Cracked Justice Shield
《罅割れた正義の盾》
藍ちゃんと対立し、喧嘩別れのような形になってしまった。
もちろんその後、全員の意識統一なんて到底できず、私たちはこれからどうするべきかの指針を全く共有できないまま解散となってしまった。
全員がいなくなった後で、食器を厨房に運び、片づけをする。
その最中、気づいてしまった。
「あれ……」
使った包丁を洗おうと、使用済みの調理器具置き場を探す。
しかし――。
「……ない」
使用済みの包丁は、この場から消失していた。
その事実に、焦燥感を覚える。なんだか、胸騒ぎがした。
「あの、香狐さん……。包丁、もう洗いました?」
「え? いえ。彼方さんの方にあるでしょう?」
香狐さんが首を傾げる。
勝手に動くはずのない包丁が、消失した。――まさか?
好きにするがいい、と言い残して去った藍ちゃんの表情を思い出す。
夢来ちゃんを殺せば何もかも解決するという妄想に憑りつかれた藍ちゃん。
藍ちゃんは、一人で食堂を出た後――どこへ?
去り際の、藍ちゃんの言葉の先を、ようやく理解する。
――そこまで言うならば、好きにするがいい。
――ただし、我も好きにさせてもらう。
藍ちゃんの本心は、こうだったんじゃないのか。
あれは、決別の言葉などではなく――独断専行の宣言だったんじゃないか。
「……っ!」
私は、すぐ近くにあるはずの、別の包丁を――。
……寸前で理性を働かせて行動を取りやめ、駆け出す。
「香狐さんっ! あのっ、つ、ついてきてください!」
「……わかったわ」
香狐さんが、何かを察したように頷く。
どこに行けば止められる? 夢来ちゃんの居場所は? ――おそらくは、個室。ならば、藍ちゃんが襲撃をかけるとしたら――。
私は階段を一段飛ばしで駆け上がり、三階へと急ぐ。
階段を上って左側、二番目の部屋――。
「はぁっ、はぁっ……。――藍ちゃん!!」
叫ぶ。しかしそれは、非難の叫びではなかった。
眼前の光景に衝撃を受け、その身の安全を案じたが故の叫び。
――藍ちゃんは、夢来ちゃんの部屋の前で、拘束されていた。
周囲の壁から、触手状のスライムが何本も伸びて、藍ちゃんを空中に固定している。足も、腕も、胴体も、そこかしこに触手を巻かれたその姿は、まるで――。第二の事件の処刑そのもの。
藍ちゃんの足元には、倉庫から持ってきたらしきハンマーと、包丁が落ちている。
「ぐっ、この……っ」
藍ちゃんは滅多矢鱈に暴れるけれど、スライムの触手は外見にそぐわぬ強度を見せ、藍ちゃんは腕すらまともに動かせない。足も地面から完全に浮き、今やその生殺与奪は館スライムに握られていた。
……いくら[刹那回帰]を持つ藍ちゃんと言えど、即死の傷を負えば死は免れ得ない。例えば一撃で脳を貫かれたら、助かりはしないだろう。
……その場合、生きている魔王が出てきて、また事件だ議論だと言い出すかもしれない。それで今度こそ、魔王は死ぬ? それとも、この館スライムが死ぬ?
