After the first tragedy ③

《第一の悲劇の後で③》




◇◆◇【色川 香狐】◇◆◇


 ――夜を迎えた。

 事件後、各々は各々の方法で事件を受け止めた。

 あるいは、受け止めずに逃げ出した。


 一つ確かになったことは、この集団は古枝さんを中心としていたということ。

 古枝さんがいなくなった途端、全体での統制が全く取れなくなっていた。

 それどころか、グループ行動の規則も崩壊した。


 食事に関しても、やや困ったことになった。

 もともと、私と古枝さんが厨房を回して、全員分の料理を作っていたわけだけど……その片方が欠けた今、私一人で十一人分の料理を用意するというのはかなり苦労する。

 しかも――食事を作る場所、取る場所共に、曰く付きの場所となってしまった。

 釜瀬さんは厨房で殺され。古枝さんは食堂で殺され。

 事件のせいで朝食を振る舞うことができなかったけれど、昼食でも、皆相当に食欲がないようだった。

 ……あんな方法で【犯人】が処刑されたのだから、当然と言えば当然だけれど。


 一応、この状況をなんとかするために、夜のうちに声をかけておいたけれど――どうなるかは明日を迎えてみないとわからない。

 色よい返事をもらえればいいけれど――。


「それにしても……」


 彼方さん。あの子は不思議な子だった。

 最初から目をかけてはいたけれど、想像以上だった。

 驚くほど打たれ弱いのに、驚くほど強い。

 強いというよりも――必要なとき、必要な力を発揮できるような、そんな子に映った。

 あのアンバランスさも、彼女を構成する魅力の一つに思える。


 私の胸の中で泣きじゃくっていた、彼女のことを思い出す。

 不謹慎だけれど――彼女はとても可愛らしかった。死の重さに泣いて、傷ついて。そんな、純粋な女の子。私にしては珍しく、本気で気に入った子だった。


 空鞠 彼方さん。

 彼女のような子がこのゲームの参加者に混じっていて、よかったと少し安心してしまう。

 彼女ほど純粋な子はそうそういない。

 ああいう子は、周りに希望を与えてくれる。

 一つの事件を経て、崩れかけたこの空気も――彼女なら、なんとかできるかも。


「ふふっ……」


 期待で胸が弾む。……いや、期待でここまで胸は弾まない。

 なら、なんでしょうね。この胸を満たす感情は。

 ――好ましさ。そう、好ましさだ。愛おしさと言ってもいいかもしれない。


 釜瀬さんと古枝さんが亡くなったのは、悲しいことだ。胸が張り裂けそうだ。人の死とはそういうものだ。

 けれど――誰かが死んだからといって、私たちが変わる必要はない。

 人の死は、生者を縛る理由にはならない。

 だから、この状況で私が彼方さんに好意を抱くこともまた、自然なことだ。


 感情に嘘はつけない。

 悲嘆と愛情は同居する。


 だから、少し――。

 彼方さんの隣に寄り添う彼女に嫉妬するのも、自然なことだ。

 桃井 夢来。私が彼方さんと一緒にいようとすれば、たぶん、彼女は邪魔になる。

 どうするべきか……。


 私はしばし、彼女を遠ざけて、彼方さんと二人きりになる方法について思案した。






◇◆◇【桃井 夢来】◇◆◇


「彼方ちゃん……」

「……なに?」


 夜。これまでの三日間がそうだったように、今日も彼方ちゃんと一緒に寝ている。

 ベッドの中で繋ぐ手は、今日に限っては、わたしに安心を与えてくれない。

 ただ、罪悪感と後悔を覚える。


 今回の事件で、わたしは辛い役どころを全て彼方ちゃんに押し付けてしまった。

 自分が不安だったから。そんなことは言い訳にならない。

 わたしは、彼方ちゃんを支えてあげようって、あの最初の日に決意したのに。

 あの日――彼方ちゃんは泣いていた。

 こんなことに巻き込まれて、悲嘆に暮れて。


 だから、わたしが守ってあげないとって、ずっと思っていた。

 なのに。猪鹿倉さんに怯えて、彼方ちゃんに隠れて。

 人の死が怖くなって、何もできなくなって。

 それで――結局は、弱さを曝け出して、彼方ちゃんを頼ってしまった。


 たぶん、彼方ちゃんもわたしと同じ思いなんだろうな、っていうのはなんとなく察している。

 彼方ちゃんは、度々わたしを気遣ってくれるような素振りを見せる。

 だけど――それじゃダメなんだ。

 わたしは、もっと、頼れる子にならないと。


 この事件、わたしはずっと、彼方ちゃんと一緒にいた。

 だったら、わたしにだってできたはずだった。この事件の謎を解くことが。

 でも、わたしは、【真相】に掠りすらしなかった。


 わたしは、こう思っていた。

 棺無月さんは、初日に、猪鹿倉さんの魔法の暴発を受けていた。

 棺無月さんの魔法は[被害模倣]。自分が受けた魔法をコピーする魔法。だからそのとき、棺無月さんの魔法は[爆炎花火]に入れ替えられたものと思っていた。

 それで、猪鹿倉さんに罪をなすりつける機会を窺っていた。

 そんなときにちょうど、魔王が脱出の手引きを記したメモを配置する。

 みんなから離れる形になった釜瀬さんを、棺無月さんはこれ幸いと[爆炎花火]で爆破した。

 その後でさも、自分も被害を受けたかのように振る舞い、事件の調査を行う。探偵役として、間違った方向にみんなを誘導するために。

 鏡の欠片は、さもベルトコンベアから出てきたように証拠を偽造したものだと思っていた。


 そういう筋書きだと思っていたから、衣装室で鉢合わせたとき、わたしは怯えた。彼方ちゃんが猪鹿倉さんの無罪を証明して、議論が停滞したときもそうだ。

 わたしの推理が正解で、けれど、わたしがこう推理していることを棺無月さんが見抜いていたなら……もしかしたら、棺無月さんにここで殺されちゃうんじゃないか、って。口封じされてしまうことを恐れた。

 でも、後から考えたら――それは完全なる間違いだった。


 棺無月さんが米子ちゃんを殺めたのなら、萌さんも一緒に巻き込もうとしただろうことは想像に難くない。万が一、自分に不審な点があったと証言されてしまったら困るから。

 でもそれだと、萌さんは殺されずに生き残ったのはおかしい。一度目を外したにしても、追撃しなかったなんて。

 それに、萌さんの傷を彼方ちゃんの[外傷治癒]で治せなかったのは更におかしい。

 最初、棺無月さんの傷が治せないのは、彼女の傷は自傷だったからだと思った。自分自身に悪意は向かないから、彼方ちゃんの魔法で治せない。

 でも、真相は違った。

 釜瀬さんを殺してしまったのは、古枝さんだった。

 あの優しそうなお姉さんが、釜瀬さんを手にかけた。


 わたしは、その【真相】には辿り着けなかった。


「……夢来ちゃん?」


 どうして、彼方ちゃんの魔法は、あの二人の傷を治せなかったんだろう。

 魔王は言っていた。二次被害というのはいい考え方だと。

 何か、彼方ちゃんの魔法には、わたしたちに知らされていない条件があったのだろうか。

 ……わからない。それが私の限界だった。

 わたしは――。


「……わたし、強くなりたい」

「えっ?」

「もっと……すごい人になりたい。彼方ちゃんに、頼りきりにならずに。ちゃんと、友達として……助けてあげられるようになりたい」

「夢来ちゃん……」


 彼方ちゃんに、私の決意を告げる。


「もし、また何か起こったら……。わ、わたしが、なんとかする。そう、できるようになりたいな、って……」

「…………」

「明日から、そうしていきたい。こうやって、夜中に縋りついてるんじゃ、ダメだと思うから……。明日からは、ちゃんと、一人で色々できるようになりたい」


 彼方ちゃんを支える。

 それが、わたしがここにいる意味。そう定めた。

 これ以上、わたしを庇って、彼方ちゃんが傷を負うことがないように。


「……だめ」

「えっ?」


 彼方ちゃんが、小さく否定する。

 彼方ちゃんが、わたしの顔を覗き込んだ。

 その澄んだ瞳は、今や悲しみに濡れている。


「夢来ちゃんがそう思ってくれるのは、嬉しい。夢来ちゃんが決めたのなら、応援したいと思う。――でも」


 彼方ちゃんの語気が強まる。


「私だって、夢来ちゃんを助けたい。だから、夢来ちゃんが一人で全部背負い込もうとするなら、私だって止めるよ」

「で、でも、それじゃ……彼方ちゃんが、また」

「……私は。大事な人が傍にいてくれれば、それでいいから。夢来ちゃんがいてくれれば、それでいいの」


 嘘だ、と反射的に思った。

 彼方ちゃんはそんな子じゃない。

 みんなを助けようとして、傷ついて。それでも、みんなのために頑張ってしまう。

 絶対に、傷を負うとわかっていても。

 そんな子だから、魔法少女になれたんだと思う。彼方ちゃんの正体を知った今では、そう思っている。


 そんな子に、こんなことを言わせた自分が恥ずかしくなる。


 本当に、彼方ちゃんに何かあったら。

 わたしが、絶対に彼方ちゃんを守ろう。

 この想いは口に出さない。口に出したら、きっとまた止められてしまうから。彼方ちゃんが心を殺して、わたしのために優しいことを言ってくれるから。

 わたしは――彼方ちゃんの、大切な人らしいから。


 わたしは、彼方ちゃんの幸せを願う。

 それが、彼方ちゃんを大切な人と思う、わたしのするべきことであり。

 それが、魔法少女らしさだと思うから。






◇◆◇【空鞠 彼方】◇◆◇


 ――夜が明けた。

 事件から、そろそろ一日が経過する。


 目が覚めた後、夢来ちゃんは自分の部屋に戻っていった。

 昨夜の決意を、実行に移すかのように。

 思えば、夢来ちゃんが最初にこの部屋に来たのは、不安でどうしようもなかったからだった。

 そんな自分を変えようとしたから。

