香狐さんは眠ってしまっていた。
対する私は、全然寝付けなかった。昨日も、あまり寝られなかったのに。
……誰も倒せた確証のない、不確かな魔王討伐。
香狐さんに打ち明けられた、明確な危機。
夢来ちゃんのことだけじゃなく、考えるべきことが多すぎて、潰れてしまいそうだった。どれもこれも、私が考えたところで、何か変わるような話でもないのに。
――ぴらっ。
「……?」
不思議な音がした。
紙を捲ったときのような、独特の音。自然には発生するはずのない音。
無理にでも寝ようと思って閉じていた目を、再び開く。
……奇妙なものが、目に映った。
それは、宙に浮かぶ一枚の紙切れ。それは、文字列を抱えた一枚のメモ。
どうやって宙に浮いているのか? それは、メモの周りを見ればすぐにわかる。浮いているんじゃない。触手が、支えているだけだ。
壁から伸びた触手が、そのメモを私に読ませようとするように、空中に固定している。……館スライムが藍ちゃんを拘束したように、メモを持っているだけだ。
これだけ静かに、触手を間近まで忍び寄らせることができるというのは、恐ろしい事実だ。それはつまるところ、その気になればいつでも、私たちを殺すことができるということなのだから。
けれど私は、どうしてか、恐怖心を感じなかった。驚きはしたけれど、差し迫った恐怖を覚えない。
触手が攻撃してくる様子を見せないからだろうか。それとも、既に私の心が壊れてしまったからだろうか。
「……っ」
そう考えて、触手ではなく、自分が壊れてしまっているという事実の方に恐怖心を抱く。
本当に、私はもう――。
――ぴらっ。
触手が、催促するように小さく揺れる。
読め、と迫ってきているかのような。
……私は少し躊躇ってから、暗いオレンジの灯りの中、その文字列に目を通した。
そして再度、私は驚かされる。
手紙には、こうあった。
―――――――――――――――
驚かせちゃってごめんね。
それと、他のことも。
色々、ごめんなさい。
わたし、彼方ちゃんには
しっかり話したい。
わたしの過去とか、
今起きていることとか。
わたしのことなんて、
もう信じてくれないかもだけど。
今も信じてくれるなら、
今から一人で屋内庭園に来て。
待ってるから。
―――――――――――――――
その手紙には署名がなかったけれど、誰の手紙かなんて一目瞭然だ。
こんな方法で手紙を届けるなんて、魔王か、そうでなければ――。
夢来ちゃん以外、あり得ない。魔物である夢来ちゃんの頼みなら、同じく魔物である館スライムが協力してもおかしくはないはずだ。
手紙によると、夢来ちゃんは私と話したがっている。……みたいだ。
でも、わざわざ一人でなんて書かれているのを見ると、なんだか……。
もしかしたら罠かもしれない、なんてことを思ってしまう。
魔王は死に、夢来ちゃんは魔王の呪縛から解放された。夢来ちゃんがあの時喋らされたのは、魔王が残した悪意の残滓。
そんなのは、あまりに都合のいい希望的観測だ。
藍ちゃんには強く主張したけれど、私だって……。本気でその通りだなんて信じているわけじゃない。
私と藍ちゃんの話は、どちらも『そういう可能性もある』という話に過ぎない。だけどその都合のいい可能性が否定できるものではないからと、それに縋り、いつまでも平行線のまま争っている。
夢来ちゃんは今、本当に魔王の支配下にないのか。
あるいはそもそも、この手紙は本当に夢来ちゃんが書いたものなのか。
その二つの点次第で、これが罠かどうかはガラリと変わる。
……夢来ちゃんの意思で私を攻撃してくるようなことは、ないと思いたい。
この手紙に対して、私が取れる手は三つ。
一つ、完全に無視してしまうこと。
二つ、誰かと一緒に屋内庭園へ確かめに行くこと。
三つ、手紙に従って一人で屋内庭園に行くこと。
「…………」
メモを携えた触手は、やがてスルスルと壁に引っ込んでいき、メモごと沈んでいった。それを契機に、私は決心する。
隣で寝ている香狐さんを起こさないように、そっとベッドから抜ける。
部屋の隅で丸くなっていたクリームちゃんが、こちらを見る。起き上がる様子を見ると、ついて来ようとしているみたいだった。
私は首を振って、必要ないと伝える。
クリームちゃんは、首を傾げる。本当にいいの、とでも言いたげだった。
見つめ合っていると、やがてクリームちゃんはまた丸くなる。どうやら、私の意思を通してくれるらしい。
それをありがたく思って、私はドアをそっと開き、外へ抜け出した。
夜もなお、明るい廊下を進む。誰もいない。当然だ。
階段を一段一段、踏みしめていく。
夢来ちゃんは私に話したいことがあるという。それは私の望みと一致している。
私は、夢来ちゃんに訊きたいことが沢山ある。
夢来ちゃんの正体のこと、この殺し合いのこと。それから――。夢来ちゃんとの、これからのこと。
仲直り、できるのだろうか。また、友達として親しくして。
こんな殺し合いなんて忘れて、何もなかった普通の高校生として――。
そんな明日を夢想する。けれどもそれは、叶うはずのない夢物語でしかない。
この殺し合いを忘れることなんて、できない。私は……。罪からは逃げられない。他人の批判からはどれだけでも目を逸らせる。でも、自分からの批判は……逃れる術はない。一度抱いた罪の意識は、今後ずっと私を苛み続ける。
「……でも」
でも、夢想するくらいは。
幸せな明日を夢見るくらいは、させてほしい。
そんなことを思いながら歩くうちに、屋内庭園の扉の前へ辿り着く。
私はその扉を、そっと開けた。
設けられた小道を、傍らの花を眺めながら歩く。
すぐに部屋の中央に行きあたって、そして、噴水が目に映る。西洋風の、受け皿のようなものが何層か積み重なった噴水が飛沫を上げている。水は最上部からではなく、中段の受け皿の隙間から全方位に、水鉄砲のように細く放出されていた。
光を反射する、美しい水飛沫。――彼女は、その噴水を眺めていた。
「…………」
声を掛けるべきか、迷う。だけどすぐに、夢来ちゃんは私に気が付いた。
こちらを振り返って、そして――すごく綺麗な微笑みを浮かべる。
「彼方ちゃん……。ありがとう。来てくれて」
背中からはやっぱり、悪魔の羽が生えている。尻尾も、変わらずそこにある。
でも夢来ちゃんは……紛れもなく夢来ちゃんなのだと、その笑みを見て確信した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます