Where were the gondolas heading?

《ゴンドラはどこへ向かっていた?》




「人が空へと昇りゆく。その奇跡の最中というのに、濡れ羽色の狐は浮かない顔だ。如何なる星の囁きか?」

「……なんでもないわ」


 透意が何かを伝えようとしたときの表情を思い出す。必死で、今すぐに何かを伝えなければという使命感に動かされていたように見えた。

 透意がそんな表情をするとしたら、やはり殺人の予兆以外には考えられない。

 しかしそれを、亜麻音さんに告げることはできない。初見のアトラクションでそこまでの違和感を覚えるなどあり得ない。だから何かが仕掛けられているかもという危惧を口にするのは、すなわち自分は裏切り者だと吐露するも同然だ。

 魔王という正体をバラすことにはならないけれど、最低限、皆との約束を守り一人でアトラクション巡りをしていたと扱われる。そんなの、殺人の準備としか思われないだろう。


 ……私は平静を装いながら、とりあえず亜麻音さんの対面の席に着いた。


「それにしても、景色が淀んでいる。三方がまるで、晩夏の嵐のようだ」

「ええ、そうね……」


 先も見通せないほどの曇りガラスは、確かに土砂降りの雨に遮られた視界に似ていた。しかし外が晴天であることは、塞がれていないただ一方向のガラスが示している。

 遊園地方向を向いた窓ガラスこれだけが唯一、正常な状態でその先の景色を見せてくれていた。……これが、何者かの作為によって作られたものだとして。何が狙いだろうか。


 いやそもそも、透意が警告を発しようとしていたのは本当にこの窓ガラスについてだったのだろうか。

 もしかしたら透意のところにだけ、別の脅威が潜んでいた可能性がある。もっと明確に危険とわかる、殺人用のトラップだとか……。


 ……事件が起きたなら、おかしな態度を取っていた人は疑われるだろう。

 ここはとりあえず、警戒しながら平静を装うしかない。


「そういえば、前は話が途中だったけれど。あなたが魔法少女になった理由の話だったかしら。よかったら、教えてもらえると嬉しいわ」

「……これも機の巡り、か」


 亜麻音さんはそう呟いてから、彼女の過去を語り始めた。


「どこまで語り紡いだだろうか」

「英雄譚が好きだから、って話しか聞いてないわね。詳しいところは何も」

「そうか。――発端は、輝かしき邂逅ではなかった。幼少のみぎり、書庫にて出会った一冊の英雄譚。その英雄に憧れたという、平凡な理由。しかしその憧憬が、運命を誘ったのだろうか」

「運命?」

「甘味の妖精が、こちらの前に現れた」

「なるほど……。スウィーツに魔法少女に誘われて、二つ返事で魔法少女になったってわけね?」


 亜麻音さんはコクリと頷いた。

 英雄に憧れる女の子というのは珍しいけれど、まあおかしなことではない。それで魔法少女になったというのも頷ける話だ

 けれど……前にこの話をしたとき、亜麻音さんは何故だか愁いを帯びたような表情をしていた。これだけでは、あの表情が説明できない。


「それで、何かあったの? 無遠慮を承知で聞くけれど、どうもそのまま大活躍したという風には聞こえないけれど」


 互いに唯一無事な窓から景色を見ながら、会話を進める。

 時折ゴンドラの内部にチラチラと視線を遣って警戒しているけれど、何かが起こる予兆もない。座席の下に何かが仕組まれているみたいなこともないし、いよいよもって何も起こらないのではないかと疑い始めた。


「まあ、林檎が地に落ちるが如き単純なことだ。こちらが授かった力は、最前線で振える力ではあったが……」

「へぇ?」


 つまり、最前線級の魔法少女か。

 なのに浮かない顔をしているということは――


「しかし英雄の如き輝きを持つ彼女ら――二つ名持ちは、こちらにとっては天上の星だった」


 ポツリとそうこぼす亜麻音さんの声色は、どこか本気の色が宿っていた。

 二つ名持ち――私が直接会ったことのある人で言えば、唯宵さん、棺無月さん、玉手さん、万木さんか。玉手さんだけは底力がよくわからないけれど、他の三人はただの魔法少女とは別格だった。

 無尽蔵の回帰を果たす唯宵さん、極まった覚悟を持って殺し合いを破綻させた棺無月さん、限界を超越した回復能力を行使する万木さん。

 魔法少女の頂点を担うだけはある。そう思わせるに十分な面々だった。


 一方で、亜麻音さんにそういった点は見られない。

 玉手さんのようなカリスマがあるわけでもなく、他の二つ名持ちのように超越的な固有魔法を持っているわけでもない。亜麻音さんにあるのは、独特なその存在感と、発動条件が極めて限定された魔法だけだ。

 即死魔法は確かに強力だけれど、問題点も抱えている。まずもって、即死魔法は耐性によって弾かれやすい。今のように魔法耐性が機能しない場ならともかく、通常なら敵を魔法陣上に留める工夫が必要だろう。

 その上、彼女の魔法は味方がいる状況では使えない。当たり前だ。最前線ともなれば、魔物を殺す気で相手をしているのは魔法少女も一緒。つまり、魔物と戦う魔法少女もまた亜麻音さんの即死魔法の対象となり得る。……普通なら、そんな人と一緒に戦いたいとは思わないだろう。


「現実を知り、けれど憧憬は手放せず。彼方の星に願うこちらが見出したのは、彼女らの偉業を讃える役割だった」

「それが、吟遊詩人?」

「その通り。魔法の存在を公にしない程度に、作品としてまとめる。それがこちらが見出した、英雄に身を奉ずる道」


 亜麻音さんはそれが重大な使命であるかのように言った。

 魔法少女の衣装は、本人の性格などに大きく左右される。これは周知の事実だ。その上で亜麻音さんはこのような格好をしているのだから、その活動が本人にとって重要なことなのだろうとは察せられる。

