She was killed by hunger.
《彼女は飢えに殺された。》
――ドンドン。
「――い彼方、起き――か?」
騒がしい。
「おい彼方、寝てんなら起きろー」
ドンドン。ドンドン。鈍い音。
「……ん?」
異音に揺られて、目が覚めた。
誰かがドアを叩いている。
「あ、彼方ちゃん、起きた……」
傍らには夢来ちゃん。身を起こして、私の体に手を添えている。
えっと……揺らして、起こそうとしてくれたのかな?
それで、ドアの外にいるのは……狼花さん?
デジタル時計を確認する。ここに来てから三日目の、午前六時。朝食の時間にはまだ幾分か猶予がある。
――まさか、何かあった?
私はベッドから飛び降りて、ドアに駆け寄った。
「あ、あの、狼花さん? 何かあったんですか?」
「んあ? おう、起きたか。おはようさん」
「あ、はい、おはようございます……」
「ん。起こしちまって悪いんだが、ちょっと緊急で全員集めることになってな。厨房行って待っててくれ。事情はまとめて説明するから」
「……厨房、ですか?」
厨房は、全員を集めるにはスペースが足りないと思うけど……。
まあ、いい。たぶん行ってみればわかる。
「わかりました」
「おう。あ、夢来は連れていけよ。一人で行動するのはアレらしいからな」
「あ、はい。大丈夫です。こっちの部屋にいますから」
「ん、一緒に寝てたのか? まあ、それならそれでいい。二人で先行っててくれ」
「はいっ」
了解の意を伝えて、私はドアから離れた。
夢来ちゃんのところに戻ると、夢来ちゃんは突然のことにやや怯え気味だった。布団に隠れて、そこからこっそり目だけを出している。
「夢来ちゃん、出てきて。もう行っちゃったから」
「う、うん……。な、なんだったの……?」
「狼花さん。厨房に集まってって言ってたけど」
「厨房に……?」
布団から出てきた夢来ちゃんは、なにがなにやらという顔をしている。
私も同じ気持ちだけど……。
「とにかく、行ってみよ?」
「う、うん……」
私たちは多少身嗜みを整えた後に、部屋を出た。
出てからすぐに、既に何度も昇降した階段に差し掛かる。
ここで目が覚めた初日、私は周囲を警戒しながら歩いていた。そんなことを、ふと思い出す。今の私は、周囲にそこまで警戒心を払っていなかった。
本当に、嫌な慣れだと思う。
不快感のようなものを抱えながら、階段を下る。
何があったのか、夢来ちゃんと予想し合ったりもした。
どちらも最悪の場合には言及せずに、脱出のための手がかりが見つかったんじゃないかという予想をした。
その予想は、すぐに確かめられるだろう。三階から一階に下るのも、一分かかるかどうかくらいだ。
玄関ホールと呼ぶには些か狭い空間から、厨房を目指す。
昨夜見たときは、厨房に米子ちゃんがいて、その扉は開いていた。今はもちろん、閉まっている。だから中で何があったのか、そのままでは確かめられない。
ドアを開けて、入ってみないと。
「…………」
唾を呑む。
もし。もし、最悪の場合に直面したら。
「夢来ちゃん。手、握ってもらってもいい?」
「あ、うん……」
私は震える手を夢来ちゃんに預けて、もう片方の手で厨房のドアに手をかける。
そして、意を決して、厨房のドアを開くと――。
「……あら?」
驚いたような顔の初さん、不思議そうな顔の香狐さんと目が合った。
最悪の場合を迎えなかったことに対する安堵が湧き上がってくる。しかし、それならそれで、この状況がよくわからない。
「あの、狼花さんに言われてきたんですけど……」
「えっ?」
何故か、訝しげな顔をする初さん。
「集合は食堂と言われませんでしたか?」
「えっ? いえ、厨房って……」
確かに言っていた。私自身も疑問を抱いた覚えがあるし、間違いない。
「……伝達ミスですね。すみません。お二人とも、食堂で待っていていただけますか?」
「あ、はい……。あの、何かあったんですか?」
「いえ、皆さんが集まったら、そこで――」
説明する、とでも言おうとした様子の初さんを、香狐さんが遮る。
「あら。わざわざ焦らすのも悪いでしょう? 教えてあげるわ」
