【解決編】I understood the crazy equation.
《私は狂人の方程式を理解した。》
時間をやる、と言ったきり、藍ちゃんは何も喋らなくなる。
ただ目を閉じ、沈黙し、私が結論を変えることを待っている。
「見苦しい言い訳……と切って捨てるには、些か怖いね。まだ、時間は一時間ほどある。考え直してみたらどうかな、空鞠 彼方」
「…………」
接理ちゃんはどうしてか、やけにあっさりと【犯人】の言葉を受け入れた。
それが少し、気にかかる。
事件が発覚してからまだ二時間程度。時間が残っているのなら、考えるだけ考えても損はしないはずだ。
なら……最大限、考えてみよう。
本当に、藍ちゃんは【犯人】じゃない?
殺すには値しない存在?
――違うはずだ。全ての結論が、藍ちゃんを指し示しているはずだ。
夢来ちゃんだって、そう思っている。
私と夢来ちゃんが辿り着いた結論は、同じものだ。
現に今、夢来ちゃんも怪訝そうな顔で藍ちゃんを見ている。
――何か、思い違いをしている?
していないはずだ。これから【犯人】が覆されるなんてあり得ない。
異論がそう簡単に出てくるなら、こんな議論を始める前に出ていてもおかしくはないはずだ。
だってこの推理は、全ての証拠に矛盾しない。
そもそも藍ちゃんは、自分が【犯人】であると名乗り出た。それなのに、まだ何かあるというのだろうか。
犯行の方法が違う? それなら、『考え直せ』なんて言わないはずだ。私たちが間違えた方が、【犯人】にとっては都合がいいんだから。
「…………」
誰も、何も意見を出せない。矛盾点が見つけられない。
そのまま、五分が、十分が流れる。
「……やっぱり、さっきので正解?」
夢来ちゃんが呟く。
そうだ。何度検証しても、この流れ以外に殺人が可能なパターンは存在しない。
おかしなことは、何も……。
何も……。
「……ぇ」
――違う。おかしい。
どうして【犯人】は、そんなことができた? あの時点でそんなことを考えるのは、おかしいはずだ。
超感覚? 私たちがまだ気づいていないアリバイの偽証? 違う。そんなことはあり得ない。
でも、だとしたら、これの理由は彼女にあるとしか考えられない。殺人の直前で――いや、わざわざそんなことを生死をかけた場面で? なら、予め――それに何の意味がある? 彼女が、そんなことをするとは思えない。
意図。裏の意図。何か、策略が隠されている?
そうだ。【犯人】がタイムラインを支配しているのもおかしい。何度も疑問に思った通り、【犯人】はみんなにアリバイを確保させるより、みんなのアリバイを失わせる方が都合がいいはずだ。それなのに、どうして全員にアリバイを確保させた?
脳裏を、可能性が巡る。これは、違う。意味がない。それも、違う。意味がない。
これら全てに、何か意味を付与できる?
