現実性継続原理

◇◆◇【神園 接理】◇◆◇


「ごめんなさいね。あの子と一番仲が良かったのは接理ちゃんだったから……。あの子のこと、何か知らないかしら?」

「……いえ、僕は何も」

「そう……。接理ちゃん、顔色悪いわよ。あの子のことを心配してくれているなら嬉しいけど、しっかり食べて、元気付けてね」

「……はい」


 それが、あの殺し合いから解放された翌日、忍の母親と交わした会話だった。

 忍は――いや、忍だけじゃない。あの殺し合いで命を落とした魔法少女は全員、原因不明の失踪ということになった。他にどうしろって言うんだ。死体を持ち帰れとでも? 傷や病気の痕跡がない一切ない変死体、切断に加え圧砕までされた惨殺死体。それらを持ち帰って、どうなる? 単なる怪奇事件・猟奇事件で片づけられるならまだしも、名乗り出るべき犯人すらもうこの世にいない。

 ……だから、全員の死は世間には隠蔽するしかなかった。失踪事件なんて大して珍しいことでもないし、当初はあまり人の目に触れる事件でもなかった。しかし……あの殺し合いの参加者は、二つ名持ちの魔法少女以外はほとんどこの近辺の人間だったらしい。近所と言うほどではないけれど、せいぜい県境を一つ跨いだ程度に散らばっていた。特定エリアの十代の少女たちが一夜にして何人も消えたとなれば、流石に不審さもあったのだろうか。時間が経つにつれて誘拐事件としての捜査も始まったらしく、一部は行方不明者として報道されていたりもした。

 僕のところにも警察関係者なんかがやって来て、忍のことについて何か知らないか尋ねられた。僕は失踪した幼馴染みを心配するあまり精神を崩したと装って、彼の死とそれにまつわる真実の一切を秘匿した。

 ……そうするしかなかった。


 僕は普通に学校に通って、魔法少女としての活動をして――その傍らで、在りし日の彼の痕跡を求め続けている。

 終わらない悪夢のような現実に耐えかねて、僕は白昼夢に縋ろうとしている。

 イマジナリーフレンドやタルパ――そんな方法で忍の幻影を作成してしまえばきっと楽だっただろう。僕の[確率操作]なら心因性の幻覚くらい生み出すのは容易いし、僕自身の心を魔法で強制的に捻じ曲げてしまえば、僕自身を永遠の幻覚の世界に閉じ込めてしまうことだってできる。

 けれどそれは最後の一線を踏み越える行為だ。僕はまだ、本物の忍に拘っている。そんな偽物に縋ることは、本当に大切な何かまで失ってしまうようで怖かった。


 ……そう。僕はまだ、本物の忍に縋り続けている。


「……[確率操作]。僕に忍の姿を見せてくれ」


 あの最期の時と全く同じやり方で、僕は忍の魂を呼び戻し続けている。僕は霊能力者ではないから、具体的にどのような法則が働いているのかわからない。それどころか、魂を完全に呼び戻せているのかもわからない。忍の魂は黙して何も語らず、ただ謎の青白い光の塊として僕の傍にいてくれるだけ。これが本物の忍なのかどうか、僕にすら判別がつかない。

 ……もしかしたら僕は、本当に狂ってしまっているのではないかと最近は疑い始めている。僕の[確率操作]は霊能力などではなく、ただの確率偏向を起こすだけの魔法。それ故に、できないことはできない。それが絶対の法則だ。

 だから――僕が今見ているコレは、僕が呼び戻した存在などではなく。魔法で呼び出すことができなかったために、僕の頭が想像で補った幻影なんじゃないかって。

 だって本物の忍なら、僕に語り掛けてくれるはずだ。僕を慰めてくれるはずだ。


「……っ」


 一分経つと、その魂のような何かは自然と消えていく。

 偽物かもしれないと思っていても、その光景に何かが引き裂かれるような感覚を覚える。……それをずっと、半日ごとに繰り返している。

 唯宵 藍がいない今、[確率操作]によって絶えず物語を描くなどという反則的な魔法の使い方はできない。僕自身、あんなことは二度とするつもりはない。アレはあくまでも、物語の国の主を名乗るあのクズに対する、ただの意趣返しだ。僕まで日常生活の全てを物語として描くようになって、あの魔王と同じところに堕ちるつもりはない。


 ――あの魔王のことを思い返して、腸が煮えくり返るような感情を抱く。

 あれがまだ生きているだなんて耐えられない。あんなクズがのうのうと生き残って、償いだなんだとほざいているだなんて。

 僕が空鞠 彼方の作戦に賛同したのは、忍が殺されたことは正当な流れだったなどというふざけた理屈を万が一にも成立させないためであって、あのクズへの恨みも、殺意も、どれ一つとして消えたわけではない。罰としての死刑――忍と同じ方法ではなく、たとえば事故死とか、そうでなければ恨みを抱いた誰かに殺されるとか、そんな風な死に方をしてくれれば僕としては万々歳だ。祝杯だって挙げてやる。

 まして、殺人に対して償いなんて。馬鹿にしているとしか思えない。死んだ人間は帰ってこない。それは絶対の摂理だ。スウィーツに聞いても、死んだ人間を無条件で――つまり一般的に想像される形で蘇生するような魔法はないという。魂だけを再利用して生まれ直させるとか、完全に発狂した見るも悍ましい化け物として再生させるとか、そんな蘇生法しかこの世界には用意されていない。


