I confess my guilt.

《私の罪を告白しよう。》




「密室殺人、未遂……」

「ええ。ただ、そう悲観する要素ばかりでもないはずよ」

「……どういうことですか?」


 自分が殺されかけたというのに、悲観する要素ばかりでもない、だなんて……。


「いえ、襲われたこと自体はいいことなんてまるでないけれど、不幸中の幸いもあるわ。私、襲われたとき咄嗟に、爪で【犯人】を引っ掻いたのよ。意識がはっきりしていなかったけれど、間違いないはず」

「それが、【犯人】特定の鍵になる……ってことですか?」

「ええ。少なくとも、直前に彼方さんが普通に出て行っている以上、物理的に何らかのトリックが仕掛けられていたとは考えづらいわ。だったら【犯人】は、魔法を使って密室を作ったはず。それができるのは……」

「壁をすり抜けられる接理ちゃんか、扉を壊した後で修復できる佳凛ちゃん……」

「ええ。これが唯宵さんだったなら、もう少し面倒になっていたかもしれないけれど。神園さんと雪村さんに、傷を治す力はないわ。だから、二人の露出している肌に爪の跡があれば、それがそのまま【犯人】の証拠になるはずよ」

「…………」


 接理ちゃんか佳凛ちゃんのどちらかが、香狐さんを襲った。

 ……許せない、という感情が湧き上がってくる。

 今までの殺人事件とは違い、この事件はただの未遂。【犯人】を暴いても、魔王に……いなくなった今はどうなるのかわからないけれど、でも、殺されることはないはずだ。

 この、香狐さんの事件だけは、私は、罪を増やすことなく【真相】を突き止めることができる。だったら……。


「あの、香狐さん。一応、その……爪、見せてもらえますか?」

「ええ、いいわよ」


 香狐さんが、右手の爪を見せてくれる。

 この館での長い生活のせいか、それとも元から長かったのか。

 香狐さんの爪は、かなり長く伸びていた。ただし血が付いた痕跡もなく、出血というあからさまな要素での確認はできない。引っ掻けば相手の皮膚が爪に残るなんて聞いたことがある気もするけれど、そんなものはこの場で確かめられるものじゃない。どうにも、確定的な証拠は得づらい気がする。

 ただ……この爪で思いっきり引っ掻いたのなら、確実に【犯人】には傷が刻まれたはずだ。だったら、私の[外傷治癒]でその存在を確かめられる。


「…………」


 これ以上ここで考えても、香狐さんを襲った相手を確かめるには至らない。だけどもう、【犯人】を確定させるための道筋は整った。

 壁の、忌まわしいカウントダウンを確認する。私が香狐さんの傷を治して気絶してから、まだ三十分と少し経ったくらいのはずだ。いくらなんでも、香狐さんの死に物狂いの足掻きである引っ掻きが、そんな短時間で完全治癒するはずがない。[外傷治癒]を使えば、その存在を補足できる。

 そのためには、第二の事件の時のように、動揺して傷の感覚を見落とすことなんてあってはいけない。[外傷治癒]は発動すればどんな傷があるかちゃんと教えてくれるけれど、それは触覚のようなもので、触っている間はわかっていても触れるのをやめれば感覚はすぐに消えてしまう。だから、集中しないといけない。一度見落としたまま治療を終えてしまえば、もうその傷は二度と確認できなくなってしまうのだから。


「……ところで、彼方さん」


 実行のための心構えを整えていると、不意に香狐さんが言った。


「さっきから気になっていたのだけれど、このカウントダウンは何なのかしら」

「それは……」


 言葉に詰まる。

 言わなくてはいけないことはわかってる。言わずとも、先ほど藍ちゃんに教えてしまった時点で、いずれ香狐さんの知るところとなる定めというもわかっている。

 それでも、私には……。

 何度も、彼女の死を口にするような気概は、私にはなかった。


「まさか、また……誰か、殺されたの?」

「…………」


 私は何も言わず、ただ頷いた。


「被害者は?」

「――――」

「……そう。そういうことなのね」


 私が黙りこくっているのを見て、香狐さんは全てを察したらしい。

 私の態度から、香狐さんとはまた別の殺人事件が起きたことは察せるだろう。

 それなのに、殺人事件が起こってなお、私はこの部屋でタイムリミットもペナルティも何も設けられていない香狐さんの事件についての話をして、本当に差し迫った危機である殺人事件について一切語ろうとしない。……今までの私だったら、【犯人】の特定のために動き出している頃だ。

 明らかに知っている様子なのに、何も語らない。それだけで、十分だ。――誰が被害者なのかを、推理することくらい。

 私の内心を察してくれたのか、香狐さんがまた、ギュッと私を抱き締めてくれる。


「……彼方さん」


 香狐さんは優しい声で私を宥めてくれるけれど、でも同時に、香狐さんは甘いだけではいてくれない。香狐さんの行く末には、そのまま人類の未来が懸かっている。

 だから、いくら優しい香狐さんでも……ただ私を甘やかすだけなんてことは、してくれない。香狐さんは、責任を負っているから。


「今まで、私があなたに事件の解決を促していたことは……もう気づいてるわよね?」

「……はい」


 最初の事件の後で、香狐さんはあからさまに私との距離を縮めてきた。

 第二の事件の後で、私を支えると言って、私が事件に立ち向かおうと……いや、【犯人】を処刑に追い込むことすら厭わないと本気で思っていた狂気を、肯定までした。

 第三の事件の後で、約束の代償として支払わされたのは、【犯人】を死に追いやる覚悟を決めること。

 それもこれも、思えば思うほど、香狐さんの行動は私を探偵役に誘導しているとしか考えられなかった。

 それに薄々気が付いていながら私は、何か理由があるのかもしれないとか、何かの勘違いだと自分を誤魔化して、香狐さんに依存してきた。

 だけど、今ようやく――その誤魔化しは必要なくなるらしい。


「本当にごめんなさい。あなたを辛い目に遭わせた。だけど、私は……ああしなくちゃいけなかったの」

「それは……香狐さんの正体と、関係ある話ですか?」


 そうとしか考えられない。

 正体に関する告白を受けた後であるこのタイミングで打ち明け、かつ、そんなことをする必要性が発生するだけの理由。そんなのはやっぱり、香狐さんの正体――スウィーツの創造主としての立場が絡んでいるとしか思えなかった。


「ええ、そうよ。覚えているでしょう? 最初の日に、ワンダーの言っていたこと。参加者が【真相】を突き止められなかった場合、【犯人】以外の参加者には、魔王の名において最も深い絶望が与えられる」

「……香狐さんは、それを止めたがっていたんですか?」

「ええ。あのルールの真意は、私だけにわかるようになっていたんでしょうね。第二の事件のときには、触手の魔物がどうとか、ふざけたことを言っていたけれど。ワンダーが本当に画策していたことは、たぶんこうよ」


 香狐さんは一拍置いて、それから、とんでもない世界の秘密を語るかのように、重苦しく言った。


「魔王が言っていた最も深い絶望とは要するに、私が魔王に屈して、人を魔物に変えるスウィーツを生み出すこと。そしてその尖兵に、魔王は【犯人】以外の魔法少女を使うつもりだった。……そんなところでしょうね」

「……香狐さんは、それを止めるために?」

「ええ。きっと魔王は、魔物に変えられたあなたたちに、殺人でも命じるつもりだったんだと思うわ。もちろん、人格は残したままね。そんなこと、許せると思う? しかもその先に待つのは、人類の滅亡よ。……私は、その結末を許すわけにはいかなかったの。だから、犠牲を選んだ」

「…………」


 犠牲を選ぶ。それが、【犯人】を処刑し、無意味な勝利を勝ち取ること。

 探偵役を私に譲っていたのは、自分が必要以上に目立たないようにするためだろう。以前に、香狐さんが言っていた。探偵役は狙われると。

 だから、最初の事件を解決して目立ってしまった私に、香狐さんは声を掛けた。ずっと一緒にいて、クリームちゃんという存在を使ってまで守ってくれていたのは、補償のつもりだったのだろうか。私を矢面に立たせる代わりに、香狐さんは私の絶対的安全を確保してくれる。そういう関係性を、香狐さんは陰で成立させていた。

 ……それを、私は責められない。

 第二の事件以降のことがあろうとなかろうと、私は一度探偵役として目立ってしまっていたのだから、【犯人】に狙われる確率がぐっと高まっていたことは間違いない。だから香狐さんの行いは、私にとってはプラスにしかなっていないはずだ。

 色々な出来事のせいで、心を壊してしまったのは……それは、香狐さんのやり方のせいと批判することもできるかもしれないけれど、でも結局、私が狂ってしまったのは私のせいだ。自らの脆弱性が、あの狂気を呼び起こした。

 ……香狐さんの存在は、私にとっては大きなものだった。可能性の話をするなら、最初の事件の後で香狐さんが慰めてくれなかったら、私はそのまま心を壊していたということだってあり得る。

 感謝こそすれ……恨むのは、お門違いだ。私はそう結論付ける。

 だけど、わからないことがあった。


「……どうして、今、その話を?」


 香狐さんの話からすると、五度目の【真相】究明のタイムリミットが刻一刻と迫っている今、悠長に喋っている余裕はないはずだ。急がなければ、香狐さんはその在り方を歪められ、私たちは魔王の玩具となり、人類は破滅する。

 それなのに、絶対に【真相】の究明に必要ないとしか思えない話を繰り出した香狐さんは、自分の発言と矛盾している。

 しかし、香狐さんの中ではそうではないらしく――。

 香狐さんは、落ち着いた様子で言った。


「今を逃せばタイミングはないはずだから、ここで話しておかなくちゃいけないと思ったの」

「……何を、ですか?」

「――魔法少女の、進化の可能性について」

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