何か、ある気がする。重大な意図。見抜かなければならない意図。見落としてはいけない意図。
誰かの作為には、理由がある。これだけ丁寧に作り込まれた事件にも、何かの意図が隠されているはずだ。
実際に今、この事件を考え直して、私は感じている。誰かの、怨念じみた感情を。
その感情は、どこかで触れたことがあるような気がした。そう。まるで、そこで倒れ伏している彼女のもののような――。
――その思い付きをきっかけに、全てが引き摺りだされる。
描き出されるのは、狂人の方程式。ネジの外れた思考の証明。
まさか。まさか、まさか、まさか――。
「まさか、空澄ちゃ――」
「――言うなッ!!!」
私の言葉を、藍ちゃんの怒号が掻き消す。
「言うなよ、空鞠 彼方ッ! 辿り着いたのなら、言うなッ! それこそ、奴に対する最大の裏切りだッ! 最低の侮辱だッ!」
「……っ!」
そう――そうだ。藍ちゃんの言う通りだ。
これを口に出してしまうのは、空澄ちゃんに対する最大の裏切りだ。
だけど、私には――この方程式が正しい確信がない。だから、一つだけ探りを入れる。
「……藍ちゃん。一つ、聞かせて。今は、九百回目くらい?」
「…………。肯定しよう。それ以上は何も聞くな」
『え、何々? 何の話?』
ワンダーが首を傾げる。
……この魔王は、知らないはずだ。【真相】のその先を。
だけど私は――その先の景色を実現させてしまって、いいのだろうか。
「迷うな。――覚悟の上だ。貴様には、何の責も負わせはしないと誓おう。存分に、貴様は役目を果たせ。それが、我の選んだ道だ」
「……うん」
頷く。【犯人】を、必ず断罪すると誓う。
そのために――推理の目的を、変える。
「――やっぱり、大丈夫みたい。もう、【真相】の解答に移ろう」
「……えっ? 彼方ちゃん、何か――」
夢来ちゃんが、私に尋ねようとする。
それを、接理ちゃんが遮った。
「なんだかわからないけれど……。忍を追い詰めたキミの言葉だ。――間違えていたら、どうなるか、わかっているだろうね?」
「……うん」
接理ちゃんに、深い憎悪の込められた視線を向けられる。
……そうだ。接理ちゃんにとって、私はそういう存在のはずだ。忍くんを無慈悲に追い詰めた、憎い相手。今までそんなこと、意識すらしなかった。
でも――だから、託してくれるのだろう。これは、そういう事件だから。
『えっと? なんだかよくわからないけど、もう【真相】の解答に進んじゃっていいのかな? いいの? チャンスは一度きりだよ?』
「……うん」
強く頷く。――もう、ワンダー相手に退かない。恐れない。
借り物の勇気だけれど、それでも、この役目を託されたのだから。
『解答役は、今回は頭ピンクちゃんってことでいいのかな? それとも、中二病ちゃんにでも答えさせてみる?』
「……私がやる」
『あらま、冗談に反応が悪いことで』
ワンダーがつまらなそうに言う。未だにローテンションを引き摺っているらしい。
『――それじゃあ、行ってみようか! アバンギャルドちゃんを捧げた、生贄の儀式の【真相】! ワクワクで夜も眠れなかったボクを大いに失望させてくれた殺人計画を作り上げたのは、一体誰なのか! どうやって、儀式の準備を完遂したのか!』
ワンダーが、空元気で雰囲気を盛り立てようとする。
思い出す。最初の事件を。第二の事件を。
私の不甲斐なさで、私は第三の事件を夢来ちゃんに押し付けた。
――でも、この事件では、これが私の役目だ。
気分が軽い。今なら、抵抗感なく【真相】を語ることができる。
終わらせよう、この事件を。
そして、進もう。――【真相】のその先に。
『間違えたら【犯人】以外のみんなが仲良く絶望して、ついでに生贄の儀式の成功っていうレアなものを見られるだけだから! なんならボク的には、そっちの方が楽しみだから! 不正解を待ってます! それじゃあ――どうぞ!!』
ワンダーが、私に場を譲る。
――何も知らないワンダーに、突きつけてやる。そのためにまずは、【真相】を正しく言い当てなければならない。
そうでなければ――全てがご破算になる。
今回は、ワンダーの態度が妙に【犯人】に協力的。もしかしたら、細かいケチで失格なんてことをしてくるかもしれない。
そうはさせない。完全正答で、全てを切り抜ける。
――それが、狂人が描いた方程式に、最後に求められる変数なのだから。
◇◆◇◆◇
この事件の【犯人】が計画したのは、ゲームにおける生贄の儀式を再現した、見立て殺人。
【犯人】は、見立て元として既存の作品を選ばず、自分で自由に状況を設定できるようにゲームを作った。
ワンダーに頼んでゲーム作成用のマシンを用意させたのは、【犯人】で間違いないはず。
このゲームが、いつから作られ始めたのかはわからないけど……。いくらゲームを作るのが難しいとはいえ、一日中時間を自由に使えるこの館なら、仕上がるまでにそこまで日数はかからなかったと思う。
そうやって【犯人】は、自分に都合のいい見立て元としてゲームを作った。
『蜘蛛神への生贄』。そのゲームの中に、【犯人】は予め仕込みをしておいた。
第一の仕掛けは、夢来ちゃんと佳凛ちゃんのゲームだけ一部を変更して、クリア不可能にしておくこと。これは、事件を起こす日の行動を操るための仕込み。
第二の仕掛けは、ゲーム内で繰り返された質問。殺された場所についての質問を繰り返して、最初はバグだと思われるように。事件後は、【犯人】が場所についてのトリックを仕掛けたと錯覚させるように仕込んだ。実際に【犯人】が繰り返して刷り込みたかったのは、ゲーム内の女の子が祭壇で殺されたことじゃなくて、九時間前に殺されたこと。これが、【犯人】が最初に計画してたトリックだったんだと思う。
そのトリックを実行に移すために、【犯人】は予め準備をしておいた。
殺人の前に、糸を結び付けた吸盤を作り、包丁を入手した。
そして今日、【犯人】が企んだ殺人計画は実行に移されるはずだった。
【犯人】は、後で犯行推定時刻になるはずの時間帯に自分は殺人が不可能だと示すために、午前中は書庫に行った。最近、書庫にはいつも夢来ちゃんがいるはずだから、そこに行けば簡単にアリバイは作れた。
でも更に、【犯人】は罠を仕掛けた。完全なアリバイを作らずに、見回りと称して、少しだけアリバイに穴をあけた。そこで殺人を行ったんじゃないかって、後から思わせるために。
午後は、人と一緒に過ごすことでアリバイを作った。こっちには、アリバイに穴をあけなかった。
夕食の後、ワンダーが私たちを閉じ込めた。後からそれは、誰かからの頼みだったと明かされた。
でも本来なら、誰一人として得をしないはずの行動だった。この事件の被害者になった空澄ちゃん以外、私たちは全員食堂にいた。
【犯人】も行動不能になっちゃったら、何のために閉じ込められたのかわからない。
――でも、一人だけ得をする人がいた。それは、唯一その場にいなかった空澄ちゃん。
本来なら、事件の後、この時間帯は空澄ちゃんが真っ先に疑われるはずだった。一人だけ閉じ込められるのを免れたなんて、どう考えても怪しいから。
でも、そうはならなかった。後から【犯人】が行った隠蔽工作と、被害者という立場が、それを隠してしまった。
この事件の裏で、空澄ちゃんも何かの事件を起こそうとしてた。
ワンダーにガソリンとライターなんて用意させて。
私たちを食堂に閉じ込めさせて、その間に、空澄ちゃんは浴場と儀式の間にガソリンを撒いた。
でも事件の前、浴場に行った人がいたから……事件前にガソリンを撒けた人なんて一人しかいなかったと確定させてしまった。それも奇しくも、そのときガソリンは撒かれていなかったと確認してしまったのは、【犯人】だった。
そこで浴場に行ったのは、偶然かもしれないけど……。その行動が、後で自分の首を絞めることになった。
空澄ちゃんがそうやって仕込みをしてたとき、【犯人】は相当焦ってたと思う。入念に時間管理された事件を計画していたのに、八十分も何もできない時間が続いたから。
だから【犯人】は、ワンダーから解放されてすぐに、殺人の用意に取り掛かろうとした。
吸盤付きの糸と、事前に調達した包丁を持って、【犯人】は儀式の間に向かった。
そのとき、儀式の扉は閉まってたのかな。【犯人】は儀式の間の中を確認することなく、部屋の前の絨毯を切り取った。それも、生贄の儀式を構成する一要素として必要だったから。
そして、儀式の間に入った。
中に入った【犯人】は、同じく儀式の間で殺人の用意をしていた空澄ちゃんと鉢合わせた。
たぶん、空澄ちゃんはすぐに[呪怨之縛]を使ったと思う。それで【犯人】を拘束できたと思って、空澄ちゃんは【犯人】に近づいた。