館スライムが死ねば、私たちは脱出できるだろう。魔王の生死にかかわらず。
でもそのためには、藍ちゃんがここで死ぬ必要があり――。
「貴様、空鞠 彼方! この状況を見ても、貴様は理解しないか!? 桃井 夢来は間違いなく、魔王に利する者だ! この忌むべき館が守護せんとしていることが、その証拠ではないのか!?」
藍ちゃんが吠える。
……私は無言で、藍ちゃんの足元にあった、包丁とハンマーを回収する。
そうして、その二つを後ろ手に隠してから、口を開く。
「……それは、違うよ。魔王が夢来ちゃんを身代わりに立てたのなら、逆にそうやって、裏切り者って印象を押し付けている可能性もある」
「ならば、貴様は――」
藍ちゃんが叫んでいるのを、私は聞き流す。
……どうせ、平行線になるだけだから。
口論――最悪、暴力を振るい合う展開も覚悟していたけれど、拘束のおかげでそれは免れた。
今なら、藍ちゃん相手に――【無限回帰の黒き盾】相手に、好き勝手することができる。私みたいな、最前線にすら行けない、ちっぽけな魔法少女ですら。
手には、ハンマーも、包丁もある。
包丁で刺したところで、藍ちゃんは[刹那回帰]で回復するだけだろう。でも、ハンマーで攻撃したら? 勢いをつけて、頭蓋を砕いて脳まで叩き潰すつもりで、思い切り振り下ろしたら――。それで、【無限回帰の黒き盾】は死ぬ?
考えるけれど、もちろん、実行はしない。
嫌だ。人殺しなんて嫌だ。絶対に嫌だ。怖い。耐えられない。
だから私は――あくまでも冷酷な探偵役として、口で彼女を追い詰める。
「……ねぇ、藍ちゃん」
「何だ、空鞠 彼方!」
苛立った様子の藍ちゃん。彼女に、私は――昨日の事件でついた嘘を打ち明ける。
「どうして、昨日の事件の被害者は――空澄ちゃんだったの?」
「――何? それが今、何の関係がある!?」
「大事なことだよ。だって、本気で魔王を追い詰める覚悟があったなら――あの配役は、完全に悪手だから」
「――――」
藍ちゃんが閉口する。おそらく、気づいていたんだろう。
あるいは、最初から空澄ちゃんとその話をして、全部わかった上で、事件の構築をあんな形にしたのか。
それだったら、この【無限回帰の黒き盾】は――正義の盾なんかじゃない。
ただの、臆病な、卑怯者だ。
「事件前の推理で、私は全部わかった気になってた。でも本当は、私、一つだけ思い違いをしてた」
その事実を、魔王の処刑を実現させた後になって、ようやく告白する。
「……あのときの処刑で、逆にワンダーを追い詰めるつもりだっていうことは、ちゃんとわかってた。そのためには、被害者が生きていなくちゃいけないことも。でも、私は――あのとき死ぬつもりなのは、藍ちゃんの方だと思ってた」
【真相】解答に至って、私はまるで空澄ちゃんが最初から自分の死を織り込んでいたかのように語ったけれど、あれはその後のことを見たうえで推理を修正しただけだ。
空澄ちゃんが起き上がるまで、私は推理を間違えていた。
だって――。
「あそこで空澄ちゃんが起き上がるのは、私には予想外だった。私は――。【犯人】にされた藍ちゃんがそのまま処刑されて、その後で空澄ちゃんが、自分が死んでいないことを明かす手筈になってるんだろうって推理してた。だって――被害者が途中で起き上がったとき、ワンダーが慌てて処刑を取りやめようとする可能性もあるんだから。いくら接理ちゃんの[確率操作]も使えるように根回ししていたとはいえ……。確実に魔王を追い詰めるための作戦で、どうして最後で手を抜いたの?」
「それは――。命を懸ける役は棺無月 空澄が負うと、自分から――」
「それは反論にならないよ。それなら、【犯人】と被害者の役を入れ替えて、藍ちゃんが[刹那回帰]での無限ループをすればいい。空澄ちゃんは【犯人】として、無抵抗で処刑される。その後で藍ちゃんが起き上がる。……これで、作戦は完璧になったはず。空澄ちゃんだって、これくらいすぐに思いついたはずだよ。なのに……どうして、そうしなかったの?」