「香狐さん、それは……」
「問題はないでしょう?」
「まあ……」
初さんが渋るも、初さんは強引に話を進めてしまった。
「そういうわけで。二人とも、少しこっちに来てもらえる?」
「あ、はいっ」「はい……」
手招きされて、私たちは歩み寄る。
「水道を見てくれればわかるわ。――あ、念のため、触らないようにしてもらえるかしら。私たち、一応は見張り役だから」
「は、はい」
香狐さんが示した水道、厨房の隅にあるそれに寄る。
厨房は狭くて、すれ違うのに苦労したけれど、二人とも水道に辿り着く。
水道に向き合って立つと、真後ろは厨房側のベルトコンベアの入り口だった。穴がまっすぐにこちらを向いている。せり出したテーブルのせいで、こっちも若干狭い。
それで、肝心の水道には――何か奇妙なものが引っ掛かっていた。
直線的な金属の部分に、タコ糸が何重にも巻かれている。そしてそのタコ糸には、一枚の紙が括りつけられていた。何か手書きの文字が書いてある。
触らないようにと言われたので、覗き込むようにしてその文字列を確認する。
そこには、驚くべき、それでいて心臓が冷える文言が記されていた。
――――――――――――――――――――
鍵のレシピ
幽霊:既に忘れられた
流浪:懊悩する迷子はもういない
死刑:破られた約定
鉄柵:向こう側へ超越する
首切り:下僕は剣を握った
駄作:過ぎ去る者の末路
昨夜:鳥籠の中
遺骸:白鳥の餌
鍵を握るのは誰?
――――――――――――――――――――
「これ……っ」
鍵のレシピとある。なら、この不気味なメモは、まさか……。
「おそらくは、脱出のためのヒント――と、私たちは考えているわ。意味までは、さっぱりわからないけれど……」
香狐さんが、少し疲れた様子で言った。
「ついさっき、私たちが朝食を作りにここに来たらそれが括りつけられていたわ。昨日までそんなものがあった覚えはないし、まず間違いなく、夜の間に置かれたものでしょうね。ワンダーが、あまりに動きがないのに焦れて、こんなものを設置したか、あるいは……」
あるいは、何なのか。その先を香狐さんは言わなかった。
「ともかく、そういうわけで、これを知らせるために全員を呼んだの。もう少ししたら揃うと思うから、食堂の方で待っていてもらえるかしら?」
「は、はいっ」「はいぃ……」
香狐さんに言われた通りに、私たちは厨房を出て食堂に行った。
食堂にはまだ誰も来ていない。
席に着いて、顔を見合わせる。
やがて、夢来ちゃんがぽつりと溢す。
「もしかして、出られるのかな……」
その声は、澄んだ期待に満ちていた。
だけど私は、それに答えられなかった。
――おそらくは、香狐さんが提示しようとした第二の可能性と同一の危惧によって。
私は夢来ちゃんに何も返せずに、ただ、さっき見た暗号らしきものの意味について考えていた。
◇◆◇◆◇
そうしていつの間にか、全てのメンバーが食堂に集まる。
全員が集まってから、初さんと香狐さんは、私たちにした説明を繰り返した。
あの暗号らしきメモがなんだったのか、ワンダーに確認を取れれば楽だったんだけど――そういうときに限って、あのぬいぐるみは現れない。
だけど、説明を聞く中で、頭が回る人はすぐに気が付いた。
「その暗号ってさ、お米ちゃんに食べさせちゃえば一発だよね?(。´・ω・)?」
空澄ちゃんは、米子ちゃんを――[暗号捕食]の魔法の持ち主を見ながら言った。
気づいていなかった人は、その指摘に唸る。
そう……、こういうとき、米子ちゃんは無類の力を発揮する。
「ええ。わたくしたちも、米子さんにお願いしようと思っていました。――米子さん、お願いできますか?」
「えっ、え」
米子ちゃんは、振られた大役に戸惑っている様子を見せる。
だけど、その顔はすぐに華やいで、
「う、ウチがお役に立てるんですかっ?」
「ええ。米子さんだけにしか、これはお願いできません。……引き受けていただけますか?」
「よ、喜んで!」
米子ちゃんは勢い余って椅子から立ち上がる。
輝いたその表情に、私は昨夜の米子ちゃんの言葉を思い出す。