 まず、そこから始まった添い寝を絶とうと思ったのかもしれない。


 でも……私自身も、どうしても寂しさを覚えてしまう。

 私は、夢来ちゃんが一緒にいてくれるだけでも、随分救われていた。それは間違いのない事実だった。

 でも夢来ちゃんは、このままでは嫌だったらしい。

 この寂しさを、どうすればいいのか――。


 私は、昨夜の香狐さんの誘いを思い出す。


「……行ってみようかな」


 私はベッドから下りる。

 まだ、時間は朝早い。朝食の時間には余裕がある。

 それなら……。


 私は、部屋を出て、厨房へと向かった。

 厨房は既に、ワンダーによって片づけられていた。

 死体は消え去り、爆発痕もなく、部屋の汚れや破損も修復されている。


「……あら?」


 厨房のドアを開けると、香狐さんが料理の準備をしているようだった。

 エプロンをかけているけれど、魔法少女の衣装――つまりはドレスの上からで、それが致命的なまでに似合っていない。

 エプロンドレスという服装があるけれど、こういうのではないと思う。


「お、おはようございます、香狐さん」

「ええ。彼方さん、おはよう」


 挨拶をすると、香狐さんが微笑みを返してくれた。


「私の話、受けてくれるのかしら?」

「は、はい……。そうしようかなって」

「そう。よかったわ」


 香狐さんがそう言いながら、私に布を一枚渡してくる。

 布――いや、エプロンを広げて、私も魔法少女コスチュームの上からかけた。


「やっぱり、あんまり似合わないわね、これ」

「そうですね……」


 魔法少女にエプロンというのは、やっぱり何か違う。

 でも、いくら魔法少女衣装は汚しても問題がないとはいえ、抵抗感はある。こうしてエプロンをかけることにも、意味があるはずだ。

 だって――これから、私は料理をするんだから。


 昨夜、私は香狐さんに誘われた。

 一人、厨房係がいなくなってしまったから、代わりに手伝ってほしいと。

 今朝まで迷っていたけれど……でも、夢来ちゃんがいなくなって、一人でいることに耐え切れなくなった。だから、ここにやって来た。


「でも……どうして私だったんですか?」

「ん? 何が?」


 香狐さんが首を傾げる。

 誘われたときから、私はずっと疑問に思っていた。


「いえ、あの。私、料理できないのは知ってますよね?」

「ええ。初日に聞いたわ」

「だったら、なんで私に……」


 しかも、夢来ちゃんと一緒にいたところで誘ってきた香狐さんは、こうも言っていた。

 一人だけ――彼方さんだけでいいから、と。


「まあ、理由としては、単純に気になったからよ」

「……気になった?」

「ええ。あんな風に泣かれちゃったんだもの。放っておけないわ。一緒にいてあげたいと思って、それで誘ったのよ」

「あ、あれは……」


 今更ながら、少し恥ずかしくなる。

 涙を流したこと自体は後悔していない。感情に嘘はつけない。

 私は、私がしたことの意味を知って、絶望した。


 けれど、恥ずかしがるのはまた別のことだった。

 香狐さんの胸に顔をうずめて、思い切り泣いて……。

 高校生のすることじゃなかった。


「あら、照れてるのかしら?」

「…………」

「あのときの彼方さん、可愛かったわよ。小さい子供みたいで。これが母性本能ってやつかしら?」

「そ、そういう冗談はいいです!」

「あら。じゃあ、また泣きたくなったら言ってちょうだいね。慰めてあげるわ」

「……っ」


 顔が赤くなったのを感じる。


「それじゃあ、そろそろ料理を始めましょうか。彼方さんは初心者みたいだし、私が教えながらやるわ」

「よ、よろしくお願いします……」


 そうして――新しい一日が始まる。

 事件が終わって、変化した関係性の中で、次の日々が紡がれる。

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