「な、それは――」
藍ちゃんが言葉に詰まる。
反論はいくつかあるんだと思う。例えば、【犯人】にゲーム制作の技術が求められる以上、藍ちゃんが適任だろうと思われた、とか。……本当に、藍ちゃんにゲーム制作の技術があったのかはわからないけれど。
でもそれは、最終盤で作戦を気取られ失敗するリスクに比べたら、なんてことない。多少ワンダーに怪しまれようとも、空澄ちゃんが藍ちゃんにゲーム制作を習うなり、あるいは時間をかけてでも一から技術を身に着けるなりすればよかったはずだ。
確かに、約三時間も背中に包丁が刺さったままでいるというのは、地獄の苦しみを伴うことだろう。それを成し得るのは、常軌を逸した覚悟と狂気を持つ人間だけだ。
なら、逆に言えば――。
「藍ちゃんは、痛みを恐れて逃げ出したんじゃないの? 【無限回帰の黒き盾】だとか、絶対正義だとか、最高峰の魔法少女だとか言われてても――。藍ちゃんは、頭のおかしい作戦に耐えかねて逃げ出した、ただの……女の子だった。そういうことじゃないの?」
それ以外に、状況がこうなる理由が見えない。
藍ちゃんが被害者役を拒んだが故に仕方なく、空澄ちゃんが被害者役と死亡者役を兼任した。作戦を更に綱渡りなものにしてでも、絶対に、[刹那回帰]がこの作戦には必要だったから。
――あの事件の裏では、そんなやり取りが交わされていたんじゃないのか。
私の問いに、【無限回帰の黒き盾】は――。
「……っ」
心臓を一突きされたように、屈辱に顔を歪め、目を逸らした。
――それが、全てを物語っていた。
「藍ちゃんが、そうやって夢来ちゃんを頑なに……。殺そうとしているのも、それが理由なんじゃないの? 今まで殺せないと思ってた魔王をようやく倒せると思ったら、空澄ちゃんの計画に乗った。それで殺し合いが終わると思ったから。でも、そうはならなかった。だから今度は、短絡的に夢来ちゃんを殺して、終わらせようとした。……違う?」
「――ッ、何を根拠に!」
「根拠なら、今言ったと思うけど」
冷ややかに受け流す。
……黒い炎が、胸の内で湧き上がる。
ささやかな復讐心が、私の攻撃を加速させる。
「貴様は――我が生の目的を穢すのか!? 我が正義を――」
「……藍ちゃんは、正義よりも自己保身を選んだ。本当に正義を貫くのなら、空澄ちゃんの代わりに、被害者役を引き受ければよかった。だから、これが藍ちゃんの正義を穢したことになるのなら、それをやったのは藍ちゃん自身だよ」
「――ッ!」
藍ちゃんが憤怒を宿して、私を睨みつける。
強く、強く、強く――視線で人が殺せたらとばかりに、私を睨みつける。
そのとき、不意にスライムの拘束がほどけた。
宙に固定されていた藍ちゃんが、地に降り立つ。
「……っ!」
一瞬、藍ちゃんが殴りかかってくると思った。
だけど……。
「……ふん」
藍ちゃんはそのまま、何も言わずに私たちの前から去っていった。
それは、正義を誇っていたいが故の行動だったのか。直接的に暴力に訴えることだけは、【無限回帰の黒き盾】として許容できなかった、ということなのか。
その本心はわからない。でも、どうでもいいとも思った。
……どうあれ私は、藍ちゃんが夢来ちゃんを害そうとする限り、彼女の敵でい続けなければならないのだから。
だけど……。
それは果たして、いつまで続くんだろう。
それに――夢来ちゃんは今、何をしているんだろう。
殺し合いは終わったと思ったのに、次から次へと謎は増えていく。
打ち明けられた香狐さんの秘密。夢来ちゃんの存在、そして動向。
……まだ、私の出番があるのだろうか。
冷徹に謎を解き明かす、探偵役としての出番が。
私は二度と出番がないことを祈りながら、夢来ちゃんの部屋の前から離れた。
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