自分も役に立てればと、米子ちゃんは真摯に祈っていた。たった一夜を経ただけで、その願いは実現へと運んだ。
……大した強運だ、と思う。
喜色を浮かべる米子ちゃんに微笑みかけると、米子ちゃんは満面の笑みを返してくれた。
「それで、そのメモはどこにあるんですか?」
「ああ……紐で括られていたので、厨房に置いてきてしまいました。申し訳ありませんが、解読は向こうの部屋でやっていただけますか?」
「は、はい!」
米子ちゃんが力強く頷く。
その会話に、別の声が乱入した。
「ねー、それってあーしも見に行っていい?(*'▽')」
空澄ちゃんだった。突然の空澄ちゃんの申し出に、初さんは戸惑っている。
「厨房にはあまり人が入れませんが……」
「狭くてもいいからさー。お米ちゃんがどんな風に魔法を使うのか、見てみたいんだよねー(^◇^)」
「……米子さん、他の人がいて邪魔にはなりませんか?」
「あ、はい。だ、大丈夫です!」
「……そうですか。では、米子さんの邪魔にならないのなら、わたくしは止めませんよ」
「やたーっヾ(@⌒ー⌒@)ノ」
さっきの米子ちゃんそっくりの仕草で、空澄ちゃんが喜びを表現する。
「他にも行きたい人がいらっしゃいましたら、構いませんよ」
「んー、なら、みゃーも行くにゃー」
「ええ。どうぞ」
空澄ちゃんに続き、摩由美ちゃんも随伴役に立候補した。
「ふぅ……」
そうして流れが決まると、初さんは疲れ果てたように脱力して席にもたれかかった。
「お、おい。初、大丈夫か?」
「ええ、少し、緊張してしまって……。もしかしたら、これでここから出られるかもしれないと思うと……」
「ま、確かにな。オレもちっと緊張してるわ」
狼花さんが初さんに合わせてそんなことを言う。心なしか、距離感が近い。
初さんと狼花さんも、この三日間で少し距離を縮めたらしい。
誰もが少しずつ、絆を育んでいる。
――それは、この館に閉じ込められて得た、唯一の収穫と言えるかもしれない。
「はぁ……。すみません。気休めに、自分に魔法を使わせていただきます。……【未だ訪れぬ『約束の刻』よ。わたくしはあなたを拒絶する。どうか、明日の導きがわたくしたちの未来を照らしますよう】」
初さんが、魔法を使ったような仕草をする。なんでもいいはずの魔法の詠唱も、ここまでで一番の長口上だ。
確か……初さんは気休めとして、自分に強化魔法をかける癖があるんだっけ。
それだけ緊張して、期待しているのかもしれない。
ようやく見つかった、脱出への糸口に。
「それでは、米子さん。――どうか、お願いします」
「は、はいっ!」
米子ちゃんは強く返事をしてから、食堂の出口を目指した。
空澄ちゃんと摩由美ちゃんがその後を追う。
二人が食堂を出て行くのを、私たちは声援を送りながら、あるいは静かに祈りながら見送った。
どうか――脱出のための希望が、あのメモから見つかりますように。
米子ちゃん、頑張って。
そうやって、祈っていると――。
『へー、これかー('ω')』
ベルトコンベアの奥から、声がした。
わいわいと、メモを前に騒いでいるような声が聞こえる。
「ああ……そういえば、ここから声が聞けるのでしたね」
初さんがベルトコンベアに寄り、その穴を覗き込んだ。
すると初さんの顔が、僅かに歪む。
「……あら? ベルトコンベアの奥に、何か……。狼花さん、少し来ていただけますか?」
「ああ? ……ほんとだな、何かある。板か?」
狼花さんも穴の傍に寄った。
何があるのか、遠くにいる私たちには窺い知れない。
一方で、誰も私語を発さないこの部屋では、厨房の声がよく聞こえた。しばらくすると、ドタドタと走り回る音が聞こえてくる。
『ほーら、ここまでおいでーヾ(@⌒ー⌒@)ノ』
『か、返してください!』
「……おい、なにやってんだあいつら」
「さぁ……?」
向こうの部屋で何が起きているのか、こちらからは把握することができない。
だんだんみんな、焦れてきた。
「ねえ……まだなの?」
佳奈ちゃんがついに文句をつけた。
――まさに、その瞬間だった。
ドンッッッッッ!!!
