First Night

《最初の夜》




「……はぁ」


 私は、凝り固まった感情を吐き出すように、ベッドの上でため息を吐いた。


 全員の魔法がワンダーの対策の前に敗れ去り、魔王の周到さを理解した後。

 私たちは館の探索に突入した。

 初さんがやけどを負った空澄ちゃんを治療室に連れていき、魔力を使いすぎて気絶した狼花さんもそこで休ませる。そこからは、他の十人を二組に分け、館内の探索に当たらせる。

 大人数で移動したのは、目撃者がいない状況での凶行を危惧してというより、魔物と遭遇することを危惧した結果だった。魔法少女が固まっていた方が、魔物と出遭っても対処できるだろうという判断だ。

 結果として、館内の探索中、ワンダーやスライム以外の魔物の姿は見かけなかったけれど。どこかに隠れていた可能性もある。未だ完全に杞憂とも言い難い。


 ――それで、探索の成果については、あんまり芳しくなかった。

 案の定、あからさまに脱出口になりそうな場所はなし。

 私たちの探索はただ、これから自分たちが過ごすことになる館についての理解を深めただけに終わった。

 一階の探索班がどのような探索をしたのかは知らないけれど、二階の探索班は倉庫の物品リストを作成したりもして、かなり疲れた。


 この館には窓がなかった。この館には裏口もなかった。

 この館には、玄関を除きありとあらゆる脱出口が存在しなかった。

 初さんが冗談で言っていたけれど、もちろん、ワンダーが玄関の鍵を閉め忘れるうっかり魔王ということもなし。それどころか、まず鍵穴すら見当たらない始末だった。ピッキングを試そうなんて言っていた人たちも、これには愕然とした。


 当然ながら、外への連絡手段も設置されていない。

 電話もなければ、パソコンの類も設置されていなかった。

 それから、これは部屋に戻ってきてから気が付いたことなのだけれど、私たちがここに来る際の所持品が消えている。

 所持品といっても、私が持っていたのはスマホくらいだったけれど。

 おかげで、外へ連絡するという希望も完全に否定された。


 魔法という最終手段的な希望を初手で試してしまった以上、私たちが脱出のためにできることは、もはやなんにもない。

 ……ここで、ワンダーだったらこう言うんだろう。

 脱出のためにできることはなんにもない。殺人以外には。――なんて。


「私は……」


 私は外に出たいか。もちろん出たい。今すぐにだって出たい。こんなわけのわからない場所からはさっさと逃げ出したい。

 だけど、殺人なんて、人として最低な所業は絶対にできない。

 そんなことをするならいっそ殺された方が――なんて、極まった覚悟も持てないけれど。嫌なものは嫌だし、駄目なものは駄目だ。

 閉じ込められることも、殺人を犯すことも、私はどちらも許容できない。


 ――探索で時間を消費して、既に時間は夜。

 無断外泊というのは初めての経験だけれど、そもそもこれは外泊ではなく誘拐だ。誘拐の犯人は愉快犯的な邪悪。

 今ももどかしい気持ちだけれど、きっとこの気持ちは時間が経つにつれて膨れ上がっていく。こらえきれない焦燥感は、いずれ何を生むだろうか。


 今日の暴発騒動だって、一歩間違えば大きな不和となっていた。

 私の持つ魔法が[外傷治癒]でなかったら、今頃はみんなどうなっていただろう。考えたくもない。


 夜が来るまでに、私たちはここに閉じ込められたことを十分に突きつけられた。

 そのおかげと表現するのは絶対に嫌だけれど、なんとかしなくちゃという焦りから、今日のうちに共同生活の流れを組み立てることはできた。突飛な人間関係の変化がなければ、しばらくはうまく回るはず。

 だけどいつまでこうしていられるか。誰かが短慮に走らないという保証はない。誰もがそれを恐れている。


「誰か……助けてくれるかな」


 これは誘拐事件だけれど、警察に見つけてもらえる可能性はまずないと思う。相手は魔王。普通の人には対抗できない。

 魔王に対抗できるとしたら、超凄腕の魔法少女くらいだ。

 その超凄腕の魔法少女が、奇跡めいたタイミングで助けに来てくれる、なんて――そんな期待は持てるだろうか。


 頭の中でその光景を想像して、虚しくなった。魔法少女が飛んで跳ねて魔王を圧倒している姿には、丸っきり現実感がない。むしろワンダーの持つコミカルさのせいで、緊張感にも迫力にも欠ける。

 同時に、果てしない孤独感を覚える。

 誰にも助けてもらえない状況というのは、世界から切り離されたかのような寒々しさを植え付けられる。

 誰かに、その穴を埋めてほしかった。


 ……なるべく、騒がないようにしていたけれど。

 私だって、こんなことに巻き込まれてからずっと、怖かったんだ。

 いや……隠しているつもりだったけど、そもそも、夢来ちゃんの前で一回泣いちゃったっけ。全然隠せていなかった。


「夢来ちゃん……」


 夢来ちゃんなら、こんな不安な状況でも一緒にいてくれるかな?

 そんな期待が湧いてくる。

 都合のいい考えというのはわかっているけれど――。


 ――コンコン。


「っ!?」


 体が跳ねる。今の、何の音!?

 硬質の何かと何かがぶつかったような音だった。

 音の発生源は――ドア? まさか、ノック?


