The future I dreamed of is far away.

《夢見た未来は遥か彼方》




 ――翌朝。

 結局私は、あれから全く寝付けなかった。

 あれこれ悩んで、考えて――。気が付けば、朝を迎えようとしていた。


 時刻は、午前五時半。目覚ましにセットされた六時すら迎えておらず、香狐さんもまだ寝ている。そんな中でもう一度、部屋を抜け出す。

 その際、部屋の隅で丸くなっていたクリームちゃんがまた、こちらを見ていた。……スウィーツはどうやら、眠らないらしい。夜中もふと気づくと、クリームちゃんがこちらを見ていることがあった。

 今度は、クリームちゃんはついてくる気がないらしい。昨夜断ったのだから、今回も同じだと思ったんだろう。その通りだった。

 私は一人で香狐さんの個室を抜けて、夢来ちゃんが待っているはずの屋内庭園へ急ぐ。

 朝、一人で、屋内庭園に。夢来ちゃんは最後にそう言っていた。

 香狐さんが起きてしまった後じゃ、一人でここに来ることなんてできない。夢来ちゃんは時間帯を指定しなかったけれど、たぶんこのぐらいの時間で合っているはずだ。


 誰の活動も感じられないような、静謐な館の中を歩く。

 一歩、一歩、屋内庭園へと歩みを進めるほどに奇妙な感覚に陥る。

 まるで、たった一人でこの館に取り残されてしまったような。ついさっき、香狐さんの寝顔を見てから部屋を出たばかりなのに。なんだか、寂寥感が止まらない。

 心細さに、歩みも遅くなる。

 私はゆっくりと時間をかけて、ようやく、目的地である屋内庭園の前に辿り着いた。


 この中で、夢来ちゃんが待っているはずだ。そう思って、ドアを開く。

 サワサワと、水音がする。噴水の音だ。

 昨日の、夢来ちゃんと話し合いをしたときの空気を思い出す。

 友達同士の気安さなんて微塵もない、緊張して、静まったあの空気。

 ……今日は、もう少し違った風に話せるだろうか。

 夜中、色々考えた。私は、やっぱり……。

 夢来ちゃんだったら、信じられる、と思う。


 他のみんなはきっと受け入れてくれないだろうことくらい、わかっているけれど。

 でも今、こうして密会しているように。こっそり関係を続けるくらいだったら。許されるんじゃないだろうか。

 そうだ。それがいい。これからもずっと、夢来ちゃんと仲良く……。

 これからも、ずっと……。


 ……いや、でも、タイムリミットは深刻な問題となってしまった。

 ワンダーがいなくなってから、貯蔵された食べ物は減る一方だった。冷蔵庫に色々大量に押し込まれているのでしばらくは大丈夫だけれど、長くはもたない。少なくとも、肉や魚などの足が早いものはすぐに食べられなくなってしまうだろう。