凄まじい炸裂音。それに続いて、空気が震える。
「きゃっ!?」
「おい、なんだ!?」
「なっ!?」
一瞬で、混乱が広がる。
音は、すぐに静まった。同時に、みんなの混乱も一時的に収まる。
世界を無理矢理沈黙で覆ったかのような、緊張感を孕んだ静寂。
誰かがつつけば、風船のように破裂してしまいそうな空気。
その中で、初さんが呟いた。
「これ、煙……?」
初さんの視線の先は、ベルコトンベアの穴。
その穴から、煙のようなものが噴出していた。
あの穴の先は――厨房。
そんな……まさか?
「っ、見てくる!」
深刻な顔をした狼花さんが、一番に飛び出す。
食堂の扉に飛びついて、扉を閉めもせずに外へ出て行った。
「――我も行こう!」
藍さんも狼花さんの後を追う。
その嵐のような展開に、誰も何も言わない。
重く張り付いて、喉を縛る沈黙。それを打ち壊したのは、またも狼花さんだった。
「お、おい、大変だ! 来てくれ!」
離れた場所から――おそらく厨房から、狼花さんの声が聞こえる。
それに応じて、初さん、香狐さんが駆けだす。
「な、なに……?」
夢来ちゃんが怯えたように、私に縋りついてくる。
私は、夢来ちゃんの手を強く握る。そうしないと、不安が破裂してしまいそうだった。
「おい、彼方! 来てくれ! 早く!」
狼花さんの叫び声が聞こえる。呼ばれたのは、私?
……い、行かないと。行かないと。怖くても、行かないと。
「……っ。夢来ちゃん、行こう」
「か、彼方ちゃん……。う、うん……」
夢来ちゃんと共に、厨房へ向かう。
――食堂から厨房までは、ほんの少しの距離でしかないのに。その間の廊下を、延々と歩いているように感じた。
そして、辿り着く。――地獄へ。
厨房のドアが開け放たれた状態というのは、昨夜見た時と何も変わらなかった。
だから、冷蔵庫の前に居座る米子ちゃんの姿を幻視した。
しかし、鼻を突く煙の臭いが、私を現実に引き戻した。
そして見る。それを。
それを? 何を?
視覚情報を、頭が拒否する。
「おいっ、彼方! 早くしてくれ! 今ならまだ間に合うかもしれないだろ!」
その現実逃避を、狼花さんは許してはくれなかった。
肩を揺すられ、ほどけかけていた意識が結びつき――。
そして、それを見た。
それは、厨房に踏み込んですぐのところにあった。
煙の臭いが充満する部屋で、横倒しになった誰かの姿。
衣服は無残にも焼け、煤け、色も形も元の状態を保っていない。
けれど――判別がついてしまった。
彼女が着ていた、割烹着。
そんな服を着ていた子は、ここには一人しかいない。
自分が何の役にも立たないと、落ち込んでいた彼女。
自分の魔法がようやく役に立てると、はしゃいでいた彼女。
――米子ちゃん。
「い、嫌……」
ソコデ、マイコチャンガ、シンデイタ。
そこで、米子ちゃんが、死んでいた。
「嫌ああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
命を失った彼女は、魔法少女ではなくなった。
変身が解け、光の粒子がこぼれる。
――拡散するそれは、彼女の命の灯火に見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます