How to Make a Ghost

《幽霊の作り方》




 食事を終えた私は、摩由美ちゃんに連れられて旧個室前までやって来た。


「気を付けるにゃー。この部屋、入ったらすぐにドアが閉まるようになってるからにゃー」

「う、うん。知ってるから……」


 初日の探索時、ワンダーにそう聞かされた。

 この部屋は驚かし要素のために、一人が部屋に入ると、バタンとドアが閉まるようになっている。物理的な仕掛けは見えないから、魔法か、あるいは魔物を用いた仕掛けなのだと思う。ともかく、私たちがこの仕掛けを撤去することは不可能だった。

 あまりにものんびりとした動作で入室したり、二人以上が一度に入ろうとしたりすると、ドアが誤作動を起こして思い切り挟まれることになるから注意しろとワンダーが言っていた。

 ドアに挟まれないように気を付け、手早く中に入る。


 先に摩由美ちゃんが中に入って、それから私も中に入る。

 一人が入るたびにバタンとドアが閉まり、部屋の中が真っ暗になる。

 ……いや、ドアの立て付けが悪いせいか、少しだけ光が入ってきている。これならなんとか、人影くらいは視認できる。

 私は部屋の入口近くにある、電気のスイッチを手で探った。


「……って、あ」


 そうだった。この部屋は電灯が壊れている。

 高い――おそらくは四メートルある――天井の電灯は、どう見ても外的要因によって壊されていた。どう考えても手が届かないのに、どうしたらそれが割れるのか。

 ともかくそういうわけで、私がスイッチを押しても灯りはつかなかった。

 つくのは、ベッドの頭のところにある、卓上スタンドライトだけ。電球に傘がかかっているタイプのもので、外見からはかなり重そうな様子が伝わってくる。

 摩由美ちゃんが暗い中をそこまで進んで、スイッチを入れてくれた。

 暗い部屋の中が、少し見やすくなる。


 しかしこの部屋の中は、あまり見たい光景ではなかった。

 ワンダーがわざわざ残しておいただけあって、この場所は嫌なものが染みついている。

 ベッドは血で盛大に汚れていた。それだけでなく、掛け布団は何かの刃物で何度もズタズタに切り裂かれ、シーツが直接視認できる穴あきの襤褸になっている。

 惨劇がいつ起こったのかはわからないけれど、染み込んだ血は全て乾いている。

 普通の個室とは違って絨毯が剥がされ、木製の床が露わになっている。床の血の汚れは、ベッドのものと同様に乾いていた。


 おそらくここで、誰かが命を奪われた。

 ……ワンダーがいつだか口にしていた、殺し合いのテストプレイ。惨劇というのは、そのテストプレイとやらの最中に起こったものかもしれない。

 惨劇の痕跡は他にもあって、例えば部屋の隅の観葉植物が倒されていたりする。机の引き出しも全て半開きになっている上に、何か衝撃を加えられたのか、形が歪んで押し込めないようになっている。

 いったいどんなトリックを用いたら、部屋がこうなるのか。今となっては推理する証拠も残っていないけれど、とにかく、嫌なことがあったことだけは察せられる部屋だった。


 そして――ワンダー曰く、ここにはらしい。

 出るというのは、もちろん――。

 怪談の中でも飛び抜けてオーソドックスな存在、彷徨える死者――幽霊。

 しかし今まで一度たりとも、私たちの中でそれを目撃した人はいない。

 いや、あるいは――。


「にゃあ、彼方、そこにしゃがむにゃ」

「えっ、そこって……どこに?」


 幽霊の存在が見えているのかもしれない摩由美ちゃんは、床を指しながら言った。

 しかし床は血の跡が多少付着しており、座りたい場所ではない。


「いいからしゃがむにゃー」

「…………」


 仕方がないので、私はギリギリ血を避けられるような位置にしゃがみ込んだ。


「ん。それでいいにゃ。それじゃあ――」


 摩由美ちゃんが、フードを深く被りなおす。

 魔法を使う前に、ちょっとした気合を入れる動作をする魔法少女は多くいるけれど、摩由美ちゃんのそれはまさしくそんな仕草のようだった。


「――黒猫が司るは常世とこよの理。心は右に、理性は左に。天秤は右へと傾く。堕とされしその命、この世に映す奇跡を我賜らん。嘆きに満ちた魂よ、どうかその安息のため、現世うつしよへと帰還する門を超えよ。迎える用意は既に終えたり。我ら一同、汝の帰還を心より待ちし者。どうか恐れずこの手を取り、揺らぐ境界線の狭間へと姿を現したまえ」


 摩由美ちゃんが、呪文のようなものを唱える。

 身振りをつけたその呪文は、本当に何かが起こるのではないかと思わされた。

 しかし私の目には、何かが変わったようには見えなかった。

 この場は依然として惨劇の現場であり、ここには私たち二人以外に何もいない。


「にゃあ、米子、よく来たにゃ」

「…………」


 摩由美ちゃんは、虚空へと目を向けて言葉を交わす。

 そこに米子ちゃんの幽霊がいる――ということなのだろうか。

 会話の流れはよくわからなかった。そのうち、摩由美ちゃんが私に目を向ける。


「彼方、米子がここにいるの、見えるかにゃ?」

「う、ううん……」

「んー、見えないかにゃ……。おみゃーも霊感ないタイプかにゃ?」

「いや、どうだろ……」


 日夜、学校の怪談なんかと戦う魔法少女に霊感がないのなら、一体何になら霊感があることになるのか。

 だいたい、私は魔法少女になる前もちょくちょく不思議なものが見えていたし、自分では霊感がある方だと思っていた。実際に私に備わっていたのは、魔法少女としての資質だったけれど。


「ん、まあ、いいにゃ。それじゃあ、みゃーが通訳するにゃ。ふむ、ふむ……えっと、『わたしの仇を討ってくれてありがとう』、って米子は言ってるにゃ」

「うん……」


 正直、そう言われても、素直に喜ぶことなんてできなかった。

 私は未だに、初さんを追い詰めたことが正解だったのか迷っている。

 私たちが絶望とやらを受け入れていたなら、それで済んだんじゃないか、って。

 私たちに与えられると予告されている絶望は、死ぬとは明言されていない。むしろワンダーの追加した殺人のルールを考えると、殺される確率は低いように思える。それなら、その道を選べば、初さんは死なずに済んだんじゃないかって。

 あんな末路を迎えることはなかったんじゃないかって、そればかりを考えている。


 初さんのことと、米子ちゃんのことを同時に思い出す。

 加害者と被害者の二人。その中で、加害者だけを庇うのは間違っている。むしろ加害者こそ裁かれるべき存在だ。それは断言できる。

 でも、だからといって――。


「……あれ?」

「にゃ? どうかしたかにゃ?」


 ふと、米子ちゃんのことを思い出して、引っかかりを覚えた。

 今の、摩由美ちゃんの言葉……。


「米子ちゃんって、自分のこと、『ウチ』って言ってたような……」


 摩由美ちゃんの言い方だと、まるで、米子ちゃんが一人称を『わたし』に変えたみたいだ。摩由美ちゃんの一人称は『みゃー』だから、自分のもので置換して話たわけでもないだろうし……。


「にゃっ!? え、えっと……『イメチェンした』って言ってるにゃ!」

「…………」


 幽霊が、イメチェン?

 なんとも胡散臭い話だった。


「と、ともかく! 米子はありがとうって言ってくれてるにゃ! だから、おみゃーが責任を感じるような必要は、全くないってことにゃ!」

「……え?」


 摩由美ちゃんが叫んだその言葉は――。


「えっと……もしかして、私のこと、元気づけようとしてくれてたりする?」

「にゃっ!? それは、えっと……ち、違うにゃ! みゃーは霊媒師だから、常世と現世の橋渡しがみゃーの仕事にゃ! つまり、みゃーはただ自分の仕事をやっているだけにゃ!」


 その態度は、幾分か怪しかったけれど――。

 彼女もまた、魔法少女だ。人を思いやる心を持っているのは、疑いようもない。


「……うん、ありがとう」

「だから、違うって言ってるにゃ!」

「あ、えっと……じゃあ、米子ちゃんに伝えておいて。こっちこそ、ありがとう、って」

「みゃあ、わかったにゃ……」


 摩由美ちゃんは、少し顔を赤くしながら頷いた。

 少し透けて見える気遣いに、心が温かくなる。


「そ、それと、おみゃーはもうどっか行っていいにゃ! あとはみゃー一人でやっておくにゃ!」

「う、うん。わかった……」


 すごい剣幕で摩由美ちゃんに言われて、私は旧個室を出た。

 廊下に出ると、またもドアが勢いよく閉まる。


「にゃっ!?」


 旧個室から、摩由美ちゃんの驚いた声が聞こえてくる。

 たぶん、ドアの大きさの音に驚かされただけだと思う。


 それにしても……まさか、摩由美ちゃんに励まされるとは思っていなかった。

 摩由美ちゃんは、この館に来てからもあまり接点がない。一緒に行動したこともなければ、個人的な話をしたような覚えもない。

 それでも、こうして私を励まそうとしてくれるのは……。

 魔法少女らしいな、と思った。


 私は旧個室に背を向けて、それから、食堂に行ってみることにした。

 香狐さんや夢来ちゃんはワンダーの監視中だけど、他に誰かいるかもしれない。

 そうして階段を下りて、食堂に辿り着く。

 もし、佳奈ちゃんと凛奈ちゃんがまだ朝食を取っていないなら、呼びに行かないと……。

 そう考えていたけれど、どうやらそれは要らない気遣いだったらしい。


「あ、佳奈ちゃん、凛奈ちゃん……おはよう」


 佳奈ちゃんと凛奈ちゃんは、食堂で料理に手を付けていた。

 私の挨拶に二人とも何も返さないけれど、一瞬、視線がこちらに向けられた。

 冷ややかな態度だけれど、いつものことだ。

 たぶん、こんな場所に連れてこられて不安なんだろう。見たところ、この二人は小学生みたいだし……。高校生の私が、そんな態度にいちいち目くじらを立てても仕方ない。


「えっと、料理、温めようか? もう冷めちゃってると思うけど……」

「……凛奈、どうする?」


 私の言葉を聞いて、佳奈ちゃんは凛奈ちゃんの様子を窺う。

 凛奈ちゃんは、佳奈ちゃんに隠れながら、首を振った。

 それが全てだとばかりに、佳奈ちゃんは言葉を継がず、食事に戻った。

 やっぱりこの二人は、極力他人と関りたくないらしい。


 私はそれに寂しさを覚えながら、なんとなく、席に着いた。

 食堂には、私と佳奈ちゃん、凛奈ちゃん以外にいない。

 その二人が食事を取る様子をなんとなく眺めていると、だんだん眠気に襲われる。

 ……昨日は、寝るのが遅かった。午後十一時まであった監視作業に加えて、忍ちゃんの捜索もやったわけだから、たぶん寝付いたのは十二時を過ぎている。忍ちゃんを探したことによる疲れもあり、私の意識はだんだん眠気に引っ張られていく。


 そうして――朦朧とする意識の中でふと思う。

 みんな同じ魔法少女なんだし、協力したい。……普通なら、協力できるはずだ。

 なのに、この場の異常なルールが、必要以上の交流を阻害する。

 このままじゃ、本当に、第二の事件が――。


「にゃああああああああああああああああ!?」


 ――起きてしまう。

 完全に意識を落としていた私は、謎の叫びで目を覚ます。

 時計を見ると、時刻は午前十一時直前。三時間近く寝ていたようだった。


「だ、誰か来てほしいにゃああああああああああああ!!!」


 またも、大きな叫び声が轟く。

 どこから叫んでいるのか、食堂の中にも聞こえてくる大音声。

 その必死さに、何か摩由美ちゃんに危機があったことだけは十全に理解した。

 ――助けに、行かないと。


 机に突っ伏した状態から、立ち上がる。

 食堂の中を見回すけれど、ここには既に誰もいなかった。

 私は食堂から駆け出す。


 この声の届き方からして、音源が屋内庭園にないことは確かだ。

 玄関ホールにも異常はない。浴場側の廊下にも人影はない。

 第一、そっち側の施設は、暇をつぶすには向かない施設ばかりだ。だからあそこに人がいるとは考えづらい。

 なら――二階だ。


「にゃあ、彼方っ!」

「摩由美ちゃん! 何かあったの!?」


 階段を駆け上がって廊下を覗くと、旧個室前でへたり込んだ摩由美ちゃんを見つけた。


「にゃ、にゃあ……」


 摩由美ちゃんは気が動転しているのか、まともな言葉を発してくれない。

 代わりに、震える指で、旧個室のドアを指差した。

 ……そこに、何が待っているというのだろう。

 私は唾を呑んで、旧個室のドアに手をかけた。

 ――二通り、想像する。


 最悪の想像。

 第二の事件の被害者が、部屋の中で転がっていること。


 まだマシな想像。

 ワンダーの言う通り、本当に幽霊が現れた。


 ――果たして。


「……えっ?」


 そこにあった光景は、そのどちらでもなかった。

 開いたドアから光が入って、旧個室の中を明るく照らす。


 そこには、人が立っていた。

 手には、スタンドライト。それを振り上げたような体勢で静止している。

 髪の色は、ピンクと青。

 表情は、嘲笑混じりの笑顔。

 左右で全く違う靴下を履く、アバンギャルドな装い。


 見間違えるはずがない。

 ――空澄ちゃん。

 散々私たちを振り回す彼女が、まるで人を殺す一歩手前のような姿勢で、微動だにせずに立っていた。


 バタンとドアが閉まる。

 真っ暗になった部屋の中でも、空澄ちゃんは全く動きを見せなかった。

 まるで、死んでいるかのように。

 あるいは、呪われているかのように。

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