だけど……【犯人】は、[呪怨之縛]を解除できる魔法を持っていた。
それに気が付かなかった空澄ちゃんは、【犯人】に不意を打たれた。
背中を刺されてたってことは、やっぱり、気絶させたのが先だったんだと思う。【犯人】は空澄ちゃんを、……たぶん、脳震盪を起こさせるとかして気絶させた。それで無防備になったところを、【犯人】は包丁で刺した。
そうやって致命傷を負わせたら、【犯人】は空澄ちゃんの死体を、石の台座に運んだ。
それで、空澄ちゃんの服を……。
……いや。やっぱり、これはいいや。
空澄ちゃんと鉢合わせたことで、予定にない殺人をしてしまった【犯人】は、慌てて現場構築に取り掛かった。
とはいえ、仕組んだトリックをそのまま流用はできなかったんだと思う。そこで【犯人】は、計画を一部変更した。
空澄ちゃんが撒いたガソリンを自分の計画のうちに取り込むことで、ガソリンを撒いたことまで【犯人】の計画だと誤認させて、【犯人】が犯行に要した時間を大幅に増やした。
更に【犯人】は、元々計画に使うつもりだった糸とガソリンを有効活用して、自分以外が死体に近づけないように細工した。これは、殺人が起きた時間を誤魔化すために【犯人】が考えた手だった。
でも、急な計画の変更には、いくつか問題点が出た。
ガソリンの臭いは……。魔法少女の衣装の浄化作用で、なんとかなったのかもしれないけど。
ゲーム内で重要な要素のように描写した杯が、調達できなくなった。【犯人】は接理ちゃんを玄関ホールに置いてしまったから、厨房に杯の代わりになるものを取りに行けなかった。杯を持っているところが見られて、しかもそれが後で発見される殺人の現場にあったなら、間違いなく疑われてしまうから。そうでなくとも、厨房にはそのとき、私と香狐さんがいた。
どうして事前に杯の代わりを用意しておかなかったのかはわからないけど……。ああいや、事前に用意はしていたけど、液体で満たした杯を宙に固定するなんて時間がかかる作業はできないと判断したのかも。接理ちゃんを待たせている最中で、あまり待たせたら探されてしまうかもしれないから。それで儀式の間にいるところを見られたら、一巻の終わりだから。
【犯人】は最低限の仕掛けだけを施して、儀式の間を出た。そして、接理ちゃんと合流する。
【犯人】が目論んだ罠を機能させるには、第一発見者になる必要があった。だから【犯人】は、空澄ちゃんを探しているなんてことを言って、死体を発見する流れに持っていった。
死体が発見されたあと、【犯人】は罠の中に入って、閉じ込められたフリをしてその中に閉じこもった。自分以外の誰も、死体に触れられないように。中に入る場面を接理ちゃんに見られちゃいけないけど、万が一失敗してガソリンに火が付いたら危ないとでも言えば、簡単に接理ちゃんは部屋の外に出せる。
あとは、合流した私たちに死後硬直に関する嘘を教えて、死亡推定時刻をズラした。【犯人】が殺人を実行した本当の時間帯が、その時刻から外れるように。
◇◆◇◆◇
「でも、さっき言ったように、【犯人】は墓穴を掘った。夕食前に接理ちゃんと一緒にお風呂に入ったせいで、ガソリンを撒いたのが空澄ちゃんだという決定的な証拠を作ってしまった」
それがわかれば、後のことを紐解くのは容易い。
「おかげで、犯行に必要な時間は最低で十一分に縮まった」
これで、この殺人の不可能性は崩れた。
「【犯人】に要求されるのは、ワンダーから解放された後に十一分以上の自由時間を持っていたこと。[呪怨之縛]を退ける魔法を持っていること。そして、死亡推定時刻の矛盾に囚われずに殺人ができた人」
それはもう、一人しかいない。
今も腕を組んで、私の推理を静かに受け入れる彼女。
罠の内に、自らの身を投じた彼女。
「この事件の【犯人】は――絶対正義を標榜する、最強の魔法少女。最前線で多くの魔物を討伐し、更には犯罪者への粛清まで行う特異な魔法少女」
……それが、【犯人】の正体。
二つ名とは裏腹に、全てを刺し貫くオーラを備えた魔法少女。
「――【無限回帰の黒き盾】、唯宵 藍ちゃん。それ以外には、あり得ないよね」
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