 ……なのに、何故だろう。今の言葉。

『作品としてまとめる』という部分よりも、『英雄に身を奉ずる』という部分の方が重く響いた。

 まるで、自分の身よりも英雄を重んじているかのような。そんな……。


「これまで、どういった作品を作ってきたの?」

「理解できる例を挙げるならば、まさに【聖女】を讃える歌以外にあるまい」

「【聖女】って……万木さん? ここに来る前に会ったことがあるの?」

「都市に巣食う伝説の誅殺。その戦いに居合わせた。――尤も、こちらの役割は援護。野に生えた雑草のようなものだ。あちらは覚えていないだろう」

「……そう」


 気にした様子もない風に装っているけれど、なんとなく声音が寂しさを帯びていたことに気が付いてしまう。


 観覧車は、既に下降に入っていた。

 ほとんど話をしているだけで、何事もなく終わりそうだ。そんな予感すらある。


 ……本当に、何も起きない? この怪しいガラスは、元からこうだったというだけ? 確かに、どうせこの曇りガラスが普通のガラスだったとしても、見えるのは世界の壁だけだ。装飾が施されているとはいえ、壁は壁。見ても面白くないだろうという判断で、敢えて遊園地側だけに集中させるようにこういうデザインで作られた可能性はある。

 だとしたら、透意が警告しようとしていたのはまた別のことで。その別の何かというのも透意が乗ったゴンドラにしかなく、私たちには無関係。そういうことなのだろうか。


「……それでもこちらは」


 まもなくドアが開く。そんな段階に差し掛かって、亜麻音さんが言った。


「英雄を尊び続けるだろう。憧憬こそ、人を突き動かす追い風であるがゆえに」


 ドアが開く。亜麻音さんが立ち上がり、こちらを向く。

 その顔には、僅かな笑みが浮かんでいた。けれどただの笑みではない。何か複雑な思いを抱えていそうな笑みだった。苦笑のようだけれど、それとも少し違う気がする。


「降りましょうか」

「ああ」


 二人、ゴンドラから脱出する。

 結局、何事もなかった――などと呑気なことを考えていられたのも一瞬の内だった。

 異変には、すぐに気が付いた。先に降りていた面々が出口の手前で立ち止まり、妙な雰囲気を放っている。

 まるで、歓迎できない事態が起きてしまったかのように――


 私は彼女たちの元へと駆けた。亜麻音さんもすぐに追ってくる。

 見た限り、混乱の中心にいるのは透意だった。それが更に不安を駆り立てる。

 警告は、杞憂で終わったと思っていたけれど。まさか……。


「何があったの?」


 こういうとき、真っ先に答えてくれそうな玉手さんの姿を探す。

 ……玉手さんがいない。まさか?


「こ、子犬さんが……」


 透意はかなりの怯えを含んだ声で、ゆっくりとその事実を告げた。

 口元に手を添え、何かを堪えるように表情を歪めている。


「さっきまで喋っていたのに、ゴンドラから出てこなくて……」

「えっ?」「それは……」「そんな……」

「――待て、みんな静まれ」


 私たちの会話も、皆の混乱も遮って、万木さんが声を上げた。


「ただ降り損ねただけかもしれない。まずは確認するべきだ。観覧車が一周したら、回転を止めて様子を見る。みんなはここで待っていてくれ」


 万木さんはすぐに、操作室の中へと飛び込んだ。こういう時に集団を統率しようと動けるのは、流石二つ名持ちの魔法少女と言うべきか。

 けれど、彼女は玉手さんほど手際が良くないらしい。混乱した場を収めるには、リーダーが必要不可欠だというのに。それを欠けば――


「まさか、事件?」


 霧島さんが放った不用意な一言により、不安が爆発する。


「こ、怖いのです……」

「待つ他にない。残念ながら」

「何か嫌な予感がするかもしれないワニ」


 口々に不安を口にする者。それを宥めようとする者。不安を押し殺す者。

 各々、観覧車が一周するまでの間に好き放題に振る舞う。

 万木さんが操作したようで、観覧車が減速し、やがて止まった。乗り場と降り場の中間あたりに、中に人影のあるゴンドラが止まっている。既に扉は開いていた。

 ……この時点で、降り忘れというのはあり得ない。そうであれば、二周目のこの時点で、彼女は自発的にゴンドラから降りているはずだ。なのに、一向に出てくる気配はない。

 だとしたら……。


 私は先陣を切って、ゴンドラの確認に向かう。

 降り場は一応、乗り場と通じている。だから今、私がゴンドラに一番近い。

 玉手さんの乗っているはずのゴンドラの前に辿り着く。


 ふと、亜麻音さんの話が脳裏をよぎった。

 ――英雄を尊び続けるだろう。憧憬こそ、人を突き動かす追い風であるがゆえに。

 亜麻音さんはそう語った。それなのに、その英雄は――


 二つ名持ち魔法少女、【獣王】、玉手 子犬。

 皆を導き、共に希望を探そうと呼び掛けた優しい少女。

 彼女はゴンドラの中で、傷一つ見当たらない状態のまま、席に座って動かなくなっていた。……いや、そんな曖昧な表現をするべきではない。

 彼女は死んでいた。紛れもなく。

 英雄としての姿ではなく、只人として、何の変哲もない私服を纏いながら。


 そしてようやく、私は答えを知る。

 ゴンドラはどこへ向かっていたのか?

 きっと答えは――地獄の殺し合いの入り口へ、だ。

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