【解決編】Did I do something wrong?

《私は何か間違えたことをしたのか?》




 ジキル博士とハイド氏という名作において、ハイドは悪徳の権化として扱われ、ジキルはこの上ない善人として扱われる。

 それは先ほど語った通りだけれど、それで物語は終わらない。


 ここからはネタバレになってしまうけれど、そもそもジキル博士とハイド氏という作品が有名であるのは、それはこの作品が「とある症状」を描いた作品の代表格としてあちこちで引き合いに出されるからだ。

 その「とある症状」とは、ずばり「二重人格」。――とはいえ厳密に言うなら精神病としての二重人格ではなく、実際はただの錬金術的な人格分離であり、本来なら人間の二面性を巧みに表した作品というのが誤解のない表現だろう。


 作品の最後でハイドとは、ジキルの心の奥底に秘められた人格が特殊な薬によって表出したものだと明かされる。

 つまりハイドはジキルであり、ジキルはハイドだ。

 本来ならば区別に値しない、統合された一つの人格だったはずの二人。


 それでも、亜麻音さんがわざわざ「ジキルは誰か」などと尋ねたのには理由があるのだろう。

 あの作品では、ハイドを追ううちにその正体に辿り着き、主人公(と読者)は最低の悪人が最高の善人と同一人物であったことにショックを受ける、という構成になっている。

 しかし、仮にこのシナリオが逆だったならどうだろう。

 ジキルを追ううちに、最低な殺人鬼こそがジキルのもう一つの姿だと気が付いてしまったら? まして――そのジキルが、この上ない信頼に値する相手として存在していたとしたら?


「亜麻音さん。あなたがこの事件を起こした真意は二つ。[試練結界]で誰かが死ねば、きっとあなたではない誰かが冤罪にかけられる。でもこうして【審判】が開かれたなら、冤罪は証明されるだろうと信じて――私たちに試練を与えようとした。全員の命を救う英雄が現れることを信じて。貧弱すぎるミスリードがその証拠ね。初めから、自分の生存なんて考えていなかったのでしょう? あのミスリードは単に、隠蔽計画がどうのっていうルールを守るために行われた物」


 きっと、信じていたのだろう。

 自白禁止という状況下でも、誰かが――おそらくはここにいる二つ名持ちのどちらかが、皆を必ず救うのだと。


「ああそうだッ! けれども――」

「……そうね。あなたのもう一つの目的――いえ、真の目的にも、こんなシナリオはなかったでしょうね。私たちの中に隠れ潜む――殺人を企む不埒な魔法少女と潜伏した魔物の両方を処分しようとして、信じていた二つ名持ちの魔法少女だけが死に、他の誰も死なないなんて」

「――――」

「ここまで[試練結界]の発動条件の話はしなかったけれど、そもそも、この魔法で殺害できるのは『迷いなき殺意を抱く存在』のみ。それはつまり、誰かを殺そうとしている――裏切り者でしょう?」

「ま、待て!」


 私たちの会話に割り込み、万木さんが声を上げる。


「子犬が殺人を? 何を馬鹿なことを……。そんなこと、あるはずがない。子犬は優しい子だ。殺人など……」

「……ごめんなさい。これ以外の解はないのよ、残念だけれど」

「いや、あるはずだ! 私たちの内に潜む魔物を討伐すれば私たちは解放される、そこの邪精霊はそう言っていた!」

『ん、僕のこと?』

「そうだ! それなら、子犬はその魔物を狙っていた可能性だって――」

「いいえ、それはないわ。言ったでしょう。[試練結界]で殺害できるのは迷いなき殺意を抱く存在――明確に対象が決まり、躊躇もない殺意よ。正体もわからない魔物はその対象になり得ないわ」