 確か人は、飲まず食わずでは三日くらいで死んでしまうんだったか。水だけあればもう少し長く生きられると聞いたことがある気もする。

 水道は今も問題なく機能している。でも、それもずっと無事である保証はない。

 このままじゃ――。


「…………」


 屋内庭園は大量の造花や人工樹木の集まりだけれど、どうしてか草木や花の芳しい香りが漂ってくる。

 この殺し合いにおける唯一の安息の地として作られたのだろうこの場所は、その反対に、奇妙な孤独感や寂寥感を私たちに与える。

 こんな場所だけが安息の地だなんて、そんなの――。

 あまりにも、寂しすぎる。


 そんなことを思いながら、屋内庭園中央の広場に辿り着く。

 まずベンチに目が行くけれど、そこには誰もいない。ただベンチだけがある。

 反対のベンチにも、座っている人影はなかった。


「……?」


 夢来ちゃんはまだ来ていないのだろうか、と考える以前に違和感があった。

 なんだか噴水の自己主張が強いような気がする、と一瞬のうちに思う。

 ――結局。私がそれに気づかずにいられたのは、ここに着いてほんの一瞬のことだった。


「……ぇ」


 絶句する。言葉を失う。意味のない音が喉から漏れる。

 そんな――でも、だって。そんなはず――。

 私は自分が見たものが信じられずに、を凝視する。


 そこには、干からびた人型のオブジェがあった。

 そこというのはつまり、噴水の上だ。噴水の頂上に人が登って、祈るようなポーズを取ったまま動かない。

 今もぴちゃぴちゃと水面を打つ雫。吹き出す水は、死体には届かない場所から出ているけれど、溜まっていた水で既に死体は濡れている。それなのに、潤いに満ちた空間に似合わないほど、はカラカラに干からびたまま濡れていた。


「な、なんで――」


 そんなことを成立させる術は、一つしかないはずだ。

[活力吸収]。一晩中人体から生命力を吸収し続けることで、死体をミイラ化させることができる能力。――夢来ちゃんの、魔物としての能力。

 私と分かれてから、何時間経っただろうか。少なくとも、一晩と呼ぶに十分な時間は経過したはずだ。でも、だけど……おかしい。

 だって、夢来ちゃんが、そんなことするはずない。


 なんで、夢来ちゃんが――ことになるの?


 噴水の上で祈る、のオブジェ。

 それは、灰色のパーカーを纏っていた。それは、萎びた悪魔の羽を持っていた。それは、萎縮した悪魔の尾を持っていた。

 紛れもない、私の……親友が、自殺としか思えない状況で、枯れていた。


 あり得ない。違う。そんなはずがない。おかしい。間違っている。


「そ、そうだ……」


 私の魔法で……。[外傷治癒]でなら……。

 私は、夢来ちゃんに向けて魔法を行使する。

 夢来ちゃんの体に……傷らしい傷はない。でも、[外傷治癒]は正常に発動される。私の魔法は、夢来ちゃんの干からびた状態を回復させる。

 ……肌に、潤いが戻る。ミイラが、ただの死体に変わる。

 ……それだけ、だった。死者は決して生き返らない。


「……っ。な、なんでよ……」


 私の頬を、涙が伝う。涙は濁流になって、噴水の水のように雫となって滴る。

 何をどう考えても、どれだけ期待しようとも、どれだけ否定しようとも――。

 現実も真実も事実も過去も【真相】も変わらない。


 夢来ちゃんは、ここで……死んでしまった。


「……っ。ぅ……」


 私は地面に崩れ落ちて、涙を流し続ける目を覆う。

 ――やっと、本当の意味で、この殺し合いの残酷さを理解する。

 この絶望を、初さんが、忍くんが、接理ちゃんが、佳奈ちゃんが、凛奈ちゃんが味わった。大切な人との別離。その恐怖は――自分に齎されて初めて、実感することができる。


「ぅぅ……」


 私は、呻くしかできない。嘆くしかできない。

 ――そんな私の膝を、誰かが叩く。


「……っ?」


 目を覆っていた手をどかして、涙に滲む視界越しに、何が起きたのかを確かめる。

 そこでは、小さい生物が私の足を叩いてた。

 何かを主張するように、急かすように……。


「ク、クリームちゃん……?」


 涙声で、その名前を呼ぶ。

 私が反応してもクリームちゃんは、その動作をやめない。むしろ、私のスカートを引っ張り始める。

 クリームちゃん、部屋にいたはずじゃ……。

 疑問を覚えているうちに、クリームちゃんが駆け出す。私が入ってきた方の入口へと。見ると、扉は開きっぱなしになっていた。……どうやら私が、閉めるのを忘れていたらしい。