「……くそっ」


 悪態をついて、勉強机に伏せる。

 電気も付けていない暗い部屋。鬱々とした気分になると、煌々と灯る電灯すら鬱陶しく思えるようになる。体を動かすのも億劫、呼吸をするのも面倒くさい。

 ただ体から力を抜いて、虚無に沈む。楽しいや嬉しいなんて感情、もう抱くことはできない。虚無と憤怒以外、僕に残された感情はなかった。寂寥感でさえ、彼の死を受け入れられていない僕には湧いてこない。


 そっと、瞼を閉じる。僕は……。


『せ、接理ちゃん、起きて……。起きてよ……』


 忍が泣いている。何かに縋って泣いている。

 見覚えのある場所。忌まわしい殺し合いにおける、第二の事件の終着点。僕に絶望を届けたシアタールーム。そこで、忍は泣いていた。

 忍は、床に身を投げ出した誰かに縋りついていた。あれは……。

 僕はその顔を見ても、さしたる驚きを覚えなかった。そこにいたのは僕だ。ただの、僕の死体だ。触手に締め上げられたように酷い拘束痕を残し、全身を痣だらけにして無残な死体となり果てた、僕。

 ……そうだ。こうなればよかったんだ。僕が代わりになってやればよかった。そうすれば、こんな……。辛い思いはしなくて済んだのに。


 僕が死んだ後も、殺し合いは終わらない。僕が死んで、代わりに忍が生き残った状態で進む殺し合いを、早回しの映像のように漠然と眺める。この先の殺し合いの展開は変わらない。どの殺人も明確なターゲットがおり、僕が忍に入れ替わったとて、忍が狙われる道理はなかった。

 そして殺し合いは、魔王の正体を指摘して――空鞠 彼方が止めたりもせず、魔王が自らを処刑して幕を閉じる。

 生き残り、外に出た忍は、涙を流しながら空を見上げていた。


『……接理ちゃん』


 忍の切なそうな声が耳に痛い。やめてくれ。僕は、忍が死んでもこうやってのうのうと生きている、汚い奴なんだ。忍にそんな風に、想ってもらう資格なんて……。

 そんな胸を刺す痛みは、次の言葉で崩れ去る。


『……ボクは生きるよ。接理ちゃんの分まで』


 なっ……!?

 ち、違う……。違う! 忍がそんなことを言うはずがない!

 誰よりも自罰的で、他人を利用することのできない彼が――僕をダシにしてそんなことを言うはずがない!

 そんなチャチな芝居で忍に成り代わったつもりか? 忍の姿で、声で、彼を真似して行動すれば、それだけで僕を騙せるとでも思ったか?

 大切な幼馴染みのことを、僕が間違えるとでも思ったのか!?


「違う……。お前は偽物だ!」


 叫ぶ。瞬間、世界が崩壊する。

 気づくと僕は、椅子に座っていた。直前まで机に伏せていたように腕を組み、上半身を前かがみに曲げている。

 夢……。どうやら、いつの間にか寝ていたらしい。

 ふと、雨の音が耳朶を打つ。窓を開けると、暗い夜空から雨が降り注いでいた。

 窓から手を出してみる。……冷たい。濡れる。それだけだ。


「…………」


 陰鬱な空気の中で、先ほどの夢を思い出す。

 僕の分まで生きる。そう宣言していた忍。吐き気を覚えるほどにリアルな夢の中で、彼はそう語った。僕はこんなにも、死んでしまいたい気分なのに。

 なのに……。


「……ってるよ」


 呟く。衝動に任せて、乱暴に壁を殴った。


「わかってるんだよ、生きなきゃいけないってことくらい……っ!」


 忍は死んだ。それは変わらない。なのに僕は今も本物の忍を求めて、停滞の中に身を置いている。

 なんだよ……。偽物の方が、よっぽど饒舌に語って。なんでだよ。どうして、本物の忍は何も言ってくれないんだ。なんでなんだよ……っ!


 ……いや。本物の言葉だって、僕はちゃんと知っていたはずだ。

 忍が死んだ直後に言った言葉が認識できない? そんなはずがないだろうに。

 本当はずっと、あの遺言の意味なんてわかりきっていた。だけど辛くて、自分を無理解の中に閉じ込めて、鍵をかけた。

 彼の最期の言葉――『ごめんね。生きて』


「だけど……。辛いんだよ、生きてるのが……っ!」


 たったその七音の言葉が、僕には辛すぎた。

 自分自身と同じくらい大切な相手が死んだとしても、それは自分そのものではないから。どれだけ大きな喪失を経ても、僕の現実は続いてゆく。その事実が、ただただ辛い。まるで、僕の彼への想いが足りていなかったかのように感じられて。

 彼を自分より大切だと思えていたなら、僕はきっと、今にも死を選んでいただろうに。中途半端に生を選んでしまう僕は、彼を裏切った卑怯者なのだろうか。

 ……いや。忍は、そんなことを言わないだろう。彼の本心は結局、その最期の言葉に集約されている。 


「なんで、生きなくちゃいけないんだ……」


 今の僕にできることは、彼の遺言を守る事だけ。

 現実というものは強固で、何もかもを失うまで、決して止まることはない。……いや、何もかもを失っても、止まりやしないのだろう。感覚器を失えば、認識できなくなるだけだ。現実は、いつだって続いている。


 どれだけ惨めになろうと、どれだけ孤独になろうと、終わりは来ない。

 だったら、僕は……。


 どうしようもない悲哀の中で、第二の生き方を確立する。

 僕は涙を流して、雨降る夜空の下で、自らの第二の誕生をのろった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る