「くっ……」


 万木さんが悔しげに拳を握り、唇を噛む。

 けれどその悔しさは、亜麻音さんに到底及ばないほどだろう。――今や亜麻音さんは、下唇から血が出るほどに強く力を込めているのだから。


「さっき法条さんが言っていたけれど、あなたが本当に誰かを秘密裏に殺したいなら、最良の方法は乗り場を発進してすぐ辺りに魔法陣を仕掛けておくことでしょう。それはあなたが誰よりもわかっているはず。それでもあなたはこんな大掛かりな方法を考え、実行した。それは、魔法陣は一人をした時点で消失してしまうから。あなたは私たちの中に潜む害悪の種を根こそぎ刈り取り、その後【審判】で裁かれるつもりだったのでしょう?」


 そのために、あんな巨大な魔法陣を用意した。

 観覧車の動きに合わせて自動的に完成し、私たち全員を範囲内に収めて発動する魔法陣を。

 その筆が法条さんらのゴンドラに取り付けられていたのは、本当にただの偶然だろう。観覧車を起動させてからゴンドラに乗り込むまでにはタイムラグがあり、意図的に操作することはできない。


「――そうだ。何も違わない。私はただ、この命を失おうとも、英雄による魔王討伐の糧となろうとしていたッ! 彼女たちならできると! 必ずや不可能を可能にすると! なのに――」

「……そう。なら、玉手さんの背中から小刀を見つけたときは驚いたでしょうね。あれは玉手さんが隠し持っていたものでしょう?」

「ああ。私が仕掛けたのは、乗り場に捨てたナイフ一本だけだ……っ」


 あまりにも貧弱でお粗末なミスリード。

 亜麻音さんが用いた手段に対する証拠は大量にあるのに、ミスリードのために用意されたのはそのナイフ一本だけだ。

 そのナイフにしたって、よく考えてみればおかしかった。

 透意が万木さんの魔法の仕様など知るはずもない。ミスリードとしてナイフを用意するなら、普通は血の付いたナイフを用意するはずだ。凶器と思しきナイフに血が付いていないとなれば、犯行に使われていないと考えるのが自然な成り行きなのだから。

 ミスリードとして血のついていないナイフを用意できるのは、『流した血は体内に帰る』という万木さんの固有魔法の特性を知っている人物のみ。

 ――その条件を、亜麻音さんは満たしている。なぜなら亜麻音さんは、万木さんと同じ戦場で戦ったことがあると自ら語っていた。

 それはきっと、【審判】を突破するためのヒントを私に託したということなのだろう。万が一にも、全滅などさせないように。


 この殺人は、私欲のために行われたわけではなかった。

 しかし不慮の事故でもなかった。

 敢えて原因を求めるのならば――憧憬。

 憧れる英雄に貢献せんが為に計画を実行し、悲劇の引き金を引いた。

 いや、あるいは。彼女は英雄に貢献したかったのではなく、英雄になりたかったのかもしれない。憧憬が目指すのはいつだって、届くはずもない分不相応なまでの高みなのだから。

 憧憬は届かないからこそ成立する。……きっと、そういうことなのだろう。


「なぁ、何故だ。何故こうなった。私は――私は間違えたのか!? 私が間違っていたのか!? 何故英雄と讃えられるような者が、理想と最も遠い穢れた感情を持つ! 何故英雄たる者が裁かれる!? 私は……私には、それがわからない……」


 亜麻音さんは嗚咽混じりに慟哭する。

 私はそれに答える術を持たない。玉手さんが何を考えていたのかなど、確かめる方法はもう存在しない。彼女は、既に命を落としたのだから。

 ただ、一つだけ……聞いておきたかった。


「ねぇ、亜麻音さん。あなたは誰かの死を望んでこの計画を実行したの? それとも、誰も――もちろんあなたも含めて、誰も死なないことを願っていたの?」


[試練結界]は、迷いなき殺意を持つ存在を確実に死に至らしめる魔法。

 逆に言うならば、殺人予定者などいなければ、全くの不発に終わる魔法だ。

 前者と後者、どちらのシナリオが優しい結末かは言うまでもなく――


「はは……私は魔法少女として、願うべきは平和だと、そう思っていたよ」

「……そう」


 ――あなたはそっちを選んだのね。

 そんな言葉を、私は呑み込んだ。


 きっと真意を知られることを恐れて、わざとどちらとも取れるような言葉を選んだのだと、私には思えたから。

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