 クリームちゃんは時折立ち止まっては、私の方をチラチラと向く。

 ついてきて、と言いたいのだろうか。でも今は、それどころじゃ……。


 私が移動する意思がないと理解したのか、クリームちゃんは戻ってきて、再度私のスカートを引っ張る。

 ……わけのわからない状況に晒されて、逆に少しだけ悲しさが和らぐ。

 私は、夢来ちゃんに……。夢来ちゃんの死体に、もう一度目を向ける。

 どう見ても、もう手遅れの死体。もう、誰にも……どうすることもできない死体。


「……っ」


 クリームちゃんが、再度走りだす。

 ……私はそれに、断腸の思いでついていった。

 屋内庭園を出て、そしてすぐに、異常を発見する。


 壁紙の模様が変化して、気持ち悪い何かのパターンの羅列となっていた。そしてその一部は、今も絶えず変化している。

 ――違う。これは数字だ。正確には……カウントダウン。


『2:57:13』……

『2:57:12』……

『2:57:11』……


 この五つの数字が、等間隔かつ無限と思えるほどに壁一面に出現している。

 この、もとは三時間だったと思しきカウントは、まさか――。

 殺人事件の、推理のタイムリミット? 三分前なら、ちょうど……。私が夢来ちゃんの死体を見つけたタイミングと、一致するんじゃないかと思う。

 ……魔王は死んで、その魔王の意思を継がされた夢来ちゃんもまた命を落とした。

 それでもなお、この殺し合いは続くとでも言いたいのだろうか。


 堪えきれない、憎しみのような感情が身の内から湧き上がってくる。

 こんな、殺し合いなんて……っ!


『きゅーっ!』


 部屋を出たところで足を止めていると、クリームちゃんに急かされる。

 私は燃え上がる感情を抑制して、クリームちゃんの後を追った。

 廊下を走り、階段を駆け上がり、三階。

 階段から右に曲がって、突き当りにあるのが香狐さんの部屋。

 三階に着くと、クリームちゃんは走る速度を更に上げて、香狐さんの部屋のドアまで一直線に駆ける。そして少しだけ減速しつつも、ドアに向かって体当たりした。

 それを機に、何度も、何度も、クリームちゃんは香狐さんの部屋のドアに体当たりし続ける。

 ……何を、やっているのだろう。


『きゅっ、きゅ!』


 こんなドア、普通に開ければいいのに。……いや、クリームちゃんじゃ、ドアを普通に開けるなんて難しいか。後ろ足で立っても、届くかどうかわからない。

 私がドアの前まで来ると、クリームちゃんは体当たりをやめて私にドア前を譲る。

 私は、ドアノブを捻った。――開かない。どれだけガチャガチャとやっても、ドアが開く気配はない。……鍵がかかっている。

 ――鍵がかかっている?


 それは……おかしいはずだ。

 私が出るとき、鍵を閉められなかった。このドアには内鍵しかないから。

 クリームちゃんではドアの鍵に届かないはずだし、仮に届いたとしたら、今度は外に出ることができない。

 なら、目覚めた香狐さんが鍵をかけた? ……私がいないことに気づいていながら? 香狐さんなら……私を探そうとしてくれる、と思う。

 なら、まさか――。


 

 でも、それなら今頃、香狐さんは――。そしてその【犯人】は、この中に――。


 と、そのとき、カチャリと音がした。部屋の鍵が開かれた音。

 キィと、ドアが開く。その間から、香狐さんが顔を覗かせる。

 よかった、なんともなかったらしい。


 ――と、覚えた微かな安堵はすぐさま凍り付く。

 香狐さんは、苦悶に顔を歪ませていた。その手には、血。その胸からも、血。


「か、彼方さん……」


 そのまま香狐さんは、力尽きたかのように崩れる。

 体重をかけられたせいか、開きかけだったドアが再び閉まる。


「……っ!?」


 私は慌てて、ドアを開ける。重い。けれど、押し開ける。

 床に倒れていた香狐さんを抱き起す。


 香狐さんは、確かに生きていた。けれど――。

 香狐さんは既に、致命傷を負わされた後だった。

 

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