 殺し合い、という単語がふと脳裏をよぎる。

 ……大丈夫。鍵はかけてる。誰かが勝手に入ってくる心配はない。

 私はそう自分に言い聞かせ、痛いほどに震える心臓を落ち着かせようとしながら、ドアへと向かった。


「あの、誰かいる……」

「ひゃっ」

「……みたいだね」


 ドアの向こうに呼び掛けると、小さい悲鳴のようなものが聞こえた。

 そのか細い声の持ち主は、なんとなく察しがついた。


「夢来ちゃん?」

「ご、ごめん、彼方ちゃん……こんな時間に、その」

「もしかして、何かあったの?」


 みんなで決めた就寝時間、午後十時は既に過ぎている。

 まさか――と最悪の想像をするも、それにしては切迫感がない。

 案の定、その想像は外れていたらしい。


「そ、そうじゃなくて……その。不安で……。思わず、来ちゃった、んだけど……」


 そんないじらしいことを言ってくれる夢来ちゃん。


「ご、ごめんねっ。め、迷惑だったよね……。もう就寝時間も過ぎてるし……。その……。わ、わたし、帰るからっ」

「ま、待ってっ」


 私はドアを開けた。

 多少迂闊な行動かもしれないけれど、でも、夢来ちゃんなら招き入れても大丈夫だ。


「わっ、彼方ちゃん……」

「入って、夢来ちゃん」


 私は夢来ちゃんの手を引いて、部屋の中に迎え入れる。

 夢来ちゃんは身一つで来たようで、手には何も持っていない。


「い、いいの? だって……」

「夢来ちゃんのことは、信頼してるから」


 私は扉を施錠しながら、夢来ちゃんの戸惑いに応えた。


「そもそも夢来ちゃんの魔法、危なそうに見えるけど、実は全然そんなことないよね? 時間かかるから、その魔法使うよりも、何か道具でも使った方が……確実だし」


 殺す、という夢来ちゃんを怯えさせてしまう明確な単語は避ける。


「それに、その、言いづらいけど……夢来ちゃんの服装、何か物が隠せるようには思えないし」

「ひゃぅ……。み、見ないで……」


 本当に、夢来ちゃんの格好は下着同然だ。ワンダーに痴女なんて言われても言い返せない。


「あー。服、何か見繕わないとね……」


 このままじゃ風邪を引いちゃうし、いつまでもこんな格好というのはあまりよくない。――一日そのままにしておいて、今更だけれど。

 確か、一階に衣装室という部屋があった。私や夢来ちゃんの探索範囲は二階だったから寄ることができなかったけれど、明日、行ってみてもいいかもしれない。

 探索した人たちは、衣装室についてあまり深く語ってくれなかったけど……。

 衣装室というくらいだし、着替えの一つや二つはあるはずだ。


「それで、一応訊いておくけど……。何か用があって来たわけじゃないんだよね?」

「う、うん……。寂しくなっちゃって、それで、つい……。ご、ごめんね?」

「ううん。私もちょうど寂しくて、夢来ちゃんのこと思い浮かべてたところだったから」

「えっ――」


 夢来ちゃんの顔が赤くなる。こんな言葉で喜んでもらえたなら何よりだ。

 それに――。夢来ちゃんがここまで不安に思ってしまったのは、私のせいでもある。

 私が先に泣いちゃったから、夢来ちゃんが泣く機会を逃してしまった。結果、夢来ちゃんは吐き出せなかった不安を抱え込むことになって、こうして私の部屋までやって来るほどになった。

 ……たぶん、そういうことだ。

 私は友達として、夢来ちゃんに支えられるだけじゃなくて、夢来ちゃんを支えてもあげなくちゃいけないはずだったのに。


 どうすれば夢来ちゃんを支えられるだろうと、今になって考える。

 私にしてくれたみたいに、泣いている夢来ちゃんを慰める?

 たぶん、それはできない。夢来ちゃんは私の前で涙を見せてくれない……と思う。もしかしたら、夢来ちゃんは部屋でひっそり泣いていたのかもしれない。だけど私はその場にはいられない。私が先に泣き崩れちゃったせいで。

 それなら、私にできることは……。


「夢来ちゃん、もう寝るところだった?」

「あ、うん……」

「それなら、今日、一緒に寝ない?」


 この部屋は一人部屋で、当然ながらベッドは一つしかない。

 だから、だいぶ窮屈になってしまうけれど。

 夢来ちゃんが孤独を埋める相手として、私を選んでくれたのなら――一緒にいてあげることくらいは、できるはずだ。


「私も、ちょっと寂しくて。……いい?」

「う、うん……っ」


 夢来ちゃんは恥ずかしそうにしながら、首をぶんぶんと縦に振った。

 夢来ちゃんが頷いてくれたことは、私にとっても、本当に嬉しいことだった。




     ◇◆◇◆◇




「それじゃあ、電気、消すよ」

「う、うん……」


 リモコンを操作して、灯りをオレンジ色に変える。

 暗くなった部屋に、見慣れない天井。

 不安な状況だけれど、でも、触れ合う体温が安心を与えてくれる。


「ね、ねぇ、彼方ちゃん……」

「ん? どうかした?」

「その……。手、握っても……いい?」

「……うん」


 ベッドの中で、互いの手を探る。

 ようやく探し当て、そっと握ると、夢来ちゃんはほっとしたように微笑んだ。


「……ありがと、彼方ちゃん」

「ううん。私も、夢来ちゃんがいてくれてよかったって思ってるから」


 もう何度言ったかわからない言葉を繰り返す。


「それじゃあ……おやすみ、夢来ちゃん。また明日ね」

「……うん。おやすみ、彼方ちゃん」


 私は目を閉じる。そして祈る。

 どうか、明日も――夢来ちゃんとこうして、一緒にいられたらと。


 繋いだ手は、朝になるまで離れなかった。

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